ふたりのマルグリット
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「…お嬢様?お呼びですか?」
ベルが鳴らされるのを聞いて、ルビアは急ぎマルグリットの部屋の前まで来ていた。
ノックをして相手の返事を待つが応答がない。再度ノックをするが、無言しか返ってこなかった。
――何かしら。
ドアの前で侍女は胸に手を当て、ドキドキと早鳴る鼓動を抑えていた。
…どうにも胸騒ぎがする。
あの『下女になる』宣言からもうすでに一週間が経過している。
その間、マルグリットは人が変わったように大人しく、毎日書きものをしたりお菓子を食べたり湯あみを楽しんだり……まさしく貴族然とした生活を送っていた。
その様子を見て、やっと本来の『仕事』を思い出してくれたのか、と涙ながらに喜んでいたのだが。
―このとてつもなく嫌な予感は、何なの。
自慢ではないが、自分の嫌な予感ははずれないとルビアは自負している。
こと、マルグリットお嬢様に関してはその効力を十二分に発揮するのだ。
立ち尽くす彼女はぞくぞくと背中を震わせていた。
「お嬢様?……入りますよ。」
意を決したルビアはドアノブに手をかけ、部屋に入った。
―入ってすぐに目に入ったのは、ベッドに腰掛け横を向いているマルグリットの姿。長い黒髪をたらし、白いシンプルなドレスを着ている。
逆光で表情は分からないがいつもと変わらない主を見て、ひとまずルビアは安堵した。
「…お嬢様、なんでしょうか。」
「ああルビア、来たのね。ちょっとそのまま聞いてくれる?」
「?はい…」
ベッドの傍まで近づこうとしたルビアは、言われた通りその場で立ち止まった。
横を向いたままのマルグリットは少々くぐもった声でさらに言葉を紡ぐ。
「あのね、私、色々考えたんだけど…」
「何を、ですか?」
「決まってるじゃない。下女になるためにはどうすればいいか。」
「―え!?」
けろりと言い放たれたその発言に、ルビアは目をむいた。
―それも当然である。一週間前のあの日以来、そのことは二人の間で全く話題に上らなかった。
よって侍女は主がそのことをすっかり忘れてたか、または新たな趣味を見つけてそれに夢中なのかとばかり思っていたのだ。
…それがまさか、全く諦めていなかったとは思いもよらなかった。
「―でね、ルビア。あれから貴方が出した条件を完全に満たし、なおかつ誰にもばれないように下女になりすますいい方法を思いついたのよ。」
「……何でしょうか。」
そういえばこの人は行動力もピカいちだったな、ともう半分諦めの境地にいるルビアは力なく返答した。
―しかし、いかにお嬢様とてこの難問は突破できまい。
やはり下女になんてなれるはずが――
「”なりすまし”ではなくて、”なりかわり”ならどうかしら?」
「え?」
―と、マルグリットは言葉に自信を含ませて言いきる。
ルビアが困惑気味にどういうことですか、と尋ねてみると、マルグリットは軽く笑って答えた。
「言葉通りよ。下女の子一人に協力してもらって、日中私と入れ替わってもらうの。」
「む、無理ですよ、そんなこと!」
「いいえ、可能よ。私によく似た下女の子がここに”私”として、私が”下女”としてなりかわれば周囲に気付かせることなく、下女として働けるわ。」
「っそれはそうでしょうが……第一、その協力者をどうやって見つけるんですか!」
「あら、目の前にいるじゃない。」
「―!?」
その声に、ルビアはばっと顔を上げて目の前の”マルグリット”を見た。
長い黒髪をたらし、横を向いているいつもの彼女――
――――否、違う。
そこで侍女はハッと気付いた。
目の前の彼女は、声の通りに口が動いていない、と。
すると、気付いたかしら、と背後から声がかかる。
キイと扉が開き、隣の衣裳部屋の中から本物のマルグリットが出て来た。
黒髪をたらし、緑の瞳を爛々と輝かせ、不敵な笑みをたたえる彼女こそまさしくルビアの本当の主。
―では、こちらのお嬢様は……!?
侍女が慌ててベッドへと目を向けると、ばさりと鬘を落とす音が聞こえた。
「あ、あの…これでいいんですか?」
「―!!?」
―そこには、黒髪の長い鬘を手におずおずと話す赤毛の少女がいた。
上出来よ、ありがとう、とねぎらうマルグリットに対し絶句するルビア。
目を見開いたまま固まってしまった。
何故、この部屋にマルグリット以外の者が―いや、それより。
――この赤毛の少女……お嬢様、そっくりだ。
「びっくりした?私も驚いたわ、この数日間私と似た背格好の下女を探していたのだけど、こんなにそっくりの子がいたなんて。」
「…初めまして、エイミィと言います。」
「な……なっ」
ぺこりと頭を下げる”マルグリット”――否、下女のエイミィ。
ルビアは驚きすぎて二の句を告げない。
ああ、これは悪い夢ではないのか、と何度も目をこする。
―目の前のエイミィという下女は、マルグリットに本当によく似ていた。
背格好はもちろん、顔立ちや緑の瞳まで同じ。
唯一違うのは本物のマルグリットが黒髪であるのに対し、彼女はくしゃくしゃの赤毛であることか。
しかし、それも鬘で隠してしまえば全く分からない。
現に長い間付き添ってきた侍女にも見わけがつかなかった。
「調査ついでに後宮内を散歩していたら、偶然彼女―エイミィに出くわしてね。計画のために協力を要請したのよ。ルビアを騙せるくらいだもの、面識のない人を相手するくらい簡単よね。
それに彼女は王城に上がったばかりで親しい友人もいないんですって。誰かに口止めする必要もないわ。」
「――っ!」
「これでいいわよね?ルビア……」
すらすらと己の悪だくみを明かし、にっこりと深く笑みを刻むマルグリットに、侍女は青ざめた。
そして混乱したままの頭で思った。
―本気でやってしまったのか、この人はと。