午後の茶会(後)
「―っ、下女風情が、陛下に何をする!」
がしゃん、と派手に割れたカップの音に、
我に返ったのか今度こそ衛兵が動きだし、赤毛の下女を羽交い締めにする。
しかしヴィルフリートは待て、と兵を諫め、エイミィを解放してやった。
周りは混乱状態に陥っていたが、下女は驚くほど冷静だった。
国王に対し、ありがとうございます、と礼をする余裕まであった。
ヴィルフリートは下女の顔を覗き、問うた。
「エイミィ…もしや、これは。」
「ええ、毒が入っています。飲んではなりません。」
やたらあっさりと放たれた下女の言葉に、ざわめきがさらに大きくなった。
王も眉をひそめ、先を促す。下女はすうっと国王を正面から見つめ、口を開いた。
「陛下、ディーボ草、というものを御存じですか?」
「ディーボ草?」
「はい。どこにでも生えているありふれた草ですが、強力な毒素を持つ毒草です。この紅茶にはそれが含まれていたと思われます。」
すらすらと知識を口にする下女。だがそれを胡散臭そうに見る者もいた。
―陛下の用意した茶会、そこで振る舞われた茶に毒が入っていたなど。
にわかには信じられない事柄だ。
下女が嘯いているだけでは、と声高に話す者もいた。
マルグリットはその気配を敏感に感じ取り、『信じていないようですね。』と呟くと、おもむろにティーポットを持ち上げ、空いているティーカップにそれを注いだ。
「…何をするつもりだ?」
「毒が入っていることの証明です。」
言いながら、マルグリットが開かれた窓の傍にティーカップを置くと、かぐわしい香りに釣られてか、一匹の蝶がひらひらと飛んできた。
この蝶を見ていてください、と下女が呟き、周囲の者が皆それに注目する。
しばらくカップの周りを舞っていた蝶は、やがてカップの淵にとまり、細い口を水面に伸ばした。
そして紅茶を吸った途端――はらり、と蝶は液体の中に沈んだ。
その肢体はぴくりとも動かず、羽を紅茶にひたす。
―紅茶を飲んだ蝶は、瞬く間に命を落としたのだ。
その場にいた者、全員が目を見張った。
「このように、ディーボ草のエキスはかなり毒性が強いです。まあ、人間相手ですと高熱が出る程度ですが…」
「…何故、分かった。」
「勘です。」
「……勘。」
いや、それはないだろう、とヴィルフリートは反論したかった。
豊富な知識に、行動力。
そして的確な判断…
何故この女は、ここまで敏感に察知し最善の道をとることができる。
花に間者、そして今度は毒。
一体、この下女は何者なのか――
「それより、よろしいのですか?この毒を入れた犯人を突き止めないといけないのでは?」
下女の声にハッと我に返るヴィルフリート。
見ると『エイミィ』が自身を見下しているのに気がついた。
ヴィルフリートはごほん、と咳をひとつするとすぐさま立ち上がり、護衛に目を向けた。
「そうだな。――ユイン!」
「はい。ただいま、この紅茶をいれた侍女を連れてきます。」
「おそらく先日の間者と関係のある者だろう。必ず探し出せ!」
「御意。」
返事と共に、ユインはさっと踵を返した。
まだ近くに潜んでいると思われる、侍女に扮した何者かを探し出すよう、
外にいる数人の衛兵に指示を飛ばし、彼自身も廊下に出る。
そして、数人の兵を引き連れ走り出した。
彼らの足音が段々遠くなっていき、室内には国王と狼狽している侍女や下男たち、そして依然として突っ立ったままの赤毛の下女が残された。
マルグリットは、後は彼らにまかせればいいだろう、と思い、また陛下の方へ顔を向けた。
「…陛下、私は仕事に戻りますね。せっかくのお茶会でしたが、このようなことが起こり、非常に残念に思います。それでは――」
「―待て、エイミィ!」
退出の常套句を並び立て、さっさと部屋を出ようとする下女を、王は呼びとめた。
『エイミィ』は赤毛の髪をかすかに揺らしながら王を仰ぎ見る。
「…なんでしょう。」
「お前は…何者なんだ?」
誰もが問いたかった質問。
それをヴィルフリートが口にすると、周囲は水を打ったように静かになり、彼らを見守った。
―が、下女はふっと口元に笑みを浮かべ、
「私は、ただの下女ですよ。」
何でもないことのようにそう呟いた。
優雅に一礼をした赤毛の下女はそのまま部屋を後にしたが、残された誰もが呆気にとられてその場を動けなかった。
ーーだから、気付いた者はいなかった。
下女が扉を閉めるなり、廊下を全速力で駆け戻って行ったことなど。
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「そんなに下女がお好きなら、本当に下女になってしまえばよろしいのでは?」
「………。」
マルグリットが息せき切らして『ウェリントン侯爵令嬢』の自室に戻った途端、中にいた女性にそう嫌味を言われた。
黒髪に、緑の瞳。
鮮やかなブルーのドレスに身を包んだその女性は、まさしくマルグリット・セシーリア・ウェリントン侯爵令嬢――ではなく、その偽物のエイミィだ。
