『エイミィ』の処分(前)
もう春は終わった、とばかりに鳴く蝉の声がじりじりと聞こえる。
強い日差しは地面を焦がし、青々とした緑を揺らす爽やかな初夏の風が夏季の訪れを表しているようだった。
――そろそろ、夏物の衣服を揃えるべきね。
そんなことをぼんやりと考えながら、馬車から降り立ち、巨大な城門の前に立つ女性が一人。
大きなボストンバッグを抱えて現れたのは、ウェリントン家の長女、マルグリットに仕える侍女ルビアであった。
危篤だ、と言われた母の安否を確かめるために故郷へと一時帰省していたのだが、
母の無事を確認し故郷での用事を一通り済ませ、ようやく王城へと帰ってくることができたのだ。
ずうんと荘厳な雰囲気をまとって佇んでいる城を見上げ、ルビアはため息をついた。
「ふう……お嬢様は、ちゃんと大人しくしているかしら。」
ルビアにとって気がかりなのは、その一点のみである。
代理の侍女をつけたと言っていたから、無茶な真似はしていない…と願いたいが、いつ何をしでかすか分からないのが彼女の仕える主である。
まさか、また何か厄介事に……。
「な、何を考えているのかしら私ったら。」
ルビアは降って湧いたネガティブな想像を一蹴した。
マルグリットは令嬢として心を入れ替えたはずだ。後宮の自室に籠っていて何のトラブルに巻き込まれることがあるだろう。
今頃は…そう、編み物にでもハマッてわんさかマフラーを縫いあげて暑苦しい思いをしているに違いない。うん、きっとそうだ。
そう自分自身に言い聞かせるも、やはり心配なのには変わりない。
ルビアは嫌な予感に体が支配される前に、とにかく早くマルグリットの元へ戻らなければ、と歩を進めた。
「ちょっと待ってくれ!」
すると、城門の中に入り玄関に差し掛かったところで、何者かに呼びとめられた。
言われるまま、ルビアは足を止めた。
見ると、声の主は門番の仕事についていた騎士だった。銀色の甲冑姿のままこちらに駆けてくるのを見て、『重くないのかしら。…暑くないのかしら。』とルビアは思った。
がしゃん、と音を立てて、彼女の前で止まった騎士は、眼前の顔をじっと見る。
そして手配書のような人相書きを取り出し見比べたかと思えば、もしや、と呟いた。
一方のルビアはむさくるしい男性からじっとりとした眼で見られて、いい気はしない。
セクハラですか、いい度胸ですねと低い声で唸った。
「…なんなんですか、人の顔じろじろ見て。」
「もしかしてあんた…ルビアとか言う侍女じゃないか?」
「え?…はい、ルビアは私ですが…」
「ウェリントン侯爵令嬢様に仕えている、ルビアか?」
「!何故それを…」
突然に自分の、そして主の名前を出されて戸惑うルビアに、『ああ、本人のようだな。』と確認する騎士。そして、声を張り上げて数名の仲間を呼ぶと、ぐるっと侍女を囲うように人が集まった。
いきなり屈強な男たちに囲まれて、ルビアは『ひっ』と体を震わせる。
「な、なななんですか、貴方達は!」
「さあついて来てくれ、令嬢の元に連れて行ってやる。」
「ええ!?お嬢様は後宮にいるのでは…」
「俺だって詳しいことは知らない。だが、陛下から直々の御命令だからな。」
「(陛下……え、陛下!?)」
「では、ご同行願おう!」
いや、何がなんだか訳分からないんですけど!?
