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ユーディーン・アラン・バートレット(前)


リートルード国王が正妃を迎えて数日。


王の側近ユーディーン・アラン・バートレットは、王城内にある自室にて一息ついていた。

ぐったりと体を椅子にあずけ、ふうと息を吐きだす。よく見ると薄らと目の下に隈をこさえていた。


何しろ、国王の結婚式という一世一代のイベントを取り仕切り、無事に成功させた後なのである。来賓の手配に、会場の準備にと忙殺されたユインはろくに睡眠時間が取れず、疲れ切っていた。

とうとう見かねた主から『休め』と命令され、本日は一日休日となっている。

睡眠は十分に取れたがこの後は何をして過ごそうか、とユインはぼんやり思った。


――思えば、休暇を取るのは随分と久しぶりだ。それと王の傍から離れてひとりでいるのも。


幼い頃から王―当時はまだ王太子だったが―に付き添い、共に遊び、学び、成長してきた。歳が近いのもあって、ヴィルフリートとはよく気があった。

あの頃の彼は、いわゆる悪ガキだった。誰の言うことも聞かず、自分勝手にふるまう暴君。

自分も、彼と一緒になってひどい悪戯に加担したり、家出に付き合ったりもしたこともあったか。


――そんな彼も今や立派な一国の王。

最愛の女性と結婚し、今後ますますの繁栄が望めることだろう。しかし、


「………。」


ユインは渋面を作った。むくりと体を起こし、窓の外を眺める。視線の先はすでに打ち壊されてなくなった後宮跡。


ユインは未だに正妃となった少女の存在を計りかねていた。




少女の名は、マルグリット・セシーリア・ウェリントン。

ウェリントン侯爵令嬢であり、約半年前に側室の一人として輿入れしてきた令嬢である。

黒髪に明るい翡翠色の瞳が印象的な、溌剌(はつらつ)とした女性――であるが、その他特筆すべき点はない。

顔立ちは際立って不細工という訳ではないが、完璧に整っている訳でもない…平たく言えば、平凡そのものである。

体つきも華奢で、女性らしい丸みにいささか乏しいような気もする。身分も他国の王女や有力貴族に比べれば見劣りがする。

つまり、マルグリットよりも他の側室たちの方がよほど正妃にふさわしい。誰もがそう思っているだろう。


―しかし、彼女は他の側室たちとは違った点がひとつだけあった。

それが、王とマルグリット嬢を結び付けることとなった『なりかわり事件』である。

そうだ、今思い返してみても。


「あれはまさしく事件と呼ぶにふさわしい……」


ユインはそうつぶやき、深いため息を吐いた。


彼女―マルグリットは輿入れして数日後。なんと自分にそっくりな『エイミィ』という下女となりかわり、下女として王宮で働いていたのだ。

全くもって考えられない。あれからずいぶんと経った今でも信じられない。

洗濯で手を真っ赤に腫らし、汗をかきながら庭を掃除する貴族令嬢など存在しうるのだろうか。

いや、実際いたのだが…いくら好奇心旺盛だからと言って、下女になるなんて。


そのおかげで普段滅多に後宮に訪れない王と出会い、紆余曲折あってこうして仲睦まじくなったわけなのだが…


「…………。」


ユインは無言で立ち上がった。

扉に手をかけ開く。そのまま部屋を出て、廊下に出た。



――今になって、ふと思うことがある。


もしマルグリット嬢が『なりかわり』をしていなかったとしたら、ヴィルフリートとマルグリット嬢は出会うことはなかっただろう。

王は王宮で政務三昧、彼女は後宮で退屈に暮らし、きっと二人が交わることなどなかった。

彼らをつないだのは『なりかわり』だけ。王が初めに興味を持ったのも『面白い下女エイミィ』であって『側室のマルグリット』ではなかった。

つまり―もし『なりかわって下女になった側室』という特異性が王の興味を引いたに過ぎないとしたら。


何がしかの事件の後、困難を共に乗り超えた男女は結ばれやすいという例がある。しかしそれは特殊な環境ゆえの単純な「勘違い」であり、本当の恋愛感情ではないと書物で読んだことがある。

