Ep6:不良生徒
後悔……。
後悔……。後悔……。後悔……。後悔……。後悔……。
後悔なんて意味無い……。
そんな事は俺でも分かる……。
でも……。
どうして……。
どうして……。
どうして……。
今更、遅い……。
それでも俺は……。
後悔せずにはいれなかった……。
繰り返し俺の心をえぐる悪夢……。その結末はいつも同じだった……。
大切な人の死……。
俺は夢の中で何回あがいた……?
夢の結末が変わったところで、現実が変わる筈もなく……。
それでも、あがいて。そして、それは意味の無い行為だと気付いて……。
その繰り返しだった……。
俺は何回あがいた?
目を閉じれば、鮮明に蘇っていた顔も、今では、ぼやけてしまって……。
俺は逃げようとしているのか……?
顔を忘れる事で、辛い現実から逃げようとしているのか……?
思い出、温もり、顔、匂い……。全て忘れてしまえば、俺は救われるのだろうか……。
俺は……。
救われなくてもいい……。
俺は忘れたくなかった……。
「おい神凪、どこに行くんだ」
「トイレっす」
「おい、ちょっと待−−!」
ピシャン。
教室を抜け出し、廊下でため息を一つ。
(真琴のおかげで、遅刻はしないで済んだんだけどな……)
誰もいない廊下。教師の声がいくつにも重なり、耳に入ってくる。
見慣れた光景。世界の静寂。
久々に味わうこの感覚。
授業を抜け出したのは、今年初めてだった。
あの日以来、小中高と、抜け出すのは決まってこの時期……。
違うのは、窓の外から見える景色が、去年のそれより低いこと、あるいは違うこと……。
しかし、その違いを感じるのは一瞬のこと。
一度見てしまえば、後はその光景が当たり前の光景になる。
ただ、今年は−−。
「そう言ってサボると、聞きましたわよ」
−−もう一人の人間が廊下にいた。
「飛鳥か……」
階段に向かって歩く俺の後ろに、飛鳥がピッタリと付いて歩いてきていた。
「お前もサボりだぞ」
「私は違います。あなたを連れ戻すと言って、先生の了承を得ましたわ」
「だったら俺も、トイレに行くと言って了承を得た」
俺は、こんな気分の時に、授業を受けていられる人間じゃなかった。
トイレと言って授業を抜け出し、廊下でため息をつき、あの場所へ行く。これが俺お得意のメニューだ。
時間や回数は特に決まっていない。気分次第で、このメニューを行うだけ。
「さすが不良生徒。言い訳も、おてのものなんですのね」
「まあな」
俺は適当に応答する。
そんな俺に対し、飛鳥は少し顔を俯かし、何かを考えた後……。
「だったら、私はトイレの前で待ってます」
まじかよ……。
「あら、トイレの前で待っていて、何か問題ありますの?」
「いや……、問題は無いけど……」
「なら、よろしいですね?」
まじかよ……。
俺は考えた。
このままだとあの場所に行けない……。
どうやって飛鳥から逃げるか……。
そもそも飛鳥は、どうしてここまで付いてくるんだ……。
などと、あれやこれや考えているうちに、第一通過点である、階段まで歩いてきてしまっていた。
このまままっすぐ歩けば、俺が行くと教師に告げた、トイレ。
しかし俺の目的はトイレに行く事じゃない……。
「そっちは階段ですわよ」
…………。
「俺、一階のトイレじゃないと落ち着かないんだよね〜」
ハハハ。と、愛想笑いを浮かべながら言う。
しかし、そんな俺に対して、飛鳥は冷めた目でじっと見つめてくる。
「とか言って、窓から逃げ出す気でしょう?」
ばれた。
「図星のようですわね」
図星だという事もばれた。
一気に言い詰め寄られる俺。
そもそもトイレに行くなど、小学生でも思い付くような言い訳。少しでも問い詰められれば……。という事は、充分に予測できた。
ただ、今までその言い訳で抜け出せていたのは、誰も何も言ってこなかったから。
去年の学級委員は、かなり弱気な人だったし、小中学生の時は、問い詰められたら、走って逃げていた。
しかし高校生にもなって、走って逃げるのは……。
階段とは垂直に、廊下と平行して向かい合う俺と飛鳥……。
よし、この手を使おう。
「あーっ! 遅刻してた慎吾が来たぞーっ!」
俺は階段を指差し言った。
「えっ!? 本当ですのっ!?」
バーカ。嘘に決まってんだろ。
と、心の中で飛鳥を嘲笑いながら、俺は逃げる体制を……。
「YO! YO! 僕は奇跡の男っ! 僕に近付く帰省の女っ! ……これ、いいっ。すごくカッコイイっ」
ズコー!!!