ルビアの叫び声は、男たちの『ハッ!』という野太い掛け声にかき消され――そのまま連行される運びとなったのだった。
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結果として、一件落着とはお世辞にも言えなかった。
…少なくとも、彼女にとっては。
「え、エイミィ…?」
マルグリットは通された部屋の中にいた彼女を見て、目を見開いた。
虚ろな目を向けてきたエイミィは、すっかり変わり果てた姿となっていたからだ。
きっちりと手入れしてきたはずの赤毛はぼさぼさになり、着ている服は薄汚れてボロボロに。
寝不足か、充血した目の下には大きな隈もできていた。
力なく椅子に体をあずけている様は、記憶の中の彼女とは別人のようで―マルグリットは思わずその傍へと駆け寄った。
「エイミィッ!これは一体、どういうことなの!?」
「……どういうこと、ですって…」
焦点の合っていない目でこちらを覗かれるのは恐ろしかったが、かすれた声で反応が返ってきてとりあえずはほっとしたマルグリット。
――でも、彼女は何故こんなに消耗しているの?誰がエイミィをこんな風に…
そう考えられたのは一瞬だけだった。
その思考をかき消すように、エイミィは跪いていたマルグリットの胸元をがしっと掴み、引き上げたのだ。
驚くマルグリットとエイミィの視線が交差する。下女は憎しみに顔を歪めていた。
「アンタがっ!全部!悪いんでしょうが!!何が『なりかわり』よ!善良な一般市民の私を巻き込んで、好き勝手して!全部、アンタのせいよ!アンタのせいで私はこんな目にあったのよ!!」
「……っ!」
「なんとか言いなさいよ、この疫病神!頭カラッポのノータリンがっ!私は悪くないって証言してよ!今すぐっ!」
マルグリットは、何も言えなかった。
ただ、エイミィのつんざくような叫び声に驚くばかりで、言葉にならなかった。
そのうちに陛下の『取り押さえろ。』という声が上から聞こえた。
同時に、エイミィはあっという間に猿ぐつわを噛まされ、屈強な兵士に拘束される。
そうして発狂するエイミィと引き離されたマルグリットは、ふわりと後ろから抱きあげられた。
振り向くと、心配そうにこちらを覗く陛下の目とぶつかる。
「大丈夫か?マルグリット。」
「…陛下、これは、どういうことですか…?」
呆然とした表情で呟くマルグリット。
ヴィルフリートは彼女を抱きしめたまま、静かに話し始めた。
「『エイミィ』が後宮にあがったその日に、私がこの女を後宮に入り込んだ侵入者として捕え、尋問にかけた。そなたへの手がかり、そして女ということもあり、流石に牢には入れなかったが…数日にわたる詰問中に随分と過激なこともされたようだな。」
「そ、そんな……」
――私の知らない間に、そんなことが。
マルグリットはショックで息を詰まらせた。
そして一瞬の後、後悔の波が次々と押し寄せてきた。
自分のせいでエイミィは『なりかわり』に巻き込まれた。
自分のせいで尋問にかけられ辛い思いをした。
自分のせいであんなに痩せて消耗した。
……自分の、せいで。
どれほど考えても後悔は募るばかりで。
目の前で未だ暴れているエイミィが可哀そうで、申し訳なくて。
私は、本当にとんでもないことをしてしまったんだ、とマルグリットの瞳に涙が浮かんだ。
背後にいるヴィルフリートはさらにマルグリットを強く抱きしめながら、ささやくように問う。
「私がそなたの正体を突き止めたのと同じ頃に、この女からようやく真実を聞きだした。下女と側室の交換をした…というのは真か?」
泣きながら、マルグリットはこくんと頷いた。
今更、秘密を隠す必要はないし、嘘をついても意味がない。そんなことよりも、今はエイミィのことで頭がいっぱいだった。
頭の中のマルグリットは、ずっと彼女に謝り続けた。
「…成る程な。うまいことそなたを言いくるめて、こいつは後宮で遊び暮らしていたのだろう?」
……それは違う!
マルグリットは王の嘲るような台詞を聞くや、勢いよく後ろを振り返り彼から離れた。
「違うんです…全部、私のせいです!」
マルグリットは叫んだ。
――そうだ、まだエイミィの容疑は晴れたわけではないのだ。私がなんとかしなければ。
そう考えながら、王に食ってかかる。
「そなたのせいだと?」
「そ、そうです!え、エイミィは悪くありません!私が、『なりかわり』を強要しました!私が下女になりたかったから、彼女と立場を交換したんです!!」
「…それがどれほど危険なことであるか、お分かりですか?」
―と、氷のような冷たい声が聞こえた。
反射的に見上げるとそれは国王の優秀な側近、ユインから発せられた声だと気付く。
彼はマルグリットを差すような眼差しで睨んでいた。
「後宮では様々な要人の姫君が生活しておられます。宰相の御令嬢や地方から来られた辺境伯の愛娘、さらには外国から輿入れなさった王女もいらっしゃいます。そこに部外者を入れるなど…普通考えられないこと。少しでもその危険性を鑑みたことはありますか?」
その時マルグリットははっきりと、責められている、と感じた。
言外に罰を受けよと言われている気さえした。
だが、
「申し訳、ありませんでした……」
そうして謝ることしか、今のマルグリットにはできなかった。
自分が犯した罪、そしてエイミィに負わせてしまった傷の重さに胸が押しつぶされそうになり、うなだれる。
自分はなんて自分勝手で考えナシだったのだろう、と。
大人になった気でいたが、自分はなんて浅はかな子供だったのだろう、と。
心の中で呟きながら。
「全て、私が悪いのです。私と容姿の似たエイミィを捕まえて、無理矢理側室と下女を交換したのです。他の側室様の危険も顧みずに、自分のことだけ考えて。……本当に、馬鹿な真似を致しました。」
ですから、罰を受けるべきは――
そう口ずさみかけて、マルグリットははたと気付いた。
マルグリットは、中身はどうあれウェリントン侯爵令嬢、そして国王の側室という身分。
どれほど罪が重かろうと、即刻処分されることはまずない。悪くても数週間の懲役もしくは罰金で済まされる。
だが、処罰されるのが何の肩書も持たない一般庶民である場合は、最悪の場合――。
きゅっと唇を引き結ぶマルグリット。
そんなことは、絶対にさせやしない!
「罰を下すのなら、私にしてください…お願いします。彼女は関係ないんです…。」
マルグリットは顔を上げてそうはっきりと言った。




