第3話
「おはようございます」
週明け、彼女はいつも通り誰よりも早く会社に出社し、いつも通り自分の机を整理して、いつも通りの瓶底眼鏡に、いつも通りのひっつめ髪でいつも通り僕に挨拶をしてきた。
「あ、おはようございます」
返事をする僕の方が妙にしどろもどろだ。
僕は自分の机に座り、先週やり残した仕事の資料を机に広げながら横目で彼女を盗み見た。
ーあの日一夜を共にした彼女は本当に田島美里だったのだろうかー
そんな疑問が僕の中で湧き上がる。
こうして彼女をみてみると、本当に彼氏いない歴31年、地味で気は効くが他に取り柄はない。親戚のおばさんが持ってくるお見合い写真をモジモジしながら眺めてはいるが、男性と付き合うのが怖くて踏み出せずにいる。
そんなイメージが湧き上がってくるようだ。
しかし、本当の彼女は…
雰囲気に流されて僕なんかと一夜を共にしそうになり、舌をペロリと出しながら笑って終わらせてしまう。
そしてあの瓶底眼鏡の奥には、とても31歳には見えない様な美貌をかくしていた。
ー正直、僕はあれから家に帰って後悔していたー
なにを?
それは、あの日僕が狼になってしまった事ー
ではなく
途中で寝てしまった事に…
もうあんなチャンスは2度とないんじゃないか…そう思う度に頭を抱えていた。
家に帰ってからも思い浮かべるのは、彼女の黒目がちな大きな目。白い肌。悪戯気に笑う笑顔。
そして、うっすらと記憶に残る彼女と肌を重ねたベッドの上だ。
はぁ…
また溜息をつく。昨日から何度溜息をついただろう。
…たさん…じたさん
「藤田さん!」
不意に名前を呼ばれて飛び起きる。
慌てて声の主を探すと…
「須藤さんっ!」
そこに立っていたのはあの日、僕が話したくて話したくてたまらなかった須藤舞だった。
彼女は不意を突かれた僕の顔を見てクスクスと笑うと
「この間は大丈夫でしたか?だいぶ酔ってたみたいだったんで。ちゃんと帰れました?」
そう言いながら僕の机にコーヒーを置いてくれた。
その質問に僕はなんと答えていいのかわからず、慌てながら言葉を探した。
そんな様子を見ると彼女はまたもクスクスと笑って
「さてはあんまり覚えてないんですね」
と続けた。
僕はその台詞に3回くらい頷いて彼女が置いてくれたコーヒーを口にはこんだ。
「でも、意外でした。藤田さんしっかりしてる印象だったので、あんなに酔って歌うイメージなかったから」
彼女はあの日の僕を思い出したようにまたクスクスと笑い始めた。
それを聞きながら僕はまた血の気が引いていく。
「え?そんなにひどかった??」
慌てて質問すると、彼女はクスクス笑って
「可愛かったですよ」
と言って自分の机へと足を向けた。
…可愛かったですよ…か
僕は少し照れくさいような、恥ずかしいような不思議な感覚になる。
彼女はどう思ったんだろうー
僕はまた横目で田島さんを盗み見た。
せっかく須藤さんが話しかけてくれて、可愛かったと言われて…でも僕の頭の中は田島さんでいっぱいになっていた。