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古代文明機 アーシェス  作者: 海猫銀介
1章 目覚めたアカシャの戦士
9/26

第7話 浄化プログラム

   1

ドスンッ、瑞葉は宙から放り投げられると尻餅をついてしまった。

声にもならない痛みに堪えながらも半泣き状態で起き上がるとそこはいつも見慣れた部室であった。

おかしい、何故例の地下基地ではなく部室へと戻されたのだろうか。


とにかく無事、元の世界へと帰ってこれたようだ。

ならば他の3人はいないのかと周囲を見渡すと最初に視界に映ったのはまるで死んでいるように倒れている丈一の姿……


「じょ、丈一君ちょっとっ!?」


慌てて瑞葉が駆け寄ろうとすると、バチンッ! と電気が弾ける音が響き体をビクッとさせると瑞葉は足を止めた。

同時に頭上に発生した次元の裂け目から英二が放りだされた。

瑞葉はポカーンと頭上の大きな英二の背中を見上げると、逃げる間もなく英二の全体重が瑞葉に向かって圧し掛かった。


「ふぎゃっ!?」


小さな悲鳴を上げ、瑞葉と英二は二人揃って派手に倒れた。

視界がひっくり返り、ゴツンッと頭をぶつけてまたしても涙目になりながらうっすらと目を開けた。

ぼやけた視界から、段々と見えてきたのは英二の顔。

それも、かなり近い。 何故か知らないが目と鼻の先に英二の顔が迫ってきていた。


「ほう、ここはいい眺めだな」


麻痺していた思考がようやく働き始めたのか、瑞葉は急に恥ずかしさが込みあがると同時に猛烈な怒りの感情を爆発させ顔を真っ赤にさせて叫んだ。


「この、バカァァァッ!」


いつもよりも鋭く的確な瑞葉のストレートが英二の顔へクリーンヒットすると、爽快な効果音と共に勢いよく吹き飛ばされていった。一応、英二は何もしてないし決して悪くないはずなのだが瑞葉の防衛本能が働いた結果、殴るという思考に行きついていた。


「全員無事に戻ったわね」


部室の引き戸を開くと同時にメガネをかけた図書委員の生徒、もとい瑞葉達を陰ながらサポートしていたヴィクターが戻ってきていた。


「ちょっと、どうして私達部室にいるのよ? さっきの地下基地みたいなところは?」


「ごめんなさい、こっちのほうが貴方達に馴染んでると思って転移場所を変えさせてもらったの。 驚かせちゃったかしら?」


「転移場所? よ、よくわからないけど……それに、凜華ちゃんは何処?」


「彼女なら、そこにいるわ」


ヴィクターが指さした先に視線を向けると、いつ戻ってきていたのか凜華が椅子に座りながら古代文献を手に取って読んでいた。

ともあれ、これでようやく精神世界から全員を無事救出する事が出来たと思うと、ドッと疲れが圧し掛かり椅子へと腰を掛けた。


「よかった、皆が無事で……」


「ああ、そうだな。 一時はどうなるかと思ったけどよ」


「だが、これで終わりではないのだろう」


英二はいつになく真剣な表情でヴィクターに向けて告げた。

まだ終わりではない、その言葉が意味するのは瑞葉達が取り返したアーシェス、アーシェスの一部を奪い取って襲い掛かってきたヴェノム、そしてここにいる4人が全員一斉にヴェノムに狙われた事。

その全てを知っているのは古代人が残したとVoidMemory(ヴォイドメモリー)である彼女だけ。

一体今、瑞葉達の身に何が起きようとしていたのか。 何故、狙われなければならなかったのか。

瑞葉はそれを知る必要があった。


「色々知りたいのは山々でしょうけれど先に伝えておくわ。

私の目覚めは決して古代人が望んでいる事ではないと。

私の目覚めが意味する事は、世界の終わりが近い事と同じであると」


「せ、せかっ、世界の終わりっ!?」


ヴィクターが告げた衝撃的な一言に仰天し、瑞葉はガターンッと椅子から転げ落ちてしまった。

一方、丈一は淡泊に告げられたその一言に首を傾げていた。


「それは、ヴェノムが関係するのかね」


「ええ、その通りよ」


だが、英二はヴィクターの言葉に動じずにギラリと目を光らせながら冷静に尋ねた。

ヴィクターが間髪入れずに返答したところを見ると、当たり前……というのもおかしいが冗談ではない事を確信した。


「大昔、突如世界に『ヴェノム』が出現した。

ヴェノムは人々を支配しアルマフォースを奪い取り、ただひたすらに文明の破壊を繰り返し続けていた」


「文明の破壊をし続けた存在? それが、私達が戦ってきた相手――」


「……マジかよ」


ただひたすらに破壊だけを望む存在。 本能の思うがままに破壊を繰り返す、それがヴェノムの正体だったという事に瑞葉は驚きを隠せない。

思い返せば確かにヴェノムはアーシェスを体に取り込み、一方的に瑞葉達に攻撃を仕掛けていたのは事実だった。


「ここ数日、ヴェノムの活動が急激に活発化しているわ。

貴方達が捕らわれた事をきっかけに、アルマフォースを手にしたヴェノムは次々と人々を支配し力をつけているの」


「そ、それってもしかしてっ!?」


「俺達以外の誰かも、ヴェノムに捕らわれているのかっ!?」


瑞葉と丈一が声を荒げるとヴィクターは表情一つ変えずに頷いた。


「では、我々でその者達を助けなければならないという事だな。

このままヴェノムの支配とやらが広まれば、世界は再びヴェノムに呑まれてしまう」


「ごめんなさい、そんな事をしている余裕はないわ。

ヴェノムは一夜にして大勢の人々を取り込んでいる、もはやヴェノムの進行が始まるのも時間の問題よ」


「そ、そんな……だったら昨日、無理してでも左京君と凜華ちゃんを助けるべきだったんじゃないのっ!?」


「ごめんなさい、貴方達を失うリスクの方が遥かに大きかったの。

貴方達に負けは許されない、ヴェノムとの戦いには確実に勝利してもらう必要があったから」


「だ、だからと言って――」


あの時、もっと早く英二と凜華を救い出せていれば二人はあんなに苦しまずに済んだというのに。

それに加えて、世界が危ない状況に陥っている事を知りながらヴィクターは呑気に瑞葉達を撤退させた事が許せなかった。

何故、そんな大事な事を今まで隠し続けていたのか。

感情に身を任せて、瑞葉は椅子からガタンッと立ち上がると英二が瑞葉の肩をガシッと掴んだ。


「音琴君、落ち着きたまえ。 リーダーである君が取り乱してどうするのだ?」


「あ……ご、ごめん」


英二に止められて頭が冷えたのか瑞葉は一言だけ謝ると椅子へと腰を掛け直す。

ヴィクターも何か考えがあっての事なのだろうと自分を納得させた。


「でもよ、何とかヴェノムの奴らを食い止める方法があるんだろ?

