第2話
頭の中が真っ白だった。
僕の目の前に居るのは田島美里。
彼氏いない歴31年と噂される、普段はその存在感すらも忘れてしまいそうなほど地味な田島美里だった。
僕は必死で会社での田島さんを思い出そうとする。
でも、思いかえされるのはいたって業務的な会話を交わした記憶しか出て来なかった。
そんな僕を気にも留めず
「コンタクト付けてきますね」
と洗面所へと足を向ける彼女。
僕は少し冷静になろうと、ベッドの下に落ちた自分の下着を拾い上げる。
そしてモゾモゾと布団のなかで着替えながら顔だけは部屋を見渡した。
ー広い部屋だなー
僕の居るベッドルーム兼リビングルームはとても広く、ベッドの脇に置かれたソファ、その対面に置いてあるテレビも大きくお洒落だった。
奥にある対面式のキッチンに置いてある冷蔵庫も大きく、僕の1DKのアパートとはまるで違った雰囲気をしている。
この部屋の住人と僕が同じ会社の人間だとはとても思えなかった。
「藤田さーん。お風呂入っていきます?」
不意に奥から聞こえてきた声に
「あ、ありがとう」
と、間の抜けた返事を返してしまう僕。
いやいや…ありがとうじゃなくっ!
全然まだ状況を把握してないんだが…
そんな後悔が押し寄せてくる。
奥から田島さんが出てきた。
キャミソールに短パンという部屋着は彼女のスタイルの良さを際立たせていた。
と、いうか…
コンタクトを付けた彼女はまだ僕のなかで田島さんだと認識出来ずにいた。
彼女はそのままキッチンへと入ると
「朝ごはん、トーストでも大丈夫ですか?」
と声を掛けてきた。
僕は頷きながら頭を整理する。
そしてなんとか言葉を探した。
「あの、田島さん?実は僕…昨日の事何も覚えてないんだ…それで…」
その言葉の続きを必死で探す。
すると、彼女はクスクスと笑いだした
「やっぱり。安心して下さい。さっきも言ったけど最後まではしてないですよ」
彼女はそう言いながらテーブルにコーヒーを2つ運ぶ
そして
「昨日、藤田さん酔い潰れちゃって…。みんなもベロベロに酔ってて私がタクシーで藤田さん送る事になったんですけど、家わかんなくて」
と笑いながら舌を出す彼女。
僕はベッドから起き上がり、ソファーへと腰を下ろして彼女の話の続きを待った。
「で、私も酔ってたししょうがないから家に連れて来たんですけど…肩貸して部屋まで連れて来てベッドに寝せたら…藤田さん狼になっちゃいました」
彼女はクスクス笑いながらそう続けた。
僕はみるみる身体から血の気が引いていくのがわかった。
何度も言うが、会社では彼氏いない歴31年とまで言われる田島さんに対して僕は狼になった…。
それが物凄い勢いで罪悪感を駆り立てた。
「…ごめんっっ!」
行き場のない罪悪感が口からこぼれ出す。
「…僕本当に覚えてなくて…その…本当にごめんっ!」
男としてこんなに情けない謝罪があるだろうか…。
だけど、謝るしかないのだ…。
クスクス…
彼女の笑い声で顔を上げる。
テーブルにはもう、トーストとハムエッグが2人分並んでいた。
彼女は僕の隣に腰を下ろしてコーヒーを啜ろうとしている。
それが、僕の罪悪感を少しずつ和らげていく。
そんな僕の顔を横目で見ながら彼女が口を開いた。
「あのね、藤田さん。昨日の事は、私も酔ってて雰囲気に流されちゃったんですよね」
彼女はそう言って笑いだす
「途中で藤田さんが寝てくれたおかげで、今は良かったって思うけど……昨日は途中で寝てる藤田さんの頭叩いちゃった」
彼女の言葉に僕は違う意味で蒼ざめる。
そんな雰囲気の中、深い眠りに入ってしまった僕…。
情けない…。
「あの…リベンジを…」
僕がそう言い終わらない内に、彼女が笑い出す
「藤田さん!リベンジって!……あー可笑しい。」
よほど面白かったのか、涙まで流している。
僕はますます恥ずかしくなる。
彼女はまだ笑い足りない様子で言葉を続ける
「言ったじゃないですか。今は最後までしなくて安心したって。せっかく会社で地味に過ごしてるのに面倒起こしたくないんですよね。」
そんな彼女の言葉にふと、彼女の容姿についての疑問が湧き上がる
「そういえば、なんで田島さんはそんなに会社と雰囲気違うんですか?」
思わず聞いてみた。
彼女はふふっと笑いながらトーストをかじる
僕もつられてトーストをかじる。
彼女はトーストをコーヒーで流し込むと
「口説かれないようにです」
と悪戯気に笑ってみせた。
どこまで冗談か分からないが、僕はその言葉に妙に納得してしまった。