第4話 精神世界
1
草木の香りに鼻が刺激されて、瑞葉はうっすらと目を開けた。
日は既に落ちかけていて、空はすっかり橙色に染まっていた。
まだ覚醒しきっていない朦朧とした意識でフラフラと立ち上がると、目の前には黒き石板が何事もなかったかのように聳え立っていた。
「……あれ、私……寝ちゃってたのかな」
先程まで瑞葉はアルヴァイサーという名の古代兵器のコクピットにいたはずだ。
だが周囲を見渡してもそれらしき姿は見当たらない。
社の下にあったはずの地下室への入り口も何故か綺麗に消え去っていた。
「夢……じゃないわよね」
もし先程自分の身に起きた出来事が全て夢なら、それはそれでとんでもない想像力だなと瑞葉は苦笑いをした。
先程の出来事が夢かどうか確かめる方法は簡単だ。
二人を待たせているはずだと瑞葉は階段を下りて英二と凜華が待つ場所へと向かっていく。
予想通り、そこには誰の姿もなかった。
「や、やっぱり……い、いやまだ現実だと決まったわけじゃ」
あんな出来事、出来れば現実であってほしくない。 瑞葉は汗を額から流しながら、携帯を手に取った。
画面には古代文字でメッセージが出力されていた。
まさかと思い瑞葉はメッセージを解析すると『この場所で貴方の携帯電話を決して使用しない事』、と書かれていた。
間違いない、これはヴィクターが残したメッセージだ。
だが、この警告は一体何を意味するのかは瑞葉にはわからなかった。
「おーい、音琴先輩―っ!」
すると、遅れて丈一が瑞葉を追って階段から駆けつけてきた。
「く、久原君っ!? よ、よかったぁ……何処行ってたのよ? し、心配したんだからっ!」
「いや、俺もよくわかんねぇんすよ……何か気持ち悪い夢も見ちまったし」
「夢?」
「ああ、なんかこう……昔の事ちっと思い出しちまったりしてさ。 そしたら何故か俺ロボット操縦してたんすよ。
しかも音琴先輩と一緒にっ! しかもアケコンで操作してたんだぜ?
笑っちまうよなぁ、よほど俺はここに古代兵器が眠っていてほしかったと」
「ううん、違う。 それ、夢じゃないわ」
「へ?」
丈一は思わず口をポカーンと開けた。 いや、無理もないだろう。
あんな不可思議な出来事が続けば全て夢だったと片づけたくもなる。
そして瑞葉も今、あの出来事が現実であると確信した。 二人同時に同じ夢を見るはずがない。
だが、問題は今まで自分達は何処にいたのか?
あの地下室に眠っていたフライターという名の戦闘機、あれはアーシェスと同じもなのか?
「ねぇ久原君、今までどこで何をしていたの?」
「いや、俺は落としちまった携帯を探してただけで……気づいたら、その辺で寝ていたみたいでさ。
慌てて飛び起きて降りてきたんだけど」
「携帯は見つかったの?」
「ああ、携帯はすぐ見つけたから先輩に連絡しようとして……あーなんかそこから、思い出せねぇな。 寝ぼけてんのか俺は……」
「ううん、そこまででいい。 久原君、実は私も同じ夢を見ているの。
だけど、それはきっと夢じゃない。 私達は古代兵器を使ってヴェノムと戦ったのは、事実だと思う」
「おい、マジかよ。 確かになんか、ヴェノムだとか言ってたっけな……あの猛獣の事を。
ふ、二人同時に同じ夢を見るってあり得るのか?」
「あり得るわけないでしょ、私達はきっと、二人で同時に『別の何処か』にいたのよ」
「じゃ、じゃあ……俺をあの場所から助けてくれた先輩も、夢じゃなくて……本当に音琴先輩だったのか?」
「う、うん。 ごめんね、勝手に久原君の嫌な過去を覗いちゃって」
「……マジかよ。 い、いや、いいんすよ。 むしろ助けてくれたのを感謝してるぐらいだし」
口ではそう言うものの、丈一は何処かぎこちない感じで目をそらしていた。
瑞葉ももし丈一にあの場面を見られたりでもすれば恐らく同じような反応を見せていただろう。
だが、少し空を見上げると、丈一はこちらに目線を向けた。
「先輩、ちょっと聞いてもらってもいいすかね」
「な、何よ? 改まって」