じゃなきゃ、俺達がこうして生きてるって事もなかったはずだ。

なぁ、アンタなら知ってんだろ?」


「ええ、勿論よ」


「ど、どうすればいいの?」


ヴィクターにそう尋ねた途端、無表情なはずの彼女の目が少しだけピクッと動いたように見えた。

同時に、今まで話に全く入ってこなかった凜華もソッと古代文献を閉じて瑞葉と目線を合わせていた。

妙な緊迫感に押されながらも、瑞葉は唇をギュッと噛みしめ、再度ヴィクターと目を合わせた。


「古代人が残した『浄化プログラム』の発動。 それが今の私たちにできる、ヴェノムの進行を食い止める唯一の手段よ」


浄化プログラム、ヴィクターが何度か口にしていた言葉だ。

それに浄化という単語も古代文献には何度も出てきていた。


「それを使えば、ヴェノムを倒すことが出来るのか?」


「いいえ、ヴェノムを完全に消滅させることは不可能よ。

ヴェノムは人々の精神とリンクしている、つまり人が生きている限りヴェノムという個体は活動を続けるの」


「それだと、ヴェノムを倒すことは事実上不可能じゃない……」


「ええ、だから……ヴェノムの力を弱めて、封印するしか方法はない」


「封印? それって、私達が引きずり込まれた世界に封印したって事?」


「その通りよ」


瑞葉達が迷い込んだ世界を、ヴィクターは精神世界と呼んでいた。

ヴェノムは今まで精神世界で活動を続けており、意図的に隔離する事で人類とヴェノムの共存を図ったという事なのだろう。


「でもよ、変じゃないか? ヴェノムは今、精神世界から俺達を引きずり込んだわけだろ?

今までどうしてそういった被害が出る事がなかったんだ?」


「それは、『狭間』の力がヴェノムによって破壊されつつあるからよ」


「は、狭間?」


またしても聞きなれない単語に、瑞葉は頭にはてなマークを浮かべる。


「狭間は現実世界と精神世界を明示的に分ける為の障壁、つまりこれがあったからこそ人類とヴェノムは決して交わる事がなかったはずなのよ。

だけど、ヴェノムは力をつけて狭間を超える力を身に着けてしまった」


「なるほど、つまり本来であれば人類とヴェノムが互いの存在を知ってしまったという事自体がイレギュラーだという事だな。

古代人はイレギュラーな事態に対処すべく、浄化プログラムとやらを用意した。

その結果、ヴェノムを再び封じ込める事に成功した」


「理解が早くて助かるわ。 これで、世界がどんな状況に置かれているかわかってくれたかしら?」


瑞葉は言葉を失いながらもゆっくりと頷くと、俯いていた凜華がとことことヴィクターの前まで歩み寄るとジッと小動物のように顔を見上げていた。


「浄化プログラムの発動、それ以外にヴェノムを何とかする方法はないの?」


「ないわ」


ヴィクターは即答すると、凜華は眉間に眉を寄せてキッとヴィクターを睨んだ。

普段の凜華からは想像がつかないほどの鋭い目つきで。


「私は貴方に賛同しない」


それだけ告げると、凜華は荷物をまとめて部室から逃げるように立ち去ってしまった。


「え? り、凜華ちゃん……ちょっとっ!」


「放っておくべきよ。 きっと、貴方達より先に知ってしまったのね」


「し、知ったって何を?」


どう考えても凜華の様子は普通ではなかった、まさかヴェノムの支配の後遺症が?

