二つの花 『一.正月』
元治二年(1865年) 睦月(1月)
先月末、『第一次長州征伐』が終結した。
戦火を交える事なく、外交交渉で。
その交渉役となったのが、当時幕府軍の参謀であった薩摩藩士・西郷吉之介(後、西郷隆盛)であった。
西郷は
『内乱は無意味である事』
『長州藩に幕府が提示した【条件】を呑ませ、征長軍を解兵する事』
を、当時、征長軍総督であった『尾張藩(愛知)第十四代藩主』徳川慶勝公に助言。
それを聞き入れた慶勝公は、長州藩の支藩『岩国藩(山口)藩主』吉川監物公の許へ西郷を派遣。
西郷は、吉川公に本藩である長州藩を説得するよう進言。
吉川公はこの進言を聞き入れ、幕府軍の提示した【条件】を呑むよう長州藩へ働きかけた。
様々な抵抗があったけれど、長州藩はその【条件】を承諾し、恭順する事を決定した。
その【条件】とは
『長州藩は幕府に謝罪する』
『『禁門の変』の責任者である三人の家老を切腹、四人の参謀を斬首』
『『八月十八日の政変』で長州藩に落ち延びた尊王派公卿・三条実美以下五卿を他藩へ移す』
であった。
こうして、『第一次長州征伐』は終わった。
しかし、長州藩に対する処分は『朝敵』に対してはあまりにも軽い処分であった為、却って幕府権力の弱体化が露呈する結果となった。
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元日。
暁七ツ(朝4時頃)、七五三の太鼓の音が城下に鳴り響いた。
その音に、私は一度目を覚ました。
そして、再び眠りに入った。
半刻(約1時間)後。
『くうう・・・』
私は、自分のお腹の音に目を覚ました。
「・・・お腹・・・空いた・・・」
私は温かい布団の中から、障子越しに外を見た。
外はまだ暗かったけれど、真っ暗ではなかった。
うっすら暖かい色が、障子の中に僅かに見えた。
私は、寝惚けながら呟いた。
「朝・・・?
元日・・・。
・・・。
・・・。
・・・。
・・・しまった!!
手伝い!!!」
私はガバッと起き上がり、急いで着物を着て部屋を出た。
部屋を出ると、冷たい空気が私を一気に襲った。
「寒い!!」
外は、一面真っ白だった。
昨日の夜に降った雪が、もう一尺(約30センチメートル)も積もっていた。
長岡の年末と年始には、いつも『雪』がある。
長岡の一年は『雪』で始まり、『雪』で終わる。
長岡と『雪』は、切っても切り離せない。
私達は、ずっと『雪』と共に生きる。
そして特に私は、一生『雪』と共に生きなければならない。
私の『ゆき』と言う名前は、『雪』から名付けられた。
何故『ゆき』と名付けられたのかと言うと、私が生まれた時に『雪』が降っていたから。
名付け方が、安直だ・・・。
名前のせいで私は小さい頃、『雪太郎』と言われてからかわれた。
『雪女郎(越後では『雪女』の事を『雪女郎』と言う)』でも、『かねっこり娘(『氷柱』の事を、越後では『かねこおり』『かねっこり』と言う)』でもなく、『雪太郎』・・・。
『雪太郎』とは、男の子の姿をした『雪の妖怪』の事だ。
言い伝えでは、『雪太郎』は二人寂しく暮らしていた老夫婦の許に毎年冬に訪れて一緒に過ごし、春になると消えたと言う。
『雪女郎』は子供の生き胆を抜き取ったり、人間を凍死させたりと悪い事をするけれど、『雪太郎』は人には一切危害を加えない。
『雪太郎』は人と一緒に居る事を、楽しんでいる。
『雪太郎』と一緒に過ごす人も、楽しそうだ。
『雪太郎』は、『良い妖怪だな・・・』と思う。
でも、『雪太郎』は『男の子』だ。
私は取り敢えず、性別は『女』だ。
『それなのに、どうして私は『男の子の妖怪』だとからかわれるのか?』
『どうして、美人である『雪女郎』と言われないのか?』
からかわれた時、私は自分が
『まるで男のようだ』
『美人ではない』
とはっきりと言われているようで、へこみ、悩んだ。
からかった奴らにはちゃんと報復したけれど、『ゆき』と言う名前が少し『嫌い』になった。
ただ『ゆき』は少し『嫌い』になったけれど、私は『雪』が『嫌い』にはなれなかった。
