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恩知らず

作者: 山中幸盛

 山中幸盛は二十年以上ぶりに魚釣りを始めた。『水郷』海部郡蟹江町で生まれ育ったため中学生の頃までは近所の水田用水などでよくフナ釣りをしたものだが、以来、まったく魚釣りから遠ざかっていた。久しぶりにやる気になったのは、今年の新入社員の一人に釣りキチガイがいて、釣行のたびに自慢話を聞かされたからだ。

「昨日、名古屋港で三十九センチのクロダイがかかってすごい引きでしたよ。塩焼きにして食べたけど、へたな真鯛なんかよりずっとうまいスよ」

「昨日、日間賀島で釣ったアイナメは帰ってすぐ刺身にして食べたけど、超新鮮だからコリコリしててうまいスよ」

「昨日、志摩半島の国崎港に行ったらサビキ釣りの人のサオに四十五センチのヒラメがかかったんで、オレのタモを出して取り込んでやりましたよ。サビキにまず小アジが食いついて、それをヒラメがガバッと呑み込んできたんス」

 食い意地の張った幸盛はヒラメと聞いて思わず身を乗り出した。一度だけ食べたことがあるヒラメの刺身のモチモチっとして甘みのある美味を思い出したからだ。そもそもフナなどの川魚は生臭くて食べられる代物じゃないから、海の魚はとても魅力的なのだ。

 善は急げ、と後輩にせき立てられてその日の夜に釣具店に行き、特売品ばかりを買い求めて週末の釣行に備えた。行き先はもちろん、ヒラメが釣れたという三重県鳥羽市の国崎港に決めた。釣りキチはヒラメなんかめったに釣れないから北陸でアジを狙いたいとぬかしたが、幸盛の頭の中はヒラメの刺身がてんこ盛りで聞く耳を持たなかった。


 幸盛は十本目のたばこを防波堤の灯台下のコンクリートでもみ消して携帯用灰皿に押し込み、五メートルとなりで釣糸を垂れている釣りキチの所まで行って声をかけた。

「おい、なかなか釣れないじゃないか」

「いやだなあ先輩、そんなに簡単には釣れませんよ。まだ一時間もたっていないんスよ、のんびりいきましょうよ」

 幸盛はそれから三十分後にやっと七、八センチほどの小魚を釣り上げた。二十年ぶりに魚を釣った感触はえも言えぬものがある。釣りキチがニコニコ笑いながら教えてくれた。

「メバルですね。甘辛に煮て食べるとうまいスよ」

「そうか、これがメバルか」

「釣ってもらえてホッとしましたよ。先輩が一匹も釣れないんじゃ、明日会社で何を言われるかわからないスからね」

 幸盛はその直後にすぐ、そのメバルより一回り大きな魚を釣り上げた。幸盛は子供のようにはしゃいだ。

「おーい、また釣れたよ。これは何という魚だ?」

 釣りキチも上機嫌で応える。

「キスですよ。なんとか刺身にできそうスね」

「キスなら天ぷらだろう」

「揚げたてのキスの天ぷらは最高スよね。潮が動き出して、いよいよ食いがたってきたみたいス」

 幸盛がエサをつけ直して投げ込むと同時に、またまた魚が食いついた。チビのくせに猛烈な引きで、今度は幸盛でも一目見ただけでわかるピンク色に輝く真鯛の子供だった。幸盛は余裕の笑みをただよわせて釣りキチに言った。

「ところで、君はぜんぜん釣れないじゃないか」

「いいんス。今日は先輩に釣りの楽しさを味わってもらうために来たんスから。その場所はオレのマル秘ポイントで実績があるんスよ」

「そうか、道理でよく釣れると思ったよ。オレばっかり釣っちゃ悪いから替わろうか?」

「いえいえ、存分に楽しんで下さい」

「そうか、悪いなあ」

 その後も幸盛はまさに入れ食い状態で、カレイやメゴチも混じり、あっという間に三時間が経過した。一方釣りキチの方はフグを三匹釣っただけだから口が重い。

「いやあ、まいった、まいった、大漁だよ」

「……」

「来週は女房と子供たちを連れてきてやろうかな、みんなきっと喜ぶぞー、感謝、感謝」

「……」

「ところで本当に場所を替わらなくていいのか? おっ、またきた」

 幸盛は歓声を上げてリールを巻き始めた。今度はとてつもない大物のようでサオ先が大きくしなり糸が切れそうだ。

「こいつはすごい引きだぞ、タモタモ」

釣りキチはタモを持って立ち上がり、幸盛の背後に立って何事かつぶやいた。

「い……か……し……れ」

釣りキチの声が聞き取れなかったので、幸盛は興奮しながら聞き返した。

「ついにヒラメがきたってか?」

「いいかげんにしやがれと言ったんだよ、クソったれ」

 その直後、タモを頭からかぶった幸盛は五メートル下の海面に向かって真っ逆さまに落ちて行った。


 *「北斗」第554号(平成21年1・2月合併号)に掲載


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