だが、丈一や英二にはそのような後遺症は出ていないし、強いて言えば英二が変に真面目すぎるところぐらいだ。


「まぁ、こんな嘘みてぇな話を聞かされたんじゃ無理もないんじゃねぇのか? 夢咲の奴もなんか、疲れた顔してたからな」


「だが、彼女の言葉も気になる。 浄化プログラム以外、と言っていたには何か理由があるはずだ。

どうなんだね、ヴィクターとやら」


英二に問い詰められると、ヴィクターは即答せずに一呼吸置くと全員の様子を慎重に伺ってようやく口を開いた。


「浄化プログラムはヴェノムの力を弱めて、再び精神世界へと閉じ込める為の処置の事を指す。

古代人が開発した装置によって、浄化プログラムが発動する仕組みになっているの。

ヴェノムは人々が強い感情を持てば持つほど、力を強めていく特性を持つ。

人々が生み出す感情のエネルギー、つまりアルマフォースが一定値を超えた時にヴェノムは狭間を超える力を身に付けて

人から更なるアルマフォースを摂取するようになる」


「それってつまり、私達が怒ったり笑ったりすることによって、ヴェノムは力を身に着けていくって事?」


「そうね、そういった人の感情の動きが激しくなればなるほどヴェノムは力を増す。

一番わかりやすい例は戦争ね、大勢の人が苦しむ事によって世界中から負の感情が強まりヴェノムへ莫大な力を与えてしまう。

その積み重ねが、ヴェノムへ狭間を超える力を渡してしまう事になるの」


「おいおい、マジかよ……それじゃ、俺らが生きてる限りヴェノムってのは日に日に力を増すって事か? 笑えない冗談だろそりゃ」


「ちょっと待って、だとしたら……浄化プログラムって、何をするの?」


瑞葉は薄々と何かを悟ってしまい全身に妙な寒気が走った。

事実上、人が生きている限りヴェノムは活動を続け力を増していく。

更に狭間を超えることにより、ヴェノムは直接人からもアルマフォースを摂取し更なる力を蓄えていくのであれば……

それを止める手段として考えられるのは力の配給を強引に止める手法である。


「浄化プログラムは、人々の感情……いえ、正確には『記憶』と言うべきね。

そう、人々から記憶を消し去る為のプログラムなのよ」


「記憶を、消す……?」


「人は考えることによってヴェノムのエサとなる『感情』を生み出してしまう。

ならば考えることを放棄させてしまえばヴェノムが力を増す事は完全に消え去る。

事実上人類……いえ、この世界そのものを退化させ全てを始めからやり直させる事により人類そのものを生かす手段なのよ」


「そ、そんな……そんな、ことって――」


「ただ、記憶と言っても本能の部分は残すわ。

イメージ的には人類が文明を築き始めた原始時代まで時代を逆行させると考えればいい。

あくまでも人類という種を残しつつ、ヴェノムの支配から逃れる事を目的としているのだから。

それと、合わせて人類が築き上げてきた文明もリセットさせる。

浄化プログラムによって一度世界のあらゆる文明を分解し……物凄く簡単に言えば砂へと変えて世界を再構築させるのよ」


ヴィクターが告げた浄化プログラムは、瑞葉の想像するような人類救済処置ではなかった。

その方法であれば人類や世界をヴェノムの進行から逃れる事はできるかもしれない。

しかし、その先人類が生きていける保証もなければ、同じような進化を遂げる確証もない。

何よりも、浄化プログラムは事実上『現人類』を全て殺す事と同意義であると言っても過言ではなかった。


「な、なんだそりゃ? それってつまり、助かる方法はねぇって事かよっ!?」


「夢咲君は、それを事前に知っていたという事か」


「そ、そんなの嫌―――」


ヴィクターは、瑞葉に否定させるのを予想していたのかそっと一指し指を瑞葉の唇に置く。

少しだけ、悲しげな眼を見せて告げた。


「浄化プログラムを発動させることが出来るのは、古代人からアカシャの戦士として選ばれた貴方達だけよ」


「古代人から、私達が選ばれた? な、何よそれ。 過去の人が未来の英雄を選ぶってどういう事?」


「それは、わからないわ。 だけど、よく聞いて。 貴方達のアルマフォースは非常に強力なのも事実。

でも、力の素質だけで言えば貴方達よりも遥かに強力なアルマフォースを持つ人がいくらでもいるわ。

それでも貴方達が選ばれたという事は決して偶然ではなく、何らかの意味を持って選ばれたはずなの。

私の役割は貴方達に浄化プログラムを託す事だけ。 この力を使うかどうかは全て貴方達の判断に任せるし、強制するつもりはない。

無責任かもしれないけれど、これがアカシャの戦士として選ばれた貴方達の使命よ」


ヴィクターから告げられた衝撃の事実を前にして三人はただ呆然と立ち尽くしていた。

太古の時代より選ばれた4人に課せられた使命。

それは決して人類が助かるとは言える方法ではなかった。

人類の存亡をかけて全力でヴェノムを迎え撃つか、或いは浄化プログラムによってヴェノムの進行を食い止めるか。

それは一般高校生が背負うにはあまりにも重く、残酷な選択肢であった。




   2

ヴェノムの本格的な進行が始まるまでにはもう少し猶予がある。

しかし、残された時間は限りなく少ないと思った方がいい。

それまでにヴェノムを何とか出来なければ、浄化プログラムによる作戦を決行に移す。

ヴィクターのその言葉を最後にその場は解散となった。


こうしている間にもヴェノムの支配を受け苦しんでいる人々は増え続けている。

本来であれば一刻も早く浄化プログラムを発動させ、ヴェノムを封じ込める決断を下すべきであったのかもしれない。

しかし、瑞葉にはその決断を下せなかった。


「どうして、こんな事になっちゃったんだろ」


校門の前で自転車に跨ったまま瑞葉は夕焼けの空を眺めながら呟いた。

いつもと変わらない街並みを目にすると今世界が危険に晒されているとは思えなかった。

全て夢でした、嘘でした。 そうであってほしいと何度も願うが……それはただの現実逃避にしかならない。

一度、部員の皆と相談すべきだろう。

自分達が置かれた状況を整理しこれからどうしていくべきかを真剣に話し合うべきだ。

だから、今だけ全てを忘れよう。


いつもの通り夕飯の支度をしてシャワーを浴びて湯船につかって、下着姿でベッドに横になったところ、父親にだらしないと叱られながらだらだらと過ごす。

それぐらい、許されてもいいはずだと瑞葉は自分に言い聞かせていた。

自宅へ向かおうと自転車で助走をつけて走り出そうとすると、少し先にメガネをかけた男子生徒の姿が目に入る。

あれは間違いない、英二だ。


「左京君? どうしたの、まだ帰ってなかったの?」


「そういう君も、まだ学校に残っていたのかね」


何か考え事をしていたのか英二は眉間に皺を寄せて難しい顔をしていた。

丁度瑞葉がそうしていたように自転車に跨ったまま夕焼けの空を見上げながら。


「ちょっと、ね」


鼻の先を掻きながら瑞葉は無理に微笑んだ。

英二はふぅと息をつくと、メガネを外して瑞葉の事をじっと見つめだした。


「少し、付き合ってくれないか」


「え、な、何? ちょ、ちょっと」


何故か恥ずかしくなった瑞葉はあたふたと顔を真っ赤にさせていると、英二は自転車を漕ぎ始めて先へ進んだ。

