悪役令嬢が美しすぎたので、誰も王子の奇行を止めなかった結果。
よくある話
「まぁ」
態とらしいほどに驚きを顕に、丸くした目。
シャンデリアから零れる光を反射してキラキラと光る青と紫が神秘的なタンザナイト色の瞳が一際美しく輝く。
「困るわ……」
悩ましげに寄せられた眉。
ぽってりとして艶々の唇は、豪奢な刺繍が施された扇によってはらりと隠される。
背筋はスッと伸びて美しいのに、儚げに震わせた肩が、見ているものに守ってあげなければと忽ち感じさせるのは言うまでもない。
白い肌にするりと流れる、緩くウェーブしたシャンパンゴールドの髪が流れ落ちる様すらハッとするほど目を惹く。
事実、空気は揺れていたが、まだ早いと動き出すものは居なかった。
「ふん、お前のような傲慢な女でも婚約破棄は堪えたとみえる」
金髪碧眼の何処にでもいそうな風貌の王子は、隣にキュルキュルお目々が愛玩犬っぽい容姿をした令嬢を傍に置き、細い腰に腕を回している。
無駄に高い自尊心により胸を張り、つい今しがた婚約破棄を舞踏会という……他国の貴族も来賓している厄介な場面で告げたばかりだ。
既に元婚約者、という立場に追いやられている公爵令嬢がけぶる様な睫毛を僅かに伏せ、それ以上何も言わないのをいい事に、王子殿下はショックを受けているのだと判断した。
「グレイス、お前がいるせいで俺の人生は散々だった。常にお前と比較され続け、何をするにしてもお前ばかりが褒められる。俺の努力はお前以下だと、言われ続けた気持ちなど、お前には分かるまい! お前は事あるごとに、アレはいけないこれはいけないと口を出すばかりで……そんな時に俺を支えてくれたのが、ここに居るエマだ! 俺はグレイス、お前との婚約を破棄してエマと結婚する!」
「殿下……! 私嬉しいです!」
つらつらと自分語りをした王子殿下は、言い切った!とばかりに鼻息を荒くした。
――間違ってはいないのだ。
婚約者であった公爵令嬢グレイスは、人一倍よく出来た人間であった。
周辺国の語学は大抵読み書きをこなし、内5カ国語は現地人と問題なく話すことが出来る。
他国の法律、経済、政治事情にも精通し、内政をさせても外政を任せても間違いがないと言われている。
お茶会や舞踏会では、年上に可愛がられ、年下には憧れの人物として名前を上げられる筆頭がグレイスであった。
加えてその美貌である。
卵型の輪郭、白磁のようにつるりとして白い肌。目、鼻、口は黄金比でバランスよく配置され、柔らかく笑みをたたえた唇はふっくらとして柔らかく、紅を塗っておらずとも丹花のような唇が人目を惹く。
声は涼やかで、花弁からこぼれ落ちるよう。
タンザナイトのような瞳。扇状に広がる長い睫毛が陰を落とす様すら美しい。
出るところは出て、引っ込むところは引っ込んだグレイスの体型は、コルセットなしのドレスを社交界に流行らせたほど。
ザックリと背中が開かれたドレスから覗く、肩甲骨にある小さな黒子は、口付けを落としてしまいたくなると話題を誘う。
グレイスは、才色兼美の名を欲しいままにした女であるが、そんな彼女を婚約者としていたのが、この国の第一王子であった。
王子なだけはあって美形ではあるのだが、公の場で婚約破棄をしてしまう辺り、見ての通り、色々と足りない王子である。
王子殿下の教育係は何をしていたのか? と人は思うだろうが、勉強も政務も受けた教育分はキチンとこなしていた。
事あるごとに先を行くグレイスが現れてしまった為、己の出来と彼女を比較してしまい拗らせてしまっただけである。
「よく出来ましたね、グレイス様も12歳の頃には出来ていらしたのでこの調子で頑張りましょう」
と言ったような、まぁ、余計なひと言に悪意が無かったかと言われれば、分からない。
グレイスは百人いれば百人美しいと答えるような美人であったが、あいにく王子の好みのタイプはキュルキュル可愛い媚上手な女であった。
自分が居ないと生きていけない!と言いそうなくらいの弱そうなタイプに自尊心を擽られる事を良しとしている。
王子殿下が公の場で婚約破棄をしてやるど告げても、応援してしまう程度の頭の足りなさが、彼にはちょうど良かったのだ。