「大した話じゃないんだけど、ちょっと先輩に聞いてほしいんすよね」
「う、うん」
いつも見せない丈一の深刻な顔を見ると瑞葉は力強く頷く。
丈一はニカッと白い歯を見せて笑い返した。
「先輩が知っての通り……俺、妹がいるんすよ。 もう小学校5年生ぐらいなんだけどな、見ての通り相当年が離れてるけどよ。
俺に結構なついてくれて、近所でも仲がいい兄妹だってよく言われていて」
「あら、いい事じゃない」
「んで、もう知ってると思うけど……俺、昔身体が凄く弱かったんすよ。
小学校の頃は入院と退院を嫌という程繰り返して定期的に点滴を受けに行ったり、或いは発作を起こして病院に運ばれたり
いろんな食べ物のアレルギー持ってたりと……とにかく、ボロボロだった」
「そう、だったんだ」
それでこの虚弱体質が出来上がったというのか。
階段駆け上がるだけですぐ息切れたりするのはそういう過去があったからと考えれば納得が行く。
瑞葉は今まで丈一に色々と失礼な事を言ってしまった事を申し訳なく感じた。
「そんな状態の時、俺に妹が出来るって思ったら何だか今のままじゃいけねぇなって思ったんだ。
もし俺が妹の立場だったら、こんな頼りにならなくて弱い兄貴なんて情けなくて口も聞きたくねぇと思うだろうなって。
だから、妹の前だけでは強い兄貴になってやろうと色々努力してたんすよ」
「アンタのそのギャップって、ちゃんと理由があったのね」
「こんな事、ダチにも話した事ねぇっすよ。 知っているのは俺の両親だけだった。
妹も勿論、知らなかった事だ。 最近まではな」
少し声のトーンを落として丈一が呟くと、瑞葉な何となく何が起きたのか事態を察する。
「半年前のある日妹が俺の部屋に入ってきた。 別にそれはいつもの事だけどその時は様子が変だった。
変にぎこちないというか、あんまり目を合わせようとしてくれなくて。
そしたらアイツ、俺にこう言ったんすよ。 『お兄ちゃんの身体が弱いって、本当?』って」
「……なんて、答えたのよ」
「何も、言えなかったっすよ。 当時俺は頭が真っ白になっちまって……まぁ、それで妹も察したんだろうな。
その後は何故か、妹は俺と距離を取るようになって、ろくに話すこともなくなっちまった」
丈一が寂しげに語る姿を見ると瑞葉まで胸が苦しくなってきてしまった。
妹の為を思って、病弱な自分自身を隠し続ける。
それはどれだけ大変な事かは想像がつかない。
そして隠し続けてきた事実が妹に知られたとなれば兄妹の間に大きな溝が生まれても決して不思議ではない。
その結果、丈一はヴェノムに付け入れられてしまったのだろう。
「どうして、私にこんな話をしたの? そ、その……辛いでしょ、色々と思いだすと」
「いや、その……ちょっと恥ずかしいんすけどね。 先輩の言葉、素直に嬉しかったんすよ」
「私の、言葉?」
「俺、ずっと妹が何を考えているか怖かったんだ。
いつか妹が俺の事を罵倒するんじゃないか、冷たい目で見ているんじゃないか。
俺の事を嫌ったり、むしろ騙してた事を怒ったりしてるんじゃないかとか」
やはり、同じだ。 瑞葉も母親に裏まわれていないかどうかそんな不安ばかり抱えていた。
丈一も、妹にどんな風に思われたか不安だったのだろう。
「音琴先輩は、俺に自分自身と戦えてるって言ってくれたよな。
もっと自信を持てって、情熱と根性を見せろって。
だから俺……あの妹は俺が生み出した『幻想』だった事に気付けたんだ」
「え、え? そ、そんな……私はただ、夢中だっただけで、その」
急に恥ずかしくなってきたのか瑞葉は顔を真っ赤にさせて言葉を詰まらせた。
何故か胸がドキドキとしてきたが、流石に丈一は恋愛対象になり得ないとブンブンと頭を大きく振るって冷静さを取り戻そうとする。
「アルマフォース、つったっけ? 俺のは情熱に満ちた『赤い力』、正直俺にとっては相応しくない響きだと思うんだけど……
ま、先輩公認なら悪くないっすね」
「そ、そうよっ! 私にとって久原君は熱血なおバカなんだからっ!
