『エイミィ』の処分(後)
普段より少し長めになりました。
「…マルグリット。」
「陛下、エイミィには何の非もありませんわ。彼女を今すぐ解放してください。責任なら私が取ります!」
「何の非もない…果たしてそうでしょうか?」
「え?」
マルグリットの力強い主張に横やりを入れたのは、またしてもユインであった。
視線をずらしゆっくりとマルグリットを視界に入れた後、冷静に反論を返した。
「…彼女は『なりかわり』やマルグリット様の正体を知っていながら、この数日間ずっと黙っていた。罪を逃れようとしていたのではないのですか?」
「それは…仕方のないことでしょう。エイミィはまだ16歳のごく普通の一般市民で、対する私は身分ある貴族。真実を話せば何をされるか分からないと怯えていたのでは?」
「国王と貴方、どちらに従うべきかこの国に生きる者なら誰でも分かるはずです。
それに、自分が陛下の求める『エイミィ』でないと知っていながら、後宮にあがったのは動かしようのない事実。欲をかいて陛下の寵愛を得ようとした証拠ではないのですか?」
「……!」
続く言葉もなく、マルグリットは絶句した。
彼の言っていることは至極正論であるし、実際にマルグリットの反対を退け後宮に入ると決めたのはエイミィ本人である。ユインの指摘は、的確と言ってもいいほどに正確だった。
そしてその裏に、『なりかわり』を逆手に取ったエイミィは全くのシロと言えなくもないという可能性を浮上させ、エイミィを断罪しようとする腹があるのがはっきりと見えた。
――爽やかな外見の割になんて陰険なのかしら、この人。
マルグリットはもう少しで舌打ちをかますところだった。
しかし、ここですごすごと引く訳にはいかない。
この腹黒青年ほど口がよく回るわけではないが、なんとか陛下に説得しないと――
そうしてマルグリットがまた口を開いた時、
「陛下!お連れしました!」
マルグリットが反論するのを遮るように背後のドアを(多少乱暴に)開け、発言をする者がいた。
令嬢が反射的に振り返り――驚いて目を見開くのと、入室者が押し込まれるのが同時であった。その人物とは、
「ルビア!?」
――そう、筋肉隆々な兵士たちに運ばれるようにしてやってきたのは、マルグリットの侍女、ルビアであった。
文字通り転がるように部屋に入ったルビアは、何故かへろへろで目を回しており、入るなりばたりと前に倒れた。
…倒れた!?
「ル、ルビア?大丈夫!?」
「は、はひ、その声は……お嬢様?すいませ…ちょっと気分が悪…」
「ちょっと、しっかりして!」
ルビアはぐらぐらと頭を揺らし、うっぷ、と吐きそうな顔をしていた。完全に具合が悪い人のアレである。
侍女を支え、マルグリットは『ちょっと!誰か、助けてぇ!』と救護を要求する。
慌てて人を呼びに走る使用人。タオルとたらいに張った水を持ってくる水場の召使。
ぴりぴりとした空気が崩れ去り、一瞬にして阿鼻叫喚の騒ぎとなった。
何が起こったというのか、流石のヴィルフリートにも事態が把握できず、ルビアを連れてきた兵の一人に尋ねた。
「…何事だ、これは。」
「はっ!陛下の御命令通り、侍女を連れてきました!」
「大勢で担ぎあげて、か?」
「はい!大至急、とのお達しでしたので!」
だからと言って、誰が人力車になれと言った。しかも当人は車酔いして倒れているし。
ヴィルフリートは大きくため息をつき、『もういい、戻れ』とだけ言い渡した。
はっ!とこれまた気持ちのいい返事を返した馬鹿どもを見送り、隣のユインに話しかける。
「ユイン、いつからうちの兵は脳筋の巣窟になったんだ?」
「申し訳ありません、私も把握しておりませんでした。」
「…兵団の編成と割り振り、育成状況について見直すか。」
平和ボケの弊害というか、なんというかである。
――急な来客の度にアレをやっていたのか、もしかして。…いや、まさかな。
人力車が使われたのが今回限りであったことを祈りつつ、ヴィルフリートは犠牲となったマルグリットの侍女に、申し訳ない思いでいっぱいになった。
