君のいない春
3月、卒業式の朝は晴れていた。
空が青くて、光がやけにはっきりしていた。こういう日に限って、全部が鮮明に見える。
体育館の中は暖かかった。在校生の送辞、答辞、校歌。そういうものが順番に進んでいった。
俺は椅子に座って、前を向いていた。
蒼の席が、空だった。
出席番号順に並んだ席の、なかじま、のところ。誰も座っていなかった。当たり前だ。でも、ずっとそこが目に入った。
校長の話が続いていた。俺は聞いていたと思う。聞いていなかったかもしれない。
卒業証書を受け取るとき、名前を呼ばれた。
「宮田颯介」
返事をして、立ち上がって、壇上に向かった。証書を受け取って、お辞儀をして、席に戻った。
それだけのことが、やけに遠かった。
式が終わって、クラスで写真を撮った。
健吾が俺の肩に腕を回してきた。何も言わなかった。それでよかった。
早紀は最初から目が赤かった。泣いてないふりをしていたけど、誰も指摘しなかった。
担任の先生が「元気でな」と言った。
元気でな。
蒼が俺のアルバムに書いた言葉と、少し似ていた。
元気でいてね。
かっこつけないし、飾らない。ただそれだけを願っている。
蒼らしい言葉だと思った。
そして、蒼が一番最後まで俺に残した言葉だった。
カラオケに行こう、健吾が言い出した。
「この後さ、カラオケ行こうぜ」
早紀が「行く」と言った。俺も「行く」と言った。
3人で駅前のカラオケに入った。4人用の部屋を取った。
誰も、なぜ4人用なのかは言わなかった。
ほんとだったら、ここに蒼もいたのかと思いながら。
最初の1時間は、ほとんど歌っていた。
健吾がアップテンポの曲を入れ続けた。早紀がそれに乗っかった。俺も何曲か歌った。
普通だった。普通にしようとしていた。
でも、モニターに歌詞が流れるたびに、思い出した。
蒼はここに来たとき、何を歌っていたか。
確か、英語の曲を入れていた。発音が綺麗で、でも本人は恥ずかしそうにしていた。
健吾にからかわれて、「うるさい」と言いながら最後まで歌い切っていた。
そういうことを、覚えている。
2時間目に入ったあたりで、早紀が曲を入れるのをやめた。
「ねえ」と言った。
健吾が「ん?」と返した。
「蒼のこと、話してもいい?」
沈黙があった。短い沈黙だった。
「話そう」と健吾が言った。
最初に口を開いたのは早紀だった。
「蒼って、3秒黙るじゃん。あれ、最初ちょっと変だなって思ってたけど、途中からめちゃくちゃ好きになったんだよね」
「わかる」と健吾が言った。「あいつ、ちゃんと考えてるんだよな。俺たちが先に喋っちゃうだけで」
そうだ、と思った。
蒼が3秒黙るのは、ちゃんと考えているからだ。
俺はそれに気づくのに少し時間がかかった。でも気づいてからは、その3秒が好きだった。
「宮田くんは?」と早紀が聞いた。
「……俺も好きだった。あの3秒」
早紀が少し笑った。目が赤かった。
健吾が言った。
「俺さ、ずっと気づいてたよ。蒼が宮田のことが好きなの」
「……知ってた?」
「なんとなく。宮田のこと苦手か聞いたとき、蒼が『苦手じゃない』って言い方したから」
健吾はそう言って、少し間を置いた。
「だから、体育のペアのやつ、わざと先に別のやつと組んだ。宮田が蒼とペアになれるように」
俺は何も言えなかった。
健吾はずっと、そういうやつだった。
大事なことを言葉にしすぎない。でも、ちゃんとやっている。
夏祭りでも、そうだった。
「塾行ってくる」って言って消えたあの夜。
「……夏祭り、塾じゃなかっただろ」
健吾が笑った。「バレてた?」
「バレてた」
「ごめん、でもまあ、よかったじゃん」
