先代の記録 ②
1
部室を出て黒神社へ向かうまでの間、凜華と会話を交わす事はなかった。
瑞葉は自転車の後ろに凜華を乗せ、黙々と自転車を漕ぎ進めていた。
ヴィクターに対する不信。 ヴェノムとの戦いを重ねるに連れて、それらは自然と高まっていった。
彼女を本当に信じていいのかどうか、それを知る為に瑞葉は凜華と共にやってきたのだ。
凜華は言っていた。 もう一度調べる価値があると。
それは凜華の中で、何らかの確信を持っていたようにも見える。
しかし、瑞葉からすると正直白き石板からこれ以上得る物はないと思っているのが本音だ。
それを一番わかっているのは、熱心に石板を調べ続けた凜華のはずだというのに。
「ねぇ、覚えている?」
「へ? な、何を?」
唐突に凜華が問いかけてくると、思わず目を丸くして驚いてしまった。
「私がヴィクターをあまり信用しないほうがいいって言った事」
「あ……」
確かに以前、凜華は瑞葉に警告するようにそう言った事があった。
やはり、凜華も英二や丈一と同じように、ヴィクターに対して不信感を抱いていたのだろう。
「ヴィクターの役割は私達の代に浄化プログラムを託す事。 それ以上でもそれ以下でもない存在なの。
だから、ある意味では彼女の行動は全て正常ともとれる」
「そっか……だから、信用しないほうがいいと言ったんだ」
薄々わかっていた事と言えど、いざはっきりと言われると正直受け入れ難がった。
彼女はプログラム体ではあるが人間的な感情を全く持っていないとは思えないし、
なんだかんだで瑞葉の事を陰ながらサポートし続けてくれた仲間であることは確かなのだ。
「でも、彼女がもし、アリサならそうじゃない」
「どういうこと?」
「あの白き石板を残した古代人である事は確か。その人は石板に唄の歌詞を記して、オルゴールを量産した。
その目的は、私達の代に『唄』を残す為に」
「う、うん……」
「でも、後世にこうして残せたのはその人の力だけじゃない。 きっと、『アリサ』が力を貸してくれているはずなの」
一瞬凜華が何を言っているのかわからず、首を傾げてしまった。
「えっと、どうして彼女がアリサなら力を貸したことになるの?」
「ヴィクターは言った、浄化プログラムはありとあらゆる文明を分解し、世界を白紙に戻す。
そして人の命は保ちつつ、記憶だけを抹消すると。
でも、それだけでは再び地球が人の世になるとは限らないし、生きていけるとは思えない。
ヴィクターは意図的に歴史を動かす役割もあるはず」
「う、動かすって……歴史をコントロールしているの? ど、どうしてそんな事を……」
「浄化プログラムはあくまでも人の世を保つための手段だから。
ヴィクターが今まで人類の歴史を蓄積していると言う点から考えても、間違いないと思う」
凜華の語るヴィクターの役割は真実であるとは限らない、しかし説得力が高いのは確かだ。
考えるまでもない、文明を強引にリセットして人の記憶を消し去るだけで、また同じように歴史が作られるとは限らないのだから。
そのリスクを消し去る役割を持つ者がいてもおかしくはない。
「恐らく、アリサは浄化プログラムの使用をヴィクターでありながらも避けようとしていた。
それを示す証拠が、こうして残されている後世の記録。
これは通常、ヴィクターのメモリーにしか記録されない事実だけど、こうして文面に残されているのは不自然」
「そっか、だからヴィクターがアリサである事が証明できれば……」
「うん、そうなると話は簡単。 彼女はちゃんとアカシャの戦士に協力的だった。
ありとあらゆる可能性を後世に伝える為の手段を、自分以外の手段で残した事に繋がる」
「そ、そっかっ! だから、あんなに古代文献がたくさん残されていたんだ。
で、でもどうして記録に残す必要があったの? そこまで協力的なら、彼女自身が説明してくれればいいだけなのに」
「多分、彼女は協力できない立場にあった、つまり自身がヴォイドメモリーである事が大きな足枷になっているんだと思う。
でも、少なくともアリサは違った。 自分の役割だとかそんな事考えずに、過去のアカシャの戦士達に協力を惜しむことはなかった」
「じゃ、じゃあやっぱり……私達の知るヴィクターはアリサじゃないの?」
「わからない、アリサである可能性は高いけど疑問は残る」
「うーん……考えても仕方ない、か」
凜華の話には決定的な矛盾がある。
それは今のヴィクターと記録上に残されていたアリサと呼ばれていたヴィクター。
同じ役割の存在でありながらも、二人は根本的に異なっているのだ。
そもそもヴィクターとは複数用意されているものなのか、それすらもはっきりとわかっていない状態だ。
確定的な証拠が出ない限り、ここで二人が導き出す結論はあくまでも推測にしか過ぎない。
勿論、それを各省に変える為に二人はここまで訪れてはいるのだが。
気がつけば凜華は白い石板の周辺を念入りに調べ始めていた。
他にも記録が残されていないか、あるいは石板に隠されたメッセージが他にないか?
