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3/12

*** 3 ***

 また別のある日、ひかりちゃんは考え事をしながら紅茶を飲んでいてむせた。

 

 ソフィアーノくんに優しく背中を撫でてもらってまもなく落ち着いたが、むせたせいでしゃっくりが出てしまった。


「ひくっ」


「おやお嬢さま。おいたわしや。

 しゃっくりでございますか……」


「なに嬉しそうな顔してるのよっ! ひくっ」


「め、滅相もございませんっ! 嬉しそうな顔などと……」


「ひくっ。あ、怪しいもんだわ。ひくっ」


「あの…… お嬢さま」


「な、なによ。ひくっ」


「ヒューマノイドの方のしゃっくりは、びっくりすると止まると言うのは本当でございましょうか……」


「な、なにおじいさんみたいなこと言ってるのよ! ひくっ」


「ですが……」


「し、しゃっくりなんかただの横隔膜痙攣なんだから、放っておけば直るわよ! ひくっ」


「あの…… このようなときのためにわたくしめが丹精込めてご用意させていただいた、『スペシャルびっくりアバター』があるのですが……」


 ソフィアーノくんは控えめに言ったが、その目はキラキラと輝いている。


「じょ、冗談じゃないわ! ひくっ。 そ、そんなもの要らないからね! 

 ひくっ」


「そうでございますか……」


「わ、わたしはシャワーを浴びて来るから、アンタは何もしなくていいからねっ!」


 ひかりちゃんは部屋に隣接したバスルームに入り、熱いシャワーを浴び始めた。

 気がつけばもうしゃっくりも治まっている。



「ひかりおねえちゃんいるー?」


 廊下で声がしたがシャワー中のひかりちゃんには聞こえない。

 五歳になる妹の耀子ちゃんの声である。

 十人の弟妹のなかでも最もひかりちゃんに懐いている可愛い妹である。



 ひかりちゃんにも部屋に入って来た耀子ちゃんの悲鳴は聞こえた。


 慌てたひかりちゃんがバスタオルをまとってバスルームから飛び出ると、そこには悲鳴を上げながら立ちすくんでいる妹がいた。


 そう……

 バスルームを出てすぐのところには、大蛇がいたのだ。


 直径二十センチはあろうかという太い太い胴体でとぐろを巻き、その上にソフィアーノくんのアタマを乗せた大蛇が……


 その胴体も、なにやら模様はヘビっぽいが、その色は明るいピンクとブルーとオレンジ色で構成されている。

 ご丁寧にソフィアーノくんの口からは先端部分が二つに割れた細い舌が出ていて、ぴろぴろ動いていた。


 耀子ちゃんの悲鳴に慌てたソフィアーノくんは、そのままとぐろを解いてずるずると耀子ちゃんの方に向かって這っていく。


「よ、耀子お嬢さま…… ち、違うのですよ。

 こ、これはわたくしソフィアーノの横隔膜痙攣治療用スペシャルびっくりアバターで……」


「いやぁぁぁあああああ~!」

 耀子ちゃんの悲鳴がさらに高まる。


 尚も耀子ちゃんに近寄って行こうとするソフィアーノヘビのしっぽを、ひかりちゃんが踏んづけた。


「きゅう!」


 ソフィアーノヘビを動けなくさせたひかりちゃんは叫んだ。


「エリザベートっ! エリザベートっ! どこにいるのエリザベートっ!」


「お呼びでございますかひかりお嬢さま」


 すぐに空間連結器が現れて、その場にエリザベートがやってきた。

 そうしてその場の状況を見て取ると、傍らの重層次元倉庫からボウガンを取り出してため息をつきながらひかりちゃんに渡した。


 ひかりちゃんはモノも言わずにボウガンを構えて足元のソフィアーノヘビに向けて発射する。


「くぅぇぇぇぇえええええ~~~~~っ!」


 ソフィアーノくんの絶叫がこだました。

 ボウガンの矢がその胴体を突き抜け、ソフィアーノヘビの体が床に固定された。



 しばらくの後、ひかりちゃんは、ソファの上でまだ泣きじゃくっている耀子ちゃんを抱きながら優しくあやしていた。

 反対側のソファにはエリザベートが座っている。


 床に縫いつけられたソフィアーノヘビは、時折痙攣しながら悲しげにのたうっている。

 よく見れば胴体の下半分ほどのところには、ちいさなちんちんも付いている。



「まったくもー! これが耀子のトラウマになっちゃったらどうしてくれるのよっ!