「板垣さん、今、何時間目だと思っていますの!?」
「げぇっ。関羽!?」
何だよそのリアクションは……。しかも誰だよ、関羽って……。
そう言って飛鳥から逃げようとした慎吾の手を、彼女は強引に掴んだ。
そして−−。
「さあ、教室に行きますわよ」
「うわぁぁぁ〜! 資料室で寝ようと思ってたのにぃぃぃ〜!」
そのまま引きずられて行ってしまった。
(嘘から出たまこと。ってのはあるんだなぁ……)
そんなことをしみじみ感じながら、俺は階段を−−。
「どこに行きますの?」
下りるのは止めて、教室に戻る事にした。
−−それからの授業は、寝て過ごすように努めた。
寝ていれば何も考えずに済む。
とにかく今は、何も考えていたくなかった。
居眠りだったらおてのもの。俺は三、四時間目の授業の間、夢の世界へと旅立った。
チャイムの音で目が覚める。どうやら、昼飯の時間が訪れたようだ。
昼食を持っていなかった俺に、慎吾は、売店行こう。と言った。
俺は少しためらってから、分かった。と言って立ち上がる。
「ぬぉぉぉー!!!」
「な、何よ!?」
俺が教室のドアに手をかけた瞬間、背後から酔っ払いが吐く声と、女子の声が聞こえた。これはおそらく真琴の声だろう。
「嘔吐と間違えられるなんて、僕の叫び声も捨てたもんじゃないっすねっ!!!」
「ああ、誇りに思え。で、どうした? 鏡でも見たのか?」
「僕の顔は吐くほど気持ち悪いって言いたいんですかねっ!!!」
言いながら振り向くと、そこにいたのはやはり真琴だった。
そして、慎吾は、その真琴を指差し驚いている。
「冗談だ。で、何を驚いてんだ?」
「真琴ちゃんの髪型が変わってる!?」
「なに、変えちゃ悪いわけ?」
慎吾は口で否定の意を伝える代わりに、首を思い切り左右に振り回した。
ブルンブルンブルン……。
ブルンブルンブルンブルブルブルブルブルブルブルブルブルブルブルブル……。
……ぴた。
「……止まんなよ! そのまま首を一回転させろよ!」
「それ、遠回しに死ね、って言ってるでしょ!!!」
「遠回し……?」
「……次からはせめて、遠回しに言ってくれますか…………?」
と、涙を流しながら言う、慎吾だった。
「で、楓。これから学食行くの?」
慎吾など最初から居なかったかのように、真琴が聞いてくる。
「……ああ。昼飯買わないといけないからな」
無難な返事しかできなかった。
真琴との間に、少し気まずい空気が流れていたせいでもあるし、真琴を直視できないせいでもある。
いつもと変わらない態度をとる真琴。そんな真琴と目を合わせられない俺。
俺の様子がいつもと違う事に、真琴は気付いているだろうか……。
「そっ、じゃあ今日は、別々に食べましょ」
真琴はそれだけを言い、踵を返し、同じ部活の友人の所に行ってしまった。
普段通りの、何の変哲も無い真琴の行動でさえ、逐一意識してしまう。
ずっと今まで変わらなかった、真琴との関係が、変わってしまいそうで怖い。
『男女の友情なんてのは、成り立たないのよ』
どうして真琴は、俺の嫌いなツインテールにしていたのだろう……。
真琴は何を言っている?
何を俺に伝えようとしている?
俺達は幼なじみで、掛け替えの無い親友同士じゃないのか?