瑞葉はとりあえず後をついていくと、辿り着いた先は駅前の喫茶店だった。

瑞葉も何度か利用したことがある、ちょっと洒落た雰囲気の店だ。


「音琴先輩、僕は少しだけ貴方に本当の僕を知ってもらいたい。

だからあえて僕は、この偽りの仮面を外す。 構わないですか?」


「う、うん……わかった」


メガネを外した英二はいつもと雰囲気が異なるどころか、まるで別人だと思える程に思える。

あのメガネすらも英二にとっては自分を偽っていたパーツの一つにしか過ぎないのだろうか。

瑞葉は恐る恐る英二についていくと、一番奥のテーブル席へと座った。


「何飲みます?」


「え、えーっと……ア、アイスコーヒー。 砂糖とミルクたっぷりで」


「じゃあ、僕も同じにします」


英二は店員を呼びとめて二人分のコーヒーを注文した。

何故か気まずさを感じると同時に、異性と二人……それもかなりのイケメンと喫茶店にいる事を思うと

恥ずかしさが込みあがり顔を真っ赤にさせていた。


「家族以外に本当の自分を見せるのは凄く久しぶりだよ。

もう絶対にこんな弱い僕を見せないと決めていたのに、先輩に全て見られちゃったからね」


「う、そ、その……ご、ごめんね」


「謝る必要はないです、おかげで僕はこうして無事生還できたんですから。

それにちょっとだけ嬉しかったんですよ。 先輩が僕の事を必死で助けようとしてくれた事が」


「わ、私はその、ぶ、ぶぶ部長としてせ、責任を果たそうと、その」


何故か妙に意識をしてしまい、ぎこちない返答ばかりしてしまう。

いつもの英二相手ならば拳一発で黙らせるところだったが、何故か今の英二には手を出せない。


「先輩、さっきからどうしたんです? ひょっとして、トイレですか?」


「ち、ちちち違うわよバカッ!」


デリカシーのない一言を聞くと、やっぱり中身はちゃんと英二なんだと思うと何とか瑞葉は平常心を保つことが出来た。


「ところでどうです? 自分で言うのもあれですが、今の僕って普段と比べると凄く普通だと思いません?」


「ふ、普通というか……むしろ、アッチが異常なだけじゃなくて?」


「そうです、僕は生活の中であえて自分と全く異なる人物を演じるようになりました。

それは僕が過ごしてきた小、中学校時代に全ての原因があります。

僕は小学校の頃物は凄く正義感が強かったんですが、内気な性格が邪魔をしてクラスに中々溶け込めずに孤立していて……

って、この辺りはある程度音琴先輩もわかっているかもしれませんが」


ヴェノムの中に侵入した時、瑞葉は確かに英二の過去を見た。

予想するまでもなく英二は小学生時代イジメに逢っていたのだ。

あまり触れてはいけない過去だとは思っていたが英二が自らの過去を口にしようとしているのを見ると、

無暗に止めるわけには行かないと瑞葉は静かに頷く。


「孤立していた僕ですが、クラスで気になる女の子がいたんです。

いつも窓際で静かに本を読んでいてたまに友達と楽しそうに話したりしている姿を見ているうちに、恥ずかしながら完全に一目惚れをしたんです」


「それって、初恋?」


あの英二が本当に? と疑問には思うが、恐らく青春を感じる甘酸っぱい話ではないのだろう。

英二の表情は固く何処か辛そうにも見えた。


「そうです、彼女は香奈(かな)ちゃんと親しまれていて誰にでも優しかったのです。

クラスで影の薄い僕にも何度か声をかけてくれた事もあったので、何としてでも接点を持ちたいと考えていたのですが、事件はそんな時に起きました」


「……事件、ね」


『香奈』という名前はあの時何度か出てきていた。

そして瑞葉はある程度英二の身に何が起きたのかを想像できてしまっている。

何故、英二は自らの過去を語ろうとしている意図は読めないが丈一の場合は瑞葉を信頼したからこそ全てを打ち解けてくれた。

英二も同じだというのであれば、瑞葉は最後まで聞くべきだろうと唇を噛みしめた。


「はい、以前から香奈ちゃん……いえ、彼女は男子からからかわれたりちょっかい出されたりする事が多かったんです。

僕はそれを見ていてあまりいい気持ちはしませんでした。

そこで僕は咄嗟に思い付いたのです、彼女もきっと嫌がっているはずだと。

だから、僕は勇気を振り絞って彼女を庇おうと行動に移したのです」


「……それで、どうしたのよ?」


「勇気を振り絞って踏み出した僕は、その男子に対して本気で怒り彼女に謝らせる事まで押し切る事は出来ました。

しかし、それが全ての過ちだったのでしょう。 彼女は何故か凄く不満そうな顔を見せたんです」


「不満そうな顔? 助けてもらったのに何でよ?」


「当時、僕も同じことを考えていました。 嫌がっている彼女を救い、自分自身がヒーローになったと自惚れていたのでしょう。

だけど、次の日から僕はクラスメイトから避けられるようになりイジメのターゲットにされました」


「え……な、なんで?」


いきなり話が飛びすぎて瑞葉の頭の中は混乱した。

聞いている限り、英二は別に間違った行動をとったようには思えないしいじめられる理由は何も見つからない。

強いて言えば、クラスで浮いていた存在だったという点だけだとは思うがまさかそれが原因だとでもいうのか?


「彼女は別に嫌がってなかったんです。 ただふざけあっていただけだったんですよ。

それなのに僕の一方的な勘違いのせいで大事となってしまった。

これは聞いた話なのですがその後彼女は泣きながらその男子に謝っていたようです。

『私がもっと楽しそうにしていれば、勘違いされなかったのに、ごめんね』と。

当然、クラスのアイドル的存在である彼女を泣かした張本人の僕は皆から敵視された訳です」


「そ、そんなのって……おかしいじゃないっ! 左京君はただ、困っているかもしれない人を助けてあげようとしただけでしょ?

そんなの香奈ちゃんって子が左京君に違うよって教えてあげればよかっただけの話じゃないっ! 何よ、あったまにきちゃうわ」


当時その場に自身がいれば、間違いなく英二の事をそのように弁護していただろうと言わんばかりに瑞葉は声を荒げていた。


「それはきっと、僕が物凄い剣幕で怒っていたから彼女も怖がっていたのでしょう。

僕の味方は誰もいませんでした。

僕の事をよく知らない皆は、僕は彼女を泣かした張本人としか見ていません。

僕は、人から嫌われる事を人一倍恐れていました。

今まで孤立を貫いてきたのも、嫌われるよりかはマシと思っていたからというのも一理あります。

しかし、僕は自分自身を変える為にも勇気を振り絞った結果、待っていたのはクラスメイトからイジメを受けるという最悪な事態でした。

当時の僕にはもう何が正しいのか、これから先どうしていけばいいのかわからず途方に暮れていました」


「……そんな、辛い過去があったんだね」


英二の表情は物凄く辛そうだった。

できれば忘れていたかった過去のトラウマを掘り起こしているのだ、その辛さは瑞葉が思っているよりも遥かに辛い。

思わずその表情を見ているだけで、瑞葉も辛くなり泣き出しそうになる程だった。


「ま、後は知っての通りです。 僕はあえて人……特に女性に嫌われやすそうな自分を高校生活では演じました。

初めから嫌われるとわかっているのなら、辛さも半減するだろうと」


「理由はどうであれ、左京君は自分自身を変えたかったんでしょ?