自信たっぷりにその唇をゆがめ、赤毛の下女にほほ笑みかける。
しかし、その瞳は鋭く下女を睨みつけていた。
「随分と、下女の仕事を楽しんでいるようじゃないですか。同僚たちにも聞きましたよ、仕事熱心だと。」
「…まあ、それはどうもありがとう。」
「ええ。『私』の評価も上がるばかりですし、本当に感謝してます。そして、こちらの――『マルグリット様』の評価も、ぐんぐん上昇中ですよ。」
「そうなの?ルビア。」
マルグリットは侍女のルビアに問いかける。
するとルビアは少々言いにくそうに答えた。
「…はい。『マルグリットお嬢様』は、毎日のように茶会に出かけ、流行の装飾品をいくつもお買い求めになってプレゼントしたりして、他の側室の皆さまと親睦を深めていらっしゃいます。」
「ああ、そうなの。すごいわ、エイミィ。」
「まあ、貴女とは気の入りようが違いますもの。」
ふん、と鼻を鳴らすエイミィにマルグリットは素直に感心した。
話し方もまるで貴族のようだ。おそらく、彼女なりにかなりの努力をしたに違いない。
だが、その反応が気に食わなかったのか、
エイミィはぴくりと眉を不快気に動かし、マルグリットを見下したように嘲笑った。
「ええ、貴女がいない間、側室として有意義な時間を過ごさせていただきましたわ。きちんと身だしなみを整え、お洒落をして。まるで夢のようでした。
…マルグリット様が何故この立場を厭うのか、未だに理解に苦しみますが。」
「………。」
「そのボロボロの手なんか、もう見るに堪えませんわ…見て、私なんて今日、爪を磨いてもらったのよ。綺麗でしょう?」
言いながら、
綺麗に整えられ、キラキラ光る装飾用の香油が塗られた爪を見せびらかすエイミィ。
確かに、荒れてささくれだっているマルグリットの両手と比べると雲泥の差だろう。
マルグリットは苦笑しながらそうね、と同意した。
「きっと、貴女は産まれてくる場所を間違えなさったのね。私の方がよほど貴族として相応しいもの。」
「…エイミィ!何を――」
「いいのよ、ルビア。」
流石に『下女』の無礼な態度に腹を立てたのか、ルビアが大声をあげる。
しかし、それを主は遮りエイミィに向きあった。
「そうね、エイミィは貴族として、とても相応しくなったと思うわ。…でも、ごめんなさい、今日は早めに私と入れ替わってくれないかしら。」
「…何故?」
「ほら、星蘭祭が近いでしょう?準備に追われた小間使いたちが夜遅くまで働いているものだから、いつもの時間だと『なりかわり』が知られてしまうかもしれないの。」
「……そうですか、なら仕方がありませんわね。」
不服気な表情を作ったエイミィだが、
彼女のもっともらしい言葉に納得し、『下女に戻る』ためにさっさと隣の部屋に入って行った。
「お嬢様!」
「…なに、ルビア。」
「なに、じゃありませんよ!何ですか、アレは!?」
エイミィがいなくなるや否や、侍女は憤慨する。
初めはおどおどとし慣れないドレスに四苦八苦していたエイミィだが、
元々の性格か、贅沢をすることに味をしめたのか、
日を重ねるにつれ段々と態度が大きくなり、あのようにつけあがり始めたのだ。
――元は一介の下女のくせに。
ルビアはエイミィが『マルグリット』として高笑いをしているのを見る度に、腸が煮えくりかえった。
しかも、先程の様子はなんだ。
まるで自分の方が『本物の貴族』と言わんばかりの言動でマルグリットを見下して。
お嬢様の計画に協力してもらっているとはいえ、本当に醜い娘となったものだ――
だが、怒りをあらわにする侍女に対して、マルグリットは極めて冷静に答えた。
「別にいいのよ、そんなの。」
「そ、そんなの!?お嬢様は気にならないって言うんですかっ!?」
「想定の範囲内よ。元々下女として働いていた子よ、この状況に浮かれるのも無理はないでしょ。」
「…予想、していたと?」
「まあ、ある程度はね。」
マルグリットはふう、と息をつく。
この『なりかわり』が始まった時から『マルグリット』に変装するエイミィの態度が変わることくらい、とっくに予想していた。
なんせ贅沢とは無縁だった一般庶民が、打って変わって綺麗なドレスを着たり美味しい食べ物を食べたりできるのだ。
…しかも労働は一切する必要なく。
それは多少つけあがっても仕方のないことだろう、とマルグリットは思う。
…いや、そんなことよりも、だ。
マルグリットは再度深いため息を吐いた。
「彼女に謝るのは私の方よ…まずいことになったわ。」
「ま、まずいこと…?」
「ええ。」
―とそこに、下女の制服に身を包んだエイミィが戻ってきたので、マルグリットは一端話を切った。
そして今度は自分も着替えるため、立ち上がる。
着替えた後、ルビアにどう説明したものか、と思いをはせながら――
これからの『エイミィ』の処遇。
国王陛下の判断。
毒を入れた犯人の動向。
考えるだけで頭が痛くなるようなことばかりだ。
――ああ、まったく。厄介なことばかりだわ……
マルグリットは三回目のため息を吐きながら、自身のエプロンに手をかけた。




