三つの花 『二.恩』
慶応二年(1866年) 如月(2月)
私はこの日、沢山のお寺を回っていた。
目的は、『涅槃団子の犬の子』を手に入れる為である。
毎年『涅槃会』には、『犬の子』と言う名の米粉で作った小さな団子が撒かれる。
『涅槃会』とは、お釈迦様の入滅の日に行われる法要の事である。
『犬の子』と言っても必ずしも犬の形で無くても良く、『十二支』であったり、意味不明のものであったり様々であった。
『十二支』にする理由は、お釈迦様が亡くなられた事を『十二支』が悲しんだからだそうだ。
『犬の子』は『お釈迦様の骨』とも言われ、身に付けると『厄除け』になると言われている。
私はそれを、出来れば家族分手に入れようと色々なお寺を回っていたのだった。
今、私の手の中には六つの『犬の子』がある。
あと、三つ必要だ。
私があるお寺で『犬の子』撒きを待っていると、『ある人』が近くにいる事に気付いた。
「あれは・・・松蔵さん・・・?」
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松蔵さんは、継兄さんの従僕だ。
歳は、継兄さんよりも十歳以上も年下だったはず。
松蔵さんはとても美男子で背も高く、穏やかな人である。
以前は藩主様達の『陸尺(駕籠かき)』として働いていたけれど、いつの間にか継兄さんの従僕になっていた。
最近まで、『長岡藩第十二代藩主』牧野忠訓様の正室つね姫様とどうとかと言う噂があったけれど、知らぬ間にその噂も消えてしまった。
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私は松蔵さんの許へ行き、後ろから声を掛けた。
「松蔵さんでは、ありませんか?」
松蔵さんは私の方を振り向き、少し驚いたが、直ぐに深いお辞儀をした。
私は松蔵さんに早く顔を上げてもらいたくて、早口に言った。
「今日は、継兄さんは一緒ではないのですか?」
松蔵さんは少し顔を上げ、答えた。
「旦那様は、今日は家にいらっしゃいます。
私はお許しを得て、ここに来ております」
「『犬の子』を手に入れる為ですか?」
「はい。
『犬の子』は『魔除け』になりますので、旦那様達に身につけて頂こうと思いまして・・・。
あの・・・ゆき様も『犬の子』を・・・?」
「はい」
「ゆき様は、あと幾つの『犬の子』が必要なのですか?」
「あと、三つです。
松蔵さんは?」
「私は今、二つあります。
五つ欲しいので、私もあと三つです。
では、全部で六つとれば良いのですね。
あ・・・!!」
そう言うと、松蔵さんは本堂の方を向いた。
私は、松蔵さんの視線の方向を見た。
お坊様が、『犬の子』を撒きに本堂から出て来たところだった。
私達は本堂に出来るだけ近づこうとしたが、人が多くてなかなか前に進めなかった。
「大丈夫ですか?
ゆき様?」
私は人に押しつぶされながら、何とか返事をした。
「は・・・はい!!」
そうこうする内に、お坊様が『犬の子』を撒き始めた。
皆『犬の子』を取ろうと、本堂に殺到した。
私もその流れに乗って、本堂に向かった。
周りは私よりも背の高い人が多く、前があまり見えなかった。
取り敢えず私は両手を天に挙げ、大きく手の平を開いた。
運良く、手の中に『犬の子』が入って来るかもしれないと思った。
私はしばらくその体勢のまま、『犬の子』が飛んで来るのを待った。
すると、手の中に何かが当たった。
私は、反射的に手を握った。
そして手を開くと、手の中には『犬の子』が二つあった。
ただ少しきつく握り締めたせいか、『犬の子』が変形していた。
それでも、私は満足した。
私は手に入れた『犬の子』を袂に入れ、再び両手を上げて『犬の子』を待った。
しかし運はそれほど続かなく、結局、私は『犬の子』を二つしか手に入れる事が出来なかった。
一方、背の高い松蔵さんは、いつの間にか『犬の子』を四つ手に入れていた。
松蔵さんは、その内の一つを私にくれた。
私は何とか家族分を手に入れる事が出来、松蔵さんも必要な分を手に入れる事が出来た。
私達は、満足して帰る事にした。
松蔵さんは、私を家まで送ってくれた。
その帰り道、私は松蔵さんに聞いた。
「その『犬の子』は、継兄さんのご両親と継兄さん、すが様と、あとは松蔵さんの分ですか?」
「いいえ。
私の為の『犬の子』は、ありません」
「でも、全部で五つ・・・。
松蔵さんの分ではないとすると、一つ余ってしまいますよ?
