一つの花 『二.家族』
元治元年(1864年) 弥生(3月)
『安政の大獄(1858~1859年 尊王攘夷派の弾圧)』を断行し、開国を推進していた『大老』井伊直弼様が江戸城桜田門外において水戸と薩摩の尊皇攘夷派浪士達に殺害されてから、ちょうど四年が経った『桃の節句』の事。
昨晩から降っていた雪が止まず、春を告げる黄色い福寿草も沢山の雪に覆われ、庭一面が真っ白だった。
庭の灯籠が何処にあるのか分からない位、雪が幾重にも重なり積もっていた。
吐く息も白く、じっとしていたら手も耳も直ぐに赤く染まりそうだった。
「せっかくのおひな祭りなのに・・・」
小豆飯とお汁が載ったお膳を持って爪先立ちした私は、廊下から庭を眺めながら呟いた。
『桃の節句』では三月朔日から雛人形を飾り、菱餅、干鱈、お菓子、土筆などをお供えし、毎日お膳を運ぶ。
これを、『雛遊』と言う。
元々、邪気を祓う為に少彦名命と言う医薬の神様を祀っていたらしいけれど、いつの間にかそれが男女の人形となり、女の子の節句にその人形を飾るようになった。
毎年桃の節句の時、お雛様にお膳を運ぶのは私の役目である。
九つの頃から四年間、ずっとやってきた。
じっと庭を眺めていると、向かいから二つ下の弟の泣き虫團一郎がにやにやしながら歩いて来た。
「あね上。
そんなところでつっ立っていると、また、はは上に叱られますよ」
「またって何?
いつも私が怒られているみたいなこと言わないで」
「いつも怒られているではありませんか。
きのうも着物をよごして帰ってきて、母上にこっぴどく叱られていたのを見ましたよ」
「・・・!!」
「そういえば、庭に折れてよごれた凧がありましたね。
あね上のことだから、きっと凧上げでもして夢中になって、あまり下を見ず、すべって転んで着物をよごして怒られたのでしょう?」
「・・・!!」
十歳にして、この分析力。
自分の弟ながら、何と言う生意気な子だろう。
何も言えず、目を見開いたままの私の表情から全てを察した團一郎は続けた。
「やっぱり。
はは上が言っていましたよ。
あね上は『ちょとつもうしん』だと」
私は、この言葉に戸惑った。
何?
『ちょとつもうしん』って?
團一郎は本が好きで、私よりも沢山の事を知っている。
私も、本は好きだ。
でも、どちらかと言うと外で遊んでいる方が好きなので、團一郎ほど知識は無い。
それは認めるけれど、團一郎のにやけた顔、『どうせ知らないだろう?』と言う優越的な態度、子憎たらしい敬語に腹が立ち、私は『うるさい!』と捨て台詞を言って廊下をドシドシ歩いて行った。
私は歩きながら、『ちょとつもうしん』を後で調べなければと思った。
小さい頃から、祖父母両親に
『分からない事があれば先ず自分で考え、それでも分からなければ分かるまで調べなさい。
人から教えられては、身に付かないから』
と、言われ育てられてきたからだ。
後で調べた結果、『猪突猛進』とは『頑固な人が猪のように突き進む事。前後の事を考えず、物事にぶつかる事』と言う意味だった。
母上は、私の事をそう言ったのか。
そうなのかもしれない。
でも、ひどい言われようだ。
私はイライラする気持ちを落ち着かせながら、お雛様が飾られている部屋に入った。
部屋の右には、お雛様が飾られていた。
部屋の奥にはお祖父様、お祖母様が、入口近くには母上が座っていた。
「ゆき。
お盆の裏を、ちゃんと拭きましたか?」
お雛様にお膳を上げようとした瞬間、早速母上に叱られた。
「え!?」
私はお盆を少し持ち上げて、お盆の裏を見た。
お盆の端の下の方が、少し汚れていた。
母上は私の目を見て、静かに言った。
「座っている者が見上げた時に不快な思いをしないよう、お盆の裏までちゃんと拭くようにと何度も言ったはずです」
ちょうどその時、團一郎も部屋に入って来た。
そして私が怒られている様を見て、くすくす笑った。
腹が立つ。
私は、確かにお盆の裏を拭いた。
しかし、その汚れが取れているかどうかまでは確認しなかった。
