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むつの花  作者: 野口 ゆき
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一つの花 『四.友達』

元治(げんじ)元年(1864年) 卯月(うづき)(4月)


数日後、私と團一郎(だんいちろう)はあの時の『瞽女(ごぜ)』の女の子に再び出会った。


細くて暗い道を指さし、私は言った。

「今日は、この裏道を通って行く」

團一郎は、溜息混じりに言った。

「どうしてあね上は、いつも違う道を歩こうとするのですか?

しかも、人が通らないところを・・・」

「毎日同じではつまらないし、何か面白いものがあるかもしれないじゃない?」

「おもしろいものって、何ですか?」

「さあ?」

「・・・」

「別に、團一郎は来なくてもいいのよ」

「あね上を見はりなさいと、はは上から申しつけられています」

「何?

見張りって?

私が、何かするとでも?」

「何かしなかったことが、ありますか?

はは上はあね上のことを、心底心配しているのですよ」

「心底て・・・。

大丈夫よ。

何とかなるから」

「その根拠は、何ですか?」

「ない」

「・・・」

「私は行く」

私は團一郎を置いて、細い道へと入って行った。

「あね上!!」

團一郎は、仕方が無いと言う風に付いて来た。


しばらくすると、道の先に小さな塊が動いているのが見えた。

「わ!?」

團一郎は小さな悲鳴を上げると、私にすり寄って来た。

團一郎は声を殺して、震えた声で呟いた。

「あね上・・・!

あれは!?」

目を凝らして見ると、それは人間のようだった。

私は取り敢えず、團一郎を安心させる為に答えた。

「人間の子供かな・・・?」

團一郎から、安堵の吐息が漏れた。

その子は、大きな三味線(しゃみせん)のようなものを持っていた。

傷つかないように大事に抱えながら、地面に両膝を突いて何かを探しているようだった。

私と團一郎は、駆け寄って聞いてみた。

「どうしたの?」

私の声に気付いたその子は、あの時の『瞽女』の女の子だった。

團一郎は、一気に顔が真っ赤になった。

そうとは知らず、泣きそうな顔で女の子は答えた。

「『(ばち)』を・・・落としてしまいました・・・」

「『ばち』・・・。

三味線を弾く為の、銀杏(いちょう)の形のお道具?

待っていて。

一緒に探すよ」

「ありがとうございます」

彼女は、本当に嬉しそうに笑った。

「どこのあたりで落としたのか、分かる?」

「左の方に落ちた音がしたので、この辺りではないかと思うのですが・・・」

「分かった。

狭いところだから、すぐに見つかるよ」

安心した顔で、その子は微笑んだ。

それを見た團一郎は益々顔を赤らめ、同時に必死の形相で撥を探し始めた。

私達は、彼女の左側を重点的に探した。

しばらくしてから、團一郎が高々と撥を掲げ大声で叫んだ。

「ありました!!!」

團一郎は直ぐにその子の傍に寄り、撥についた土を念入りにはたき、尚且つ着物で拭いてその子の手の平に置いた。

手の中の撥を優しく撫で、ぎゅっと握り締めながらその子は團一郎に向かって目に涙を溜めて言った。

「ありがとうございました。

ありがとうございました」

それを見た團一郎は、耳までも真っ赤に染まった。

「どどどどどどういたしまして!!!」

震えながら、そう言うのがやっとだった。

彼女に良いところを見せようと、土に汚れながらも必死に探していた甲斐があったね。

團一郎。

弟の姿に感動した私は、しばらくして弟の異変に気付いた。

固まっている・・・。

團一郎は、全く動かなくなった。

緊張し過ぎだ・・・。

どうして、こんな時に?

折角、話が出来る機会なのに!?

しかし、弟の不甲斐なさに呆れている場合ではない。

何の反応も無い弟に、目の前の彼女は戸惑っている。

弟は、当分解凍しそうもない。

可哀想だけれど、團一郎は無視するしかない。


「良かったね。

でも、どうして人通りの少ないこんな所にいたの?」

「猫の鳴き声がして・・・」

「猫の鳴き声?