「何か言ってはどうだ、グレイス。才女と言われていたお前なのだから、口をきけないわけではあるまい」
「そうね……まずはその、お前と言う言い方をお止めになって? 不快だわ」
「なっ、おま、」
「……本当に、困ったこと。婚約をしてしまった以上、駄犬でも躾けると思い上がっておりましたけれど、想像以上のおバカさんでしたのね……」
グレイスはチラリと外野に視線を投げる。
「椅子をくださる?」
「はっ! 只今!」
グレイスがそう言えば、近衛騎士団の中でも屈強な男が転がり出てきて、硬い床の上であるにも関わらず迷わず四つん這いになった。
近衛騎士に選ばれるだけのことはあって顔も当然良いのだが、今男の頭にグレイスの椅子になる名誉以外にしたいことは無い。
グレイスは、少し困った顔をしたが「重かったらごめんなさいね」と言いつつも、男の上に腰を落とした。
彼女の椅子になり損ねた独身男性たちは悔しげに顔を歪めている。
「何をしているのだ、おま……君は」
「貴方のくだらない話に疲れたから座りたかっただけよ」
「くだらない、だと」
「貴方のような駄犬でも、私が婚約を結んでいた事には意味がございましたのよ? こんな公の場ではなくても良かったでしょうに。貴方が台無しにしてくださったから……この場で話を続けても構いませんわね?」
男に座ったまま小首を傾げるグレイス。
「君は、さっきから人のことを犬呼ばわりして。不敬だぞ」
「自覚がないのも困ったものですわね。これくらい素直でしたら良かったのに」
グレイスは座ったまま椅子の背を撫でる。
「君は、はしたないとは思わないのか」
「殿下には言われたくありませんわ?」
婚約破棄が既に確定とはなったとは言え、あくまでも書面上は未だに婚約者である。
先に不貞行為を見せつけたのは、間違いなく王子殿下の方だ。サッとエマの腰から手を離したところで、もう遅い。
「そもそも私と貴方の婚約は、私を外に出したくない我が公爵家と、私に直系王族を産ませたかった王家との契約でしてよ。……台無しになってしまいましたけれど。年の近い未婚の王族男性が貴方しかいなかったから、仕方なくの婚約でした」
ふう、とため息を溢すグレイス。
憂いを帯びた表情は見ているものの同情を誘う。
「私も、国を傾けたいわけではなかったので、貴方が少しも好みではなくて、駄犬のにおいがしていても、躾をすればまだマシになると思っておりましたが……見込みが外れましたわね……」
「残念だわ」と言いつつ、椅子になった男の立派な大臀筋の上を細い指が這う。
撫でられた椅子が身動ぎをすれば、グレイスの手がたしなめるようにピシャリと扇で軽く叩いた。
椅子は恍惚の表情を浮かべている。イケメンが台無しであるが、誰も気にしていない。
皆が見ているのはグレイスの一挙一動だけだ。
「婚約破棄自体は別に構わなくてよ。私、言うことを聞かない駄犬にいつまでも付き合って差し上げるほど寛容ではないもの」
グレイスが何かを告げるよりも先に、王子の側近だったはずの令息が彼女の前に膝をつき、用意しておいた婚約の解消に必要な書類を掲げる。
王子のサインは既に入っており、後はグレイスがサインするだけであった。
この書類は、舞踏会の場で婚約破棄をすると言い出した王子の為といい、側近が用意した正式な書類である。
「悪い子ね。でも用意が良くて助かるわ」
グレイスが側近の頬を撫でると、茹でたように真っ赤になってしまった側近は「とんでもございません」と言うだけで精一杯だった。
差し出された書類に渡されたペンでサラサラとサインをしてしまえば、証人の多さも相まって、完全に婚約が解消された事実は確定した。
サインを確認した側近はなんとか表情を引き締め「神殿に提出して参ります」と足早に出ていく。
「ふん……これで君は傷物と言うわけだ」
「あら、まだいらしたの? もう貴方に用は無くてよ」
「王族の婚約者として威張れていた日々も終わりだ。君には城から出ていってもらう」
「……駄犬と話すのは疲れますわね」