今みたいに暗くてしょげてる久原君なんて認めないわよ? 妹さんだってきっと、わかってくれるわ」
瑞葉は誤魔化すように声を荒げて丈一に告げた。 失礼な事を口にはしているが全て事実ではある。
体力がない癖にいつも明るくて空回りして暑苦しい。 それが『久原 丈一』という男なのだ。
「ああ、そうだといいんだけどな。 だけど、実際どうなんすかね……こんな情けない兄貴だったってことを知っちまうってのは。
俺、妹に『丈一』の『丈』は丈夫からついてるから、俺の健康の秘訣は名前にあるんだぜとか言っちまったことあるんすよ。
実際は親から丈夫な子になるようにって願われたみたいなんすけど……なんだか、皮肉な話っすよね」
「何よ、これからその通りになればいいだけじゃない。
それに私的には『丈一』の『丈』は情熱の情、だと思ってるけどね。 アンタにぴったりな、いい名前だと思うわ」
「……ヘヘッ、俺の名前をそんな風に褒めてくれたの、先輩が初めてっすよ」
丈一は照れ臭かったのか鼻を掻きながら目線をそらして告げた。
瑞葉もよく考えたら物凄く恥ずかしい事を口にしていたことに気付き、思わず耳まで真っ赤にさせる。
「先輩、近いうちに俺妹に全部ちゃんと話してみるわ。
このままじゃ絶対よくねぇだろうしあんなもん見せられるのは二度とごめんだしな」
「うん、それがいいと思うよ。 アンタみたいな兄貴、例え情けなかったとしても私が妹なら胸を張って自慢できるわよ」
「そこはせめて、『情けなかった』の一言は取り除いてくれよ」
「い、いいじゃない。 ちょっとカッコ悪いところがあったほうが人間らしいわよ」
「それも、そっすね」
少しの間、暗い顔をしていた丈一に笑顔が戻った。
いつも見慣れている笑顔とはどこか違う、吹っ切れたかのような清々しい笑顔だ。 瑞葉は親指をグッと立てて、微笑み返した。
「っと……こんなに呑気に話してる場合じゃないわ。
丈一君、今から私が知る限りの事を全部話すわ。 とにかく今は落ち着いて私の話を聞いてくれる?」
「ん?」
丈一は突如、不思議そうな顔をして首を傾げ始めた。
まさか何か起きたのではないかと恐る恐る周囲を警戒し始めた。
「ど、どうしたの?」
「い、いや、先輩が俺の事名前で呼んだもんだから」
「へ……あ、ご、ごごごごごめんっ!」
瑞葉は顔を真っ赤にさせながら謝った。 名前の話が出ていたからうっかり流れで呼んで始まった。
いくら後輩だからと言えど、異性を名前で呼ぶのは顔から火が出る程恥ずかしい。 しかもそれが無意識であるなら尚更だ。
「いや、いいんじゃないんすか? いつまでも他人行儀ってのもあれじゃないすか。
むしろ先輩なら名前で呼び捨てにしてくれた方がしっくり来るぜ?」
「そ、そう?」
「じゃ、俺も親しみを込めて……えっと、瑞葉先輩、でいいんでしたっけ?」
「うっ……」
なんだからからかわれてる気がしたが、怒るに怒れない状況で瑞葉は目をそらす。
「と、とにかく聞きなさいっ!」
「へいへい、わかりましたよ……先輩」