そうやって自分の欠点を認めて自身を変えようとするなんてそう簡単にできる事じゃないわ。

それを左京君は何食わぬ顔で平然とやってのけちゃうのは、本当に凄いと思ってるの」


「その言葉、素直に褒め言葉として受け止めます。 だけど、実際の僕はこんなにも弱く惨めで情けないのです。

仮面を外した途端、きっと先輩は僕という人物に何も魅力を感じくなるでしょう」


「そんな事ない、左京君は強いわ。 冷静に過去の自分を見つめ直してるし私にこうして過去の事を包み隠さず話してくれている。

左京君は仮面をつけていようがつけていまいが、凄く魅力に溢れている人だと思ってるしどちらの左京君も私は好きかな。

だから、貴方はもっと自分に自信を持つべきよ。 そ、その……顔だって格好良いんだからさ」


英二がキョトンとすると、瑞葉は目を点にさせて冷静に自分の言葉を振り返る。

ふと、物凄く恥ずかしい事を口にしていたと思うと顔を真っ赤にさせた。


「あ、ち、ちちち違うわよっ! そ、その、好きといっても、恋愛的なとか、そうじゃなくて、人間として、うー……えーっと」


「ええ、はい。 わかってますよ」


英二は深く言及してこなかったが逆にそれが不気味で思わず瑞葉が身構えてしまう。

英二はメガネケースとを取り出すと、そっとメガネをかけ直しコーヒーを啜った。


「これ以上、弱い私を見せる必要はあるまい。

せっかく本来の私も認めてもらったのは非常にありがたい事なのだが、私は偽りの仮面をかぶり続ける事にしよう」


「……ま、そっちの方がアンタらしいってイメージはあるわね。

でも、辛くなったらいつでも仮面を取りなさい。 また、こうやってアンタの弱音聞いてあげるんだから」


「気持ちだけ受け取っておこう。だが、私は弱い自分を封じなければならん。

だから、偽りの仮面は当分外すつもりはないさ。 その方がきっと、君の為にもなるだろうしな」


「私の為って?」


瑞葉が首を傾げると、英二は少しだけ考えるそぶりを見せ、怪しく微笑んだ。


「ふむ、通じなかったか。 いつもの私でなければ、君に本気で惚れられてしまうんじゃないかと心配になってな」


「―――っ! こ、このバカッ!」


そんな訳あるかと瑞葉は顔を真っ赤にさせて渾身のアッパーを英二に決めた。

何処からともなくゴングが鳴り響いてもおかしくないまさにプロに匹敵する一撃を浴びた英二は何処か誇らしげにガクンッと力尽きた。

が、辛うじて意識を取り留めたのかフラフラになりながら立ち上がり、メガネを整えながら立ち上がった。


「フ、相変わらず冗談が通じないな音琴君」


「うるさいわね、アンタが余計な事言うからでしょ?」


「うむ、元気なのは何よりだ。 ところで音琴君、話は変わるが……今日の話、君はどう思うんだ?」


「今日の話? それって、ヴィクターが言っていた事?」


「そうだ、君なりの見解を聞かせてほしい」


「け、見解って言われても……」


瑞葉は表情を曇らせヴィクターから告げられた『使命』について思い返す。

人々の感情により力を増すヴェノムを封印するには、まずその力を弱めなければならない。

その為には浄化プログラムにより人類の記憶を抹消させる必要があった。

人類から記憶を消し、他の動物との知能の差を埋めつまり本能だけで生きるようにさせればヴェノムの力は必然的に衰えていく。

これがヴィクターの語る計画の全貌であった。


「根本的な解決にはならないと思う。

だって、人類が元の文明力に必ず戻るという訳でもないし、人以外の生物が地球を支配するようになる可能性もあるじゃない。

それに結局はヴェノムを消滅させない限りは絶対に安全とは言えないでしょ?」


「その通りだ、ヴィクターの策では根本的な解決とならない。

しかし、ヴィクターは真っ先に浄化プログラムにより世界救済を我々に提示した。 それは、何故だと思う?」


「ど、どうして私にそんな事を聞くのよ?」


「君の考えを知りたいからだ、音琴君」


英二の意図が今一わからないが、少なくとも英二なりに何か考えがあるようにも見える。

いつになく鋭い眼差しを前にすると、不思議と空気が一気に重くなり瑞葉はプレッシャーに押しつぶされそうになりながらも、生唾を飲み込んだ。


「決まってるじゃない、他に何も策がないからよ」


「ふむ、では古代人は初めからヴィクターの指示に従って、浄化プログラムを素直に発動させた、と?」


「ううん、そうは思っていない。 古代人だって私達と同じ人間でしょ、きっと最後の最後まで抵抗したはずだわ。

だけど、それでもどうにもならなかった。 ヴィクターは過去の失敗を全て知った上で、もうどうする事も出来ないと結論付けているんだと思う」


「なるほど、一理あるな。 それが、君の見解かね?」


「ええ、そうよ」


「なら、君はヴィクターの指示に素直に従うか?

人類がどうなろうと、浄化プログラムを発動させてヴェノムを封じ込める……それが正しいと思うのか?」


「それは……」


瑞葉は顔を俯かせて言葉を詰まらせた。

浄化プログラムによる世界救済が最善の策かと言われれば決してそうではない。

いや、誰もが同じことを思うはずだ。 そんな方法で、絶対に世界が救われるはずがないと。


「私から言えることは二つだ。 一つは、君も同じことを思っているだろう。

例え古代人が過去に失敗し続けてきたと言えど……最後まで、諦めるつもりはない。

これはヴィクターの意図に逆らって別の手段でヴェノムを何とかする方法を探すという事だ」


「……うん、それね。 私もただ、指をくわえてジッとしているつもりはないわ」


「なら、もう一つ。 これはあまり口にすべき事ではないが……あえて、君だけに伝えておきたい事がある」


英二はメガネをギラリと開かせると、鋭い目つきで瑞葉を睨むように目線を向けた。


「な、何よ?」


「ヴィクターは、あまり信用しない方がいいかもしれん」


「……え?」


英二の一言で瑞葉は一瞬固まった。 ヴィクターを信用しない方がいい? それは一体、どういう意味なのだろうか?


