望郷に内包された悔恨
書き物をはじめてやってみました。
拙いものですが、読んでいただければ幸いです。
幼い頃は祖父母と海辺の屋敷で暮らしていた。
父母や弟妹達は都の本邸に居たが、祖父母から柔らかな雨のような愛情を受けていたので寂しいと思ったことは無かった。
私はこの海辺の屋敷が大好きだった。
屋敷は大きな湾のそばにあり、湾の向かい側にある港がよく見えた。
そこを出入りする大きな客船や貨物船、時には軍艦なども見ることがあり、出港した船が湾を出て見えなくなるまで眺めていた。
また屋敷の近くでは漁船が漁をしており、漁師が網を回収しているのを飽きずに見ていたりもした。
陽が落ちて真っ暗な海は少し怖いと思うこともあったけれど波の音は優しく、大きな船が通った後は少し大きな波音がして不思議と安心したりもした。
祖父は「この屋敷はお前のために残そう」と言ってくれていた。
「お前のためになるように」と「お前の役に立つように」と、何度も優しく言ってくれた。
都の学院へ進学しなければいけない歳になり、本邸へ帰った。
母や弟妹は喜んでくれたが、本心では海辺の屋敷に帰りたかった。自分が帰る場所は本邸ではなくなっていたから。
学院に入ってからは、大きな休みにしか海辺の屋敷へ帰れなかった。
それも都での生活が長くなるとあれこれと用事やしがらみが出来て、なかなか帰れなくなった。
それでも学院を卒業して自らがある程度の財産を築いたら、あの海辺の屋敷で暮らそうと心に決めて頑張っていた。
卒業後は手に職を付け、学院で出会った優しい夫と結婚し、順調に思い通りに暮らしていた。
もう少しで、あの海辺の屋敷で暮らせるようになるんじゃないかなと思っていた。そんなある日。
急に祖父が亡くなった。
加齢による良くないところは多少あったけれど、まだまだ元気で亡くなるなんて思ってなかった。
倒れたと連絡が来て、とるものとりあえず海辺の屋敷へ帰ったが、既に息を引き取っていた。
祖父の顔に触れるとただ眠っているように温かかったが、すぐにすうっと熱が無くなっていった。まるで待っていてくれたようだった。
屋敷には祖母が一人になってしまったので、本邸へ引っ越すことになった。
海辺の屋敷は誰も住む者がいなくなり、管理人がいるだけになった。
私と夫は休みを取って時折屋敷へ帰っていたが、そんなに度々帰れる訳もなく、屋敷もなんだか寂しげに見えた。
その後、私が病気になったり、夫の仕事がなかなか上手くいかなかったりとぐずぐずしているうちに、祖母が死病にかかってしまった。
すぐにどうこうなるような病状ではなかったが、祖母は後々を考え親族を集めて話をした。
その中で海辺の屋敷は私に相続させると宣言してくれた。
みな当然だとうなずいて、納得してくれたようだった。祖父が昔から私にくれると言っていたのを聞いていたから。
祖母の横にいた父も当然だという顔をしていた。
話の内容をきちんと法的な書類にしておこうとしていた矢先に祖母の病状が急変し、あっという間に亡くなってしまった。
いつも綺麗にしていた祖母だからと薄くお化粧をしてあげると、まるで眠っているようだった。
生前の祖父から贈られた、一番大好きだった美しいドレスを着て旅立って行った。
きっと大好きな祖父が迎えに来てくれて嬉しかったことだろう。
その後、海辺の屋敷は他所へ売られてしまった。気がついた時は売られた後だった。
父が長年にわたる放蕩の末、資金繰りが厳しくなり、穴埋めのために売ってしまったのだった。
私は何も聞いておらず、仕事や体調の都合もあり、時折屋敷へ帰ってはいたが住んではいなかったために知らなかった。
都の本邸へも新年の挨拶程度しか戻っていなかったので耳に入るのが遅れた。
そもそも祖父母によって築かれた財産と爵位であったが、父にはそれを維持する能力は無かった。
色々なところでいい顔をし、外に女を作り、身の回りを分不相応な高級品でかためて散財していた。
妻や子供達には自分の見栄のためだけにお金を使っていた。
父による借金がかさみ、都の本邸さえ維持できないような有様だった。
弟妹達もなんとかしようとしたが、もはや手の付けようがなかった。
母の住むところも無くなりそうだった。
母は弟と邸を出て、本邸も売却され、父は全てを失い、失意のうちに死んだ。
海辺の屋敷は小さなホテルになり、知る人ぞ知るといった感じで人気らしい。
弟妹達は何度か泊まりに行き、オーナーとも交流があるようだ。
私にも何度か一緒に行こうと声をかけてくれたが、どうしても行くことができなかった。
行ってしまうと、自分の帰る場所が無くなった事に直面しなければならないから。
どうしたって失ったことに納得できていないのだ。
頭では分かっているつもりでも、ふとした時に、心が弱くなった時に、あの海辺の屋敷へ帰りたくなる。
あの屋敷で穏やかに暮らす自分を想像して、それが出来ないことにまた悲しくなってしまう。
こんな気持ちでは到底そこへ泊まりに行くことなど出来ない。
子供も産まれて、日々の暮らしに追われて、あの頃夢見た生活とは遠く離れてしまっているが、それはそれで幸せなのだと思う。
だけど胸の奥であの海辺の屋敷を思う度に、心にあかぎれのような傷をぱっくりと開かせる。
その傷は癒えたかと思えばまたふとした拍子に開くのだ。
いつかあの海辺の屋敷へ帰るのではなく、行くことができるだろうか。
今はまだ、その日が来るのかはわからない。
お読みいただきありがとうございました。




