遭遇
「…うう。」
マルグリットは唸り声をあげた。
長い丈のスカートの裾に泥がつくのも厭わずしゃがみこみ、必死に植え込みに手を伸ばしている。
うら若き乙女にあるまじき格好だが幸運にも周囲に人気はなく、奇異の目を向ける者はいなかった。
―いつも通り一仕事を終えて自室へと戻る途中。
マルグリットが鼻歌交じりに回廊を歩いていると、庭園の奥、綺麗に刈り取られた植木の中に珍しい色合いの花が咲いているのを見つけた。
少なくとも彼女の実家では見られなかった花だ。
元々薬草や野花の類に興味をもつマルグリットは、目を輝かせた。
一目散に植木の傍に行き採取しようとする。が、
「と、届かない。」
ぐぐっと手を伸ばしてみるが、奥の方に生えている花まで手が届かない。触れもしない。
植え込みの中に入ってしまえばいいのだが、あいにくと今履いている靴はエイミィに借りているものだ。汚すわけにはいかない。
マルグリットはしゃがみこんだ体勢のまま、考え込んだ。
――いっそ靴を脱いでしまおうかしら。…いや、そんなことしたら靴下を汚した理由をルビアに問い詰められるわ。
それとも何か長い棒でも拾って……ダメね。それじゃ花を引っこ抜けないし…
などなど、悶々と考えるがうまい解決策が浮かばない。
もう諦めてしまおうか、と腰を上げかけたその時。
「おい。」
「?」
ふいに後ろから声がかかった。
低い男性の声…少し偉そう。
誰を呼んだのかしら、ときょろきょろ顔を動かすと、さらに呼びかけられた。
「お前だ、その赤毛の下女。」
どうやら自分のことらしい、と思い至り、マルグリットは素直に振り返った。
「――!?」
途端、目を見開く。
「へ、へへへ陛下!?」
「…ああ、そうだが。」
長い銀髪、薄いブルーの瞳。
長剣を腰にさし、やたら複雑な構造の衣裳を身にまとった美しい男性。
どこをどう見ても、まさしく先日見た国王陛下だった。
その天上人が、今。自分を見下している。
しかも、自分の声にならない声も肯定された。
――え、嘘、何故いきなり陛下!?本物!?
てか、単品!?お付きの人は!?
マルグリットは驚きのあまり、中腰体勢からバランスを崩し、こてんと後ろに転んでしまった。
「…大丈夫か。」
呆れたようにヴィルフリートに抱き起こされたときも、マルグリットは呆然としていた。
というか、信じられなかった。
自分が夢でも見ているのでは、とほっぺたをつねってみたりもした。
「おい、何か言わぬか。本当に大丈夫か?」
「は、はは、はいっ!大丈夫でありまするっ!」
「……敬礼はいい。あといきなり立ち上がるな、めまいを起こすぞ。」
冷静に、正確なツッコミを入れるヴィルフリート。
絶賛混乱中のマルグリットは気付かなかったが、彼は少し口の端を上げていた。
しばらくして、王は少し気持ちの落ち着いたらしい下女に問いかける。
「―して、お前はここで何をしていたのだ?」
「え?」
「こんな場所にしゃがみこんで何をしていた、と聞いている。」
―どうやら陛下は自分の奇妙な行動に興味を持って近づいたらしい。
王がいきなり話しかけて来た理由は分かったものの、マルグリットはどう答えるべきか迷い、うろたえる。
「へ、陛下が気にするようなことではございません。その…些事ですので。」
「構わん。言ってみろ。」
「…ええと、あ!し、仕事を怠けていたわけではないのです!もう今日の分の業務は終了して寮に戻る途中で…!」
「それは分かった。―で?」
どうしても追及を逃れられそうにない。彼の蒼い瞳がまっすぐに下女の少女を射抜く。
―何なの、この王様は…!下女なんか、放っといてくれればいいのにっ!