瑞葉は強引に話を切り替えて今まで自らの身に起こった事、そしてヴィクターの存在にヴェノムの事、英二と凜華が未だにヴェノムに囚われてる事を説明した。
勿論、全てはあのヴィクターからの情報であり事実であるかどうかはわからない。
だが、実際二人の姿が見当たらない事から、ほぼ当たっていると考えるのが自然だろう。
「大体何が起きてるかは、わかった。 だけど、一体俺らは何処に連れてかれてたんだ?」
「それを知っているのが恐らく、ヴィクター自身だと思うの。
でも、彼女との連絡はこちらから取れないし……ただ、協力してくれてるとは思うからきっと明日になれば連絡は取れると思うの。 そ、そうだ。 もしよかったらその、じょ、丈一君も私と一緒に来てくれない?」
「当然俺も行くに決まっている。 あいつらが捕らわれてんなら俺達で助けてやらねぇとな。
あんな闇に呑まれちまったら心がもたねぇだろ。 先輩の助けがなかったら俺どうなっていたことやら」
「もう一度アーシェスを呼べれば、今すぐにでも助けにいけるのに……」
二人が今、ヴェノムの支配を受けていると考えると瑞葉は背筋をゾッとさせる。
早く助けなければ二人の心が壊れてしまうのではないかと。
現にヴィクターも丈一を助ける際はそのような事を言っていた。
今はただ、二人の無事を願うしかないだろう。
「警察に相談、した方がいいのかな?」
「こんな話をしても信じてもらえないし、ただの悪戯としか思われないっすよ」
「そうかも、しれないけど……」
二人の事を心配してしまって、瑞葉はいてもたってもいられなかった。
「焦ってもしょうがないな、俺らがここで何をしようが全てはその、ヴィクターとやらに聞かないと何もわかんねーし。
そのヴィクターも警告を残したきり……こりゃ一旦帰って仕切り直すべきなんすかね」
「うん、悔しいけどそれしかないかも。 或いは―――」
瑞葉はちらりと自分の携帯に目線を向ける。
ヴィクターは決して触るなと言ったがこれを使えばもう一度あの場所へ行けるのではないかと思った。
しかし、丈一は瑞葉の手に触れて首を横に振った。
「ダメっすよ、万が一俺らがまたヴェノムに捕まったら最後だ。
アルマフォースも無限ではないし、アルヴァイサーやビルブレイズがいつでも使えるわけでもない」
「……わ、わかってるわよ」
丈一らしかぬ冷静な発言に驚かされながらも、瑞葉は答えた。
今は丈一の言うとおり、身体を休めるのが最善なのかもしれない。
「何かわかったら、すぐに電話するから」
「了解っす、なら今日は解散で」
気が付けは日が既に落ちていて、周辺は闇に包まれていた。
瑞葉と丈一は二人で階段を下りてき、そのまま自転車で学校まで一緒に行くと、瑞葉は何かわかったら連絡するとだけ伝えて丈一とそこでわかれた。
2
翌朝、瑞葉は一人部室に訪れて古代文献の解読を進めていた。
日曜日ではあるが、部活動の為に学校は解放されている。
丈一にも声をかけたがまだ来ていないようだ。