 夜夢に見てうなされちゃうかもしれないじゃないのっ!」


「ひかりお嬢さま」

「なにエリザベート」


「よい方法がございます……」

「なに?」


「耀子お嬢さまのトラウマを解消するには、そのトラウマの対象を徹底的にやっつければよいのですよ」


「…………」


 エリザベートはにっこりと微笑みながら、また傍らからなにやら銃のようなモノを取り出した。


「さあ、耀子お嬢さま。よくご覧くださいませ。

 耀子お嬢さまを驚かせた悪い悪いソフィアーノヘビを、これからエリザベートが退治してさしあげます」


 そうにこやかに言ったエリザベートが、銃を構えてソフィアーノヘビに向けて発射する。

 銃の先端から輝く光が飛び出して、ソフィアーノヘビに突き刺さった。

 どうやら電撃銃らしい。


「きょぇぇええええええええぇ~!」


 ソフィアーノヘビがビカビカ光りながら硬直した。

 昔のマンガみたいにその骨格が透けて見える。


 耀子ちゃんは硬直するソフィアーノヘビをじっと見ていた。

 その視線がエリザベートに移る。

 エリザベートは、またにっこりと優しく微笑みながら耀子ちゃんにその銃を渡した。


 目を輝かせた耀子ちゃんは、その銃をソフィアーノヘビに向け、トリガーを引いた。


「くぅぇぇえええええええええぇ~!」


 ソフィアーノヘビが絶叫しながらまた悲しげにのたうつ。


「えいっ!」「えいっ!」


 耀子ちゃんは何度も何度も引き金を引いている。


 そんな妹を横目で見ながらひかりちゃんが言った。


「ねえエリザベート……」


「なんでございましょうかひかりお嬢さま」


「あ、あんな銃を子供に持たせて大丈夫かしら」


「ご安心くださいませひかりお嬢さま。

 あの電撃銃は対ソフィアーノ専用銃でございます。

 ソフィアーノ以外に向けて発射しようとしても、なにも起こりません」


「…………」


(エリザベートって、『ソフィアーノお仕置きグッズ』をいくつ持ってるんだろう……)

 ひかりちゃんはそう思ったがなにも言わなかった。



 それからしばらくの間、耀子ちゃんは電撃銃を持って頻繁にひかりちゃんの部屋にやって来るようになった。

 そのたびに、「ソフィアーノくんはどこぉ?」とにこにこしながら聞くのである。


(これはこれで教育上よろしくないかもねえ)