私は言い訳をせず、素直に謝った。
「申し訳ありません」
私の姿を見て、團一郎は笑いを堪える為に下を向いた。
肩が、小刻みに震えていた。
私は、團一郎を睨みつけた。
その時、
「團一郎」
「はい!!!」
下を向いていた團一郎は自分の名前がいきなり呼ばれて驚き、直ぐ様顔を上げ、背筋を伸ばし、自分を呼んだお祖母様の方を向いた。
お祖父様の隣に座っていたお祖母様が、淡々と話し始めた。
「其方。
今、畳の縁を踏みましたね」
團一郎は慌てて視線を下ろし、足元を見た。
「あ・・・」
「畳の縁には、我が家の家紋である『丸に拍子木違え』が縫ってあるのですよ。
それを踏むと言う事は、お家を、ご先祖様を踏むと言う事。
絶対にやってはならぬ事です。
今後、気を付けなさい」
「・・・もうしわけありません・・・」
泣き虫の團一郎は、少し泣きそうな顔で謝りながら足をずらした。
我が弟ながら、弱い。
私はちょっと好い気味と思いつつも、自分もお盆に気を取られて危うく畳の縁を踏みそうになっていた事に肝を冷やした。
私は懐紙でお盆を拭き、お雛様にお膳を置いた後、お雛様を見上げた。
綺麗だ。
私の家のお雛様は、幼なじみの『葵屋』のさよちゃん家のお雛様ほど立派ではない。
けれど、きりりとしたお顔立ちで藍色の着物を着たお内裏様と、柔和で優しい顔をした緋色の着物を着たお雛様が、私は大好きだ。
そのお雛様の前には、『紅屋庄五郎』の『大手饅頭』が三つあった。
仄かにお酒の香りのする薄皮と黒糖の入ったあんこの上品な甘さが絶妙で、とても美味しい。
このお饅頭は、お殿様の御用達でもある。
我が家では行事の時にしか食べられず、私達にとっては大変貴重でもあり、また楽しみの一つでもあった。
そしてお饅頭の争奪戦は、毎年繰り返される私と團一郎の行事でもあった。
お饅頭は、三つ。
三つを、家族で分ける。
私と團一郎は、一つの饅頭を二人で分ける事になる。
分けた饅頭のどちらが大きいかでいつも喧嘩になるが、今のところ私が連勝だ。
團一郎と、目が合った。
気弱で自信の無い目だ。
今年も負けないだろうと、私は確信した。
「さあ。
こちらに座りなさい。
ゆき。
團一郎。
もうそろそろ父上も、お城から戻って来るだろう」
お祖母様の隣に座っていたお祖父様が、お雛様と同じ優しい顔で私達を呼んだ。
「はい」
私と團一郎は母上の隣に座り、皆で父上の帰りを待った。
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私の家の事を、少しお話します。
私の家は野口と言う名字で、代々お殿様の『祐筆役』の家です。
『祐筆』とは書記係のようなもので、お殿様の秘書的な役割も担っていました。
家禄は百石で、『中士』にあたります(一石=一両≒10万円になりますから、大体の年収は1,000万円。お金持ちと思われるかもしれませんが、武士は色々とお金が掛かります。豪農や商家の方達の方が、よっぽどお金持ちです)。
侍は石高によって『上士』『中士』『下士』に分かれ、その下に『足軽』がおります。
藩の石高によってですが、二百石以上の武士を『上士』、百石以上を『中士』、百石未満を『下士』と言っておりました。
また、『下士』の下には『足軽』『中間』『小者』と言う身分がありますが、『足軽』までが『士分』となります。
『中間』や『小者』は、武家の『奉公人』です。
徳川家の『直参』である『旗本(騎兵。禄高100俵以上)』や『御家人(歩兵。禄高100俵未満がほとんど)』とは違い、長岡藩士は徳川家の家来である『長岡藩主』牧野様の家来にあたるので、徳川家から見ると『陪臣』、つまり家来の家来になります。
徳川家は私達長岡藩士からすれば雲の上の存在ですが、お祖父様も父上もどんな事があっても幕府を、長岡藩を命懸けでお守りしなければならぬと常日頃言っております。
野口の家にはお祖父様、お祖母様、父上、母上、うめ姉上、司郎兄上、弟の團一郎、下男の六助、女中のきよがいます。
