午後の茶会(前)
「――最近、随分とご機嫌がよろしいようですが。」
ユインからのひとことに、ヴィルフリートは手を止めてそちらを見た。
いつも通り冷静な蒼の瞳が自身を見下してくる。
しかし、その視線には『興味』がありありと浮かんでいるのに気付いた。
ヴィルフリートは再度ペンを持ち直し、そっけなく答える。
「そうか?」
「はい。何かございましたか?」
「特にはないが。」
「そうですか。」
白々しい返答を繰り返す王と側近。
――そんなはずはないでしょう?教えて下さいよ。
――何もないと言ってるだろうが。
ユインの方は王の動向を見破ろうとし、王はすげなくかわそうとする。
まるで化かし合戦のような冷戦に、執務室内はひやりとした空気に包まれていた。
…通常なら穏やかな春の陽気に包まれているはずなのだが。
「…それはともかく、例の件は調べたか?」
「ああ、はい。」
分が悪いと悟ったのか、ヴィルフリートはさっさと話題を変えた。
ユインは渋い顔を見せたものの、すぐに『仕事』の顔を作り書類をまくる。
「あの兵ですが…調べたところ、クライス国からの間者でした。」
「…クライス国。それは確かか?」
「ええ。おそらくレイノッド国の貿易権に関して調査しているのでしょう。」
「成る程な。」
王は頷いた。
あの薬花の一件で、隣国のレイノッドから少なからぬ利益を得たリートルード。
交易の流通もその一つで、以前にまして多くの物品が国同士を行き来するようになった。
だが、元々レイノッドの一番の取引国であったクライスにとっては面白くない事態である。
リートルードに探りを入れて来たのは当然といえば当然の流れだった。
もちろん、ヴィルフリートもそのことはすでに考慮に入れていたので、あまり驚くことではなかったが。
「嫌に動きが早いな。元からの密通者でもいるんじゃないか?」
「その可能性もあり得ますが、今のところよく分かっておりません。」
「そうか。」
「ああ、詰所に潜伏していた間者たち、計6名は全員牢に入れております。調書はこちらに。」
「御苦労。」
書類の束を受け取って目を通す国王をちらりと横目で見る。
しばらくして、ユインは自然なタイミングで質問を投げかけた。
「それにしても陛下。よく分かりましたね?あの兵士が間者だと。当人も驚いていましたよ。」
「…まあ、な。」
するとヴィルフリートは喉を鳴らして笑った。
それを見てやはりご機嫌のようだな、とユインは思う。
何かよいことが起こったのには間違いないらしい。
このように楽しそうにしている王を見るのは、即位後初めてかもしれない。
何が起こったのか非常に気になるところだ。どうにかして聞きだせないだろうか…
「ただ者ではない、とは薄々感づいていたが…」
ユインが思考に身を投じていると、ヴィルフリートはそうぽつりと呟いた。
途端に我に返ったユインは、未だ真剣に書類をめくっている王を振り返った。
「?なんのことですか?」
「いや、そろそろお前にも紹介してやろうと思って、な。」
「…は?」
主の言の意図が掴めず怪訝そうな顔を作る側近。
ヴィルフリートはさらりと銀髪を揺らし、顔を上げた。
「午後に茶会を開くぞ。用意を頼む。」
そう命を下した王は、至極楽しげな表情をしていたという。
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「あ、あの……陛下?」
「どうした?遠慮なく食え。お前のために用意したものだぞ。」
「いえ、そうではなくて…」
マルグリットは、顔面蒼白になっていた。
只今の状況を把握することを脳が拒否するように、混乱状態が抜けない。
ああ、なんだか眩暈がしてきた。
目の前にはがっしりとした大きなテーブル、その上に色とりどりのお菓子やよい香りのたちこめるティーカップ。
テーブルをはさんで向かい側には、相変わらず煌びやかな衣裳をまとった麗しい陛下。
――なに、これ。
誰がこのようなことを予想しただろう。
マルグリットはいますぐこの場から立ち去りたい気分でいっぱいであった。
エイミィという下女はいるか、と問われたのはちょうど昼休憩のときだった。
いつもは騒がしい食堂の中は途端にしん、と静まり、全員が一斉に一人の少女の方に視線を向ける。
『エイミィ』もパスタを口に運ぶ手をぴたりと止めて、伝令役の男を見た。
―な、何!?何の用!?