雪かきは大変だし、寒いし、冷たいけれど、すっきりとした雰囲気や空気、真っ白い姿が美しいと思う。
私は『雪』が『好き』だから、『雪』を見る度に複雑な気分になる。
『雪』が、この苦い『思い出』と結びついているから。
『雪』を、素直に『綺麗だ』と思える日が来ると良いな・・・。
私は、ふと遠くを見た。
白い『雪』に覆われた山々が見えた。
日の出が、山の稜線を照らしていた。
私は、呟いた。
「冬の雪山は・・・やっぱり綺麗だ・・・」
私は、しばらく雪山を眺めた。
寒さを忘れてじっと見ていると、良い匂いがしてきた。
「お雑煮の匂いだ・・・」
益々、お腹が空いてきた。
私は足早に廊下を歩き、皆がいるであろう床の間のある部屋へ向かった。
「おはようございます。
ゆきです」
と言って部屋に入ると、お祖父様、お祖母様、父上、母上、兄上、團一郎が、隅には六助ときよが既に座っていた。
良かった・・・。
兄上もいる・・・。
私は、安心した。
『ハレ』の日だから『兄上も一緒に』と言う皆の考えで、前日、私は兄上を説得しに行った。
『皆と一緒に、元日を迎えましょう』
と。
兄上ははじめ断っていたけれど、その後に言った
『母上に叱られますよ』
と言う言葉が効いたのか、渋々承知してくれた。
皆で一緒に『元日』を迎える事が出来るのは、やっぱり嬉しい。
「遅くなって、申し訳ありません・・・。
あの・・・明けましておめでとうございます・・・」
私は両手をつき、深く頭を下げた。
お祖父様達も、同じように頭を下げた。
そして正月早々、私は母上に叱られた。
「ゆき。
もう少し早く起きなさい。
手伝いもしないで・・・。
あまりにも遅いので、起こしに行こうと思っていたのですよ」
「・・・申し訳ありません」
謝る私の横で、團一郎がくすくす笑っていた。
私は團一郎の頭をひっぱたき、御膳の前に座った。
座って先ず目に入ったのは、御膳の上にある私の大好きなお雑煮のお椀だった。
早く食べたい・・・。
でも、もう少し我慢・・・。
家長である父上は皆を見回し、静かに言った。
「では、始めよう」
そう言うと、皆立ち上がって神棚に向かって手を合わせて願った。
「家族皆が、健やかに暮らせますように・・・」
父上が、柏手を打って願った。
私達も、同じように願った。
次に、私達は仏間へ向かった。
仏間に向かう途中、私は床の間に飾ってある『床飾』を横目で見た。
お米を山のように盛った『三宝(神様へのお食事を載せる為の台)』に松を立て、海老、橙、昆布などめでたいものが重ねてあった。
これを、『喰い積み』と言う。
盛ったお米は、清(中国)にある『蓬莱山』を表している。
『蓬莱山』には不死の薬や金銀の宮殿があり、仙人が住んでいると言われている。
『蓬莱山』は、とても縁起の良い山である。
私達は廊下を少し歩き、仏間に入ってお仏壇の前に座った。
そのお仏壇は、『長岡仏壇』である。
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宮大工の冬の内職として始まった『長岡仏壇』は台座と主体が分けられて作られているので、長い年月が経ってもそれぞれを塗り替えて再生する事が出来る。
製造過程は『木地』『漆塗り』『金具』『彫刻』『蒔絵』の順で、いずれも高い技術を要する。
とても高品質な『仏壇』だ。
長岡では『位牌(死者の戒名等が記された木の板)』をそれぞれの家で祀る習慣があり、仏壇が各家に普及した。
私の家の『長岡仏壇』は、それほど立派ではない。
ただ立派ではないし、質素で、お線香の煙で黒くなっているけれど、私はこのお仏壇が好きだ。
このお仏壇を見ると、私は何故か気持ちが落ち着く。
ご先祖様達がずっと私達を見守り続けて下さっていると感じるから、そう思うのかもしれない。
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「ご先祖様。
去年は家族をお守り頂き、有り難うございました。
今年も、どうぞ宜しくお願い致します」
