『影の使者』
後日談です。知らない人が数人でてきますが気にしないで結構です(笑)
それは、リートルード王国秘密の組織。
決して表舞台に出ることはなく裏で糸を引き、情報を拡散させたり拾い集めたりし、人々の誘導をする。そしてひっそりと隠れた犯罪を暴きだす影の集団――『影の使者』。
彼らは国王直轄の団体であり、主とするのも国王のみ。よってその成員や拠点、仕事内容等は王本人他、信頼のおける数人しか知らない。
その仕事は迅速かつ正確。誰にも知られずに実行されいつの間にか解決するという、まるで魔法のような手を使う隠密だ。
――だが、実際の所は。
「だからさあ、もうそろそろ潮時なんじゃねぇかと思うのよ、俺は。」
某月某日。まるで酒蔵のような薄暗がりの一室内。
持っていたエールを最後の一滴まで飲み干した男は、そうぼやいた。傍らの机に突っ伏していた男が顔を上げる。
「なにが?」
「俺たちのことだよ。」
「なんでだ?」
「だってよ、王国、平和じゃん基本。」
「いいことだろうが。」
「俺なんか傭兵あがりだからよ、戦争とか起きないと本領が発揮できないんだよ。」
「単に諜報活動が苦手なだけだろ、バルトは。」
「うっせ!ライナスだって戦闘狂の癖によ。」
バルトと呼ばれた大柄な男はガンっとジョッキを机に叩きつけ、憤慨した。
だがライナスと呼ばれたやや背の低い男にとっては日常茶飯事なのか、はいはい、と適当に流す。
そうしてしばらく雑談に興じていた両者だが、ふいに表の扉を開けた人物にそろって目を向けた。
「戻りました。」
「お、どうだったよ、リアン。」
「どうもこうも……隊長は相変わらず堅物ってとこかな。見てよこの報告書、また再提出だってさ。」
「はは、違ぇねぇ。」
リアンと呼ばれた男はバルトに紙の束を見せながら、肩をすくめてみせた。
横目でそれ見ていたライナスもおい、と声をかける。
「―で、結局公爵様は全部自白したのか?」
「ま、大体ね。国内の犯罪については凡そこちらの見解通り、ただクライスと通じて間者を招き入れていたことと、『砂漠の灰』の横流しは予想外だったかな。」
「お前、『砂漠の灰』って…南方諸国で採れる麻薬じゃねぇか!」
「そう、彼の自宅の倉庫から大量に発見されたよ。各地に搬送する前に取り押さえることができたのはラッキー、かな。」
「搬送先はどこだって?」
「大きく分けて四、五箇所かな。王都で活動している宗教団体に、大手繊維企業、セーレ地方の紡績工場とか。」
「あー成る程ね。最近、労働層に麻薬中毒患者がやたら増えていたのはその所為か。」
「あの麻薬って抜けるまでやたら時間がかかるんじゃなかったけか?」
「ああ、だから陛下も頭を悩ませてるよ。」
眉をしかめ難しい顔をしていた陛下の様子を面白可笑しく語り、くすくすと笑うリアン。
「まー、今あの方は御結婚されて幸福の絶頂にいるからな、少しくらい苦労しても…」
「嫁さんと喧嘩したからって、妬くなよライナス。」
「っ!バルトお前何でそれを…!」
「へー、カトリーナさんと喧嘩したんだ、命知らずだね。」
「おお、昨夜夕飯抜きだったらしいぜ。」
「うるさい!黙れ!」
顔を真っ赤にしたライナスは、バルトとリアンに向かって掴みかかった。
勢いで机がひっくり返り、がちゃんと大きな音を立てて酒瓶が割れる。
「っぶねぇな、図星刺されたからってそんな怒ることないだろー?」
「図星じゃない!」
「はは、早く仲直りできるといいね、ライナス。」
「リアン!」
「そこまでですわ。」
と、ばたーんと扉を開けて口を挟んできた人物がまた一人。
茶色がかった金髪をふたつに結び、平服に身を包んだ少女だった。可愛らしい顔立ちをしているが、今はいかめしく目をつり上げていてやたら迫力がある。