瑞葉はいてもたってもいられず、凜華の隣に座った。
「絶対、手掛かりをつかんで帰ろうね。 このままじゃ、丈一君にも合わせる顔がないし」
「……うん」
凜華は少し複雑そうな顔を見せて小さく頷いた。
何故そんな顔をするのか、と疑問には思うが、今はただ凜華の推測を信じるしかないと瑞葉は言い聞かせていた。
「何をしているのかしら?」
背後からの不意を突いた一言に、瑞葉は背筋をビクッとさせた。
恐る恐る振り向くと、そこにはヴィクターが立っていた。 心なしか顔を顰めている。
「貴方達が何をしようと勝手だけど……くれぐれも、アカシャの戦士である事だけは忘れないでほしいわね」
「わ、忘れてなんかいないわよっ! こうして、昔の人が残した記録から――」
「いい加減、目を覚まして。 私はこれまでに何度も貴方達と同じような考えを持ったアカシャの戦士達と出会ってきた。 けれども、誰一人ヴェノムをどうにかできた人はいなかったわ。 まだ、それがわからないの?」
一瞬、頭の中が真っ白になった。
『いい加減目を覚まして』、ヴィクターの放った冷たい一言。
それはついさっきまで凜華と話していたヴィクターのイメージとは大きくかけ離れすぎる一言だった。
勿論、ヴィクターが冷たい態度を取るのは今に始まった事じゃない。
だけど、それでも瑞葉はヴィクターを何処かで信じようとしていた。
だからこそ、ショックを受けて動揺を隠しきれなかった。
「だ、だからと言って諦める訳には――」
必死でヴィクターに食い下がろうとすると、凜華は無言でグッと瑞葉の腕を引っ張った。
ヴィクターの言う事は確かに真実なのかもしれない。
もし解決策があるのならばとっくの昔にヴェノムをどうにかできていたのは反論しようもない。
だけど、頭ではわかっていても瑞葉は現状をどうにかして変えたいという意思表示だけはしたかった。
「何度も言うけど、貴方達に時間はほとんど残されていない。 いつまでも遊んでる時間はないのよ?」
遊んでいる? 人の気も知らずに――瑞葉はキッとヴィクターを強く睨み付けた。
「あ、遊んでなんかいないわっ! 確かにどうしようもないのかもしれない……
でも、だからと言って諦めたらそこで全てお終いじゃないっ!」
「結論の先延ばしは単なる逃げよ、貴方が迷えば迷う程世界はヴェノムによって苦しめられていく。
現に現実世界への被害は拡大し続けているのよ、貴方世界の状況を本気でわかっているの?」
「貴方こそ……逃げているだけじゃないっ!」
負けず嫌いの瑞葉は、言われっぱなしだけは悔しかった。
自分は世界の為に必死であがいていると言うのに、ヴィクターにはそれすらも遊んでいるとしか見られていない事が悔しかったのだ。
自分は逃げてなんかいない、少なくともヴィクターと違って世界とちゃんと向き合うことが出来ている。
少なくとも瑞葉の中ではそう確信していた。
「冗談はやめて、私は人類の存続を最優先に考えているだけに過ぎない。
いい? ただでさえ貴方達の身勝手な行動で、アカシャの戦士が一人欠けているのよ?」
「身勝手ですって……英二君は違うっ! 英二君なりに世界の事を考えて――」
英二は瑞葉なんかよりもよほど頭が切れる、きっと彼なりの考えがあったからこそあえて別行動を起こしているはずなのだ。
それを身勝手の一言で片づけられるのは、あまりにも腹立たしかった。
「それが身勝手だと言っているのよ。 貴方達は世界よりも自分を優先しすぎなの。 だから貴方も彼の行動を許してしまう。
これは部長である貴方が部員の管理をできていない、という事なのよ」
「そ、そんな言い方って――」
不意にグイッと強く腕を引っ張られて、瑞葉はようやく我に返った。
先程か凜華が心配そうに瑞葉の事を見上げている。 気がつけば泣いていた。
ヴィクターに言われたことが悔しくて、つい怒りのあまりに取り乱していたようだ。