よかったかどうかは、わからなかった。でも、あの夜のことは、今でも思い出す。
提灯の光と、金魚と、花火と。
蒼が星を見ていた。
早紀が、静かに言った。
「私も、好きだったんだ。宮田くんのこと」
誰も驚かなかった。
健吾は「知ってた」と言った。早紀が「言わないでよ」と言った。でも笑っていた。
俺は「ごめん」と言った。
「謝ることじゃないじゃん」と早紀は言った。「ただ、言いたかっただけ。蒼と同じで、ずっと言えなかったから」
蒼と同じで。
その言葉が、静かに刺さった。
言えなかった人間が、この部屋に何人いるんだろうと思った。
しばらく誰も喋らなかった。
モニターがスタンバイ画面に戻っていた。
俺はリモコンを持った。
「1曲、入れていい?」
健吾が「どうぞ」と言った。
4人で来たとき、あいつが歌っていた曲を入れた。
イントロが流れ始めた。
早紀が息を吸う音がした。健吾が膝に手を置いた。
俺は歌い始めた。
[i:初めて出会った日のこと 覚えてますか
過ぎ行く日の思い出を 忘れずにいて]
声が、途中で詰まりそうになった。
それでも続けた。
[i: あなたが見つめた全てを 感じていたくて
空を見上げた 今はそこで 私を見守っているの? 教えて…
今 逢いたい あなたに
伝えたいことが たくさんある
ねえ 逢いたい 逢いたい
気づけば面影 探して 悲しくて
どこにいるの? 抱きしめてよ
私は ここにいるよ ずっと]
伝えたいことが、たくさんあった。
ずっとあった。
でも俺は、何も言えなかった。
歌い終わったとき、俺の頬が濡れていた。
気づいたら、健吾と早紀も泣いていた。
誰も何も言わなかった。
それでよかった。
4時間で部屋を出た。
外はもう夜になっていた。3月の夜風が少し冷たかった。
3人で駅まで歩いた。
健吾が「腹減った」と言った。
早紀が「さっきまで泣いてたのに」と言った。
「泣いたら腹減るだろ」
俺は少しだけ笑った。
健吾はそういうやつだ。たぶん本人は気づいていない。
でも、あいつのそういうところに、ずっと救われてきた。蒼も、きっとそうだったと思う。
改札の前で別れた。
早紀が「また連絡するね」と言った。健吾が「な」と言った。
俺は「うん」と言った。
それぞれ違うホームに向かった。
電車の中、窓の外を見ていた。
夜の景色が流れていった。
蒼のことを、考えた。
体育館の天井のこと。修学旅行の夜のこと。図書室のこと。夏祭りの帰り道のこと。
廊下で「付き合ってほしい」と言った声のこと。
嘘じゃなかった。
俺にはわかっていた。
でも俺は、逃げた。
蒼はそれでも、あの交差点で体を張った。
考える前に、動いていた。
蒼はそういうやつだった。
電車が駅に着いた。
ホームに出て、階段を上がった。
夜風が吹いた。
空を見上げたら、星が出ていた。
夏祭りの夜みたいに、多くはないけど、いくつか。
蒼。お前がいつも俺を見ていたみたいに、今は俺がお前のいた場所を探してる。
来年の夏も、あの神社に行くかもしれない。
誰かと、あるいは一人で。
金魚すくいをするかもしれない。また持って帰れないのに。
そのとき、隣に誰もいなくても、お前がいた気がするかもしれない。
それでいい、と思った。
それが怖いけど、それでいいと思った。
でも同時に、君がいつも俺のそばにいる気もする。
俺はもしかしたら、新たな恋をするかもしれないし、できないかもしれない。
きっと蒼はどこかから俺のことをこっそり見てるのかな、教室で感じた視線みたいに。
読んでくださり、ありがとうございました。
健吾の視点のものや番外編はピクシブに載ってます!よかったらそちらも見てみてください!