「げ、ティナ…!」
「バルトもライナスもいい加減になさい、見苦しい。あとこの床誰が掃除すると思ってるんですか?ただでさえ小さくて汚い基地がさらに汚くなるでしょう。」
「ティナ…てめぇボロクソ言ってるな…」
「事実ですから。あとフロリアン様、少しお話が。」
「あ、そう?じゃあ外に行こうか。」
「帰ってくるまでに机を戻して瓶の破片くらいは拾っておいて下さいね?二人とも。」
「お、おう…」
にっこりと笑顔で脅されたバルトとライナスは取っ組み合いをやめて、こくこくと頷いた。この組織での力関係がよく分かる図である。
とにもかくにも、二人を残してリアン―フロリアンとティナは外に出た。
「全く、あの馬鹿二人にも困ったものですわ。」
「はは、そう言ってやらないでよ。元気なのはいいことじゃないか。」
「そんなこと言って、今まで何度乱闘騒ぎが起こったか。…そもそもあの基地が狭すぎるんですよ、あと暗いし汚いし。」
「まあ、確かにそろそろ拠点を変えてもいいかもねえ。隊長に言ってみた?」
「何度も言っています。頑固ジジィが全部却下してますけど。」
「…そう。」
そんな会話をしながら二人は街道を並んで歩いた。
雨が上がったばかりの地面はしっとりとしていて土がほのかに香る。その香りを楽しみながらフロリアンとティナは、ひたすらに歩く。さながら仲の良い兄妹、もしくは恋人同士のように。
「――そう、じゃあ今度はヘティスバーグ家に行くんだね。」
「はい。メイドとして潜入する予定です。しばらくここを離れますが、フロリアン様は…?」
…まあ、話している話題はそんな穏やかなものではないのだが。
ティナからの質問にしかしフロリアンは首を振った。
「いいや、予定はないよ。……ねえ、ティナ。」
「なんですか?それに今はティナでなくエミルと――」
「いいや、フォルレンティーナ。」
ティナはぴたりと足を止めた。
急に本名を呼ばれたことにも驚いたが、フロリアンの声色が思いのほか真剣であったからだ。
彼女は長年一緒に組んできた相棒を振り返った。
「…どうなさったんです?」
「僕さ、この件が片付いたら組織を抜けようと思うんだ。」
「え?」
ティナは目を見開いた。しかし、一瞬の後には
「……そうですか。」
と、安堵したように呟いた。
フロリアン・ヨーゼフ・ウェリントンという男は、入団当初から異彩を放っていた。
侯爵家の長男という身分もそうだろうが、年若い頃にしては落ち着いていて気性も穏やかであること。
後ろ暗い過去を持つ日陰者ばかりの集団内ではかなり浮いた存在であったと言えよう。
しかし、彼はとんでもなく要領がよく器用だった。
貴族の生まれにしてはお高くついていなく、長時間の張り込みや面倒なケースにも文句を言わず淡々と着実に仕事をこなしていく。特に諜報員としての腕は一等際立っており、隊長にも重宝されていた。最初は諍いのあった仲間たちともすっかり打ち解け、『影の使者』内では実力者として名が通っていた。
しかしながら――彼は、闇の世界で生きるには優しすぎる。
そうティナは常々思っていた。
詰めが甘いという訳ではない。実際に目立った失敗をしたことはない。
だが、心に染みついている善良さに必ず足元をすくわれる時が来る、と密かに心配していたのだ。
だから安心したのだろう、自分は。フロリアンが組織を抜けると決心してくれたことに。
「では、これからどうなさるのです?」
「実家に戻るよ。今まで通り、父の手伝いを。」
父はまだまだ元気だから、簡単に爵位は譲ってくれないだろうけど。
そう言って苦笑したフロリアンはしかし、どこか嬉しそうだった。
――そう、貴方はそれでいい。貴方は光のあたる世界でいるべきだ。元々その資格のある人なのだから。