マルグリットはもう泣きそうになりながら、蚊の鳴くような小さな声で呟いた。
「………お花を、」
「何?」
「その…植木の奥にある花がですね、珍しかったもので…摘んで部屋に持って帰ろうと、思ったのです…」
…ああ、恥ずかしい。
マルグリットは顔を真っ赤に染めた。
というかたったこれだけ言うのにどれだけ時間をかけているのか自分は。
美しい陛下の突然の登場に気後れしたのもあるが、こんなことさっさと答えたらよかったのに。
「ああ、そうか。ならそうと早く言えばよい。」
マルグリットがそうして羞恥に身を沈めたが、王は気にせずあっさりと言う。
『あ、よかった。怒ってない…』と、下女はほっとしたように息をもらした。
「も、申し訳ございません。その、緊張してしまって…」
「いや、呼びとめて悪かったな。じゃあ…」
植木の方に目を向ける国王。
用は済んだわけだし流れ的にそのまま退散してくれるのか、とマルグリットは期待する。
しかし、
「おわびと言ってはなんだが、私がそれを摘んであげよう。…さて、どこだ?その花とやらは。」
「―は?」
さらなる追い打ち発言に、下女は目をむいた。
…ちょっと待ってください、貴方なにを仰るの的なことを言いたい。
しかし、相手は国王陛下だ。国で一番偉い人だ。
自分なんかが逆らっていい相手ではない。
通常は言葉もかけられない人。
…あれ?ならなんで下女におわびとかするの?
「…ええ!?いえ、いいです!そんな、恐れ多い……っ」
「いいから。ほら、さっさとしろ。」
マルグリットはやっとのことでそう言い遠慮するが、完全に乗り気のヴィルフリートはさらりと聞き流した。マルグリットの顔色がいよいよ悪くなってくる。
―つーか、なんで誰も来ないの!?誰かこの人止めてっ!!
「どうした、早く言え。」
「は、はいっ!あそこです!深い青色の、白い線が入っている…」
「ふむ、あれか。」
最早半泣きの下女は、国王の言葉に耐えきれず、植え込みの奥を指さして花の居場所を告げた。
すると国王は靴や衣裳が汚れるのにも構わず、ずんずんと植木をかき分け奥に進んで行ったではないか。
まるで躊躇のない動きにマルグリットはまた青ざめた。
――この人は何なの?
側室でいたときすら、姿も見られなかったのに。
まさか下女になった今、こんなに気安く…いえ、友好的に話しかけてくるなんて。
彼女にとっては何もかもが突然過ぎて、頭がくらくらする。
国王の言動は、まさしく意味不明だった。
―そのうちに王が茂みから姿を現す。
摘んできたぞ、と言いながら植え込みから出てくる。
片手には摘み取ったばかりの花が一輪
マルグリットが依頼した、その花だった。
「確かに、珍しい…私もこんな花は初めて見るが…」
ヴィルフリートはしげしげと花を眺める。
どちらかと言うと暗い青色に緑色の色素が交ったような色合いの花。
花弁は五つだが形や大きさがどれも違う。雌蕊が異様に長く花の外に突き出ているのも特徴的だった。
マルグリットも明るい日の下でじっとその花を見つめていたが、ふと我に返ったように大声をあげた。
「あ、ああ!ならそれ、あげます!」
「…は?お前が欲しがっていたのだろう?」
「いいんです!多分、陛下が持っていた方がお役にたちますっ!」
―というか、陛下がそれを摘んできた時点でアウト!!
そんな花、持っていたら証拠が残ってまずい!
マルグリットは咄嗟に早口でまくしたてた。案の定、国王は怪訝そうな顔を作る。
「役に…?どういう意味だ。」
「後に分かります!」
―そんなの私も知らないけど!
「…では私はこれで!失礼します、陛下!!」
「あ、おい!?」
最後に大ウソをかましたマルグリットは後ろも振り向かずに、猛スピードでその場を離れたのだった。