私達は手を合わせ、御礼申し上げた。
「さあ。
部屋に戻ろう」
私達は仏間を後にし、床の間のある部屋に戻って各々が再びお膳の前に座った。
皆が座った事を確認し、父上が口を開いた。
「明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します」
私達も父上に倣い、お互い頭を下げながら言った。
「明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します」
そして父上は皆が顔を上げた事を確認すると、手を合わせて言った。
「では、頂きます」
「頂きます」
私は早速、お雑煮の蓋を開けた。
白い湯気が霞のように漂い、その中から黄金色(私には、そう見えた)のお出汁が垣間見えた。
そのお出汁に浮かぶ小さく千切りにされた黄色い柚子、花のように咲き広がる緑色の三つ葉、(恐らく)『拍子木』に切られた白い大根や赤い人参、そして淡い茶色を帯びた白色の里芋、こんがり狐色に焼かれた四角いお餅が目に飛び込んで来た。
完璧だ・・・。
大根と人参と里芋の切り方以外は・・・。
ところで何故野菜を『拍子木』に切るかと言うと、我が家の『家紋』が『丸に拍子木違え』だからだ。
簡単に言うと、〇の中に✕がある。
『もっと複雑な『家紋』だったら、毎年切るのは大変だろうな・・・。
どうやって切るのだろう?』
『私の家の『家紋』は、単純で良かった。
細長い四角い棒だし・・・』
と、毎年思う。
ただ簡単な『拍子木』に切る事を面倒くさがる母上の切った野菜は、大きさもばらばらで不格好で、『拍子木』には決して見えない。
と言うか、切っただけ。
母上曰く、
『食べてしまえば、皆同じ。
端を残したら、勿体ない』
それは、そうだけれど・・・。
『拍子木』に切る意味は・・・。
毎年、納得がいかない・・・。
汁も味噌を使う地域があるけれど、我が家は
『味噌をつける』
つまり
『みそをつける』
『失敗する』
と言う事で、煮干しと昆布でとったお出汁だ。
一日目は、野菜だけのお雑煮。
二日目は、菜っ葉と鶏のお雑煮。
これには、
『名を取れ』
『利益よりも、名誉を重んじよ』
と言う意味が込められている。
三日目は、全てが入ったお雑煮(『残り物』とも言う。まさに『雑煮』だ。『合理的』で『無駄がない』)で終了。
私は目で見てお雑煮を楽しんだ後、お出汁を一口飲んだ。
「ああ・・・。
美味しい・・・」
口に含んだ煮干しと昆布のお出汁の香りと味が、口いっぱいに広がった。
しばし堪能し、次に少々と言うか、かなり不揃いな野菜を『祝い箸(両端を細くした丸箸。神様と人が一緒にご飯を食べると言う意味を込めて)』で取って、口に入れ、噛みしめた。
見た目は悪いけれど、お出汁を程良く吸っていて、噛めば噛むほど野菜の甘さを感じた。
美味しい・・・。
幸せだ・・・。
その後、私は長く伸びるお餅と格闘した。
この弾力が、堪らない。
長岡のお米は、お餅にしてもやっぱり美味しい。
私はお餅に歯形が残らないよう、慎重に食べた。
美しい四角形を何とか維持しながら、お雑煮を食べるのを一旦終了。
次に、『三つもの』に手を伸ばした。
『三つもの』とは黒豆、数の子、金平牛蒡である。
『三つもの』には、それぞれ意味がある。
黒豆は、『まめに黒々と働けるように』。
数の子は、『子孫繁栄」。
金平牛蒡は、『江戸時代の浄瑠璃に出て来る坂田金平(金太郎のモデル)のように、強さと丈夫さを持つように』。
この『三つもの』の中で、私は甘くてぴかぴか光る黒豆が大好きだ。
だから、いつも一番最後に食べる。
数の子、金平牛蒡を少し食べた後、私は黒豆の次に好きなきんとんに箸を向けた。
きんとんは『金団』とも書かれ、その色から財産や富を得る縁起物とされている。
しかし我が家は何故か白隠元からきんとんを作るので、色が薄い。
そのせいか、私の家はあまりお金が貯まらない。
お金は貯まらないけれど、私は白隠元のきんとんが大好きだ。
「ごちそうさまでした。
美味しかった・・・」
