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冷めてしまったコーヒーに口をつける。
今更。
どう話す?
どんな顔で会えばいい?
「こんな歳のジジイなんだが、小笠原さんの音楽が好きなんだよ。最初は、涼介の父親だから、いつかちゃんと話してCDや雑誌の対談なんか記事を渡そうと、取ってあったんだ。人気がなくなると手に入らなくなるって理由だった。ところが、もう20年近く第一線にいて、素晴らしい!買うたびに聴いていて、今では新しく出るのが待ち遠しいよ」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げた。
ファンだという言葉にじゃない。長年、涼介のためにオレの仕事の足跡を保管してくれたことに。
「なんなら今夜にでも、美咲さんとの席を設けようか?」
「いえ、今夜は仕事があります。事実を踏まえたうえで、近いうちに話をします。ただ、彼女とのことは、もう昔のことですから。本当に、あれ以来会っていないんです」
二階堂家の門をくぐる。
ジイ様は、玄関の外まで来て見送ってくれた。
もう昼か。
地下鉄に乗りながら、あいつと涼介のことを考えた。
今、どんな風になっているんだろうな。
45歳なんて、20代のころは「ババア」って言ってた。
太って、生活感バリバリかもいれない。
最初に惹かれたのは外見だったもんな。外見が変わってたら、気持ちが冷めるかもしれないよな。
ふと「母は綺麗です」とう涼介の言葉を思い出す。
外見で左右されるような気持ちってどうなんだろ?
今のオレなら、あいつと涼介を養っていける。
って、あいつ、金はあるってジイ様が言ってたっけ。
そっかー。もし、あの時あいつと結婚してたら、オレ、逆玉だったんだな。
でもさ、あいつがオレの傍にいたままだったら、売れなかったな。あの曲ができなかったわけだし。殺したい女。
地味にバンド活動続けて、フリーターのまま?
45歳のフリーターかー。結構辛いかも。
そう考えると、オレの人生は、美咲に捨てられてから上り調子。
でもさ、もし、もしだよ?
オレがあの家から美咲と涼介を連れ出したら、二階堂家はどうなるんだ?
人生の重大事件が起きようと、仕事は待ってくれない。
若い頃はバカで自分本位で、自殺未遂なんてして職場に多大な迷惑を掛けた。今では申し訳なさ過ぎて、塾の方へは足を向けて寝られない。
午後の仕事をきっちりこなし、借りておいたスタジオで音を十分出し、アドリブのチェックをしてから、ライブに向かった。
緊張。
今日のライブは、いつものメンバーじゃない。なんとなく話がまとまった即席バンド。しかもジャズ。観客の耳も肥えている。
向上心や野心があるわけじゃない。
声がかかったときは断らない主義。
可能性だから。
何よりも認めてもらえてるってことが嬉しい。
ただ、このバンドでのサックスフューチャーのスローな曲は断った。だから、サックスで有名な曲なのに、ピアノが主体。
45歳になっても実力は実力。
未だ音色に自信がない。
「人生は長い」か。
だったら、これから一生懸命練習すれば、少しはマシになるかも。
もう45歳。まだ45歳。
なあ、美咲。
今、何してる?
オレがしっかりしてたら、涼介を2人で育てられたよな。
「初めて歩いた」って喜んで、
「友達とケンかしたのかしら」って心配して、
「ちっとも勉強しない」って怒って、
オレはそんな美咲を見守って。「まあ、男の子なんだから」なんて言って。
オレがさ、手に入れたこの世界での成功は、悪魔に美咲を捧げた代償なのかもな。
もう11時か。
ライブが終わって、片付け、軽く反省会という名で一杯飲んだ。
楽器ケースをぶら下げながら新宿のピンクの街を足早に歩く。
明日は大きなライブ。しっかり眠らないといい音が出ない。
左手でスマホを操作しながら、仕事関係の連絡が入っていないかを確認する。
と。
涼介じゃん。
涼介からメッセージが入っていた。
『コンサートチケットありがとうございます。絶対行きます!』
息子かー。
実感がわかない。
でも、無性に嬉しい。