閑話休題。
ルビアを十分に休ませてからの、仕切り直しである。
「国王陛下そしてバートレット卿。初めまして、私はマルグリット様の侍女として仕えております、ルビアと申します。」
そこには、茶色の髪を几帳面にまとめ、凛と立つ侍女ルビアの姿があった。
先程の見苦しい姿が嘘のような変わりよう。この辺りは流石と言えよう。
「そなたが、マルグリットの侍女か。ここしばらく留守にしていたという…」
「はい。つい先程城に到着しまして、親切な兵士の方々に、超特急で連れて来てもらいました。」
「そうか…」
『親切』と『超特急』をやたら強調して言ったルビアはその顔面に微笑みを絶やさなかったが、口の端はひくついていた。あの人力車のことを許してはいないのは明らかだった。
本当にすまない、とヴィルフリートは心の中で謝った。
「ルビア、お母様の具合は…?」
次に発言をしたのはマルグリットだ。ルビアを労わるように声をかける。
「マルグリット様、ご心配をおかけしました。母のことなら心配いりません。元気そうでしたわ。」
「そう、よかった…」
「それはそうと…お嬢様はどうして王宮におられるのですか。あと、そこに居るエイミィは…」
侍女がちらりと視線をやった先にはだいぶ落ち着き、縛めの解かれたエイミィが座っていた。
しかし落ち着いたとは言ってもぶすっとした顔と刺すようにマルグリットを睨んでいる眼差しは変わらない。
これはどういうことなのか、とルビアは問うた。
「うん……全部、話すわ。」
マルグリットはしょんぼりとした様子でルビアが王宮を後にしてから今までのことを簡潔に話した。
じっと黙って聞いていた侍女は、すべての話が終わった後に静かに口を開いた。
「成る程、話は大体分かりましたわ。そういうことでしたら、マルグリット様に罪はございません。――私に、あります。」
「ルビア…!?」
声をあげて驚く令嬢に対し、至って平静な顔のままの侍女。
王とその側近の方へ体を向け、淡々と説明をした。
「…フロリアン・ウェリントン様と面識があったのでしたらお聞きかもしれませんが、マルグリット様はおよそ普通の令嬢とはかけ離れた感性の持ち主なのです。悪癖、と申しますか…とにかく好奇心旺盛で、思いついたことは何でも試してみたがるのです。今回の『なりかわり』もそのせいです。」
「………。」
「あの時、私は何が何でもお嬢様をお止めしなければなりませんでした。その役目を果たせなかったのは侍女である私の責任でございます。」
「いいえ!ちが――「お嬢様。」
ぴしゃりといなすルビアの鋭い声。マルグリットはびくっと体を揺らした
「ルビア、と言ったか。今申したことは真か?」
「はい、勿論でございます、陛下。」
「違う!!」
「いいえ、違いません。」
「何が違わないって言うの!ルビアは何もしていないじゃない、悪いのは――」
「それでも、」
ルビアはマルグリットの両手を握りしめた。穏やかな色をした瞳で彼女を見下し、静かに言う。
「罰を受けるべくは私なのです。お嬢様。」
「――っ!」
――そんな。
マルグリットはまるで自分がひとり異国人になったような気分になった。
もしくは暗闇の中にひとりで立っているような、かすかな絶望感。
マルグリットが何を喚いても、ルビアも陛下も、ユインや他の兵士たちすら何も聞きいれない。
このままでは、ルビアとエイミィが責任を取らされ、自分だけが残されることになる。
自分だけが、何の罪にも咎められないまま。
――何故、誰も私を責めないんだろう。何で悪いのは私なのに、罰されないんだろう。
『それは、貴族だから。高貴な身分であるから。』
言葉で説明するのは容易いが、こんなに発言が聞き届けられないなんて。その代わりに、少し関わっただけの身分の低い者が罰されるなんて。
絶対に、間違っているのに。
「……う。」
そんなこと、絶対に、
「…お嬢様?どうかされ――」
間違っているのに!!
