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むつの花  作者: 野口 ゆき
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一つの花 『五.帯』

元治(げんじ)元年(1864年) 皐月(さつき)(5月)


「この帯、お父様に買っていただいたの」

と言って、幼なじみのさよちゃんが綺麗な帯を私に見せてくれた。

京友禅(きょうゆうぜん)のその帯は薄い空のような地色に、紅い大きな金魚と白や黒や黄色の小さな金魚、薄紅色の花や鮮やかな緑色の草が沢山刺繍され、所々金糸や銀糸が施されいた。

少々重く、そして、とても豪華だった。

それほど裕福ではない私の家では、到底買えない代物だ。

大店(おおだな)葵屋(あおいや)』の娘のさよちゃんは牡丹(ぼたん)色の着物が良く似合う、とても元気でちょっと我儘(わがまま)な女の子だ。

さよちゃんの家は、お金持ちだ。

だから、持っている物も私の物とは比べものにはならないほど、立派で、高そうで、そしてちょっと派手だ。


「いいな・・・。

私も、新しい夏の帯が欲しいな・・・」

「それなら、私の帯をあげるよ。

まだ、使っていないものがあるから」

「いいよ・・・。

さよちゃんの帯は、どれも高いもの・・・。

もらうわけにはいかないよ・・・。

父上や母上に、お願いしてみる・・・。

駄目だと・・・思うけど・・・」


私は家に帰って使い古した帯を携え、父上と母上を探した。

直談判する為に。

廊下を歩いていると、床の間に優しく大切に花菖蒲(はなしょうぶ)を生けている母上を見付けた。

私は部屋に入り、早速母上に頼んでみた。

「母上。

私、帯が欲しいです」

「持っているではありませんか?」

その通り。

持っては、いる。

使い古した『越後縮(えちごちぢみ)(上布)』のこの帯を・・・。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



『越後縮』とは、苧麻(ちょま)(上質の麻)で織った平織物の事。

『東の越後 西の宮古(みやこ)』と呼ばれるほどの、日本を代表する上質な織物。

仕上げに雪の上に生地を晒す『雪晒(ゆきさら)し』を行い、生地の発色をより良くする。

鈴木牧之(すずきぼくし)の『北越雪譜(ほくえつせっぷ)』にも『越後縮』の事が細かく記述されている。

通気性、吸水性、撥水性が良く、夏には最適な織物である。

紺地に(しま)模様が一般的で、勿論私の帯も同じだ。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「でも・・・他にも欲しいのです。

姉上のお下がりのこの帯は、地味だし、継ぎ接ぎだらけで・・・その・・・ちょっと恥ずかしいです・・・。

高い帯が欲しい、と言うわけではないのです。

新しい、もっと可愛らしい帯が欲しいのです。

お花の模様とか、薄紅色とか、桃色などの可愛い帯が・・・」

すると、母上は手を止めて私の方へ体を向けて静かに言った。

「ゆき。

何もかも自分の好きな物が手に入ってしまったら、『本当に欲しい物』や『好きな物』が分からなくなってしまいますよ」

「『本当に欲しい物』や『好きな物』が、分からなくなる・・・?」

「楽をして物を手に入れれば、その物の価値が知らぬ間に軽く思えてきてしまうもの。

本当に欲しかった物も、大して欲しくなかった物も、知らぬ内に全て同じ価値になってしまうのです。

以前はどうしても欲しかった物でも、苦労もせず何でも簡単に手に入れる事によって、欲しかった気持ちも忘れ、努力する意義も見失ってしまいます。

だから、もし本当に欲しい物ならば、一生懸命努力をして手に入れなさい。

努力して苦労して手に入れれば、得る為の辛さや得た時の喜びが思い出や経験となって残り、貴方にとって掛け替えのない物となります。

そして、それを大切に思い、大事に使い続けるでしょう。

たとえそれが他人にとっては価値の無いものでも、それを大切に使う人にとっては何物にも代え難い物となるのです。

多くの物を持っている事よりも、たとえ一つでも努力して手に入れ、大事に使う事の方が重要だと、私は思います。

私は、貴方にもそう思って欲しいと願います。

それに、物には『物としての命』が宿っています。

大切に使ってあげなければ、物が可哀想ですよ。

物の立場になって、考えなさい」

「努力して手に入れ、物の立場になって物を大切にする・・・」

「そうです。

それと、先程貴方はその帯を継ぎ接ぎだらけで恥ずかしいと言いましたね。

話した事はなかったけれど、その帯は私の母が昔作った帯なのですよ」

「え?

そうなのですか?

亡くなったお祖母様が?」

「貴方のお祖母様も末娘で、いつも姉上様達のお下がりばかりを身に付けていたらしいの。

だから、ずっと自分だけの新しい帯が欲しいと思っていたそうです。

でも自分で買えるお金も無いし、遠慮して親にも買って欲しいとは言えなかったそうです。

たとえお金がなくとも、今手に入るもので何かをしよう。

それならば、いっその事自分で作ろうと思いついたと言っていました。

貴方のお祖母様も貴方同様お裁縫が不得手ではあったけれど、知り合いから古い越後縮の布を貰って、作り方を教えてもらいながら半年掛けて一本の帯を作ったそうです。

うまく針が入らなくて何度も指を突き刺して血を流したり、縫い目がばらばらになったりと大変だったらしいのですが、作っている間は辛いと思った事は無かったと言っていました。

『自分だけの、この世に一つだけの帯が出来る』

『自分の好きな帯が出来る』

出来上がるまで、嬉しくて仕方がなかったそうです。

そして出来上がってからは、ずっとその帯を締め、大切に使っていました。

綻べば、直ぐに他の布を当てて直しました。

貴方のお祖母様はずっとその帯を大事に使い続け、その後、その帯は私が野口の家にお嫁に行く時に頂きました。

昔、私も良くこの帯を締めていたのを覚えているでしょう?