 ひかりちゃんはそう思ったがなにも言わなかった。


 まあ、どうやらソフィアーノくんの痛覚機能は遮断してあるらしい。

 ソフィアーノくんも罪滅ぼしに耀子ちゃんにつきあってくれているのだろう。


 そのたびにまたドローンたちが現れて、黒コゲになってまだぷすぷす燻ぶるソフィアーノヘビの残骸を片付けている。

 またドローンたちの呟きも聞こえている。


「あ~あ。また大将黒コゲだゼ」

「まあ自業自得ってぇヤツだな」

「それにしても、よくもまあこんなアバター用意してたもんだな」

「お、オイラもさすがに今度のギャグはヤバいって思ってた……」

「お前ぇも少しはマトモになったんかな」

「まあ、オイラたちもあんな姿に改造されてなくってヨカッタヨカッタ……」






 或る日ひかりちゃんはおとうさんに呼ばれた。

 もちろんひかりちゃん専属の防衛AIであるソフィアーノくんも一緒である。


「やあひかりちゃん。

 また大きくなって、あのころのおかあさんそっくりになってきたねえ」


 おとうさんは久しぶりにひかりちゃんをまじまじと見てでれでれである。



「実はあの惑星ゴッツォが今度、銀河連盟加盟一千周年記念式典をするらしいんだけど……

 来賓としておとうさんたちに来てくれないかって頼まれたんだよ」


 ひかりちゃんは頷いた。

 ひかりちゃんもゴッツォ産のトリュフやマツタケは好物である。



 惑星ゴッツォは、銀河連盟に加盟してまだ一千年しか経っていない貧しい新興惑星だった。

 だが光輝おとうさんのおかげで、その産物であるトリュフやマツタケが銀河中で爆発的に売れるようになって、富裕惑星の仲間入りが出来るようになったのである。

 その惑星GDPは数年で三十倍になったそうだ。


 故に英雄光輝は惑星ゴッツォの大恩人として、惑星最高の人気を誇る人物だったのである。

 因みに光輝おとうさんの誕生日は惑星ゴッツォの住民の祝日になっている。



「でもひかりちゃんも知っての通り、おとうさんは銀河の人たちの為に毎日座禅を組んでるよね。

 もちろん惑星ゴッツォもそのことはよく知ってるんだろうけど、それでもダメモトで頼んで来たらしいんだ。


 だから豪一郎さんが国連特使として行ってくれるんだけどさ。

 もしキミが一緒に行ってくれたらゴッツォのひとたちもとっても喜ぶと思うんだ」


 ひかりちゃんは微笑みながら頷いた。

 そろそろ夏休みなのでちょうどいい。


 それに大河くんはどうせ野球部の合宿で一緒に夏休みは過ごせないのだ。

 子供党のお世話だけで終わる夏休みを過ごすよりも、銀河宇宙への旅行の方がよっぽど面白いかもしれない……


 それに豪一郎さんといえば他ならぬ大河くんのおとうさんである。

 ひょっとしたら将来の義理のおとうさんになってもらえるかもしれない人でもある。

 ここらでポイントを稼いでおくのも悪くないだろう。


 光輝おとうさんは上機嫌である。

「そうかそうかひかりちゃんどうもありがとう。

 それじゃあまたひかりちゃんの口座にお小遣いを入れておくからね。

 ああ、ソフィアーノくん。ひかりちゃんをよろしくね」


「おまかせくださいませ旦那さま」


 こういうときのソフィアーノくんの礼儀はすばらしい。

 胸に手を当てたままおとうさんに向かって深々と礼をしている。


「そうそう、キミにもお小遣いをあげるからね。

 たまには自分の好きなものでも買ってごらん」



 ソフィアーノくんも、日々のお給料に加えてお年玉だの子供の日のお小遣いだのをいつもたくさん貰っていた。

 だが不思議なことに、ソフィアーノくんはそれらのお小遣いをほとんど使わずに貯め込んでいるようなのだ。

 ソフィアーノくんがなにか買い物をしている姿を、ひかりちゃんは見たことが無かった。


「あ、ありがとうございます。旦那さま……」


 ソフィアーノくんは涙を流さんばかりに感謝している。


(そんなにお小遣いもらって嬉しいくせに、この子なんでそれを使わないんだろう……)


 ひかりちゃんはまた疑問に思ったがすぐに忘れた……





 こうして地球特使一行に加わって、ひかりちゃんは惑星ゴッツォにやってきたのである。


 それは凄まじい大歓迎だった。

 ただでさえ銀河連盟加盟一千周年でお祭りムードになっている中に、あのゴッツォの大恩人、英雄光輝の娘であるプリンセスひかりさまが来てくださったのである。


 ひかりちゃんの周囲は常に数百人、ときには数万人の大人たちが取り囲んで微笑んでいる。

 また、その一挙手一投足は常にメディアのカメラが捉えていた。

 その熱狂ぶりは式典に来ていたどんな来賓に対するよりもスゴかった。

 もっとも来賓たちもプリンセスひかりさまを取り囲んで熱狂していたが……


 もちろん銀河技術の自動翻訳機のおかげで言葉の壁は無い。

 ニュアンスもすべて含めて目の前の人が話しているように、直接頭の中に入って来るのである。

 銀河全域に普及している標準技術だそうである。



(ふう。それにしてもすごい大歓迎ね。

 ちょっとやりすぎだとは思うけど……

 それにしてもエリザベートがたくさんお洋服持たせてくれてよかったわ)