「う、うわああああん!」
緊張の糸がぷつんと切れ、ついに、感情を留めておいたダムが決壊した。
ぼろぼろと大粒の涙が両目から滴り落ち、ドレスや床を濡らしていく。
突如、大きな声をあげて泣き始めたマルグリットにルビアがおろおろと体を揺する。
「え、ちょ、ちょっとお嬢様……ぐふっ!」
「わ、私が悪いんだって、何度も、い、言ってるじゃないの!エイミィも、ルビアも、私が勝手に巻き込んだの!どうして分かってくれないの!?」
ぐすぐすひっく。
嗚咽を漏らしながらルビアの胸に拳をどんどこ叩きつけるマルグリット。拳は硬く握られていて、地味に痛い。
ルビアは『ちょ、ちょっとやめてくださいお嬢様!』とその腕を取った。
「うるさい!ルビアなんか、もう一回人力車に運ばれちゃえ!」
「それだけは嫌ですっ!!…じゃなくて、泣きやんでくださいよお嬢様…こんなのレディとして相応しくありません。まるで小さな子供じゃ、」
「子供でもいい!エイミィとルビアが助かるのなら、なんだってするわ!」
わあああん、とまた泣くマルグリットに、ほとほと困り果てたように頭を撫でつけてあやす侍女。
その様子を見、彼女らの背後にそっと近づいた国王ヴィルフリートは、
「ならば、そうしよう。――もういいだろう?ユイン。」
そう言って、ルビアにひとこと断った後マルグリットを抱き上げた。
え?と声を漏らす間もなく再度ヴィルフリートの腕の中に戻ったマルグリット。
ルビアもぽかんと口を開けて王を仰ぎ見ていた。
「そうですね。嘘を吐いているようにも見えませんし、意見に矛盾も見られません。」
「え?」
次いでふっと口元を緩めた側近に視線を向け、さらに驚くマルグリット。
王は王で『もう、泣くな。』と頬に唇を寄せてくるし、もう意味が分からない。
「へ、陛下…?」
「落ち着け。別に、誰もそなたらを罰するとは言っていないだろう。」
「で、でもバートレット様が…」
私たちに罰を、とマルグリットが続けるとヴィルフリートはしかめ面を作り、ユインを睨みつけた。
「ほら見ろ、お前が脅すようなことを言うから。」
「私は事実を申したまでです。今回は何事もなかったのでよかったですが、本当に危険なことだったということは理解してもらいませんと。」
「…うう、申し訳ありません。」
「大丈夫だ、マルグリット。この変態鬼畜のことは気にするな。」
「誰が変態鬼畜ですか、誰が。」
「お前に決まっているだろう?ただ事実関係の整合をしていただけなのに、こんなに泣かせるまで追い詰めるなんて。」
事実の整合、ですって?尋問ではなくて?え?どういうことなの?
いきなり態度をがらりと変えた彼らに、マルグリットは混乱した。
「で、でも!『なりかわり』は確かに私のせいで…!」
「その『なりかわり』ですが、本来ならば確かに罰せられるべき重罪です。」
そうでしょう、だから――って、『本来』?
マルグリットはぱちぱちと目を瞬かせた。正面のルビアと顔を見合わせると、彼女も眉間にしわを寄せ不可解な表情をしていた。
「それは…どういうことでしょうか?」
「…マルグリット様が『下女』として外に出なければ、そもそもの発端である薬花の発見やクライスの間者の探知も、全てなかったことです。」
「それに、デュレイ公の摘発もな。取り調べに依るとデュレイは秘密裏にクライスともつながっていたらしいぞ。城に間者を入れたのは奴だったという線が濃厚らしい。」
「え?」
つまりここ数ヶ月、一連の出来事は、全て。
『エイミィ』となったマルグリットが始まらせ、そして終わらせた。
デュレイ公爵の逮捕とクライス国への不審という成果を残して――
「では…」
「そういうことだ、」
ヴィルフリートは言いながら、部屋の奥―エイミィの方へと足を進めた。
「――エイミィよ。」
「!!」
王の言葉を聞き、エイミィはびくりと体を震わせた。
彼が近づいてくるのを感じ慌てて立ち上がったがしかし、すぐに顔を俯かせる。
何を言われるか、どんな刑罰を受けるのか聞くのがとても怖い。エイミィはぎゅっと目をつぶった。
――だが、
「お前の処置を言い渡そう。
懲戒免職ならびに退職金控除。王城の下女は辞めてもらうがその後、こちらは関与しない。好きにするがいい。」
「え……」
聞こえてきたのは思いのほか穏やかな声で。
エイミィは思わず息を飲んでいた。
「そしてルビア、お前は変わらずマルグリットに仕えるがいい。フロリアンによるとマルグリットを上手く操縦できる唯一の侍女らしいからな。」
「!」
次いで告げられた言葉に、今度はルビアが言葉を失う。
王が下した刑は、寛大と言ってもいいほど軽いものである。
――まさか、本当にエイミィのクビだけで許されるおつもりなのだろうか?