その後、うめが使い、そして今、ゆきがその帯を締めている。

綻びは、その都度母が直してきたでしょう?

その帯には私の母の、私の、うめの、そしてゆきの思い出が詰まっているのよ。

ずっと大切に使い続けて来た歴史が、この帯にあるの。

継ぎ接ぎだらけで恥ずかしいと、思うかもしれない。

でも、これは私達にとって特別な物なの。

だから、ゆきにも大事に使ってもらいたい。

恥ずかしいとは思わず、誇れるものだと思ってもらいたい」


私は、恥ずかしいと思った。

『この帯を』

ではなく、

『この帯を恥ずかしいと思った自分を』。

何も知らないくせに、ただ、さよちゃんの新しい帯が羨ましいと思い、何も考えずに帯を貶した。

いえ。

帯だけではなく、帯を身に付けていたお祖母様達を傷つけたと思った。

自分の浅はかさが、恥ずかしいと思った。


「・・・母上。

申し訳ありませんでした。

そんな大切な帯だと知らなかったとはいえ、失礼な事を申し上げました。

私、この帯を大事にします。

この帯の為にも、この帯を作り、大切にしてきたお祖母様達の為にも、私も大切に使い続けます。

約束します」

その言葉を聞いた母上はにっこりと笑い、越後縮の帯を優しく触りながら言った。

「有難う。

でも、そうね・・・。

流石に何十年も使い続けているから、少しくたびれているわね。

もう一本新しい帯があっても、良いかもしれないわね。

それほど、派手ではないものを・・・。

流行り廃りのない色や柄にすれば、飽きる事なく長く使えるから。

でも先程も言った通り、欲しい物は努力して手に入れるもの。

かと言って、ゆきはお裁縫が特に苦手だから、お祖母様のように帯を作るなんて出来ないし・・・。

それならば、ゆきにはこれから毎日廊下の拭き掃除と庭掃き、それと、そうね・・・母の肩を揉んでもらう事にしましょう。

そうしたら新しい帯を買って貰えるよう、父上に申し上げておきますよ」

「ちょっと待って下さい。

母上。

廊下拭きと庭掃きは分かりますが、母上の肩揉みは関係ないのではありませんか?」

「私、最近肩が凝るのよ」

「それって、ただ単に私を利用しているだけではありませんか?」

「何を言うの?

ゆき。

母の肩を揉んで努力した結果、帯を手に入れる事が出来、その上、母にも親孝行が出来ると言う一石二鳥以上の提案ではありませんか?

これは、立派な人間に育てようとする親心なのですよ」

・・・何だか・・・腑に落ちない・・・。

『そもそも親孝行って、強制されるものではないのでは?』

『やっぱり、単に肩を揉んでもらいたいだけなのでは?』

と思ってしまう。

でも、今まで何も努力をせず物を与えられてきた自分が、初めて努力をして何かを手に入れる事が出来るのなら、何でもやってみようと思った。

何だか、少し楽しみになってきた。

ただ新しい帯を買ってもらっても、この継ぎ接ぎだらけの帯はずっと大切に使い続けよう。

そして今度買ってもらえる(であろう)帯は、一生懸命働いて(母上の肩揉みをして)手に入れよう。

そしてそれを、次に使ってくれる人の為にも大事に使い続けよう。

思い出を、沢山残そう。


ああ・・・。

どんな帯にしようかな?

楽しみだな・・・。


と、思いを馳せていると母上が

「今持っているその帯を、何時までも母が繕い続けると思ったら大間違いですよ」

と、驚いた事を言った。

「え?」

「作る事は出来なくとも、せめて繕えるようになさい。

取り敢えず、女の子なのだから。

もう少しお裁縫を、一生懸命習いなさい」

「取り敢えず・・・て。

でも私、本当にお裁縫が苦手で・・・」

「知っています。

でも苦手だからと言ってやらなければ、何時まで経っても出来ません。

その帯を、大切にすると言ったのでしょう?

ならば、自分でその帯を守る努力をしなければなりません。

下手でも、構いません。

守ろうと言う気持ちが、大切なのです。

それに最初は下手でも、続ければ出来るようになるものです。

貴方のお祖母様も一生懸命お裁縫を習い、遂には自分でこの帯を縫う事が出来るようにまでなったのですから。

貴方も、努力すれば出来ますよ。

分かりましたか?」

私が帯を大切に使うと言ったのは、帯を『大切に扱う』と言う意味だったのだけれど・・・。

そこまで、母上は甘くはなかった。

私は観念して

「・・・はい」

と、答えざるを得なかった。

当然と言えば、当然。

母上が、正しい。

きっと・・・。

でも正直言って、本当に、本当に、本当に、私はお裁縫が苦手。

でも、自分でこの帯を大切にすると決めたから。

苦手でも、何とかしなければ・・・。

大丈夫。

お祖母様は不得意だったお裁縫が努力して出来るようになったし、母上もお裁縫は得意だ(姉上は、未だに苦手だけれど・・・)。

私に同じ血が流れているのなら、出来ない事はないはずだ・・・。

きっと・・・。

多分・・・。 


『やれば、出来る』


『自分を信じよう』


と、自分に言い聞かせた。


ふと見た空は、厚い雲に覆われていた。


五月雲(さつきぐも)』だ。


もうそろそろ、梅雨の季節だ・・・。



挿絵(By みてみん)

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