 だが三日も経つとさすがにひかりちゃんも疲れて来た。

 いつも笑顔でいたために、顔の筋肉も引き攣ってきている。


 三日後のフィナーレである大式典を前にして、ひかりちゃんは豪一郎おじさんに頼んでみた。


「明日は少し私とソフィアーノだけで街を歩いてきてみたいんですけど……」


「ああ、三日間もよく儀礼につき合ってくれたね。

 でも二人だけで大丈夫かな。

 ゴッツォ政府に頼んで護衛部隊をつけてもらおうか?」


「い、いえ、ソフィアーノだけで大丈夫ですよ。

 きっとソフィアーノも全力でガードしてくれるでしょうし」


 豪一郎おじさんはソフィアーノくんを振り返った。


「それじゃあソフィアーノくん。ひかりちゃんをよろしく頼んだよ」


「お任せ下さいませ、国連特使閣下」


 本当にこういうときのソフィアーノくんは実にそつが無い。

 耀子ちゃんに電撃銃で追いまわされている姿とはまるで別人のようである。


「ああ、そうだな。三十分おき、いや十分おきに私の秘書AIに、今どこにいるのか問題が起きてないか連絡をもらえないかな」


「もしよろしければリアルタイムでご報告申し上げましょうか」


「あ、ああ、そうしてくれるか。

 それからひかりちゃん。

 首都からは離れないようにね。

 この星は首都に政府機能が集中していて、地方都市はまだまだ未開の状態らしいから」


「治安が悪いんですか?」


「いや単に警察などの公共サービス機能が少ないだけだ。

 住民そのものは純朴で、まるで地球の田舎みたいらしい。

 でも念のため首都からは離れないようにね」



 久しぶりに人垣に囲まれること無く自由に外が歩けたひかりちゃんは上機嫌であった。


 だが……


「ああっ! プ、プリンセスひかりさまだぁっ!」

 誰かがそう叫ぶたびに大群衆が押し寄せてきた。


 慌てて身を隠しても、ひかりちゃんの顔は惑星中に知られている。

 ショッピングモールにいても、公園でソフトクリームらしきものを食べていてもその自由は十分ともたなかった。


 ある女性服の店などでは、ソフィアーノくんが、

「よくお似合いですよ、プリンセスひかりさま……」と言ってしまったので店員さんが絶句した。


 そうしてやはりすぐに大群衆が押し寄せて来たのである。


 また必死で逃げだしたひかりちゃんは、途中でサングラスらしきものを買って喫茶店らしき場所に逃れた。


 声を押し殺しながらひかりちゃんが言う

「まったくもー、ソフィアーノがプリンセスとか言うからバレちゃったじゃないのよっ!」


「も、申しわけございませんプリンセスひかりさま……」


「だからそれがいけないって言ってるでしょ!

 今からわたしのことはひかりさんって呼びなさい」


「えええっ!」


 ソフィアーノくんは、公の場ではひかりちゃんを「プリンセスひかりさま」と呼ぶ。

 邸の中では「ひかりお嬢さま」である。

「ひかりさん」などと気安く呼び掛けたことは一度も無い。


「それから、今からどこか地方都市に行くわよ。

 豪一郎おじさんのAIさんには、首都を歩いているように虚偽申告しておきなさい」


「ええええええっ!」


 ひかりちゃんはそう言うと、汎用端末にガイドブックを呼び出した。

 惑星ゴッツォの南部はほとんど海と急峻な山岳地帯からなっており、本当に人口密度が少ないらしい。

 また今の季節は厳しい冬でもある。


 だが北部高緯度地方は今は爽やかな初夏であり、気候も穏やかで地形もなだらかだそうだ。

 また、人々の暮らしも「極めて質朴」と書いてあった。

 どうもイギリスのハイランド地方やスイスの奥地に似たような場所らしい。


 大都会の喧騒よりも自然の環境が好きなひかりちゃんは、この北部ハイランド地方に行ってみることにした。




 空間連結器から一歩足を踏み出したひかりちゃんの頬がゆるんだ。


(空気の香りからして違うわ……)


