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そのころ、美咲はちょこちょことバンドボーカルに誘われ、いつの間にかジャズを歌ってた。
声の質が向いてるんだと思う。
全体的にハスキー。でも、ふっと甘い声も出す。
それは妙に色っぽくて、ときどきオレは2人で過ごす夜を連想してゾクッとした。
オレは美咲の部屋に入り浸りたかったけど、合鍵はもらえなかった。
毎日会いたくて、四六時中一緒にいたくて。
オレの病的な想いが通じたのか、美咲の部屋の隣が開いた。
オレは、自宅からの方が大学に近いにも関わらず、美咲の隣へ引っ越した。
両親が祖父母との同居のために家を改築するときだったって幸運も重なった。
美咲はクールだったけど、オレは新婚気分。
狭い部屋にクイーンサイズのベッドを置いて、お揃いの食器を買い込んだ。
「ほら、美咲。お揃いの部屋着」
「亮って、女の子みたい」
「いーじゃん。着ろよ」
「ど?」
「似合う♪」
「ホントに? 亮も似合うよ」
「脱がすけど」
がばっ
帰ってきて自分の部屋のドアを開けるとき、隣の部屋に電気が点いているかどうか見てしまう。点いていれば、自分の部屋のドアなんて、もう開けない。
糖度の高い生活だった。
いつも、どっちかの部屋にいた。
同棲と一緒。
若干住所が違うだけ。
2人とも音楽をやっていたけれど、ライブハウスで会うことはなくなった。
美咲は高いテーブルチャージを取るようなジャズバンドのボーカル。オレは、同世代と馴れ合っていた。
美咲が水っぽいステージ衣装を着ることには抵抗があったけれど、割と露出が少ないものを選んではいたし。大学のキャンパスでの美咲は、健康的なテニスサークルに所属する女子学生だった。
ライブのバイトの後、美咲は必ずオレの部屋へ来た。
いつもより少し濃いめの化粧のまま。
「亮ー。ちょっとだけ酔っちゃったー。へへ」
いつもクールだけど、酔っぱらうと子供っぽくなる。
「おつかれー。コーヒー飲む?」
「うん♪」
コーヒーのフィルターからコーヒーが落ちていく、たったそれだけの時間すら、オレは待ちきれなくてキスをした。
「だーめ。コーヒー飲む。だって、お酒臭いでしょ?」
美咲が自分の息の匂いを確認する。
何も答えず、美咲の唇を貪った。
シャワーの余裕すらない自分が滑稽にすら思えた。
好きで好きで。苦しい。
美咲の体に痕をつけないよう、優しくキスを繰り返す。
なんなんだろうな、この気持ち。
甘い声を聞いて、媚態を眺める。
燃えるような。
息を荒げて確かめる。
自分はこの女を愛してるんだって。
それまでの他の女とは似て非なる行為。
満たされていた。
時間を共有していても、2人は別の人間だった。
美咲は常に勉強をしていた。大学の勉強、公認会計士の勉強、ジャズボーカルの勉強。
オレは怠惰で、就職活動も億劫。
気づけば、美咲は公認会計士の資格を取り、業界有数の会計事務所に就職が決まっていた。
オレは、単位が足りず、4年生を2回することになった。
思えば、そこからだったんだ。
美咲は何も言わなかった。
オレはそれに甘えていた。
大学3年のころ、美咲の友達からの評価はカッコいい彼氏だった。
就職活動をしなかったころ、彼氏は大丈夫?と心配されていたらしい。人づてに聞いた。
卒業できなかったころ、ろくでもない彼氏と言われいたそうな。
美咲が会計事務所で働くころ、フリーターのオレのことは「あんな男とは別れなさい」と諭されていた。
オレと距離を置こうとした美咲は引越しを考えた。プータローのオレには住めないような家賃のマンションへ。
食い下がった。
バイトを増やして、美咲の隣へ引っ越した。
それが今のマンション。405号室。
美咲の部屋は406号室だった。
それまでと同じように、帰ってきて自分の部屋のドアの鍵を回すとき、隣の部屋を見る。灯りが漏れていれば、美咲の部屋へ帰った。
倍になった家賃のために増やしたパイトは、塾の講師。担当教科は世界地理と現代社会。
塾の講師の仕事をするオレを、美咲は嬉しそうに見ていた。
定職に就いて欲しいんだなって分かった。
いや、分かっていたんだ、そんなこと。
もうずっと前から。