だから彼らの恋愛の何もかもが誤っているのではないか。

事件に巻き込まれ、それを共に解決したことから生じる勘違いなのではないか。

そもそも「エイミィ」という下女がいなければ、このような結末にならなかったのでは…。



「(たら、ればを考えてもキリはないが…)」


ユインはぶつぶつと呟きながら、長い回廊を歩く。

すると深く思考にふけっていたからか、


「きゃっ」

「!?」


曲がり角を曲がる際、誰かとぶつかってしまった。

どんっと鈍い音がして小さな体の相手が廊下に倒れ込む。ユインはハッと我に返り、ぶつかった相手に駆け寄った。


「っすみません、考え事をしていまして…」

「い、いえ。私もよく見ていませんで…」


そこで両者ははたと目を合わせた――途端、ユインは「げっ」と彼にしては行儀の悪い心の声が漏れそうになった。


ぶつかった相手は、目を丸くしてこちらを見るのは、今まさに考えていた人物、マルグリット妃であったのだ。


しばし、二人は見つめあったまま固まっていた。

―が、すぐに王妃は弾けたように立ち上がり目の前の金髪の男にまくしたてた。


「ちっ、違いますよ!?ユイン様!今は、休憩時間なのです!決して授業を抜け出したわけでは!」

「…私は何も言っておりませんが。あと敬称はつける必要はありません。」

「あっ!す、すみませ…」

「謝らないでください。」

「あ、は…はい…」


その動作を見、反対にすっかり落ち着きを取り戻したユインが淡々とそう返すと、マルグリットは小さくなって俯いた。

力なく顔をそむけるマルグリットをユインはじっと見つめる。



――あの事件から今まで、特に接点はなかったが…


どうやら王妃は自分に対し、未だに苦手意識を持たれているらしい、とユインは思った。

距離感をつかみ辛い、とでも言おうか。どう接していいか分からないのは、ユインにとっても同じことだが。


まあ、偶然に出会ってしまったものは仕方がない。何か会話でもしなければ…


「あの…ユイン様。」

「なんでしょう。」


ユインが思案していると、マルグリットの方から話しかけられた。


「ええと…何か御用ですか?」

「いいえ。何故ですか?」

「あの、視線が…」

「気のせいでしょう。」

「…そうですか。」


そこで会話は途切れ、再び無言になる二人。

ユインはどうしたものかとまた考え込み、マルグリットは居心地悪そうに俯く。


「……その、妃修行の方は順調ですか。」


しばらくの間の後、ユインはとりあえず差し支えのなさそうな話題を振ってみた。


「あっ、…ええ、まあ。」

「何か、不自由などはありますか。」

「いいえ、先生方はみな丁寧に教えて下さりますし、毎日のスケジュールも侍女たちが立ててくれますから、これといっては。」

「そうですか、それは結構なことです。」

「あ、でも……」


と、マルグリットは口ごもった。

何ですか、とユインが問うと、彼女はふっと笑って言う。


「…その、ダンスを覚えるのには、少し苦戦しています。」

「おや、そうですか。」

「ええ、私、ダンスは昔から苦手なのです。ステップを覚えてもそれを実際にやってみると上手くいかなくて。」


幼い頃から音楽に精通していたので音感はあるのだが、体がついて行かないのだとマルグリットは語った。足がこんがらがってもつれて、いつも転んでしまうのだと。

活発な印象の彼女にしては意外なことだ、とユインは感じた。

同時に、彼女の緊張が少しずつほぐれてきたような気がして、内心ほっとしていた。


「男性パートナーと共に踊れば感覚が掴みやすいかもしれません。陛下とご一緒に練習されてはいかがですか?」

「陛下は…ううん、ちょっと練習相手には向かないかもしれません。」

「それは、何故ですか?」

「だって、陛下は――」


と、そこでマルグリットは不自然に会話を切った。

何やらユインの背後を見て、目を大きく見開いている。

彼がどうしたのか、と聞き返す前に、マルグリットはユインに向かって駈け出していた。



「っ危ない!」

「!!?」


突き飛ばされたユインは尻もちをつき、マルグリットはその上に乗る形で廊下に倒れ込む。

次の瞬間、がしゃんと何かが割れる音がした。


「……な…」


息を飲むユイン。反射的に音のした方を振り向くと、陶器のかけらが散らばっていた。

上階の窓際には、青ざめた召使の姿。

何が起こったのかを理解したユインは、すぐにマルグリットを抱き起こした。



「っ!貴女と言う人は!家臣をかばう妃がどこにいます!」

「す、すすいません!つい、咄嗟に…」

「お怪我はないですか?破片で手を切ったりなどは…?」

「だ、大丈夫です!何ともありません!」

「本当ですか!?見せて下さい。」


男のあまりの剣幕に、王妃はひいっと声にならない声をあげて身をすくませる。

しかし、彼女の様子など気にもかけずユインはさっさとマルグリットを立ち上がらせ、ぱたぱたと触れながら安全を確かめていった。

ドレスに少しほこりがついているが、手指に傷はなし、打ち身やねんざなし…

見たところ外傷はなさそうだが…



「大丈夫ですって!私は下女の仕事もこなしたことがあるんですよ?これくらい平気です!」


一応の確認が済んだところで、ユインは顔を真っ赤にしているマルグリットに気付いた。

しまった、不躾に触り過ぎたか、とひとこと謝って彼女を解放する。

ぜえはあ、と息を切らしてユインを押しのけるマルグリット。


「も、申し訳ありません!王妃様、バートレット様!!」


とそこに、上の階から降りてきた召使がエプロンをなびかせながら駆け込んできた。

二人の前まで来るなり、顔を伏せ、震える声で弁明をし始める。


曰く、部屋の模様替えのために壺を外に出そうと思ったら、手が滑り階下に落下。窓のない、テラスのついた回廊であるこの場所に偶然に落ちてしまったのだと。

――偶然。

ユインはその言葉に目を細めた。



「…故意に落としたわけではないのですね?」

「!そんなつもりなどっ!」

「証拠はどこにあるのですか。あなたが陶器を落としたのを見た者は。」

「そ、それは…おりませんが…本当です、信じて下さいっ!!」


召使の少女は必死に言い募ったが、見つめるユインの眼差しは胡乱げである。


マルグリットが正妃となって久しい現在(いま)。もちろん、彼女が正妃の座につくのを反対する一派もいる。これが彼女を暗殺しようと企む一部の貴族の仕業だとすれば、早々に怪しい者たちを洗い出す必要がある。

さて、この女は黒か白か…

ユインはすっかり冷静を取り戻し、少女を検分し始めた。


「ユ、ユイン様!」

「…なんですか。」


しかし、そこに彼の視線を遮るように立ちふさがる者がいた。―マルグリットである。





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