 その街は行きかう人々の様子も違った。

 スイスの田舎を思わせる質素な服装に、ゆったりとした表情のひとびとがこれもゆっくりと歩いている。

 試しにしばらく歩きまわってみたが、誰もひかりちゃんに気づかなかった。


 もちろんハイランド地方でもみんなネットワークは見ているのだろうが、まさかこんなところにプリンセスひかりさまがいるとは思わなかったのだろう。


 ひかりちゃんは上機嫌で歩きまわった。

 もうサングラスらしきものも外している。

 ソフィアーノくんもびくびくしながらではあるがついて来ている。


 ひかりちゃんはあるアーケードの前で立ち止まった。

 ガイドブックには瞬時に「サビーニャビレッジ・フリーマーケット」という文字が表示されたが、言われるまでも無く、そこが大きなフリーマーケットが開かれている場所だということがわかった。


 ひかりちゃんは、楽しそうにフリマを歩いた。

 見たことも無い食べ物や変わった洋服のお店がたくさんある。

 やっぱり初めての土地に来たときには市場やフリマを歩くのがいちばんだ。


 ソフィアーノくんさえ物珍しそうにきょろきょろしながら歩いている。

 もっとも彼の場合、並列処理で周囲の警戒は怠っていないだろう。

 もちろんひかりちゃんの体もクラス25もの遮蔽フィールドで覆われている。

 これならたとえ核爆発が起きても、中のひかりちゃんにはかすり傷もつかないだろう。



 あるドローンの店の前でソフィアーノくんが立ち止った。

 そこにはペット用のドローンも少しはあったが、大半は農作業用の無骨なドローンだった。


 見るからによく働きそうな、そうして実際によく働いてきたであろうドローンがそこにはたくさんいる。

 どう見ても農民ではないソフィアーノくんにはさほどに注意を払っていなかったが、農民らしき客に対しては、自分の得意とする作業などを訥々と説明している。


 ひかりちゃんはソフィアーノくんの目に少し涙が滲んできているのに気がついた。


「どうしたの」


「あ、ああすみません、プ……ひかりさま。

 この働き者のドローンたちについみとれてしまって……」


「今プリンセスって言いかけたでしょ」


「す、すみません。気をつけます」


「このドローンたちってそんなに働きものなの?」


「ええ。わたくしにはわかります。

 おそらくこのドローンたちは百年は働き続けています。

 それも毎日……


 きっとご主人が亡くなられたりしたのでこうしてフリマで売られているのでしょうが、また働く日々を待ち焦がれながら、ここで次のご主人さまを待っているのでございましょう」


 ソフィアーノくんの目から一筋の涙がこぼれた。

 慌てたソフィアーノくんが言う。


「も、申し訳ございませんでした、プ……ひかりさま。

 働きものの大先輩たちを見てつい……」


 ひかりちゃんは微笑んだ。

「AIから見ても働き者のドローンは尊敬に値するのね」


「も、もちろんでございますよ。

 ああ、お時間を取らせてしまって済みませんでした。

 プ……ひかりさまのお好きな店を見て回りましょう」


「アンタそれワザと言い間違えてない?」


「め、滅相もございませんですよ……」




 今度はある店らしき場所でひかりちゃんの足が止まった。


 そこには木の箱に入った薄汚れたなにかの毛らしきものしか置かれていない。

 そうして、その山のように置いてある毛の向こうには、八歳ぐらいの少年と五歳位の妹らしき少女が悄然と座っていたのである。

 そこには椅子すらなく、二人とも地面に直に座っていた。


(光三郎くんと耀子ちゃんぐらいの年ね……)