一つは、誰の分の『犬の子』なのですか?」
「・・・それは・・・」
松蔵さんは少し困った顔をして、黙ってしまった。
私は、聞いてはいけない事を聞いてしまったと思った。
私は、話題を変えようと思って言った。
「私は、松蔵さんは『偉い』と思います」
「私が、『偉い』・・・ですか・・・?」
「はい。
私、継兄さんから聞きました。
以前、継兄さんは松蔵さんの嫌いな大福を松蔵さんに無理矢理三個も食べさせた、と」
「ああ・・・」
「横暴な継兄さんの嫌がらせを松蔵さんは気にする事なく、黙って全てを平らげた、と。
継兄さんは、言いました。
『あいつほどの『忠義者』はいない』
と。
私は継兄さんと松蔵さんは、『人間の出来』が違うと思いました」
松蔵さんは私の言葉を聞くと少し微笑み、そして悲しそうな声で言った。
「私は・・・旦那様に大きな『ご恩』がございます」
「大きな『恩』・・・?」
「はい。
私は、旦那様に命を救われました」
「継兄さんに、命を救われた・・・?」
初めて、聞いた。
松蔵さんが継兄さんの家に来た理由は、『その事』が関係しているのかもしれないと思った。
松蔵さんは、続けた。
「その事について詳しくお話しすることは出来ませんが、私は旦那様にその『ご恩』を一生をかけてお返ししようと思っております」
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私は、家の前まで送ってくれた松蔵さんにお礼を言って別れた。
私の家を後にする松蔵さんの背中は、少し悲しそうに見えた。
私は、しばらく松蔵さんの背中を見つめていた。
松蔵さんが見えなくなり、私は手に入れた『犬の子』を早速家族に渡そうと思って家に入った。
先ず、お祖父様に『犬の子』を渡そうと思って、お祖父様の部屋に向かった。
「お祖父様。
入っても宜しいですか?」
部屋の中から、お祖父様の優しい声が返って来た。
「ゆきか?
良いぞ」
私は部屋に入り、お祖父様に『犬の子』を渡した。
お祖父様はその『犬の子』を、嬉しそうに眺めた。
喜んでもらえて、私も嬉しかった。
私はお祖父様に、『犬の子』を手に入れた経緯と松蔵さんの事を話した。
お祖父様は私の話を、黙って聞いていた。
「松蔵さんは継兄さんから頂いた『恩』を、一生を懸けて返すと言っていました。
何の『恩』かは知りませんが、松蔵さんにとって継兄さんから頂いた『恩』は、それ程重いものだったのでしょうね・・・」
「・・・」
お祖父様からは、何の答えもなかった。
お祖父様は、何かを考えているようだった。
私は、お祖父様に呼び掛けた。
「お祖父様・・・?」
それでも、お祖父様からは何の反応もなかった。
私は、もう一度お祖父様を呼んだ。
「お祖父様・・・?」
するとお祖父様は私の方を向き、ゆっくりと口を開いた。
「ゆき。
人は生まれた時から・・・。
いや。
生まれる前から、多くの『恩』を受けている」
「生まれる前から、『恩』を受けている・・・」
「我々生きとし生けるものは、多くの『恩』があるからこそ生きていられる。
皆、一人では生きていけない。
誰かに助けられ、支えられながら生きている。
自分が生きていられる事を、当たり前の事だと思ってはいけない。
多くの『恩』があるからこそ、我々はこうして生きていられるのだ。
そして『恩』には大きく分けて四つあると、『心地観経(仏教の経典)』に記されている」
「『四つの恩』・・・」
「『四つの恩』つまり『四恩』とは、
『父母の恩』
『国王の恩』
『衆生の恩』
『三法の恩』
の事である。
『父母の恩』とは、ご先祖様や両親から受ける『恩』である。
自分を生み、育ててくれた『恩』である。
『国王の恩』とは、天子様や公方様、藩主様から受ける『恩』である。
我々が安心して暮らす為の政により受ける『恩』である。
『衆生の恩』とは、全てから受ける『恩』である。
人だけではなく、動物や植物、全ての生き物から受ける『恩』である。
『三法の恩』とは、『仏』『法』『僧』から受ける『恩』である。
貴き『教え』や、それを伝える人から受ける『恩』である」
「『国王の恩』・・・」
「・・・?