嫌な予感しかしない。
何か仕事でミスでもあったんだろうか?とびくびく震えるマルグリット。
そんな下女いませんよーと言いたいところだったが、同僚たちにせっつかれ、あっけなく前に出される。がっしりとした体格の男はじろりと下女を見下した。
「お前がエイミィか。」
「そうですが…あの、何の御用でしょう?」
「国王陛下がお呼びだ。同行してもらおう。」
「――!!」
――いや、それなら仕事の失敗を指摘された方が何倍もマシだった!!
と、マルグリットは一瞬で思った。
周囲からの視線がいっそう自分に突き刺さってくるのが分かる。
「陛下!?陛下っていったよね、今!?」
「え、何。あの下女、何者?」
「あれよ、きっと何か大事なものを壊しちゃったのよ、あの子。…気の毒に。」
「あれ?物品破損報告なんて、きてました?」
「何にせよ、うらやましいー!」
そんな声があちこちからあがる。下女は汗だくでその言葉を聞いていた。
――もうやめて、私を放っておいて!!
というか、マジで何の用なんですか陛下!
―と、心の中でわーわーと騒ぐマルグリットだったが、元々ただの下女が国王の『勅命』に逆らえるはずもなく。
結局、ガチムチなオニーサンに誘導され、陛下のもとまで連れてこられたのだった。
――そして、現在。
やたらゴージャスなテーブルセットの前に座らされたマルグリットは、がくがくと震えていた。
道中考えていたが、やはり自分が連れてこられた理由など、ひとつしか思い至らなかった。
すなわち、リートルード国王陛下に対する数々の無礼な行動、そして粗相。
それを咎められるのだ。
目の前の菓子やら紅茶やらはおそらくフェイクだ。
きっと最後の晩餐のつもりなのだろう。
憎らしいほど粋な演出をしてくれる、とマルグリットは乾いた笑いをもらした。
「…どうした?エイミィ。」
一点を見つめたまま微動だにしない下女を見て、王は再度下女に問いかける。
―いえ、どうしたもなにも。
マルグリットは絶望的な心持ちで顔を上げた。
「私、何かやらかしてしまったのでしょうか…」
「やらかし…まあ、そうだな。」
「―!」
下女はさらに顔色を悪くした。不安定にふらふらと体が揺れる。
その行動が可笑しかったのか、王は楽しげに瞳を揺らした。
「では、このような施しは結構です。」
「…?」
―が、明らかに様子のおかしい下女に笑いが止まる。
彼女は机の上の茶菓子には目も止めず、椅子を引いてふらりと立ち上がった。
「刑罰なら甘んじてお受けします。ご迷惑をかけて申し訳ありませんでした…」
「―なんだと?」
「これから牢屋行きでしょうか?あの、遺書を書く時間くらいは与えてもらってもいいですか?」
「ああ、待て待て!そのような意味でお前を呼び付けたのではない!」
ヴィルフリートは慌てて今にも自殺しそうなマルグリットを呼びとめる。
下女はぎぎ、とぎこちない動きで立ち止まり彼の方へ顔を向けた。
「…何でしょうか。」
「そんな死人のような顔はやめろ。お前は処罰されるのではない。」
「へ?」
「いいから座れ。説明をする。」
首をかしげ、間抜けな表情をさらすマルグリットに、悪ふざけが過ぎたか、と頬をかくヴィルフリート。
両者とも傍から見ればひどく滑稽に見えた。
―何だこの茶番劇は。
その場にいた全員が思ったことだろう。
何人かは堪え切れずに噴き出してしまっていた。
「…あの兵士が間者だった?」
「そうだ。クライスからの、な。」
陛下直々に懇切丁寧な説明をされ、成る程、と下女は頷く。
あの不審な交代の正体は他国からのスパイだった、というわけか。
早朝で人が少ない時間帯だったとはいえなんとも間抜けな失敗をするものだ、とマルグリットは思った。