「ヴィクターは現人類に浄化プログラムを託す事が目的と言っていた。

だが、言い方を変えればそれは人類を救済しないと言っているに等しいのだ。

まるで浄化プログラムを発動させる為に作り出されたように見える。 私の考えすぎかもしれないがな」


「そんな訳ないでしょ……仮にそうだとしても、浄化プログラムを発動させる意図がわからないわ。

少なくとも彼女だってヴェノムを何とかしたいと考えているはずよ……例えただのプログラム体だとしても私はそう感じた」


口ではきっぱり返すが瑞葉の言葉には何処か不安が現れている。

ヴィクターを信用しない方がいい、それはつまり浄化プログラムの発動を何が何でもしない方がいいという事となる。

が、それは恐らくできないだろう。 ヴェノムの侵攻をどうにかしない限り、人類に未来がないのもまた事実なのだから。


「さて、私はこれで失礼しよう。 ある程度、君に話したい事は全部話せたからな」


「……そう、ね」


「御代は私が持とう」


「え? い、いいわよ。 私が出すから」


「上司と言えど女性に払わせるわけにもいかんしな、何よりも私から誘った事だ」


英二はそのままレジまで突き進んでいくと瑞葉は申し訳なさそうな目で英二を見送った。

今度別の形で返す事にしようと諦めると、ふと英二が立ち止まり振り返った。


「音琴君、君そういえば丈一の事を名前で呼んでいたな?」


「え? い、いや別にそんな……と、特別な関係って訳じゃないからね?」


誤解されないようにと、瑞葉は念押しで応えると英二は怪しく微笑む。


「それでは不公平だな、同じ部員は対等な扱いにすべきだ。 今度から、私の事も是非名前で呼びたまえ」


「……わ、わかったわよ」


「うむ、では今度こそ失礼する」


瑞葉は英二が立ち去っていくのを確認すると深くため息をついてテーブルに突っ伏した。

恥ずかしさが込みあがると同時に、英二が口にしていた『ヴィクターを信用しない方がいい』という一言。

考えれば考える程頭の中がこんがらがっていくと、頭を掻き毟った。


「一人で考えても仕方ないわ、今日は帰って寝るべきね」


瑞葉はガタンと音を立てて椅子から立ち上がると、喫茶店を後にした。




   3

喫茶店を出ると既に日が落ちており街は夜を迎えていた。

夜空には数多の星が美しく輝くが、同時に周囲の暗さは精神世界の禍々しい空気を思い返してしまい瑞葉は背筋をゾッとさせた。

こうしている間にもヴェノムの魔の手が迫っている。

特にアーシェスを操ることが出来る瑞葉は常にヴェノムからターゲットにされやすい。

次も狙われないという保証はどこにもなかった。


考えれば考える程、色々な事に不安を覚える。

そんな状況でも何とか強く気を持とうと瑞葉は頭を切り替えて自転車を漕ぎ勧めた。

いつも通いなれている道と言えど、夜となれば一気に雰囲気は変わる。

少し不安を覚えながらも瑞葉は夜道を進んでいると、公園へと辿り着いていた。


いつもは子供がはしゃいでいるが流石に夜は人気がなく驚くほど静けさを保っている。

そんな公園を眺めながら瑞葉は自転車を漕ぎ進めると、ふと見覚えのある人物が目に留まり急ブレーキをかけた。


「凜華、ちゃん?」


公園のベンチに凜華と思われる人物が見えた。

膝にノートパソコンを乗せ、隣にはコンビニの袋。

口には大きな肉まんを咥えながらキーボードをカシャカシャと打ち込んでいた。

こんな遅い時間に一体何をしているのだろうか。

凜華も瑞葉の事に気付いたのか咥えていた肉まんを落としかけ、あたふたとしながら両手でキャッチした。

瑞葉は自転車を近くに停め、凜華の元へ向かった。


「な、何してるのよ? こんな時間に」


「調べ物、先輩も一緒にやる?」


凜華がノートパソコンの画面を見せると、そこにはずっしりと古代文字が並べられている。

もしや一人で古代文献の解読を行っていたというのか。


「う、うん……いいけど、わざわざ外でやる事ないじゃない。 そうだ、どーせだったら家に来ない? すぐ近くだからさ」


「いいの?」


「遠慮はいらないわよ、女の子同士なんだから細かい事は気にしない気にしない。 それじゃ、早速行きましょ」


瑞葉が手を差し伸べると、凜華は何処か申し訳なさそうな顔をして俯く。


「どうしたのよ?」


「……昼間勝手に帰った事、怒らないの?」


「勝手に帰った事?」


一体何の事かと頭を捻らせると確か凜華がヴィクターに賛同しないと言い残して部室から出て行ったしまった事を思い出した。

別に怒られるような事でもないし、凜華が何処まで気にとどめるような事ではないはずだ。


「そんな事、別に気にしなくてもいいわよ。

ヴィクターもほら、空気を読まないというか段取りを取らずに強引に進めようとするところあるからさ」


「……そう」


凜華はパタンとノートパソコンを閉じると荷物をまとめてベンチから立ち上がる。

凜華は肉まんを食べきると小動物のようにじっと瑞葉に目を合わせていた。


「どうしたのよ? あ、あんまりじろじろ見ないでよ」


「先輩は、私の事どう思った?」


「どう思ったって?」


「その……ヴェノムに捕らわれた時の」


瑞葉は言葉を詰まらせた。 きっと、人には見られたくない姿だったのだろう。

いくらヴェノムに惑わされたと言えど、自室に閉じ籠って堕落した姿を見られたのは瑞葉だって恥ずかしく思う。


「そ、そりゃ誰だってダラダラした生活を送りたいって思うときはあると思うわよ。

でも、凜華ちゃんが本気で望んでたわけじゃないんでしょ?