どうした・・・?
ゆき・・・?」
「いいえ。
お祖父様、続けて下さい」
「ああ・・・。
これら『四恩』を受ける事を、『受恩』と言う。
そして『受けている恩を知る事』を『知恩』と言い、『恩に報いる事』を『報恩』と言う」
「松蔵さんが継兄さんから受けた『恩』が『受恩』、松蔵さんが継兄さんへ返す『恩』が『報恩』と言う事ですね」
「そうだ。
松蔵が行おうとしている『報恩』は、『恩返し』である。
『報恩』には『恩返し』ともう一つ、『恩送り』と言うものがある」
「『恩送り』?」
「『恩返し』は『恩』を与えて下さった人に直接『恩を返す』が、『恩送り』は別の人に『恩を渡す』」
「『恩』を、与えて下さった方にお返ししなくても宜しいのでしょうか?」
「直接『恩』を返せるのなら返すべきであるが、それが難しい場合もある。
そういった時に、『恩送り』をする。
『恩』は人から人へ巡り、いずれ必ず『恩』を与えて下さった方に届く。
そして、その『恩』はやがて自分の元にも戻って来る」
「『恩』が巡り巡って、『恩』を与えて下さった方にも、『恩』を受けた人にも戻って来る?」
「そうだ。
その『恩』はまた再び繰り返され、永遠に『恩』は巡り続ける。
『恩』は行き渡り、国も人も、全てが豊かになれる。
だから、ゆき。
頂いた『恩』は必ず返し、そして頂いた『恩』を送りなさい。
そうすれば自分も含め、国も、全ての人も豊かになれる」
「自分も皆も、豊かになれる『恩返し』と『恩送り』・・・」
「そうだ。
だがな、ゆき。
こういった『正の恩』が巡るように、『負の恩』も巡る」
「『負の恩』?」
「『負の恩』とは、
『忘恩』
『背恩』
『逆恩』
である。
『忘恩』とは、『恩を忘れる事』である。
『背恩』とは、『恩に背く事』である。
『逆恩』とは、『恩を徒で返す事』である。
これら『負の恩』も巡り巡って自分にも、国にも、人にも戻って来る。
それを、『因果応報』と言う」
「『因果応報』・・・」
「『因』とは『原因』。
『果』とは、『結果』。
つまり、『原因』と『結果』は巡り巡って自分に戻ると言う事だ」
「『正の恩』には『正の恩』が、『負の恩』には『負の恩』が戻って来ると言う事ですね・・・」
「そうだ。
また、『恩』と言う字は『原因』を知る『心』と書く。
『原因』を知る『心』がなければ、『報恩』は出来ない。
だから、ゆきも松蔵のように『恩』を知る『心』を持ち、『恩』を受けている事に感謝し、『恩』に報いる人になりなさい。
それは人の為でもあり、国の為でもあり、自分の為でもあるのだから」
「はい」
「ただし『恩』に報いる際、注意しなければならない事がある」
「注意しなければならない事・・・?