よくわからなくなってきた……。
「楓ーっ、学食行くぞー」
「あ、あぁ。分かった」
とりあえず今は、腹を満たす事にした。
学食を利用する生徒は、ほとんどがスポーツ推薦で入学した生徒たち。普通に入学した生徒たちは、基本的に利用しないそうだ。
そのおかげでこの学校では、パン争奪という名の戦争は繰り広げられない。
戦わなくてもパンが食べれる嬉しさと、高校生定番の行事が無い寂しさと。なんだか複雑な気持ちだ。
アスリートを目指す生徒たちでごった返す、食堂内。
俺達はそこで適当にパンとジュースを買い、今日は噴水前で食べる事にした。
南の方から降り注ぐ陽光が、水の扇をキラキラと照らす。
噴水を囲む石垣に腰掛けようと、それに向かって一歩一歩、歩く。
「なあ、楓」
「ん?」
「真琴ちゃん、どうして髪型を変えたんだ?」
「……さあ。俺にはわからない」
俺と慎吾は石の椅子に腰を掛けた。
背中から、水同士がぶつかる音が、絶えず聞こえてくる。
「そう……。楓だったら、真琴ちゃんについてなら何でも分かる、って訳じゃ無いんだな」
「まあな。俺達は異性だし、何か言いづらい事の一つや二つはあるだろ」
「ふっふーん?」
慎吾はニヤリと、気味の悪い笑みを浮かべてくる。
「つまり、楓も僕も、立ってる土俵は一緒って事だ?」
「はぁ?」
「意味が分からないなら、分からないままでもいいさ。いよっしゃぁー! 俄然やる気が出てきたぜー!」
こいつに勝ち誇った顔をされると、無性に腹が立つ。
おまけに立ち上がってガッツポーズまでしてるし。
「いやぁ〜。それにしても、真琴ちゃんのストレートヘアーは最高だったなぁ〜」
「お前、髪の毛を抜いてやりたい男子生徒ランキングで、他の追随を許さなかったけどな」
「なんか、見るだけで心が洗われるって言うかさ〜」
「お前、心臓に毛が生えてそうな男子生徒ランキングで、予想通りの初代チャンピオンだったな」
「目の保養にもなるしね〜」
「お前、目ん玉をくり抜きたい男子生徒ランキング、ブッチギリの優勝だったけどな」
「あんたさっきっから、いちいちうるさいんですけどっ!!!」
慎吾はプンスカ怒りながら言ってくる。
「冗談だ。本気にするな」
「してないよ! つーか、そんなランキングがあったら、問題あるでしょ!」
「ただ、本当にあったら、お前が優勝しそうだけどな」
「ふんっ、言ってろ。そうやって楓がごちゃごちゃ言ってる間に、真琴ちゃんは貰っていくからな」
「はははっ。冗談は心臓の毛だけにしろよっ」
「んな物生えてないけどねっ!!!」
こうやって流れていく、いつもの時間。変わらないもの。
このまま、時間が止まってしまえば……。もし世界が、変わらないままの世界なら……。
このモヤモヤは消えるだろうか……。
今が変わる。それがとても怖い。
変化を恐れ、安定を求める。
それは悪い事なのだろうか……。
「おい、楓。あれ、生徒会長じゃないか? なんかこっち見て手を振ってるぞ?」
「…………?」
……そうか。変化が必ずしも悪い事ばかりとは限らないか。
望まずに起きた変化もあれば、その内容は全てが悪い事ばかりじゃ無い。
俺は三階の窓から手を振る時雨に、手を振り返した。
彼女の隣にはいつも通り、花音がそこにいた。
俺が手を振ると、時雨はニコッと笑ってから、窓の向こうに消えていった。
「おい……」
隣からどす黒い、呼び声が聞こえてきた。
「楓ぇぇぇー!!! いつの間に会長と仲良くなったんだぁぁぁー!!!」
んな事、忘れたよ……。
「くぅぅぅ〜。うらやましい〜。紹介してくれよ、楓ぇ〜」
「お前、真琴一筋じゃなかったのか?」
「くわぁぁぁ〜。そうだったぁ〜。でも、紹介してもらうだけだし、それだったら真琴ちゃんも許してくれるよな? な?」
「許す許さない以前の問題だけどな」
「いや待てよ。もし楓が僕を会長に紹介したりしたら、僕の魅力にコロッとやられた会長が……」
(こいつはなんて幸せな人間なんだろう……。)
俺はパンと飲み物のゴミを持って立ち上がった。
「おい、教室に戻るぞ」
「……そうしたら、真琴ちゃんと会長で僕を取り合う喧嘩になったりして…………。あ、もう行くの?」
一応声は、彼の耳に届いていたようだ。
「ああ。次は体育だからな」
「おっ、唯一楽しい授業じゃん!」
「だな。だからさっさと行くぞ」
「おっけー」
俺達の関係は変わらないよな?
俺は心の中で、そう問い掛けた。