 弟妹がたくさんいるひかりちゃんには、小さい子の年齢がすぐにわかる。


 ひかりちゃんは毛の前にしゃがんで少年に話しかけた。

「これはなぁに?」


 少年は一瞬顔を輝かせたが、すぐに顔を曇らせた。


「そんなこともわかんないようじゃあ、どうせ冷やかしだろ」


 ひかりちゃんは内心微笑んだ。

(この愛想の無い喋り方…… 光三郎くんにそっくり)


 だが光三郎くんは実に義理人情に厚い子だった。

 ひかりちゃんがやさしくしてくれたことは絶対に忘れない子でもある。


 ひかりちゃんはやさしく言う。

「わからないから聞いているのよ。

 聞かなかったらいつまでもわからないままじゃない」


 少年は顔を上げた。

「ゴッツォ羊の毛だよ。ウチの牧場の羊たちの毛なんだ」


「アナタたちだけでお店を開いてるの?」


「と、とうちゃんは今ちょっと出かけてるんだ!

 だ、だからオイラたちがちょっとだけ店番してるだけなんだ!」


 もちろんここゴッツォでも児童労働は禁止されているはずである。

 だがフリマのひとたちが何も言わないところをみると、なにか事情があるのだろう。


「あんまり売れてないみたいね」


「も、モノはいいんだ。ウチの牧場冬は寒いから。

 その寒さの中でも羊たちは頑張って外にいてくれるんだ。

 だからとっても毛足が長くていい毛なんだ」


「でもちょっと汚れてるわよね。

 だから売れないんじゃないの?」


 少年は顔を上げてはっきりとひかりちゃんを見た。

「羊毛を洗うのってとっても難しいんだ。

 洗い過ぎるとせっかくの羊の毛の油分が抜け落ちてぱさぱさになっちゃうから。


 だからいつもとうちゃんが洗ってるんだけど、とうちゃんが、とうちゃんが今過労で入院しちゃってるから……


 でもって洗って無い羊毛は組合が引き取ってくれないんだよ。

 上手に洗えた羊毛じゃないと引き取ってくれないんだ。

 だからこうして洗って無い羊毛をフリマで売ってるんだけど……」


 少年は泣きそうな顔になった。

 だが必死で涙を堪えている。

 妹らしき少女がそんなお兄ちゃんの顔を心配そうに覗き込んでいる。


 ひかりちゃんはたまらなくなった。


「その牧場ではトリュフやマツタケは採れないの?」


「あんた、この星のひとじゃあないし、近くの星のひとでもないんだな。

 ハイランド地方は寒過ぎて、トリュフやマツタケは採れないんだ」


「そう……」


(惑星ゴッツォは、お父さんのおかげでトリュフやマツタケが爆発的に売れるようになって、富裕惑星の仲間入りをしたって聞いてたけど……

 やっぱり実際に歩いてみないと実態はわからないものなのね)



「じゃあさ。お姉さんがその羊毛洗ってあげる」


 少年はびっくりしている。

「い、今、羊毛洗うのってとっても難しいって言ったじゃないか……」


「だいじょうぶよ。お姉さんのおともだちのAIは優秀で何でもできるの。

 だからすぐに羊毛の洗い方を勉強して、綺麗に洗ってくれるわ」


 傍らではソフィアーノくんが硬直している。


「そっちの男の子はAIだったのか……

 あんた金持ちだったんだな」


(AIを連れてるだけでお金持ちだなんて……)


「お姉さんがお金持ちなんじゃあなくって、あたしのおとうさんが少しお金持ちなだけよ」


「おんなじことなんじゃないのか?」


「いいえ、ぜんぜん違うわ。

 だってわたしが働いて得たお金じゃあないんだもの」


 少年は少し驚いているようだ。


「さあ、その羊毛貸してちょうだいな。

 たぶん三十分位で綺麗に洗えると思うから」


「ほ、施しは受けねぇ!」


 ひかりちゃんはさらに微笑んだ。

(本当に光三郎くんそっくり……)