だからこそ、こうして私と共に戻ってきたんじゃない」


「でも、私は先輩に言われるまで気づかなかった。

あの時、私は本当に一人を望んでいて……ずっと、あのままでもいいと思っていたの」


「何がそう思わせたのよ?」


「私、友達なんていなかったから。 口下手だし家の都合もあって遊ぶ時間もなかったから。

こう見えても優秀な家系に生まれたから、小さいころから英才教育を受けていたの」


普段から何を考えているかわからない凜華ではあるが、この時ばかりは凜華が寂しそうにしている様子がひしひしと伝ってきていた。

「私の歩む道は、生まれた時から全て親に用意されていた。

ただ敷かれたレール上を進むだけの人生は何も面白くはなかった。

自由な時間はほとんどないし、いつも何かに縛られていたけど……学校だけは私自身の意思で選び続けてきた」


「どうして、学校だけを?」


「私にとって、学校という場所が一番自由な場所であったから。 でも、今はもう違うの」


「違うって?」


「私、自立した。 もう何にも縛られたくないって思って今は一人暮らししているの。

それ以降、お母さんは私に一切干渉しなくなった。 まるで私を捨てたかのように」


寂しそうに語る凜華の言葉は瑞葉の胸に深く突き刺さった。

縛られる生活、それは瑞葉の想像を超える以上に窮屈は生活なのだろう。

だけど、子供が親に反抗したからと言って捨てられる理由にはならないはずだ。

凜華自身もそんな事わかっているのだろう。

ただ、それでも不安が消しきれないのだ。

ヴェノムに付け入られたのはそんな今の生活が本当に正しかったのかといった迷いに違いない。


「あんまり深く考えちゃダメよ、家を出て自立するって決めたのは凜華ちゃん自身なんでしょ?

良いお母さんじゃない、娘の意思を尊重してくれるなんて。

きっと凜華ちゃんなら大丈夫だって認めてくれてるんだよ」


少しでも凜華を励まそうと瑞葉は優しく語りかけると凜華はボーッと瑞葉の事を見つめていた。

何やら照れくさくなり、誤魔化そうとすると……凜華はガシッと瑞葉に抱きつき始めた。


「ちょ、ちょっと凜華ちゃんっ!? な、ななな何してるのよ――」


「……お姉ちゃん」


「お、お姉ちゃん?」


「お姉ちゃんって、呼んでいい?」


寂しそうな瞳で顔を見上げている凜華の姿を見ると、まさに頼れる姉に甘えてくる妹のように見えてきて瑞葉は顔を真っ赤にさせた。突き放そうにも、凜華の事を考えると迂闊に突き放すことが出来ずに、ひたすら目を逸らし続けた。