猫が、好きなの?」

「はい。

大好きです。

でも、結局見つけることはできませんでした。

あっ。

申し遅れました。

私は『はる』と申します」

「はるちゃん。

私は、野口ゆき。

こっちは、弟の團一郎」

「野口・・・さま・・・」

「私たち、前に悠久山(ゆうきゅうざん)であなたを見た事があるの。

大人達に混ざって、三味線を弾いていたよね?

今日も、お仕事?」

「いいえ。

お師匠さまのもとへ、三味線を習いに・・・。

普段はお師匠さまが私の家へ訪ねてこられるのですが、どうしても教えていただきたいことがあってこちらへ・・・。

少しでも、早く上達したくて・・・」

「どうして、そんなに早く上手になりたいの?」

「・・・私の家は、貧しい農家です。

私が家の手伝いができれば良いのですが、この通り目が見えないので私は家では役立たずなのです。

早く三味線と唄を覚えてお金を稼いで、少しでも家族を楽にしてあげたいのです」

「・・・」

私と同じくらいの歳なのに、はるちゃんは一生懸命家族の為に生きている。

私は家に守られ、食べる事にも不自由なく生きている。

何だか、はるちゃんとの違いに驚いた。

良く見ると、はるちゃんの指は傷だらけだった。

「手・・・。

傷が・・・」

はるちゃんは、傷を隠すように手を握った。

「これは、三味線のお稽古で・・・」

「稽古・・・。

こんなに傷ついてまで・・・。

やめたいって・・・思った事はないの?」

「本当は、何度もやめたいって思ったことがあります・・・。

でも、私にはこれしかないですから・・・。

生まれたときから私は目が見えなくて、お嫁にもらってもらうのは難しいだろうと言われていました。

ある時、私は『瞽女』の存在を知りました。

私は、『瞽女』の修行をしたいと両親に申し出ました。

『一人でも、立派に生きていけるようになりたい。

両親に、迷惑をかけたくない』

そう言いました。

両親は

『それは、大変なことだ。

お前が、辛い思いをすることはない』

と、反対しました。

でも、手に職をつけることは自分のためにもなるからと説得し、やっと認めてくれました。

『瞽女』の修行は、想像以上に辛いものでした。

始めは三味線を全く弾くことができなかったし、瞽女唄もなかなか覚えることもできませんでした。

外で唄を唄う為、寒稽古(かんげいこ)をしてのどを鍛えたり、『瞽女』の中の規律も厳しいし、逃げ出したいと思ったこともたくさんあります。

でも一生懸命唄を唄い、上手に三味線を弾いて、聴いていた方々に

『とても良かった』

『また聴かせてくれ』

と言われたとき、続けてきて良かったって思ったのです。

『もっと上手になって、もっと沢山の人に聴いてもらって、喜んでもらいたい』

と、思うようになったのです。

『楽しい』

と、思うようになったのです。

だから、

『どんなに辛くとも、やめない』

と誓ったのです」

そう言うと、はるちゃんはとても堂々とした顔で、嬉しそうに笑った。

はるちゃんは、仕事に『誇り』を持っているのだと思った。

私は『誇り』に思える程、今まで何かに打ち込んだ事があっただろうか?

家族の為に、人に喜んでもらう為に何かしてきた事があっただろうか?