私はもう一度手を合わせ、朝食を終えた。
團一郎も、少し遅れて『ごちそうさまでした』と言った。
そして、團一郎は父上に質問した。
「父上」
「何だ?」
「国や地域によって、雑煮やお節が違うと聞いた事があるのですが・・・」
父上は箸を置き、團一郎の質問に答えた。
「そうだな・・・。
私も実際食べた事はないが、雑煮の餅が『丸餅』であったり、餅を茹でたり、餅の中に餡を入れる地域もあるそうだ」
その言葉に、兄上も私も團一郎も驚いて一斉に質問した。
先ず、司郎兄上が質問した。
「『丸い餅』ですか?」
「そうだ。
東は『角餅』、西は『丸餅』が多い。
餅は、元々『丸餅』だったらしい。
『丸餅』は、『円満』や『豊作』を意味する。
しかし、縁起の良い『丸餅』には難点があった。
それは、作るのに『手間が掛かる』と言う事だ。
『角餅』は平らに延ばして切るだけだが、『丸餅』は一つずつ丸めなければならない。
人が多い江戸では、手っ取り早く作る事が出来る『角餅』を選ばざるを得なかった。
だから、東は『角餅』の地域が多いと聞く」
司郎兄上は、感心しながら言った。
「なるほど・・・。
食文化にも、歴史的背景があるのですね・・・」
父上は、答えた。
「確かに、そうだな。
また稲作が盛んではない地域では餅ではなく、代わりに豆腐を入れる地域もあるそうだ」
司郎兄上は少し驚いた表情をし、そして悲しそうに言った。
「豆腐を、雑煮に・・・。
では、餅を食べられる私達は幸せなのですね・・・。
感謝して食べなければなりませんね・・・」
「そうだな」
次に、私が質問した。
「ところで素朴な疑問ですが、お餅を茹でたらとろとろになって、お椀の底にへばり付きませんか?」
父上は、答えた。
「お椀の底に、茹でた野菜を敷くそうだ。
そうすると、餅は底に付かないらしい」
「なるほど・・・。
底に付かないし、野菜も食べられる・・・。
無駄が無い・・・。
素晴らしい『知恵』ですね」
最後に、團一郎が質問した。
「餡が入った雑煮と言う事は、『甘い雑煮』と言う事ですか?
まるで、お菓子のようですね」
父上は、答えた。
「白味噌と、良く合うそうだ」
「白味噌と餡が入った餅の雑煮・・・。
どんな味の雑煮なのでしょう・・・。
甘いのか・・・。
少し塩辛いのか・・・。
食べてみたいです・・・」
『白味噌仕立ての、餡が入った餅の雑煮』を、團一郎は目をとろんとしながら想像しているようだった。
父上は、続けた。
「そう言えば、以前耳にした事があるのだが、公方(将軍)様は鶴の雑煮を食されるらしい」
私達は驚いて、声を上げた。
「鶴!?」
「鶴って、あの鶴ですか!?」
「鶴って、食べられるのですか?」
「どんな味なのですか?」
「美味しいのですか?」
父上は三人の驚きように、少し嬉しそうに答えた。
「私も食べた事がないから分からないが、鶴も鳥だから、鶏と同じなのではないか?」
「へぇ・・・」
結局、私達は想像する事しか出来なかった。
公方様が食べられる鶴を食べるなど、私達に出来る訳がないから・・・。
食べてみたいけれど・・・。
本当に、食べてみたいけれど・・・。
父上は子供達に色々と質問されている事が少し嬉しいようで、にこにこしながら話を続けた。
「我が家の『三つもの』の一つは金平牛蒡だが、代わりに『田作り』を出す家もある」
「『たづくり』?」
「そうだ。
『ごまめ』とも言い、幼魚の片口鰯を甘辛く煮たものだそうだ。
稲の豊作を祈って、食べられると聞く」
司郎兄上が、しみじみと言った。
「本当に、国や地域によって食文化は違うのですね・・・」
父上はそれを受けて、答えた。
「そうだな。
どの国にも、どの地域にも、それぞれ『意味』があるものだ。
それはその国『独自のもの』で、それぞれの国が『大切にしているもの』であり、『特色』であり、『歴史』であり、『文化』である。
皆がそれらを受け入れ、認め合う事が出来れば、国はもっと良くなるだろう・・・」
父上の言葉に、司郎兄上は溜息をつきながら答えた。
「本当に・・・。