ティナもふっと微笑み返した。
「隊長には話されたのですか?」
「うん、まあね。渋い顔されたけど。」
「ふふ、そうですか。」
「それでね、ここからが本題だ、フォルレンティーナ。」
「…はい?」
ここで自分の話題が出てくると思わなかったティナは、軽く首を傾げた。
「何で僕が『影の使者』を抜けるか分かるかな?」
「何で、とは…?」
ひとつの明確な理由があるとは思わなかった、そしてそれを聞かれるとはどういうことなのだろう。
ティナはまた首を傾げたくなったが、少し考えた後、答えた。
「そろそろ潮時…ということではないのですか?」
「まあそれもあるけどね。他にもあるよ、大事な理由が。」
「…と、言いますと?」
「分からないかな、」
そんなことを言われても、とティナは少しむっとした。
が、顔を上げた瞬間彼が思いのほか近付いていてびっくりする。
「え…ちょっと、なんですか、「職場恋愛禁止とか、隊長の頭の固さにも参るよね。ま、爵位を継ぐために領地の仕事に専念したかったから、ちょうどいいけど。」
「…は?」
――今、彼は何と言った?
ティナは接近してきたフロリアンを押し返しながら、彼の台詞を思い返した。
職場内恋愛。……恋愛?
「れ、恋愛って…まさか」
「そうだよ、僕と君の恋愛だよ。」
「ちょ、ちょっと待って下さい。私たち、今までそんな雰囲気になったことありましたっけ?」
「あったとも。君が鈍かっただけだよ。」
僕はこんなに君を愛しているのに。
そう言って悲しげな顔を作るフロリアン。
いや、嘘だ。絶対嘘だと、長年コンビを組んでいた勘がティナにささやく。
――というか、何の冗談なんですか本当に!
と、心中で叫んでいるティナとは対照的にフロリアンは落ち着き払った調子である。
一瞬で憂いを帯びた表情から笑顔へと顔を変え、また口を開いた。
「もう君の御両親には話しておいたんだけどね、妹も納まるべき所に納まったわけだし。僕もそろそろ、と思って。」
「え…」
「組織の仕事で貯金もだいぶ貯まったし。」
「え?」
「年内には籍でも入れたいね?ティナ。」
にっこりと笑ったフロリアンはぎゅっとティナの手を握ってそう言った。
しばらくの間の後、ようやく彼が言わんとしている意味を理解したティナは、引きつった笑顔で返す。
「じょ、冗談ですよね?」
「冗談を言っているように見えるかい?」
ええ、見えませんね。その様子では計画が着々と進んでいますよね、貴方の中で。
口ぶりから言って両親とかも籠絡されていますよね、とっくに!
「ふふ、狙いは迅速かつ正確に。『影の組織』に居て学んだことだよ。」
「!!」
ティナはその時、ぞぞっと背に何か冷たいものが走ったのを感じた。
そして、悟った。
――どこが善良だ、何が優しすぎる、だ。
狡猾さ、強かさ、外堀を埋めるスピード、どれをとっても天下一品。
やはりこの人は正真正銘『影の使者』の一員だ。いや、むしろ十年に一度くらいの逸材だ、と。
「この詐欺師…」
「おや、褒め言葉かな?」
「…なんでもないですよ。」
ちらりと彼を見ると、一部の隙もない完璧な笑顔を作っていた。
しかしその瞳の奥に何やら黒いものが渦巻いているのを『影の使者』一員たるティナは見逃さない。
断る、という選択肢はすでに存在していないも等しかった。
俗に言うYES or はい状況である。ああ、もう笑うしかない。
「……どうぞ、お手柔らかに頼みます。」
「もちろん。」
嬉しそうに手の甲に唇をあてたフロリアンを見、ティナははあ、と諦めたようにため息をひとつついたのだった。
――数ヶ月後、マルグリット王妃の兄であるウェリントン新侯爵が妻を迎えたという噂が王都中に広がったという。