私は、はるちゃんの事を

『目が見えなくて、気の毒な子』

だと思っていたけれど、それが失礼な事なのだと思った。

私の方が、はるちゃんよりもずっと役立たずなのではないかと言う気がしてきた。

「ごめんね・・・。

はるちゃん・・・。

私、『瞽女』さん達は目が見えなくて、可哀想だと思っていた。

けれど、違った。

私ははるちゃんのように、こんなに生き生きとした顔をした事がないような気がする。

私は、はるちゃんの事を羨ましいと思った。

はるちゃんは、可哀想なんかじゃないって思った」

はるちゃんは私の方に顔を向け、ゆっくりと口を開いた。

「ゆきさま。

人には、それぞれ『役割』があります」

「『役割』?」

「はい。

私の『役割』は、

『瞽女になって家族を助け、多くの人に私の唄を聴いてもらって喜んでもらうこと』。

同じように、ゆきさまにも、ゆきさまにしかできない『役割』があると思います。

それは私や他の人には務まらない、ゆきさまだけの『役割』です」

「私だけにしかできない『役割』なんて・・・」

そんな事、考えた事なんて無い・・・。

「ゆきさまは、お侍さまのお家の方ですね」

「うん」

「私は、どんなことがあってもゆきさまのようにお侍さまの娘にはなれません。

それが、『宿命(しゅくめい)』だから。

『宿命』は、生まれたときに既に決まっているものです。

私は、『目の見えない農家の娘』。

それが、私の『宿命』です。

『もし、目が見えたら』

『もし、お侍さまの娘に生まれていたら』

と、考えたことが何度もあります。

でも、それは変えることのできない『宿命』です。

その決められた『宿命』の中で、私たちは自分達の『役割』を自分で見つけて生きていくのです。

それが、『運命(うんめい)』です」

「『運命』・・・?

『運命』は、『宿命』とは違うの?」

「『宿命』は、『宿る命』と書きます。

つまり『宿命』とは、『生まれつき宿っている命』ということです」

「『生まれつき宿っている命』・・・」

「それに対して『運命』は、『運ぶ命』と書きます。

つまり『運命』とは、『自分が運ぶ命』ということです」

「『自分が運ぶ命』・・・」

「そして、この二つには『大きな違い』があります」

「『大きな違い』・・・?」

「『宿命』は『自分で()()()()()()()()()()命』ですが、『運命』は『自分で()()()()()()()()()命』です」

「『自分で()()()()()()()()()命』と、『自分で()()()()()()()()命』・・・」

「そうです。

私は『宿命』を()()()()()()()()()()けれど、せめて『運命』を()()()()と思いました」

「『運命』を・・・変える・・・」

「はい。

私には、『一生目が見えない』と言う『宿命』があります。

それと同時に、一生外の世界を知らず、ほとんどの人生を家で過ごすという『運命』もありました。

しかし、私はその『運命』を選びませんでした。

私は、『瞽女』になる『運命』を選びました。

その『運命』によって、私は自分の『役割』に気づきました。

自分が、

『何のために、生まれてきたのか』

を知ることができました。

『唄を唄って、家族の手助けをすること』

『沢山の人に、喜んでもらうこと』

それが、

『私の生きる意味』

『私の運命』

『私の役割』

です。

もしかしたら目が見えずに生まれてきたのも、その『役割』のためだったのかもしれないと思うようにもなりました。

お国を担っている方々にとっては、私の『役割』なんてちっぽけなものなのかもしれないけれど、それでも、少しでも沢山の人が喜んでくれるのなら、私はその『役割』を続けたい。

続けていくことが『私の生きる(かて)』であり、『生き甲斐(がい)』でもあるから。

『生きていく意味』が分かったとき、私は目の前が開けた気がしました。

『生きているという実感』

『これからも一生懸命生きよう』

と・・・。

『生まれてきてよかった』

と・・・」

そう言うと、はるちゃんは私の手を両手で優しく包んで、花のように微笑んでくれた。

「私は自分の『役割』を、自分の『運命』の中で見つけることができました。

だから、ゆきさまもきっと、自分の『役割』を見つけることができると思います。

私が、それを見つけることができたように・・・。

ゆきさまのようなお侍さまの娘ができることと、私たち農家の娘ができることは違います。

ゆきさまの『役割』はきっと私などよりも、もっと世の中の役に立つものです。

自信を、持って下さい。

ゆきさまは、絶対に見つけることができます」

暖かく力強いはるちゃんの手に包まれながら、私は思った。

はるちゃんがこんなに自信を持って生きていけるのは、『覚悟』を持って多くの辛いことに耐え、乗り越えてきたからなのだ。

ぎゅっと私の手を包んでくれるはるちゃんの手がとても暖かくて、優しくて、元気をくれて、私は何だか見つけられそうな気がしてきた。

『私だけの役割』を。

『私が、やるべきこと』を。

『私が、やらなければならないこと』を。

『私の生きる意味』を。


はるちゃんに会えて、良かった。


本当に、そう思った。

私がはるちゃんに出会ったのは、自分の『役割』を見つける為の『運命』だったのではないかとも思った。

「私も見つける!