お祖父様の名前は、『野口沢之丞』。
六十八歳。
隠居して、趣味の俳句を毎日楽しんでいます。
でも、下手です。
穏やかな人で、今まで私はお祖父様が怒ったところを見た事がありません。
いつも孫である私達の頭を、優しく撫でてくれます。
とても器用で、絵も唄も上手です。
特に竹笛が得意で、良く私達に聞かせてくれます。
細身で背が高く、六尺(1尺=30.3cm、6尺≒181cm。江戸時代の平均身長は、男性は約155cm、女性は約145cm位)あります(寒冷地に住む人々は、栄養を蓄える為に大きくなると言われています。尚且つ新潟は米や魚なども豊富で、それらから栄養を沢山取った結果、新潟の人の背が更に高くなったとも言われています)。
必要な事しか言わない、寡黙な人です。
お祖母様の名前は、『野口もみじ』。
六十六歳。
とてもしっかりした人で、何をするにもてきぱきと仕事をこなします。
お料理が、得意です。
少し味が濃い目ですが、私は雪国に育ったせいかしっかりと味が付いたものの方が好きなので、お祖母様のお料理が大好きです。
特に、『のっぺ(新潟の郷土料理)』が上手です。
普段は穏やかな性格だけれど、悪い事をした時や、間違った事を正す時は母上よりも怖い時があります。
いつも優しいので、怒ると数百倍も怖いです。
だから、私達はあまりお祖母様を怒らせないようにしています。
小柄で、お祖父様と並ぶととっても可愛らしいです。
父上の名前は、『野口久馬』。
四十四歳。
お祖父様から家督を継いで、『祐筆』のお仕事に就いています。
娘の私が申し上げるのも何ですが、不器用な上、若干行動がゆったりしている(トロい)ので、いつも母上に叱られています。
父上の趣味は、お祖父様と同じ俳句です。
そして、同様に下手です。
その下手さに、二人とも気付いていません。
父上の外見は何故かお祖父様にもお祖母様にも似ておらず、顔が丸く、首が短いです。
昔、お祖父様とお祖母様、父上に
『父上はお祖父さまに似ていないけれど、本当はお祖父さまの子供ではないのでは?』
と冗談で私が聞いたら、お祖母様が『そうねえ』と否定せず、意味深な雰囲気を醸し出した。
それを聞いたお祖父様は、何とも言えないほど悲しい顔をしていた。
私はお祖父様が『本気にした』と思って焦り、『お祖母さまったら、冗談ばかり!!』と言ってその場を取り繕った。
その時、私は今後、お祖父様の前ではこの話をしないと固く誓った。
ただ父上は鈍いせいか、全く気にしていなかった。
父上もお祖父様同様あまり話をしないけれど、父上は寡黙ではなく、単なる口下手です。
母上の名前は、『野口とめ』。
三十八歳。
一代前の『家老』牧野頼母様の末娘(長岡藩の『家老』は、五人。以下、世襲名。稲垣平助様、山本帯刀様(両家は『上席家老』で、御目見得以上の家格でした)、稲垣太郎左衛門様、牧野平左衛門様、そして牧野市右衛門(頼母)様)です。
母上は末娘で、『これ以上、子供は・・・』と言う意味で『とめ』と言う名前を付けられたとか。
とても気が強く、父上を一方的に口で負かします。
夫婦がうまくいく秘訣は、女が強く、男が支えるものだと、両親から自然と習ったような気がします。
嫌いな食べ物は、鰻です。
一番初めの子である姉上がお腹にいた頃、精が付くようにと父上に(少量ですが)毎日高価な鰻を食べさせられて嫌いになったそうです。
母上は今でも時々、『自分が鰻嫌いになった理由』を父上に聞かせます。
もう、時効ではないかと思います。
母上は太っている訳ではないのに、何故が圧迫感があります。
これは、精神的なものなのでしょう。
姉上の名前は、『本富うめ』。
二十歳。
姉上は、本家である本富家へ嫁ぎました。
姉上も母上に似てとても気が強く、お義兄様を尻に敷いているとかいないとか。
いや。
いる。
こちらも、幸せに暮らしているようです。
姉上は炊事洗濯裁縫よりも剣術が得意で、時々家に帰って来ては私達に剣術の手ほどきをしてくれます。
私はとても楽しみにしているのですが、團一郎だけは姉上の帰りを喜びません。