「め、面と向かって言われると恥ずかしいけれど……り、凜華ちゃんが私を頼ってくれるのなら喜んで私は応えるわよ。

何でも相談に乗ってあげる。 だから、困ったことがあったらわ、私に頼ってくれていいわ」


「……ありがとう」


寂しそうにしていた凜華は瑞葉のその一言を聞いただけで微笑んだ。

天使のようなその笑顔を前に瑞葉は小動物が可愛い仕草を見たかのように胸をキュンとさせた。

このままギュッとぬいぐるみのように抱きしめたい衝動に駆られるが、それは流石にマズイと理性が働き何とか平常心を保とうと深呼吸をした。


「ほら、後ろに乗って。 家まで連れてってあげるから」


夜風に当たりたい、という本音を隠し瑞葉は自転車に跨ると、凜華は素直に自転車の後ろに跨りギュッと瑞葉に抱きついた。


「そうだ、晩御飯も食べていく? どーせ作らなきゃいけないからさ」


「じゃあ、ハンバーグが食べたい」


「ハンバーグね、丁度材料あると思うしいいわよ。 それじゃ、行くよっ!」


久々に自分の手料理を披露する事が出来ると舞い上がった瑞葉は、全力で家まで自転車を漕ぎ進めて行った。




   4

家に帰ると父親はまだ帰ってきていなかった。

今日は用事があるから夕飯はいらない、と朝言われていた事を今更のように思い出す。

瑞葉は早速夕飯の支度にとりかかり1時間足らずで終わらせると、凜華に自慢の料理を披露して二人で仲良く食事の時間を過ごした。

「どう、私のハンバーグは?」


「凄く美味しかった。 まるでお店のハンバーグみたいに」


「そうでしょそうでしょ? お父さんも同じことを言っていたの、お母さんに似て料理が上手なんだなって褒められた事があって」


「お母さんは、今日はいないの?」


「えっと、その。 いない、んだよね。 昔、病気で亡くなっちゃって」


「あ……ご、ごめんなさい」


「いいのいいの、昔の事だから全然大丈夫っ!」


凜華が申し訳なさそうな表情を見せると瑞葉は必死でフォローを入れた。

今のは母親の事をうっかり口にしてしまった瑞葉の責任だろうと、反省する。


「聞いて、いい?」


「うん? 何よ、改まって」


凜華は何か気になったのか目を意図的に背けている。

すると、決意したのかキッと目を強く瑞葉と合わせて尋ねた。


「先輩は、どんなトラウマを見せられたの?」


「……あー、そうだよね。 みんなの知ってる癖に、私だけ何も教えないってのもずるいよね。

私はね、お母さんの事でちょっと……ね」


あまり思い出したくはなかったが凜華は勿論の事、丈一や英二だって同じだったはずだ。

ここで自分だけ、母親との記憶から逃げ続けるわけにもいかない。


「私、小さい頃お母さんに歌ってもらっていた子守唄があったの。

でもね、その歌を全然思い出せなくて。 だけど、お母さんが死ぬ間際に……『あの歌』を忘れないでって遺言を残したの。

私はもう歌を忘れていたのに……お母さんと約束しちゃって……それをずっと引きずり続けてたら、ヴェノムからお母さんに否定された幻を見せられちゃったの。

その時、凄く怖かったな……お母さんが言うはずのない事を延々と言われ続けて、本当頭がどうにかなりそうで……」


「……先輩も、辛い思いをしたんだ」


「皆と比べれば私は大したことないわよ。

皆は大きな問題を抱えているというのに、私ったら一人だけ小さい事……というか、完全に私自身が悪い事じゃない」


「ううん、比べるなんてこと自体おかしいの。

例え他の人から見て小さなことだったとしても、先輩からするとそれは大きな問題だろうし凄く辛いと思う。

私もきっと、同じように苦しんだ。 ずっと歌ってもらった子守唄を思い出せないなんて、そんなの悲しいよ」


凜華が真剣な眼差しで瑞葉にそう告げると思わず涙が零れ落ちそうになる程、心がジーンとして温かい気持ちになった。

思えば凜華がこんなに話す姿は初めて見るかもしれない。

いつも楽しそうにマイペースを保っている凜華からは想像できない姿だ。


「でもね、私は絶対に思い出すって決めたんだ。

どんな小さな事でもいいから、お母さんが唄っていた子守唄について調べたいと思ってるの。

その為にも、今の状況を打破する方法を考えないとダメよね。

じゃないと私、永遠と唄を思い出す事が出来ないから」


こんな場で、ヴィクターが語った世界の状況について触れるのはまずかったかもしれない。

だけど、瑞葉は何が何でもヴェノムをどうにかする方法を探すという意思を見せたかった。

浄化プログラムを使わずにヴェノムを封じ込める方法、かつての古代人……いや、その前の人類も成し遂げられなかった事を

瑞葉は成し遂げて見せようと本気で考えていた。

凜華は思い出したかのように鞄からノートパソコンを取り出すと瑞葉に解読した古代文字の一文を見せた。


「これは?」


「あの場所にあった白い石板の事、覚えてる? そこに記録された古代文字を解読していたの。

そこにね、古代における『唄』の記述があった」


「唄の記述? 古代人が唄の事をわざわざ石板に残したの? な、何のために?」


「わからない。 だけど、先輩の話を聞いて、ひょっとしたらって思ったの。 先輩のお母さんの事、もう少し教えてくれる?」


石板に記された唄から、どうしてここで母の事が出てくるのかは今一わからなかった。

だけど、凜華は何らかの根拠があるのだろう。 瑞葉は凜華を信じて、母親の事について語った。

昔、考古学に携わっていた事。 祖父の代から考古学の研究は続いており家にはいくつか調査から持ち帰っていた古代遺産が存在した事。

瑞葉が知っている限りの情報を提供した。


「こ、これで全部だけど……何か、わかるの?」


「うん。 あの石板に記録されていた事は、古代人類における私達と同じ立場の人間が残した可能性が高いの」


「そ、それって……アーシェスのパイロットが残したって事?」


「そう。 そして、ヴィクターの事についても語られているの」


「ヴィクターに関する記述? ……どうして、その石板にだけ?」


瑞葉は古代文献を解読した中ではヴィクターに関する記述を見た事がない。

それにヴィクター自身が古代文献には一切残されていないと言っていたはずだ。

しかし、ここでヴィクターの事が記された石板が出てきている。

これは一体、何を意味するのか?


「ここに記載されているヴィクターは自身の名を持っていた。

名は『アリサ』、これを記録した古代人がヴィクターにその名をつけたみたいなの。

古代人のパイロットはこの石板を残しアリサと共にヴェノムとの最後の戦いに向かった。

そしてここにはヴェノムに対抗する手段として『唄』を用いた、と記録されている。

『唄』は後世に継がせる為にオルゴールがいくつか生産されていて、歌詞も石板に記録されているみたいなの」


「オルゴールに古代の唄? それが、ヴェノムに対する切り札と、なる?」


何故唄がヴェノムに対する切り札となり得るのか?

しかし、実際世界がヴェノムの脅威に晒されていると考えると恐らく失敗に終わったという事だけは容易に想像できる。


「唄は私達の世代に受け継がれるように工夫がされている。

もしかすると、先輩のお母さんは古代遺産から知った唄を子守唄として唄っていた可能性があるかもしれない」


「古代人の唄を、お母さんが?」


そんなはずは……と否定しようとするが、可能性はゼロではない。

母親が考古学に携わっていた以上、古代文明から唄を知った事は十分に考えられた。


「もしも、ここに残されている『アリサ』が私達の知るヴィクターと同一人物であれば『唄』の秘密について知っているかもしれない」


「ヴィクターが、お母さんの唄を?」


もしも、知っているのであれば……瑞葉は子守唄を思い出すことが出来るかもしれない。

そう考えると、途端に瑞葉は体を小刻みに震わせて、込みあがってくる涙を流すまいと必死で堪えた。


「だけどヴィクターの目的はあくまでも浄化プログラムの発動にあると思う。

仮に何か知っているとしても私達にそれを教えてくれるとは限らない。

それに、このアリサが同じヴィクターであるという証拠もない」


「どうして、ヴィクターの目的が浄化プログラムの発動にあると言い切れるの?」


「根拠はないけれど、きっとヴィクターはそう作られているんだと思うだけ」


英二も似たようなことを言っていた。 ヴィクターをあまり信用しない方がいいと。

だが、瑞葉はそんな事は出来ないと思っていた。

いくらヴィクターがプログラム体であると言えど、今の世界を守りたいという気持ちはあるはずだと信じていたから。


「今日はもう、帰るね」


「え? こんな遅い時間に大丈夫? もしよかったら、泊まっていかない?」


「ううん、平気。 夜道を歩くのは慣れてる、それに私……こう見えてもケンカは強い」


凜華はファイティングポーズをとって、シュッシュッと素早いジャブを見せつけるがそれでも瑞葉は不安に感じた。


「そ、そうだ。 せめて送っていこうか?」


「そこまで先輩に迷惑はかけられない。 今の話を聞いて、私もっと……石板の解析を進めてみる。

きっと、先輩の助けにもなると思うから」


凜華が微笑むと、瑞葉は引き留めたい気持ちを何とか押さえ込んで仕方なく凜華を見送ろうと立ち上がる。

流石黄のアルマフォースを持つ凜華は伊達ではない。

彼女の笑顔はどんな笑顔よりも何倍、いや何十倍もの破壊力を持っているとさえ思ってしまう。


「先輩……ううん、お姉ちゃん。 今日はありがとう、またおいしい料理食べさせてね」


「うん、いつでも遊びに来ていいからね。 今度は皆私の家に招待してあげるわ」


「楽しみにしてるね。 ばいばい」


凜華が笑顔で手を振ると瑞葉も同じように笑顔で手を振って見送った。

玄関のカギをかけ自室に戻ると途端に一人になってしまった事を心細く思う。

明日は部員の招集をかけて皆で今後について話し合うべきだろう。

きっとすぐに決断する事は出来ない。

だけど、最後まで諦めずに状況を打破する方法を考える。

凜華の言っていた唄、恐らく今できる事はそれらを解明していく事だけだろう。

瑞葉はベッドにダイブすると、ドッと疲れが圧し掛かってきたのは目をウトウトとさせ始める。

気づけば瑞葉は疲れ切っていたのか、その場で横になって眠ってしまっていた。


今回で1章が完結となります。

ある程度書き溜めていた分を直しながら投稿しておりましたが、徐々に更新ペースが落ちてしまうかもしれませんのでご了承ください。

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