グレイスがため息を零せば、会場に控えていた近衛騎士が、王子を取り囲んだ。王子は「何をする!」と喚いているが、グレイスの憂いを取り払うこと以外に重要な事はないとでも言いたげに、王子は舞踏会の会場から連れ出されていった。
会場には静けさが戻る。
誰もこの異様さを止めない。
「煩わしい婚約も無くなりましたし。暫く自由を楽しもうかしら?」
「グレイスお姉様! 良かったです!」
「あら、子犬ちゃん。あの男に付いていかなくても良いの?」
グレイスの傍に尻尾を振る勢いで跪いているのは、先程王子に侍っていた筈のエマである。
「あんな男! グレイスお姉様と比べるまでもありません。お姉様の婚約が無くなって本当に良かったです」
「仕方のない子ばかりねぇ」
グレイスに頭や顎の下を撫でられ、幸せそうなエマ。
椅子に座ったまま、グレイスはぐるりと視線を回りにやる。
一国の王子と、公爵令嬢の婚約が無くなったとは思えないほど会場は落ち着いているが、それ以上に浮ついた空気がここにはあった。
何せ、国で一番の美女が、たった今フリーになったのだ。誰がグレイスの伴侶なるのか、諸外国を含め気にならない筈がない。
王子の言った傷など、グレイスにあるはずが無かった。
しいて言うならば、国一番の美女を袖にすることになった一人の男が、次期国王のレールを自らの手で外した、という事実しかない。
「いっその事、私が女王になれば話は早かったのかもしれないわね……」
「!!、素晴らしいお考えだと思います!」
思い付きの考えではあったが、悪くはない話に思えてきた。
グレイスは生まれた時から天使の如く美しい赤子で、噂を聞きつけた諸外国から婚約が殺到した過去がある。
まだグレイスが乳飲み子であったにも関わらず、だ。
グレイスの傍にいる事を望み、血で血を洗うような争いが勃発。
誰もがグレイスの笑顔を貰おうと躍起になった。
グレイスがまだ話せない乳飲み子だった頃には、何人も公爵家の屋敷に誘拐しようと目論んだ輩が侵入しようとしたという。
グレイスが言葉を操るようになってからは、被害はある意味減った。
グレイス本人が相手を虜にしてしまうせいだ。
彼女が「やめて」とひと言言えば、誰も手出しが出来ない。
幼児と呼べるくらい成長した年の頃には、遠く離れた帝国からも使者がやってきて、軒並みその美貌と紡がれる言葉に狂った。
帝国の皇子の使者としてやって来た筈にも関わらず、使者当人がグレイスに惚れて帰ることを拒み始めるのである。
グレイスは生まれながらの魔性の女であり、支配するものであった。
グレイスは言葉巧みに使者を手懐け「私の婚約を巡っての戦争はしないように調整してくださる?」と送り返す事で、諸外国をコントロールしていった。
仮に、直接皇子本人が乗り込んできたとして、結果は同じ。
グレイスの美貌に第一王子に関して言えば、透けた傲慢さがグレイスの好みではなく、犬としても及第点以下で、ちっとも相手をする気になれなかったのが駄目だった。
周囲の人間が、誰も王子のことを応援する気が無かったもの、悪かったのだろう。
王子の不幸は、グレイスの婚約者という防波堤に選ばれたことだ。
「ふふ、踊りましょうか、子犬ちゃん。リードは私がするわ」
「はわ……幸せですぅ……」
グレイスの椅子でなくなってしまった近衛騎士であったが、背中の温もりを噛み締めて幸せそうである。
グレイスとエマが華やかなドレスをくるりくるりとひらめかせながら踊り始めると、婚約破棄劇など無かったかのように音楽が流れ始める。
「少しだけ可哀想だったかもしれないわね」
ポツリとこぼした言葉は会場に消えていった。
その後、宣言通りにグレイスを女王に立て、国には優秀な王配が何人も集まる事になる。
現王陛下も王妃も、貴族達からも反対の声は不思議と上がらなかったという。
結果的に国は栄え、誰も消えた第一王子のことは気にしなかったそうだ。
グレイス・エスメ・フォーブ
公爵令嬢 17歳
生まれながらの女王様
普通に椅子を持ってきて欲しかったのだが、椅子になりたがる人の方が多いのでとりあえず座っておくタイプ。




