*
「君のお母さんは、聡明な人だから、ちゃんと考えてのことだと思うよ」
「でも、小笠原さんが作る曲の歌詞の女の人が全部母と重なって。だから、2人を逢わせたくて」
「犬の散歩に逃げたんだろ? だったら、無理だ」
「でも」
「君がお母さんを思う気持ちは分かった。だけど、これはダメだ」
さっきから心臓がバクバクいってる。いつからだ?
「困った人」からだ。
平常心を取り戻りしたのは、展望台を下まで下りてから。
思春期のガキでもあるまいに。
「飯でも食うか?」
「はい」
涼介はキューピット役を諦めたようだ。
2人でカレーの店に入った。他の店は女性客ばかりだったから。
海軍カレーを食べていると、涼介が口を開いた。
「小笠原さんは、今でも母を忘れられなくて独身なんだと思ってました」
「幻想幻想。どんだけロマンチストなんだよ」
「そんな歌詞ばっかだから」
こんなガキにまで言われちまったぜ。よく言われるんだよ。
「それがバンドの世界観だからね。ビジネス。遊びを知ってる大人の男。お洒落で女好き。ここまでだと、薄っぺらな印象だけど、ここに『忘れられない女』ってノスタルジーを入れると、味とコクが出る」
何十回と繰り返した言い訳。
「そうなんですか。でも、母は......」
「ん?」
「今でも小笠原さんの曲をこっそり聴いてます」
「それだけだよ」
嬉しい。
オレの音楽を聴いてくれてるんだ。
「お互いに独身ならって思ったんですけど」
「大人になると分かるよ」
あ、やばい。
「悪い。コンタクトずれた」
そう言い残して席を外す。
トイレの個室へ駆け込んだ。
顔を両手で覆う。
オレの曲があいつの鼓膜を揺らしてるんだ。
胸が熱い。喉の奥と鼻が痛い。指の隙間から漏れそうになる嗚咽を殺す。
体が震える。正体が分からない熱い感情がこみ上げてくる。
ノスタルジーじゃない。
涙が出ていないことを鏡で確認する。
鼻の頭が少し赤い。まあ、バレないだろう。
テーブルに戻る途中、会計を済ませた。
1人席に残された涼介は、窓の外の風景をスマホで写真に納めていた。
「横浜の記念に」
「2人で撮ろうぜ」
店を出て、インターコンチネンタルホテルや観覧車をバックに写真を撮った。
「明日さ、10時頃、お伺いするって家の人に言っといて」
「はい。伝えます」
「コンサートチケット持ってくよ」
「楽しみにしてます。けど、僕、学校なんですけど」
「涼介君がいる時間にお宅訪問は無理だろう。朝7時半前とか夕飯どきなんて」
「そうですね。母はどーかなー」
「それはお母さんが判断するよ」
東京に戻り、涼介をご丁寧に校門前で下ろした。
「部活には出れるだろ?」
「はい。6時間目もなんとか間に合います」
「走れ」
「ありがとうございました!」
その夜、遅くまで仕事をした後、一人、部屋で飲んだ。バーボン。
BGMは"殺したい女"の自主制作バージョン。
たった数年の結婚生活だったのか。
一緒にいたのは旦那よりオレの方が長いんだ。
苦労したんだろうな。女手一つで男の子を育てて。
しかも実家じゃなくて相手の実家で。
あんなでかい家だ。政治家の家なんて大変そうだ。
あいつが地獄へ落ちるのを望んでいたんじゃないのか?
だったら、あいつは、人より苦労を味わったかもしれないから喜べばいい。
違う。
オレが望んだのは、あいつと一緒に地獄へ落ちることだった。
明日会えるだろか。
また逃げられたりして。
10時なんて犬の散歩かもな。スーパーへ行く時間かもしれない。
スマホにLINEのメッセージが入っていた。
『ガキとのデートはどうだった? こっちは、わがままなおばさんのせいで、上級者コースの講師を初心者コースにまわすことになっちまった。来週、時間が空いてたら、わがままなおばさんの歌、聴きに来い』
ふーん。