瑞葉が落ち着いたのを確認すると、凜華はヴィクターの前に立ち、まるで睨みつけるかのようにヴィクターと目を合わせて尋ねた。
「……貴方はアリサなの?」
一瞬瑞葉の背筋がゾクッとした。
まさかこの場でいきなり、凜華がヴィクターに向かってダイレクトに確認しようだなんて思ってもいなかったから。
しかし、当然ながらヴィクターは何も答えない。 が、少しだけ悲しい顔をしたようにも見えた。
「私の事はいくら恨んでくれてもいい、だけどこれだけは絶対に忘れないで。
貴方達の世界を救うには浄化プログラム以外の選択肢は存在しない事実を。
もう、私から貴方達に助言できることはないわ。 あとは……時が来るのを待つだけ」
それだけ伝えると、ヴィクターは静かにその場を立ち去って行く。
瑞葉はその背中を、ただ悔しそうに下唇を噛みしめて眺める事しかできなかった。
「凜華ちゃん。 私、どんなにヴィクターが正しい事を言ってたとしても……浄化プログラムによる世界救済だけは認めない」
「……でも、本当の最悪を想定する事は大事」
「――何よ……貴方までっ!」
凜華がボソッと呟いた一言に、思わず瑞葉は過剰に反応してしまった。
小さな凜華の両肩を力強く握りしめると、バンッと凜華を白き石板に向かって押し付けた。
「浄化プログラムを発動したら、私達が築き上げてきた全てが消えちゃうんだよっ!?
ヴィクターはわかっていない……失う事の恐怖なんて、何もわかってなんていないから簡単に言えるんだよっ!?
凜華ちゃんは怖くないの? 嫌だと思わないのっ!?」
「……怖いに決まってる」
凜華は瑞葉に怯えながらも、目を逸らさずに伝えた。
「ねぇ……ヴィクターは私達を助けてくれるんじゃなかったのっ!?
どうして……どうしてあんな事を言うのよっ!! 私達に協力して、一緒に助けてくれるんじゃなかったのっ!?」
「それは……」
凜華は言葉が詰まってしまった。
少なからず凜華もヴィクターの一言にショックを受けているようだ。
「ヴィクターが用意した救済処置なんて私認めないっ! 浄化プログラムなんかに頼らなくても、今の状況を打破してみせるっ!」
「……」
凜華は何か言いたげに瑞葉を見上げていた。
迷っているのか必要以上に目をキョロキョロとさせると、やがて声を掠らせながらゆっくりと伝えた。
「たとえ不本意であっても、浄化プログラムを使わざるを得ない事態は恐らくヴィクターの言う通り、来る。
彼女は決して嘘は言っていない、その時までに解決しなければ……彼女の言う通りにすべきだと思う」
「……っ!」
ヴィクターの言葉と凜華の言葉がふと、瑞葉の頭の中に重なった。
グルグルと二人の否定の言葉が次々と頭を巡り続け、頭がどうにかなりそうだった。
怒りのような悲しみのような、様々な感情が混ざりこんでいたのだけはわかった。
パァンッ!
気がつけば、力任せに凜華の頬を叩いてしまっていた。
身体が弱く小さい凜華がドサッと倒れるほどの勢いだった。
無意識のうちから涙がこぼれ出していた。 自分でも何をしているのか、よくわからなかった。
奇妙な沈黙に支配され、凜華は無言で制服の砂をはらうと石板の調査を再開した。 まるで何事もなかったかのように。
「――ごめん、そんなつもりじゃなかったの」
凜華が悪いわけじゃない、凜華が間違ったことを言ったわけではない。
そんな事は頭の中でわかっているつもりだった。 だけど、現実を突き付けられた瑞葉は一瞬でも取り乱してしまっただけだ。
初めて後輩に暴力を振るってしまった。
理由もなく自分の感情が制御できなかったせいで。
瑞葉はそんな罪悪感に押しつぶされそうになってしまっていた。
「今日は、帰るね。 私……ちょっと家で調べ毎するから」
瑞葉は一方的にそう告げると、凜華の返事も聞かずに逃げるように走り出した。
我ながら最低な事をしていると、更なる罪悪感に襲われた。
「……何をしてるんだろ、私は」
ようやく落ち着きを取り戻したのか、瑞葉は深くため息をついて自転車へと跨った。