アルマフォースやヴェノム、それらと戦う為の古代兵器「アーシェス」、アルマフォースによって形状を変えた「アルヴァイサー」と「ビルブレイズ」にヴィクター。
これらの事は古代文献に記されているはずだと、瑞葉は一人で解読作業を進めるが、やはり作業は捗らなかった。
4人で分担していた頃は驚くほどスムーズに解読できていたというのにと瑞葉は深くため息をつく。
コンコン、部室の入り口から控えめなノックの音が飛び込んでくる。
丈一であればノックなしで扉を開けて入ってくるはず、一体誰だろうかと瑞葉は部室のドアをガラガラと開いた。
「おはよう、部長さん」
「あ、貴方は――」
黒髪にメガネをかけた長身の女子生徒、間違いなく図書委員だ。
しかし、その実態は古代人が残した『ヴィクター』と呼ばれるプログラム体である。
どう見ても同じ人間にしか見えないが彼女は機械か何かだというのだろうか。
そもそもプログラム体が何を指すかもさっぱりわからない。
「やっぱり、ここにいたのね」
「な、何でわかったのよ?」
「貴方が、熱心な人だから」
と、一言告げるとヴィクターは部室に入る椅子へと腰を掛ける。
フワッと広がる綺麗な黒髪と風に乗せられたシャンプーの香りが漂った。
どう見てもただの人間にしか見えない。
いや、ある意味では学生とは思えない美貌を持ってるという点は異常ではあるが。
「ゼェ……ゼェゼェ……相変わらず、4階は辛い……ぜ……」
続いて丈一が部室に訪れると、早速息切れをした状態でフラフラと部室に足を踏み入れるとバタンッと派手にぶっ倒れる。
どうせいつもの事だとため息をつくが、内心丈一が来てくれた事を嬉しく思った。
「丁度、揃ったわね」
「揃ったって?」
「あら、お友達を助けたいのでしょう?
貴方達のアルマフォースも十分回復しているようだしね、すぐにでも出発をしたいところなの」
「ちょ、ちょっと待ってっ! その前に、色々と聞きたい事があるのっ!」
勝手に一人で話を進めていくヴィクターに対し、瑞葉は慌しく告げた。
「まず、私の携帯っ! これ、どうなってるの? 貴方が話しかけてきたこともあったし、貴方の警告文もここに写ったわ」
「心を持たないヴィクターの私が精神世界と通信するには端末に私自身のデータを移す必要があった。
だから少し貴方の携帯をいじらせてもらったの」
携帯をいじった、という事は何か細工をしたという事なのだろうか。
しかし、瑞葉が肌身離さず携帯を持っていたはずなのにいつそんな事を……と考えると、ふと図書室で古代文献の本を受け取った時を思い返す。
あの時確か、落とした携帯をヴィクターから手渡しされたことがあった。
なら、そのタイミングで何かされたというのは間違いないだろう。
それよりも『精神世界』、という単語に瑞葉は引っかかった。
「せ、精神世界? な、何なのよそれは?」
「ヴェノムが具現化する世界、とでも言えばいいかしら?」
精神世界、ヴェノム。 ヴィクターは確かに言っていた、ヴェノムは人の心そのものであると。
もしや瑞葉が迷い込んだ場所というのは、異世界だったという事なのか?
