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「ははは。金銭的にも......か。世間には、そう見えるだろうね。でも実際は違う。どうぞ。これ、美味しいんだよ」
ジイ様は、オレンジピールチョコレートの皿を差し出す。
「いただきます」
「当時、この家は、選挙活動や政治的なつき合いで、借金まみれだった。この家の土地すら抵当に入ってたんだ。美咲さんは、彼女のお祖父さんから生前贈与を受けて嫁いだ、持参金つきの娘で、どちらかと言えば、こっちにとっての命綱だった。おまけに、あの周辺の名士で、神奈川4区の票を見込めた」
「選挙ですか......」
昔、美咲が旦那の当選に万歳をしていた姿を思い出す。
「実際に票を集めたのは、美咲さんの力だ。美しく聡明な女性というのは、不思議と説得力がある。講演会や有権者に人気があったのは、息子よりも美咲さんだよ。それだけじゃない。この二階堂の家を、驚くほど鮮やかに立て直した。私の見込み通り、美咲さんはかなり優秀なビジネスマンだったよ」
「はあ......これ、美味しいです」
オレはどう答えていい分からず、お菓子の感想しか言えない。
「あの当時、美咲さんがこの家に入ってくれたのは、本当に感謝している。ただ、彼女の女としての幸せを奪ったんじゃないかって、今思うんだよ」
女としての幸せ?
「もう20代のお嬢さんではなくなってしまった。だけど、たった一人でこの家で、この先何十年も過ごすのかと思うと......人生は思った以上に長いんだよ。私には妻がいる。若い頃は政治活動のパートナーで、戦友みたいな関係でしかなかった。今は空気みたいなもんだ。だけど、一人じゃなくて良かったと思うんだよ。仕事に突っ走っているときはいい。でも、リタイアすると、自分を本当に慕ってくれてたのは、こんなにも少ないんだって実感する。伴侶がいて良かった。
人生は長すぎるんだよ」
「あまり考えないようにしていました」
考えたことはある。
30代のとき、ふと結婚したいと思うことがあった。まるで風邪をひいたみたいに。
周りの友達が身を固めて、ガキができて、遊びに誘い辛くなった。その時、別にさほど好きな女じゃなくても、優しい女ならいいんじゃないか?って思ったりした。
でなけりゃ、サックス吹いて、バーボン呷ってって停滞した日々が続いていくことになる。たった独りで。
「考えないように、か。小笠原さんはダンディだからモテるだろう」
「もうオジサンです。飲み屋の女の子くらいしかちやほやしてくれませんよ」
正直言えばモテる。今時独身の30代、40代の女なんて世間に溢れてる。
ただ、あの苦しいほどの感情にはならない。
「もっと早くに美咲さんを君に返すべきだったのかもしれないと、自分が美咲さんをこの家に引き止めたのは、罪深いことだったんじゃないかと、自分の長い人生の中で、これだけは償っておきたいと、この歳になって思うんだよ。本当に申し訳なかった」
ジイ様が姿勢を正してから、頭を下げる。
とんでもない。オレ達は引き裂かれたわけじゃない。自分達が選んだ道だ。
18年前、オレは定職に就かない道を選び、美咲は安定した生活を選んだ。
未亡人になったときだって、オレの前に姿すら現さなかった。
「罪なんて。自分のしたことの方が、罪だと思います」
あいつが苦しめばいい、地獄へ落ちればいいなんて考えから、下衆なことをしたオレは、重罪人だ。
あいつだって、結婚が決まっているのにオレに逢い続け、オレの子かもしれないのに産んでしまった罪人だ。
「一度、美咲さんと話してほしい。涼介のことを。その前に、君と二人で話しておきたかった」