「ふぅ~ん。じゃあさ、その後ろにあるのあなたたちのお弁当でしょ」


 兄妹の後ろには可愛らしいハンカチに包まれたお弁当が二つあった。

 それぞれには小さな青いリンゴが一つずつ添えられている。


「お姉さんの星では、リンゴは貴重品でものすごく高いのよ。

 だからそのリンゴひとつと引き換えに、この羊毛全部洗ってあげるわ」


 少年はおずおずとやや大きい方の包みからりんごを一個差し出した。

 少女も真剣な顔で小さい包みから自分のリンゴを取り出して、ひかりちゃんに差し出している。

 ひかりちゃんの目頭が熱くなった。


「リンゴは一個で十分よ。これはあなたが食べなさいね」


 少女は嬉しそうに微笑んだ。

 ひかりちゃんはまた涙がこぼれそうになった。


 涙に気づかれないうちに、ひかりちゃんは立ち上がってソフィアーノくんを振り返る。


「さあ、ソフィアーノ。

 すぐに羊毛の洗い方を勉強してこの羊毛の山を綺麗にして」


「わ、わたくしがでございますかっ!」


「誰もあんたに洗えなんて言ってないでしょ!

 あんたの配下のドローンたちにやらせればいいじゃないの!」


「で、ででで、ですが……」


「さっき働き者のドローンたちに感動してたのはなんだったのよ!」


「ううううっ。

 ジュリ高等AI学校を首席で卒業したわたくしが、羊毛洗いとは……」


「つべこべ言ってると、ソフィアさんに言いつけるわよっ!

 ソフィアーノはちっともわたしのお願い聞いてくれないって!」


 途端にソフィアーノくんが消えた。


 驚いたひかりちゃんが辺りを見回すと、ソフィアーノくんはひかりちゃんの足元で小さく小さくなって丸まっている。

 まるでダンゴムシみたいだ。


「ど、どうしたっていうのよソフィアーノ……」


 ひかりちゃんがしゃがんでソフィアーノくんの背中に手を置くと、ソフィアーノくんは小刻みに震えている。

 そうして小さな声でなにやら呟いている。

 ひかりちゃんが耳を近づけると、ようやくソフィアーノくんの呟きが聞こえた。


「お許しくださいどうかそれだけはお許しくださいソフィアさまに嫌われてしまったりしたらもうわたくしめは生きていけません女神さまに叱られたりしたらもう分解するしかありませんどうかお許しくださいお許しください……」


 ひかりちゃんはため息をついた。


「あなた本当にソフィアさんを崇拝してるのねぇ。

 いいわ、許してあげる。

 しかももしも羊毛を綺麗に洗えたら、ソフィアさんに頼んで褒めてもらってあげるから。

 もしもすばらしく綺麗になったら頭をなでなでしてもらってあげるから……」


 途端にソフィアーノくんが弾かれたように立ち上がった。

 ひかりちゃんに顔を近づけて必死の口調で言う。


「お任せ下さいお任せ下さいこのソフィアーノめにお任せ下さいっ!

 ゴッツォ一、い、いや銀河一美しい羊毛にしてみせますっ!

 どうかこのソフィアーノめにお任せをっ!

 プ……ひかりさまっ!」



 あっけにとられていた少年が言った。


「なあ、姉ちゃんの名前…… 『プ…ひかり』って言うんか。

 変わった名前だな……」


 妹の方もひかりちゃんを見て頷いている。


「ちっ、違うわよっ! ひかりって言うのよっ!」


「そんな恥ずかしがらなくってもいいんじゃないか?

 銀河は広いってとうちゃんが言ってたぞ。

 広いんだからいろんな名前があってもいいんじゃないか?」


 また妹もこくこく頷いている。


「あ、あんたのせいだからねっ!」

 ひかりちゃんはソフィアーノくんを振り返って叫んだ。


 ソフィアーノくんはまたダンゴムシになった……






(つづく)


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