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「取り敢えずさ、その、サンドイッチの汚れ落とそ?」
オレは、美咲の膝上辺りを指さす。ブラックデニムにぽつぽつとマヨネーズの痕。
「どっかのトイレで落とすから大丈夫」
「こっち、水道あるから。前、酔ったときに水飲んだんだ」
逃げられないように手首を掴んで連行する。本当は手を繋ぎたいくらい舞い上がってる。だけど、45歳にもなると、手なんて繋げない。
「ちょっと、亮、放して」
無視。
水道の前まで連れていくと、美咲はバッグからハンカチを取り出した。美咲の手からそのハンカチを奪い、濡らして、トントンと叩くようにする。跪いて、目の前には美咲の腿がある。
「ははは。おばさんになってる。脚、太くなったな」
「なんてことゆーの?! 口説いてたんじゃないの?!」
美咲が怒る。
こんな反応も好きだったよな。
「ははは。変わってねーな」
「変わったんでしょ? おばさんになったって言ったばっかりじゃん」
オレも変わってねーな。こんなふうにプイって怒る反応が好き。
もう、離れるのは嫌なんだ。
「なあ、いつかさ、結婚しよ」
「無理」
「じゃ、会うだけは?」
「会うって、本当に会うだけ?」
「どこまでならOK? キスとハグ?」
「......」
「会いたい。涼介君とも」
「会えば? 友達って言ってたよ。涼介」
「美咲とも会いたい」
「会うだけなら」
「いい?」
「いーよ」
やった。努力家?のオレ。
サンドイッチの汚れが少しずつ取れていく。ふと美咲を見上げると、真っ赤な顔。
え?
こんな顔、初めて見た。美咲はクールで、大学時代に初めてキスしたときですら、余裕で微笑んでた。
「どーしたの? おばさん」
「なによ。おじさん」
「すっげー顔、赤くって可愛いんだけど」
「っるさい」
「取れた、あとは自然に乾けばOK」
立ち上がるとき、美咲の可哀想なくらいバクバク言ってる心臓の音が聞こえた。
うっそ。至近距離で聞こえるほどって、どんだけバクバクなんだよ。もうムリだ。手放すなんてできない。
「家まで送るだけだから」
「うん」
やばっ。オレの心臓もおかしくなってきた。
はー、なんだこれ?
この大の大人が2人して心臓バクバクって。
大人っつーか、世間から見たらオヤジとババア。
助手席を開け、手を取って、美咲を車に乗せる。車高の高い車だから、座った美咲の顔が外に立つオレの顔の高さになる。
美咲の心臓は治まったんだろうか。今は聞こえない。
可愛かったよなー、さっき。
そう思うと、無意識のうちに手が美咲の髪を耳にかけてた。
視線が絡む。
美咲が俯く。
再びはらりと零れた髪の隙間から、ほんのり染まった頬が見えた。
やばっ。可愛い。
バタン
助手席のドアを閉められた。
オレは自動精算機で清算し、車に乗り込んだ。
「家の前までは、やめた方がいい?」
「んー。じゃ、駅まで」
「お互いにフリーなのにな」
「やっぱり、会うだけでも後ろめたいよ」
「つき合うときは、ちゃんとご挨拶に行くから。美咲の実家にも」
「大ごとだね。この歳になると。既婚者が会うって、こんなにも不自然なことなんだね」
車は幹線道路に出て、気持ちよく進み始める。
「手、繋いでいい?」
返事を待たず、美咲の手を上から握る。
「熱っ」
美咲の手が熱い。昔、どちらかと言えば、冷たい手だった。まさか、オレが近くにいるから?
「なんかね、涼介を産んで、冷え性が治ったの」
「そんなん治るんだ」
はは。オレ、関係ねーし。夫婦だったら、こんな会話を日常でしてるんだろうな。
「亮の周り、こんな手してるおばさんいないんじゃない?」
「こんな手って?」
「犬の散歩で日焼けしてるし、爪だって短くて。今朝、お弁当作るとき玉ねぎ刻んだから、匂いが残ってる」
美咲の手を自分の鼻のところまで持ってきて匂いを嗅ぐ。
「あ、ちょっとする。玉ねぎの匂い。中指と薬指と親指。爪の間の辺から」
「家帰ったら、爪洗お」
「メシかー。オレ、今、外食と弁当ばっか」
「前は結構作ってたのに?」
「1人で食べるのに作るのがメンドクサイ。ま、昔は貧乏だったからってのもあるかな」
よく2人で台所に立ったよな。
料理の本見ながら、あーだこーだ言って。
魚さばくときとか、大騒ぎだったよな。