「私の携帯が鳴った時、丈一が助けを求める声が聞こえていた。これって、貴方が繋いでくれたの?」
「それは違う、私はただ貴方の携帯を媒体として借りただけ。
ヴェノムは携帯電話を元に異次元のゲートを開いて、人を精神世界に引きずり込むのよ」
「な、何で携帯なのよ?」
「恐らく、貴方達が最も強く依存している道具だから」
人が強く依存していると言われれば妙に説得力があった。
確かに携帯電話は広く使われているし最近では小学生でも持つことがあるぐらいだ、依存しているといっても過言ではない。
昨日のヴィクターが出した警告は携帯を通じて、その精神世界とやらの入り口が開いてしまう危険性があった為と考えられる。
だが、いくつか疑問は残る。
「でも、携帯を持っていない人だっているじゃない」
「ええ、その通りよ。 必ずしも携帯がトリガーになるわけではないわ」
「他にも方法があるってこと?」
「ええ、ヴェノムが人類に干渉する手段はいくらでも存在するわ。
例えば鏡とか水面上だって入り口になり得る。
最も可能性が考えられるのは携帯電話ってだけでね」
精神世界の入り口を開くトリガーとなり得るものは他にも存在する。
そうであれば、人類はいつ何処でヴェノムの支配を受けるかわからない状態にありその回避策も明確ではないという事になる。
瑞葉は途端に不安を抱き始めた。
「うおっ、誰だお前っ!?」
バテていた丈一がようやく目覚めると今更のようにヴィクターに気付いたのか声をあげた。
あれだけ参っているという事はまたも無理して全力疾走したに違いない。
「初めまして、久原 丈一」
「お、おう? はじめ、まして?」
「あーごめん、この人が昨日話したヴィクターなの」
「あ、あ? で、でも人じゃねぇか、てっきり機械の類だと思ってたぜ」
丈一も同じ勘違いをしていたようだ。 プログラム体と言われれば誰もが同じような想像をするとは思うが。
「お前は名前ないのか?」
「私は単なる古代人が残したデータベースにしか過ぎない。
最低限のコミュニケーション機能は搭載されているけれど名称の類は設定されていないわ、型番すらもね」
「しっかしそれだと不便だよなぁ、何て呼べばいいんだよ?」
「ヴィクター、でいいわよ」
ヴィクターは素っ気なく応えると丈一は何処か納得いかない様子で返事をした。
そんな事を気にもかけずに、ヴィクターは無表情のまま話を進める。
「つまり、貴方達4人は一斉にヴェノムによる襲撃を受けた。
これは単なる偶然ではない貴方達が『アカシャの戦士』として選ばれたから、ヴェノムはそれを警戒したの」
「アカシャの戦士って、アーシェス文明における英雄を指す言葉よね。
どうして私達が英雄に選ばれたというのよ? 私達はただの学生じゃない、それも考古学なんてド素人だし」
「そうね、貴方達4人が全員揃ったらちゃんと教えてあげる。
だから今は、貴方のお友達二人を救出する事だけを考えて、それでいいわね?」
「……わかった、ならどうすればいいの?」
本当は他にもたくさん聞きたい事はあるが今は二人の救出を優先するべきだ。
その術をヴィクターが握っている以上、今は大人しく従うべきだろう。
「アルヴァイサーとビルブレイズが揃った以上、ヴェノムから二人を救い出すのはそれほど困難ではないわ。
アルマフォースが混在したアーシェスの強さは、アーシェス2機を遥かに上回るスペックなの。
だから冷静に対処すれば戦いに負けることはない」
「待てよ、俺達にあいつらと戦えって言っているのか?」
「動きを止める程度でいいの、ヴェノムからフライターを切り離せば後は強引に合体すればいいだけ。 どう、簡単よね?」
ヴィクターは簡単に言うが実際はそれほど簡単にはいかない。
それに丈一の時はそれが実行できず、瑞葉のアルマフォースを使って丈一を助け出す方法を取ったはずだ。
今回も同じ方法を取るべきではないかと思い、瑞葉は意見しようとした。
「できれば、白き力はなるべく使わないでね。 あの力は危険すぎるから」
「そ、それって、どういう事?」
「白き力はアルマフォースの中でも特別な力を持つ。 つまり使い方次第で神にも悪魔にもなれるという事よ」
自分が持つアルマフォースが神にも悪魔にもなれる? ただ単純に仲間を助け出すという行為が一体どうして?