自分の『役割』を・・・!!」

「はい」

はるちゃんは、嬉しそうに笑ってくれた。

「ねえ。

はるちゃん。

また、私と会ってくれる?」

「え?」

「だめ?」

「私は・・・農家の娘です・・・。

ゆきさまとは身分が・・・」

「生まれなんて関係ないよ。

たまたま私は侍の娘で、はるちゃんは農家の娘に生まれただけ。

違いなんて、それくらい。

私は、はるちゃんとお話出来て楽しかった。

私の知らない事を、はるちゃんは沢山知っている。

私も、もしかしたらはるちゃんの役に立つ事を教える事が出来るかもしれない。

私はもっと、はるちゃんと話がしたい。

はるちゃんと一緒にいると、楽しい。

でも、それは、はるちゃんには迷惑?」

「いいえ・・・。

迷惑なわけ・・・ありません。

私には・・・同い年の友達がいません・・・。

姉さんたちは年上の方が多いので、もし友達になれたら・・・私も・・・嬉しい・・・です・・・」

「じゃあ、今からお友達だね!」

「はい!!」

「友達だから、もう敬語はやめよう!

普通に話そう!

『ゆきさま』なんて、呼ばないで!!

『ゆき』で、良いよ!!

私も、『はるちゃん』って呼ぶから!!」

「は・・・うん!!

ゆき・・・ちゃん!!!」

はるちゃんと私はお互いに手を握り、にっこり笑い合った。

すると、はるちゃんは少し顔を赤らめながら、言い難そうに言った。

「ゆきちゃん・・・。

あのね・・・。

さっき話したこと、『自分の役割』のこと・・・偉そうに話したけれど、実は全部・・・お師匠さまの受け売りなの・・・。

私が『瞽女』になって泣いてばかりだったとき、お師匠さまが私に話してくれたの・・・。

全部が、私の言葉じゃないの・・・。

それでも、友達でいてくれる・・・?」

「元ははるちゃんのお師匠様のお話かもしれないけれど、お師匠様の話を実践しているはるちゃんの言葉を聞いて、私は『自分の生き方』を考えてみようと思った。

きっとはるちゃんに出会わなかったら、自分の『役割』なんて考えてみようとは思わなかった。

はるちゃんとの出会いは、『運命』なんだよ。

私が、自分の『役割』を見つける為の『運命』なんだよ。

これからも、沢山の事をはるちゃんから教えてもらいたい。

そしてはるちゃんも、友達になった私から新たな『役割』を見つける事が出来るかもしれない。

私たちはお互い、きっと、友達になる『運命』だったんだよ。

ううん。

違う。

私達があったのは、『宿命』だったんだよ。

はるちゃん」

「『宿命』・・・」

「そう!!

『宿命』!!!

「うん・・・!

うん!!!

『宿命』!!!」

私達は嬉しくて嬉しくて、お互いの手を握り合いながら何度も手を揺らした。

そして、ふと気付いた。

團一郎の存在。

いたんだっけ・・・。

やっと解凍した團一郎はずっと除け者にされ、目に涙を溜めながら立ち尽くしていた。

折角憧れの子に会えたのに全く相手にされず、全く存在感がなかった。

可哀想に・・・。

その後、私達ははるちゃんと別れ、家へ帰った。

帰る途中、團一郎は涙が下にこぼれないように、真っ赤な夕日をずっと見上げていた。

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