それぞれの国が受け入れ合う事が出来れば、争う事などないでしょうに・・・。
国の中で、争っている場合ではないのに・・・」
私と團一郎は、この時
『もしかしたら、二人は今の日本の事を言っているのかもしれない・・・』
と思った。
私達は、二人の悲しそうな表情をただ見つめる事しか出来なかった。
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「では、行って参る」
朝食後、陣羽織を羽織った父上は六助と共にお城へ向かった。
私達家族全員は、冷たい雪の中を歩いて行く父上を見送った。
朝六ツ半時(朝7時頃)に全藩士は登城し、お殿様に拝謁するのが元日の父上達のお勤めだ。
藩士はお殿様に年始のお祝いを述べ、『お流れ(お酒)』を頂いた後、退出すると言う流れだ。
父上を見送った後、私は家の前に飾られた一対の門松を見た。
お節やお雑煮のように、この門松にも色々な意味が込められている。
門松は『歳神様(穀物の神様)』を家にお迎えする為の『依り代(神様が依り憑く為の物)』であり、『不老長寿』や『繁栄』の願いも込められている。
添えられているゆずり葉や橙は家系が続く事を、注連縄は不浄を戒める為のものである。
『ずっと昔から続く『年中行事』を、私達は大切にしてきたのだな・・・。
それをこれからの私達も、大切にし、受け継いでいかなければならない。
ご先祖様達の為にも、子孫達の為にも・・・』
と思いながら、私は暖かい家の中に入って行った。
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二日
私は墨を磨って『宝船の絵』を書き、『書初』をする事にした。
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二日から三日(明治以降は元日から二日))にかけて夜見る夢は『初夢』と呼ばれ、その内容によってその年の一年の『吉凶』を占う事が出来ると言われている。
『縁起の良い夢』は、
『一富士(無事)』
『ニ鷹(高い)』
『三茄子(成す)』
『四扇(富士と同様、扇は末広がり)』
『五煙草(鷹と同様、煙が高く上がる)』
『六座頭(毛がない=怪我がない)』
である。
二日に『七福神』や財宝、米俵を乗せた『宝船』、宝船の帆に『獏(悪い夢を食べる想像上の動物)』と言う文字を書いた一枚の絵を枕の下に置いて眠ると、『良い夢』を見ると言われている。
私は毎年二日に『宝船』の絵を描いて枕の下に置いて寝るけれど、『良い夢』を見た事は一度もない。
そもそも『富士山』やら『鷹』やらの夢なんて、そうそう見ない。
と言うか、見た事がない。
でも、だからこそ見たら『縁起』が良いのかもしれない。
『書初』は、二日に書く。
書く詩歌は、
『長生殿裏春秋富
不老門前日月遅』
と言う漢詩が良く使われていた。
『長生殿』とは、『唐(中国)の皇帝の神殿』。
『春秋富』とは、『前途豊か』。
『不老門』とは、『洛陽城の門。この門を潜ると歳を取らない』。
『日月遅』とは、『月日が経つのが遅い』。
この漢詩は、『天子様の万歳長久』を意味する。
この『書初』で書かれたものを『左義長(どんど焼き)』で燃やし、その炎が高く燃え上がったら字が上達すると言われている。
が、私の字は一向に上達しない。
結局、沢山書き続ける事が重要なのだ。
続ける事こそが、上達への近道なのかもしれない・・・。
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「姉上。
それは、何の絵ですか?」
團一郎が例によってニヤニヤしながら、私の描いた絵を覗き込んで言った。
私は、少々いらいらしながら答えた。
「見れば分かるでしょう?
『宝船』よ」
團一郎は、わざと驚いた振りをして言った。
「『宝船』?
その絵が?
私はてっきり、切った西瓜の上に里芋がごろごろと乗っているのかと思いました。
いつも思いますが、本当に姉上は絵が下手ですねぇ・・・」
私は、怒った。
「何ですって!?