ヴィクターの警告は的確だ、実感はないがそれほど危険な力だというのならば使わないに越したことはない。
あくまでも切り札と考えるべきだ。
「でも、ヴィクターに支配されて相当時間経ってんだろ? もし、完全に支配されちまってたらどうなるんだよ?」
「大丈夫、あの子達は少し貴方達とは違うみたいだしね、ただ支配も時間の問題というにも事実だわ」
「本当に? よ、よかった……手遅れになったらどうしようかと思った」
瑞葉はヴィクターの一言を聞いて安心した。
もし二人が既にヴェノムの手に陥っていたらどれほど昨日の自分に後悔していたか。
尤も、ヴィクターはその事をわかっていたからこそ提案したのだろうが。
「しかし、急いだ方がいいのも事実。 すぐにでも助けに行くべきだわ」
「わかった、やってみるわ」
「そうだな。 そうするしかねぇなら、仕方ねぇな」
丈一は仲間と戦う事に抵抗があるようだがそれは瑞葉も同じ思いだ。
できるだけ傷つけずに救出をする、それだけでヴェノムの支配を逃れられるというのならばと言い聞かせると瑞葉は覚悟を決めた。
「二人の位置なら既に特定できているわ、今すぐにでも精神世界へ向かうわよ」
「ど、どうやって?」
「まずは、例の黒神社へね」
黒神社、社に黒き石板が眠るあの地の事だろう。
あの場所はヴィクターとの関連性が非常に強い地なのだろうか。
以前に顧問が行方不明者が出た話と照らし合わせると、確かにその可能性は否定できない。
とにかく今はヴィクターに従うしかない、3人は揃って部室から出ていき黒神社へと足を運んだ。
3
再び黒き石板の地まで足を運んだ。
ここへ来ると昨日の事をどうしても思い出してしまい足がすくんでしまう。
ヴィクターが無言で黒き石板に触れると、ゴゴゴゴと石板が一人でに動きだし地下室へと続く階段が現れた。
瑞葉達はヴィクターに続いて地下へと繋がる階段を降りていく。
「精神世界へ乗り込む方法は二つあるわ。 一つはさっき説明した通り、携帯等を使って異次元へ繋がるゲートを開いて侵入する方法。 でも、この方法はあまりお勧めできないわ」
「ど、どうしてよ?」
「移動中は無防備になりやすくてヴェノムに狙われやすい状況になるの。
だから、精神世界へ潜入するにはより安全なもう一つの方法を取る必要がある」
「もしかして……?」
「さあ、ついたわよ」
階段が繋がっていた先には様々な設備が整った施設へと繋がっていた。
瑞葉が一度訪れた時は薄暗かったが、今回は妙に明るい。
恐らくヴィクターが施設の照明を調整してくれたのだろう。
そして、昨日瑞葉達が乗っていた2機のフライターがそこに眠っていた。
改めてみるとこの地下施設は想像を絶する広さだ。
昔はここに大量のアーシェスが眠らされており、保管されていたのだろうか?
「さあ、貴方達は先に行って。 精神世界への転送は私の方でやっておくわ」
「貴方はいかないの?」
「私はヴィクター、人の心を持たない私はその世界に侵入すれば無となってしまう」
「そ、それって入れないってこと?」
「ええ、だから携帯電話は必ず手放さないでね。 それがないと、貴方達と連絡する手段がなくなってしまうから」
「とりあえず、乗ればいいんだろ? お先にっ!」
丈一は真っ先にフライターへと駆け出すと、瑞葉は呆れながら続いてフライターへと乗り込んだ。
階段を駆け上がりハッチまでダッシュしてコクピットのシートへと座って、携帯を端末へと繋ぐ。
「精神世界への転移を始めるわ。 少し気持ち悪いかもしれないけど、我慢してね」
「う、わ、わかったわよ」
嫌な予感を察しながらも、瑞葉はしぶしぶと頷いた。
するとガコンッとコクピットが激しく揺れたかと思えばモニターの映像が突如、グニャリと歪み始めグルグルと渦を巻き始める。
ゾッした瑞葉は出来れば見たくないとモニターの映像を消そうとするがボタンがわからなかった。
グォンッと急に強いGを感じると、瑞葉の視界はそのまま暗転した。