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早朝の出来事



**********




早朝。


まだ日の出前だが、赤毛の下女はすでに仕事についていた。

花壇の花の水やりをするのが本日最初の仕事だ。

マルグリットは井戸水をたっぷりと汲んで、ジョウロに移した。


「よっと。…うーん、重いわね。」


大きなジョウロを胸に抱えながら歩くが、その足取りはかなりあやしい。よたよたとふらついている。

それでもなんとか花壇までたどり着き、下女はやれやれとばかりに地面にジョウロを置いた。



「朝早くから御苦労だな。」

「………。」



―と、背後から話しかけられ、マルグリットはぎくりと体を強張らせる。

振り返らなくても声の主が誰だか分かる。

またか、とマルグリットはため息をつきたくなった。



「…陛下。またいらしたんですか?」

「何だ、来てはいけないのか。」



振り返れば、やはり予想した通りの人物が立っていた。

―朝もやの中、銀髪は少しくすんで見えるがいつもと変わらず美しい姿のヴィルフリートが。

彼は赤毛の下女と目を合わせ、口角を上げた。


「いえ、まさか。でもまだ朝も早いお時間ですし、寝室へ戻られた方が…」

「今日は早く目が覚めたから、散歩中だ。」

「ならば、別の場所に。ここではお召し物が汚れてしまいます。」

「どこを歩こうが私の勝手だろう。」


…いつものことだが、話にならない。


聡明との噂だが、『空気を読む』ことはできないのかこの人は。

下女は引きつった笑みで『そうですか』とだけ言った。




―最近、国王陛下はマルグリットの行く先々にひょっこりと現れては、適当な会話をし、去っていく。

それも、『エイミィ』が一人でいる絶妙なタイミングで、だ。

宣言通り、暇になったら会いにきている、ということだろうか。

だがそれにしては場所、時間帯が特定され過ぎている気がする。

まさかどこかで情報を仕入れているのではないか?


…いずれにせよ、こう頻繁に来られては心臓が持たない。

マルグリットは気まぐれな国王に毎度悩まされていた。



「…分かりました。ならどうぞ散歩をお続け下さい。私は仕事があるので……って、あっ!」


もうこうなれば無視だ、とよろよろとジョウロを両手で持ち、水やりを続行しようとするマルグリット。

しかし、何時の間にか近くに寄っていた王がさっとそれを取り上げてしまった。


頭一つぶん高い男を見上げ、マルグリットは呆然とする。



「…あの、陛下。ジョウロを返してもらっても……」

「これはお前には重すぎるだろう。貸せ。」


そう言って片手で軽々とジョウロを持った国王は、そのまま花壇に歩み寄り、水をかけ始めた。

ジョウロから新鮮な水が花壇に咲く花に注がれるのを見て、マルグリットは心の中で絶叫する。

―いやいや!何をしてるんデスカッ!!



「ああ!そのようなこと、なさらないでください!」


マジで立場考えて!いや、人のこと言えないけど!!


「別に私が好きでやっていることだ。問題なかろう。」

「私が叱られてしまいますよ!いいから渡して下さい!…あと、水は根元からやってください。その方が、吸収がいいです!」

「む、そうか。」


一気にパニックに陥ったマルグリットだが、元々の貧乏性故か、ちゃっかり正しい水のやり方を指示してしまった。


――あああ、口が勝手に!なんてこと言ってるのよ、私!


瞬時に自分の言葉を後悔した下女は、声にならない声でうめく。

しかし、まったく気にしたそぶりも見せず、それに素直に従う王も王だ。


年季の入った大きなジョウロ片手に花に水をやる国王と、ぼうっと突っ立ている下女。

……何だこの構図、意味が分からない。ありえない。


というかこれ、他の人に見られたら、『エイミィ』のクビが……!!



「へ、陛下!もう、本当にいいですからあぁ!!」

「っ!?」


事態の深刻さを悟ったマルグリットは叫びながら陛下に――もしくは陛下が片手に持っているジョウロに――掴みかかった。


急な攻撃に驚いた王は大きな体を揺らし、危うくジョウロを取り落としそうになる――が、すんでのところでジョウロと、ついでに下女の体を支えることに成功した。



「―と、大丈夫か?危ないぞ。」

「きゃっ!」


王の声がやけに近い、と思えば、いつの間にか彼の長い腕が腰辺りに巻きついていた。


――うわあ、さらに状況悪化!

マルグリットは恥ずかしさに顔を真っ赤に染めて、『は、離して下さい!』と手足をばたつかせる。

赤毛の下女が小動物よろしく抵抗するのを見て、ヴィルフリートはくっとのどを鳴らした。


「意外によい身体つきだな?エイミィ。」

「~~!!」


さらに真っ赤になり、俯くマルグリット。羞恥心で体から火を吹きそうだ。

だが、ヴィルフリートも流石に可哀そうに思ったのか、それ以上は何も言わずに、素直に離してやった。

ついでにジョウロもその小さな手にもたせてやる。

中身の水は半分ほどに減っていて、だいぶ軽くなっていた。


「…ありがとうございます。」

「構わん。ほら、仕事を続けろ。」

「ハイ…」


ぶすくれた『エイミィ』は、ヴィルフリートと顔も合わせないでぽつりと言った。

もうどうにでもしてくれ、といった様子だ。陛下の奇行も理解することを諦めた。





その後、マルグリットは井戸と花壇の往復を何度か繰り返し(何故か毎回、陛下がマルグリットからジョウロを奪って運んだが)、日が完全に昇ったころ、ようやくすべての花の水やりが終わった。