姉上の稽古が過酷過ぎていつも團一郎は体力が持たず、立てなくなる程、精も魂も尽きるからです。
地獄だと思っているようです。
また私は困った事があったり辛い事があると、姉上に相談に乗ってもらいます。
相談すると私は容赦ない叱咤を受けますが、その助言は冷静で、客観的で、的を射たものなので、とても参考になります。
信頼出来、頼れる姉上です。
いつも外で素振りをしているせいか、骨格がしっかりしていて、心なしか肌が黒いです。
お祖父様と同じ位背も高く、竹刀で追い掛けられると怖いです。
これは、見た目の圧迫感なのだろうと思います。
兄上の名前は、『野口司郎』。
十八歳。
兄上は藩校『崇徳館』に通っていたのですが、とても頭が良かったので江戸への留学を許されて今は江戸にいます。
司郎兄上はとても誠実で優しく、肌が白くてか弱そうに見えるけれど、剣術は得意で『神道無念流』の使い手です。
兄上の努力の賜物と、姉上の過激な練習の成果と言えます。
自慢の兄上です。
物静かで、常にしわのない着物を着て、畳の上で姿勢よく本を読んでいるような印象です。
基本は真面目な性格なのですが、偶に冗談も言い、それが冗談なのか本気なのか判断するのが難しいです。
真顔で、冗談は言わないでもらいたいです。
泣き虫弟の名前は、『野口團一郎』。
十歳。
いつも家で本を読んだり、好きな絵を描いたりしています。
剣術は苦手で、私と手合わせすると『姉上が叩いたー』などと言って直ぐ泣き出します(うめ姉上に対しては、恐ろしくてそんな事は言わない)。
末っ子だから、甘やかされて育ったようです。
父上も母上も團一郎には甘く、私には少々厳しい。
團一郎と喧嘩をすると、私がいつも悪い事になってしまう。
理不尽です。
ただ、兄上が江戸へ留学してからは以前よりは泣かなくなった。
『兄上がいない今、自分がしっかりしなくては』と、思ったのかもしれません。
しかし何故か小生意気な敬語を遣い始め、より一層生意気になった。
背が低い事を気にしているので、毎日木にぶら下がる事が日課となっています。
下男として働く『六助』。
六十八歳。
六助の父親の代から、野口の家で働いています。
六助は幼い頃からお祖父様と一緒にいるので、お祖父様の秘密を沢山知っています。
そして、それを小出しにします。
自分の秘密を暴露されて慌てるお祖父様の姿を見ると、とても面白いです。
六助は少々腰が曲がっているけれど、走るともの凄く早いです。
以前、綺麗だから母上に持って行こうと花を手折ったところを六助に見つかり、
『ゆきさま!!
花を手折ってはなりませぬ!!』
と、箒を持って追い掛けられた事があった。
私は驚いて全速力で逃げたけれど、あっという間に捕まり、お尻を叩かれた。
いつも本気で怒り、本気で甘やかしてくれます。
六助は、私のもう一人のお祖父様のような存在です。
女中として働く『きよ』。
六十一歳。
元々他の奉公先で働いていたらしいけれど、色々な事があり(何かは、分からないけれど)今は野口家で働いています。
主な仕事はご飯を作ったり、掃除や洗濯をしてくれたりです。
お裁縫も得意で、布切れで小物入れやお人形を作ってくれます。
いつも小さな鈴を身に付けていて、きよが歩くと『ちりんちりん』と可愛らしい鈴の音が聞こえます。
それを聞くと、何だか心がぽかぽかします。
お祖父様より年下で、きよも六助同様、私のもう一人のお祖母様のような存在です。
大黒様の様に少々ぽっちゃりしていて、笑うとえくぼが出来ます。
若い頃は、とても可愛らしかったのだろうと思います。
私達は江戸や京都の急激な時代の流れを知りつつも、このまま幸せに暮らし続ける事が出来るだろうと考えながら生きていた。
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しばらくして父上がお帰りになり、お祖母様、母上、私と團一郎は玄関まで迎えに行った。
「お帰りなさいませ。
父上」