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ジープのホロに腕や脚をぶつけながら、あいつを抱いた。
オレは、自分の刻印を肌に残してやった。首筋なんて絵になる場所じゃない。
あいつにふさわしい場所。左の脚の付け根に赤い印を1つ。桃のスリットの下の方、右側に歯形。
普通に脚を揃えていたら見えない場所。
「痛!」
噛みつく性癖なんてない。痕をつけるのだって初めてだ。誰がどう見ても人間の歯形。薄らと血が滲んでいた。オレは悪趣味な下衆野郎だ。
美咲はそんな男から離れられない最低の女。
初めて避妊しなかった。
帰りの車の中は水を打ったように静かで。
この場にどんな音楽が相応しいかも分からず、BGMすら流さなかった。
あいつを実家に送り届けたのは0時を回っていた。
「バイバイ。亮」
「じゃ、またな」
いつも通りの挨拶。あいつはいつも「バイバイ」と言って、オレはいつも「また」と言う。
どうせ明日、部屋に来るんだろ?って思ってた。
結婚式当日、オレは自分の部屋で待った。
405号室。玄関に鍵すらかけずに。
「やっぱり結婚やめちゃった」ってあいつが帰ってくるから。
同じ大学出身で共通の友人が多い。つき合っていた期間が長かった。だいたい、時間が許す限りいつも一緒だった。
だから、友達もバンド仲間も、その日が美咲の結婚式だと知っていた。
さすがに、美咲が406号室を引き払ってからも逢っていたことは話していなかったけれど。
友達思いのいいヤツが、オレを飲みに誘ってくれた。
もちろん断った。「亮のばか」ってあいつが帰ってくるから。
あんな刻印を付けた女が初夜を迎えられるわけがない。
それとなく誰かが「飲み潰れてないかー?」と電話をくれた。そいつは翌朝「朝飯食いに行こうぜ」とオレを誘ってくれた。
断った。「新婚旅行なんか行かないよ」ってあいつが帰ってくるから。
あいつは来なかった。
4日間部屋にこもって、やっと「捨てられた」って自覚した。
塾の講師をして、バンド練習をして、メシ食って、寝て。
一見オレの生活は以前と変わらなかった。
「亮、ひっどい顔してるぜ?」
カッコつけることしか能がないような男だったはずなのに、鏡に写ったオレは、頬がこけ、目の下が窪み、無精ひげが生えていた。髪もぼさぼさ。服だって着のみ着のままだったからよれよれ。
「眠れなくてさ」
友達が心療内科を紹介してくれた。
オレはたかが女にフラれただけだ。
心療内科はもっと深刻な面持ちの人間で溢れていた。
待合室で「質問事項」の記入のとき診察を取り消した。
"あなたは死にたくなったことがありますか?"
"常に、ときどき、ほとんどない、全くない"
病院を紹介してくれた友達には分かってたのかもしれない。
死にたい。
朝目覚める意味がない。
メシの味が分からない。
サックスを吹くことすら億劫。
美咲がいない世界なんて。
死にたい。
一緒に地獄を見るのならいい。生きていける。
あいつがいないなら......
結婚式から10日後、オレは死ねるだけの薬を飲んだ。
発見してくれたのは、同じバンドのトロンボーンの徳さん。
いつ美咲が帰ってきても入れるように、マンションの鍵が開けてあったから、発見が早かった。
退院後、「女の部屋を追い出された」と徳さんがオレの部屋に転がり込んだ。
今思えば、あれは徳さんの優しさだ。
女に不自由しない徳さんには、第2、第3の宿がありそうだから。
女に捨てられて、殺人を犯した男と、自殺未遂で死に損なった男と、どっちがカッコ悪い?
圧倒的に自殺未遂の死に損ないだ。
塾の仕事は依願退職。実質クビ。
友達のおかげでオレの心はゆっくりと回復した。
自宅でぼーっと過ごしているときに、あいつを殺そうとした夜の曲をかいた。
"殺したい女"
それを自主制作のCDに入れようと提案したのは徳さん。
基本ボーカルがいないバンドだったから、歌はギターのヤツが歌った。だってさ、管楽器は口使って吹くから歌えねーもん。