やっと終わった……

最後の一滴が地面に吸い込まれていくのを確認した後、マルグリットは大きく息をついてしまった。



「…陛下。手伝っていただいて…その、ありがとうございます。」


ジョウロを置き、振り返ったマルグリットは丁寧に頭を下げた。


もっとも手伝ってほしい、とはひとことも言わなかったのだが…まあ礼儀はきちんとしておかなければなるまい。とりあえず、もう解放されるわけだし。


そんな、妙に晴れ晴れとした表情の下女を見下し、ヴィルフリートは、



「…エイミィ。お前は面白いな。見ていて全く飽きない。」



―いきなり何やら違う話をしだした。

予想していなかった答えに、下女は首を傾げる。


「はあ、ありがとうございます…?」


――え、何が?面白くもなんともないと思いますが…?


意味が分からない、といった風にヘンテコな顔をする下女。

『そういうところだよ。』とヴィルフリートはまた笑った。



「なあ、エイミィ……」


ざく、と土を踏みしめてゆっくりと近づいてくる国王陛下。

その真剣な眼差しに、マルグリットは何か危険な雰囲気を感じた。


「な、なんですか?」

「いや、少し話がしたくてな…」


ならば、そんなに近付かなくても、と後ずさるマルグリット。

だが両者の距離は確実に狭まってきている。


――まずい!…なんだかよく分からないけど、とてつもなくヤバイ予感がするっ!!



「……あ、あー!あれ!ちょっと、あそこ見てください、陛下!」

「は?」

「ああ、えー、えっと…あの……」



咄嗟とっさに陛下の意識を逸らそうと、マルグリットは自分の正面を指さした。

思惑通り、気を逸らされた陛下は怪訝そうな顔をして、マルグリットの指の先を覗く。


―彼女の方も必死で『何か』を探した。



――何か、何か見つけて!なんとか場をつなぐのよ!



「えーと、あ!あの兵士、おかしくないですか?」



―すると、ちょうど西門前に交代する兵士たちが見えたので、それを餌にした。


ヴィルフリートも目を凝らしてその先を見る。

霧がかっていてよくは見えないが、二人の兵士が何やら話している姿がぼんやりと浮かんで見える。

やがて片方が残り、もう片方がその場を後にした。


―まあ、通常の『交代』風景だ。

これの何がおかしいのか、とヴィルフリートは下女を振り返った。


「―なにがだ?」

「このお城って、三交代制ですよね?まだ勤務時間内なのに、もう交代するみたいですよ?」


―そのひとことに、言われてみれば確かにそうだ、とヴィルフリートは思い出す。

この時間帯に警備をしている兵の交代の時刻は、鐘8つ。

交代時間にはまだだいぶ時間があった。


「…そういえばそうだな。だが欠勤した兵士の代わり、というだけではないか?」

「それはありえませんよ。休暇願も欠勤願も、本日、あの近辺担当の兵士からは出ていないはずです。」

「…詳しいな。」

「まあ……えっと、そうですね。とある情報をもらいまして。」


マルグリットは曖昧に笑った。

―実は下女の同僚にとある兵士に恋をしている娘がいて、愛しの彼の担当先を日々調べまくっているのだ。

今朝、たまたま会った彼女がそう言ったのを思い出し、話しただけのことである。


…まあ、彼女の名誉にかけて、そのことを口にするつもりはないが。



マルグリットが情報通の彼女を思い浮かべていると、ヴィルフリートは思案顔で頷き、口を開いた。



「まあ…確かに気になるな。少し調べてみることにしよう。」

「そうですか。」

「で、エイミィ。私の話だが…」

「――陛下!!」


―すると、執事か召使の一人だろうか。

だいぶ年を召した老人が、血相を変えてこちらに走ってくるのが見えた。

それを見て、ヴィルフリートは忌々しげに舌を打つ。


「ああ、こんな所に…!何故、寝所におられないのですかっ!」

「…早朝の散歩だ。」

「それならそうと、一言仰ってください!侍従の者が真っ青な顔で報告してきましたぞ!?」


必死の形相で懇願する老人。やはり、この王は寝台をこっそり抜け出してきたらしい。

…だから言わんこっちゃない。

お付きの人も大変だ、とマルグリットは密かに笑った。



「では、ごきげんよう。国王陛下。」



ともあれ、

陛下の意識を逸らし不自然にならない程度に場をつなげることができてよかった、と思いながらマルグリットは彼に向かって一礼をした。

そして



――今度から絶対、絶対に団体行動に徹しよう。


そう決意も新たにしてその場を去った。





去ってゆく下女を見て、ヴィルフリートは眉をひそめた。


「……また逃げられてしまったか。」

「―陛下?何か仰られましたか?」

「いや、何でもない。…それよりも聞きたいことがある。あそこの警備担当の兵士についてだが……」


だが、すぐに顔の表情を消すと、王は先程のことを老人に話しだした。








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