『恩』に報いる事にも、注意があるのですね・・・。
出来るかな・・・」
「ははは。
受けた『恩』に感謝していれば、誰にでも出来る事だ」
「はい・・・」
私は自信がなかったけれど、取り敢えず返事をした。
お祖父様は、続けた。
「『恩』は、『めぐみ』とも読む。
花に水を与えれば、花は『芽ぐむ』。
しかし、水を与え過ぎれば花は『枯れる』。
同じように、『恩』も与え過ぎてはならない。
多ければ多い方が良い、と言う訳でもないと言う事だ」
「自分が『恩』を与え過ぎても、返し過ぎても、送り過ぎても良くないと言う事ですね・・・。
出来るかは分かりませんが・・・頑張ります・・・」
お祖父様は私の言葉を聞いて、満足そうに笑った。
ただその笑顔は、少し悲しそうだった。
もしかしたら、お祖父様は『あの時』の事を少し思い出したのかもしれない。
自分の優しさが、女中の弱さを助長してしまった事を・・・。
私は、悲しい顔をするお祖父様を見たくなかった。
私は、話を変えたいと思った。
それに私には、さっきお祖父様のおっしゃった『四恩』の内の『国王の恩』についても少し思う所があった。
私は、お祖父様の意見を聞きたいと思った。
私は、お祖父様に質問した。
「お祖父様。
質問しても宜しいでしょうか?」
「何だ?」
「私達は天子様にも、公方様にも『恩』があります。
それは、先程お祖父様がおっしゃられた『国王の恩』だと思います」
「ああ」
「今、国は『尊王』と『佐幕』、大きく二つに分かれています。
長岡藩は・・・一体、どちらを選べば良いのでしょうか?
天子様と公方様・・・」
すると、お祖父様は目を閉じ沈黙した。
そして目をゆっくり見開き、静かに言った。
「『尊王』も『佐幕』も、我らはどちらも選ぶべきである。
天子様は『唯一無二の存在』であり、我々にとっては『神』に等しい。
それは、『絶対』である」
「はい・・・」
「だが、我々武士の、特に『譜代藩』である我々にとって直接『恩』があるのは、公方様だ。
我らと公方様との関係は、公方様から受けた『恩』は、深く重い。
天子様が『雲の上の存在』である一方、公方様は我らにとってより『近しい存在』である。
だから我々は先ず、公方様から直接頂いた『恩』に対して『義』で報いるべきである」
「『義』で報いる・・・」
「そうだ。
命を懸けて、公方様に『恩』をお返ししなければならない。
公方様を、お守りしなければならない」
「・・・」
「それに天子様の代わりに国を治めていらしたのは、公方様だ。
公方様が良く国を治めていらしたから、何百年も平和な時代が続いた。
この国に住む人々は皆、公方様から『恩』を受けているのだ。
だから、我々は先ず公方様に『恩』をお返ししなければならない。
そして、その『恩』はいずれ天子様の許へも届く」
「・・・」
「もし、我らが公方様を裏切れば、その『負の恩』は巡り巡って天子様の許へ届いてしまう」
「・・・」
「そして、我らは後世まで語り継がれるのだ。
『忘恩の徒』
と・・・」
そこでお祖父様は一旦言葉を止め、そして、力強く言った。
「我らは、絶対に公方様を裏切らない。
公方様の為にも・・・。
天子様の為にも・・・。
自分達の為にも・・・。
そして、国の為にも・・・。
我々は、『恩』を返さなければならないのだ・・・」
そう言うと、お祖父様は自分の手の中にある『犬の子』を見つめた。
その目には決意と願いと、そして悲しみが込められているようだった。