ルビアが覚えず陛下の方を向くと、ヴィルフリートはただ鷹揚に頷いた。
許す、と言われた気がした。
「あ、ありがとうございます、陛下!!エイミィ!よかったわね!!」
「え、きゃっ!」
ぱあっと顔色を明るくし、勢いよく陛下に頭を下げたマルグリットは、そのままエイミィの方へと走って行き、ぎゅうっと抱きついた。
…勢いのあまり、エイミィが倒れて背中を床に打ちつけたが、そんなことは些細なことである。
マルグリットは明るく笑う。
「よかった!よかったわエイミィ!貴女、殺されずに済んだのよ!!」
「いっつつ…ひ、人を押し倒しておいてストレートに嫌なこと言ってるんじゃないわよ、この馬鹿お嬢!」
「うう、本当に、よかったぁ……」
「な、泣かないでよ、鬱陶しいわね、ちょっとルビアさん!この人どうにかして!」
「ああ、よかったです。お嬢様…私もまたお嬢様に仕えることが…ぐす。」
「ってアンタも!?」
揃っておいおいと泣きだす二人に、エイミィは複雑な表情だ。
何なの、こいつら…という冷めた眼差しを送っていたが、彼女らがあまりにも嬉しそうに泣き笑うので、さっきまで抱いていた憎悪も薄れてしまう。
抱きついてくるマルグリットをはねのけながら、はあ、とため息をついた。
「ああ、調子狂うわね…。そんなおめでたいムードになられても、こっちはアンタのせいで職を失ったわけなのに。」
「それはどうにかするわ!ああ、本当にそれだけで済んでよかっ……」
「いや、待て。そなたにもしっかりとやってもらうことがあるぞ。」
「!?」
――と、遮るようにヴィルフリートが口を挟んできた。
瞬間、マルグリットは間抜けな顔のまま硬直する。
ぬか喜びもいいところだった。
だが、確かに、下女の解雇だけで済むのなら虫の好過ぎる話だ。『エイミィ』の活躍ありきにしても、軽すぎる罰。
この他に何が……
しかし、他の二人ではなく自分に科せられる罰ならばいい。甘んじて受け入れなければ。
そう思い、マルグリットは陛下の方に顔を向け神妙な顔つきで尋ねた。
「は、はい…っ、なんですか?私にできることでしょうか…?」
「ああ、そなたにしかできないことだ。」
ヴィルフリートはにやりと笑った。その何か含みのありそうな笑顔に、不安を感じる。
な、なにかしら…?
マルグリットはドキドキと胸が高鳴るのを感じた。
「まずは今週中にウェリントン家に赴き、そなたの両親に会うことにしよう。」
「へ?」
「その後はドレスの採寸に装飾品、宝石の発注。式の様式はそなたが好きなようにすればよい、まかせよう。とにかく今度の戴冠記念式と同時にあげられるように。」
「は?」
「私はその間に、後宮を閉鎖し側室たちの嫁き先を決める。何人かは部下に降嫁させ、何人かは実家に帰し…残りは兄弟たちに回すとしようか。」
「ちょ、ちょっと待って下さい!し、式って…何の話ですか、何の!」
次から次へと出てくる『要求』にマルグリットはついにストップをかけた。そしてヴィルフリートに掴みかからんばかりにぐっと迫る。
だが、彼自身はどこ吹く風で、にこやかにマルグリットを見下した。―どころか、いつの間にか手を取られ指をからめられた。
「ん?私とそなたの結婚式に決まっているだろう?」
「ええええ!?」
「正しく言えば側妃から正妃へ格上げ、ですけどね。」
「芸のないことを言うな。私とマルグリットにとっては最初で最後の結婚式だ。せいぜい派手にあげようじゃないか。もう動き出しているのだろう?」
「ええ。各国へ向けての招待状は今発注しているところですし、マルグリット様のドレスの仕立屋、宝石商、その他小物デザイナーはすでに呼んであります。国民へのお披露目は記念式典の時でいいですかね。」
「ああ、そうだな。」
ちょっと、待って、急展開すぎる!!
一人置いて行かれているマルグリットは、そう抗議したい。
挨拶!?結婚!?後宮がなくなる!?
どういうことなの、これは!
「で、でも後宮を閉鎖する、なんて…」
「何を言う。そなたが私の唯一の妻であり正妃となるのだ。そういう約束だっただろう?」
前から後宮は無駄金を喰うばかりであったしな、いい機会だ。
くく、と楽しげに笑う彼の顔には一片の憂いも見えない。
すでに彼の中で計画は動き出しているのだ。それに、自分は組み込まれている…がっちりと。
「なんだってするのだろう?なあ、我が妃よ。」
「……う。」
ちょっと前言撤回したい、とは口にも出せないような雰囲気である。
貴方はこれ(言質)を狙っていたのかと恨めしく思う。
ヴィルフリートに捕まった時、すでに全ての勝負は決していた。
そのことを悟ったマルグリットは、乾いた笑いをもらすのみであった。