だったら、團一郎も描いてみなさいよ!!」
「良いですよ」
と言って、團一郎はさらさらと『宝船』の絵を、あっと言う間に描いた。
そして、『どうだ』と言う表情で私に絵を差し出した。
「どうぞ」
私は、差し出された絵を奪い取った。
「!!!」
確かに、上手だ。
なんて写実的なのだ。
陰影を付けるなど、小憎たらしい技が光っていた。
『七福神』の着物の模様までそれぞれ違い、細かく描いてあるところも腹立たしかった。
上手だ。
上手だけれど、その自信有り気な顔が生意気だ。
私は筆をとり、たっぷり墨を付けて言った。
「あら、上手ね。
でも、此処はもっと大きくした方が良いわよ」
私は書き足す振りをして、その絵に斜めに太い線を入れた。
團一郎が、叫んだ。
「あーーー!!!」
私は驚いた振りをして、わざとらしく謝った。
「あらー。
ごめんねー。
團一郎ー。
手が滑ったー」
團一郎の目には、涙が溜まっていた。
「ひどい!!
姉上!!
わざとだ!!
うあーーーー!!」
泣き叫びながら、團一郎は部屋を出て行った。
しまった。
また、泣かせてしまった。
私は溜息をつき、思った。
私の『あまり人を傷つけないようにする』と、團一郎の『泣き虫』は、なかなか直らないようだ。
私は少し反省し、心の中で謝った。
『ごめんね。
團一郎。
後で、何処かからお菓子を探して持って行くから・・・』
「さて。
次は、『書初』」
私は再び筆を取り、いつも通り『長生殿裏春秋富 不老門前日月遅』を書こうとした。
しかし、筆が止まった。
「『天子様、ずっとお元気で』と言う漢詩は素晴らしいし、そうあって欲しいと思うけれど、『天子様』は雲の上の人で、正直言うと、今まで書いてはいたけれど、あまり『心』がこもっていなかったような気がする。
だから、ずっと私の字が上達しなかったのかもしれない。
今年は、何か他の字を書いてみようか・・・。
どうせなら、『目標とする言葉』や『願い』とか・・・」
私は、腕を組んで少し考えてみた。
そして、ふと思い浮かんだ。
『和』
『和』には、
『調和』
『平和』
『均衡』
『争わない事』
『仲直り』
と言う意味がある。
聖徳太子が制定したと言われている『十七条の憲法』の第一条には、
『和を以て貴しと為し』
とある。
『礼記(『五経』の一つ)』にも、
『礼は之和を以て貴しと為す』
とある。
遥か昔の人も、『和』を大切にしていた。
仲良く、争いのない国を作るには『和』が必要だと。
外国が日本を『倭』『和』と言った事にも、日本が昔『大和』と名乗っていた事にも、何か意味があるはずだ。
『和気』
『温和』
『和親』
『和睦』
『和議』
といった『和』を遣う言葉のほとんどは、『和やか』とか『仲良く』と言う意味も含まれる。
数字を足した結果を、『和』とも言う。
『和』は、『増える』と言う意味なのかもしれない。
私はこの『和』が、今の日本には一番必要なのだと思った。
私は筆を持ち直し、今までになく、真剣に、気持ちを込めて、願いを込めて、ゆっくりと書いた。
『どうか争い合わず、平和な世の中になりますように・・・』
私は、力を込めて書いた。
「書けた・・・」
私は、大きく息を吐いた。
たった一文字書いただけなのに、緊張した。
『上手に』・・・とはいかなかったけれど、今までよりも気迫のある堂々とした字が書けたような気がした。
『気持ち』が、字に表れたようだった。
あまり上手ではなかったけれど、私は満足だった。
私は、早速それを堂々と壁に張った。
そして腰に両手を当て、もう一度見直した。
「うん!!」
そして、ふと足元を見た。
其処には、さっき團一郎が描いた斜め線の入った『宝船』の絵があった。
「今年も、『良い夢』を見られそうにないな・・・。
でも、自分のせいだからな・・・」
私は團一郎の絵を拾い、文机の上に置いた。
後で、自分の枕の下に置く為に。
次に、私は自分の描いた下手くそな絵を手に取った。
私はこの絵を、團一郎の枕の下に置こうと思った。
『良い夢』を見る事が出来るかどうかは保証はないけれど、気持ちは込めて描いた。
もしかしたら、『良い夢』を見る事が出来るかもしれない・・・。
かもしれない・・・。
私は自分の描いた絵を持って、お菓子を探しに部屋を出た。