「彼の国はレイノッドの交易権が我が国に優先されるようになったのを訝り、探りを入れて来たのだ。まあ、予想はしていたが…。」
「…陛下、よろしいのですか?そのような機密を彼女に話して。」
すると、内情を惜しげなく話す王に横やりが入る。
金髪碧眼の男、国王の側近であるユインだ。
マルグリットは初めて見る彼の姿に萎縮して、椅子の上に縮こまった。
「………。」
ユインは目の前の下女を見下し、理解できない、とばかりに首を振る。
何の変哲もない赤毛の下級召使。
どこにでもいそうな、こんな娘ひとり捕まえて、王は何がしたいのだ。
しかも上層部の一部にしか報告していないことをペラペラと――
だが、当の国王は何を言っているんだとばかりに反論した。
「いいもなにも、そもそもの原因であるあの花を見つけたのはこの下女だぞ。」
「―なんですって?」
「兵士の様子がおかしいことを指摘したのも、だ。相手に結果を教えるのは当然だろう?」
「……な、」
それはユインにとって、思いもよらぬ返答だった。
降ってわいた幸運としか思えない、あの奇跡の出来事。
そして間者の早期発見。
すべてがこの赤毛の女の仕業だというのか。
そんな、まさか――
目を見開き、驚きを隠せないユイン。
対する国王は、側近の期待通りの反応に満足げにニヤリと口角を上げた。
「まあ、それで今日はお前の功績をたたえて特別に茶会を開いたのだ。存分に味わうがよい。」
「そ、それは…恐縮です…」
しかし、それはできればして欲しくなかったかな…
マルグリットは乾いた笑みを貼りつけながら、心中では冷や汗まみれだった。
―神に誓って言おう。
これは単なる偶然の重なりだと。
珍しいと思って目に留めた花が難病を治す薬とは知らなかった。
兵士の交代がオカシイと気付いたのも恋する乙女パワーのおかげで…マルグリット本人とは関わりはない。
――それが…何でこんなおおごとになっているのよ!
マルグリットは半ばキレながらも、
ごめんエイミィ、と最早何回目かも分からない謝罪をひたすら繰り返した。
「……エイミィ?聞いているか?」
「…あ!はいっ!」
マルグリットは弾けたように顔を上げた。
―そうだ、今はこの状況を切りぬけるのが先決だ。
後でルビアに愚痴をたっぷり聞いてもらうとして、何事もなくこの茶会をやり過ごさなければ!
「ほら、好きなものを食べろ。どれも一級品だぞ。」
「は、はい…本当に素晴らしいですね。」
「そう、例えばこの紅茶は非常に珍しいものでな、少数民族が独自の方法でブレンドしたものらしい。飲んでみろ。」
「あ、そ、そうですか。…では………!」
―とりあえず、これ飲めばいいのね。
下女が慌てて手に取ったのは、湯気の立つ美味しそうな紅茶。
だが、その薄い赤色の液体を口に含んだ途端――『エイミィ』の顔つきが変わった。
――このにおい、味……。
「!?」
瞬間、周囲がざわめいた。
突然、下女がペッと口の中の液体を吐きだしたのだ。
王の御前であり得ない蛮行。
しかし本人は、いきなり何をするんだ!?とざわめく人々には目もくれず、素早く正面に視線を走らせる。
そして陛下が今まさにカップに口をつけるところを見て、マルグリットは叫んだ。
「待って下さい!!」
「?…なんだ、どうしたんだ。」
ヴィルフリートも彼女の気迫に圧倒され、茶を口に運ぼうとしていた手が止まる。
その隙に蹴り倒さんばかりに椅子から立ち上がり、ずかずかと王の傍まで寄った下女。
そして彼のティーカップからも漂う異質なにおいに気付き、心の中で一瞬ため息をつく。
――ああもう、目立ちたくなかったのに。
「――陛下、それ、飲んじゃダメです。」
「は?」
国王の返事も待たず、下女は彼の持つティーカップを払い落した。




