防災担当次官補佐(仮)の憂鬱
防災担当次官補佐(仮)の憂鬱
「本日付で、防災担当次官補佐(仮)に任命する」
辞令を受け取ったエドゥアルトは、三秒ほど固まった。
「あの、(仮)とは」
「正式な防災担当次官補佐のポストは、現在予算措置待ちだ。ゆえに、暫定措置として(仮)を付ける」
人事局の担当官は、淡々と説明した。
「(仮)の期間は」
「予算が通れば、正式化される」
「予算はいつ通るのでしょうか」
「それは財務局の判断による。我々は判断しない」
担当官は、次の書類を差し出した。
「では、こちらに署名を。(仮)であることの了承書だ」
エドゥアルトは、震える手で署名した。
こうして彼は、存在するかどうか不確定なポストに就任した。
防災室に配属された初日、エドゥアルトは自分の席を探した。
「あの、私の席は」
「ああ、(仮)の人か」
先輩職員が、部屋の隅を指さした。
そこには、机がなかった。
代わりに、折りたたみ式の小さなテーブルが置いてあった。
「これは」
「(仮)なので、正式な備品配分ができない。ゆえに、仮設机だ。庶務局の規定により、『職員(仮)には仮設備品を配分する』と定められている」
「椅子は」
「それも仮設だ」
指さされた先には、背もたれのない丸椅子があった。
エドゥアルトは、静かに丸椅子に座った。
三十秒で腰が痛くなった。
最初の任務が与えられたのは、その日の午後だった。
「『冬季積雪想定地域一覧(第十二次改訂版)』の誤字確認を頼む」
防災担当次長(河川)が、分厚い冊子を渡してきた。
「誤字、ですか」
「そうだ。昨年度版で誤字が三箇所発見された。ゆえに、今年度版は二重チェック体制とする。君が二人目だ」
「何ページあるんですか、これ」
「四百八十ページ」
エドゥアルトは、冊子を開いた。
最初のページには、延々と地名が列挙されている。
北部山岳地帯第一区画、同第二区画、同第三区画、北東丘陵地帯第一区画、同第二区画……
「これを全部」
「全部だ。期限は三日後。誤字が一つでもあれば、再印刷になる。再印刷になれば、配布が遅れる。配布が遅れれば、冬季対応計画全体に影響が出る」
「……了解しました」
エドゥアルトは、丸椅子に座り直した。
背もたれが恋しかった。
二日目、昼休み。
食堂で食事を取っていると、先輩職員が話しかけてきた。
「(仮)、調子はどうだ」
「腰が痛いです」
「そうだろうな。私も(仮)時代は丸椅子だった」
「先輩も(仮)だったんですか」
「三年間な」
エドゥアルトは、箸を止めた。
「三年」
「予算措置が遅れてな。正式化されたのは、たまたま前任者が異動したタイミングだった」
「……私も三年」
「さあな。それは財務局の判断だ」
先輩は、淡々とスープを飲んだ。
「ただ、一つ良いことがある」
「何ですか」
「(仮)は、責任も(仮)だ」
「どういう意味ですか」
「何か問題が起きても、『(仮)なので正式な権限がなかった』と言える。便利だぞ」
先輩は、にやりと笑った。
エドゥアルトは、何も言えなかった。
三日目、誤字チェックを終えたエドゥアルトは、報告書を提出した。
「誤字は」
「十二箇所、発見しました」
防災担当次長(河川)の顔色が、わずかに変わった。
「……十二」
「はい。こちらに一覧をまとめました」
リストを見た次長は、深く息を吐いた。
「これは、再印刷だな」
「申し訳ありません」
「いや、君のせいではない。よく見つけてくれた」
次長は、リストを持って奥の部屋へ消えた。
十分後、防災室全体に通達が回った。
『冬季積雪想定地域一覧(第十二次改訂版)』は再印刷とする。
配布予定日は二週間延期。
関係各局への通知は、様式第七号により明日中に発送すること。
エドゥアルトは、自分の仮設机に戻った。
「よくやった、(仮)」
先輩が、肩を叩いてきた。
「これで君の仕事は、正式に記録される」
「はい」
「ただし、記録上の名義は『防災担当次官補佐(仮)』だ」
「……はい」
「つまり、君が正式化されても、この功績は(仮)のものだ」
エドゥアルトは、丸椅子に崩れ落ちた。
一週間後、エドゥアルトに新しい辞令が届いた。
『防災担当次官補佐(仮)の任を解く』
「正式化、ですか!」
人事局の担当官は、首を横に振った。
「いや、(仮)そのものが廃止された」
「は?」
「財務局の判断により、防災担当次官補佐ポストの新設は見送られた。ゆえに、(仮)も不要となった」
「では、私は」
「元の部署に戻る。道路局第三課だったな」
担当官は、新しい辞令を差し出した。
『道路局第三課主事に任命する』
エドゥアルトは、辞令を受け取った。
「……一週間で終わったんですね、(仮)」
「そうだな。短い(仮)だった」
担当官は、書類を閉じた。
「ただ、一つ言っておく」
「はい」
「君の仕事は、ちゃんと記録されている。『防災担当次官補佐(仮)・エドゥアルト、誤字十二箇所を発見し、冬季対応計画の精度向上に寄与』と」
「それ、意味あるんですか」
「さあな。それは評価する側の判断だ」
担当官は、そう言って退室した。
エドゥアルトは、道路局へ戻った。
そこには、背もたれ付きの椅子が待っていた。
三ヶ月後。
道路局での日常業務に慣れ始めた頃、エドゥアルトの元に一通の文書が届いた。
『防災室より感謝状』
貴殿が防災担当次官補佐(仮)在任中に発見した誤字十二箇所は、
冬季対応計画の精度向上に大きく貢献した。
ここに、感謝の意を表する。
防災担当次官 ヴェルナー
感謝状には、正式な印が押されていた。
エドゥアルトは、それを引き出しにしまった。
「(仮)だったのに、感謝状は正式なんだな」
誰に言うでもなく、呟いた。
その日の午後、後輩が尋ねてきた。
「先輩、『防災担当次官補佐(仮)』って何ですか? 人事記録に載ってたんですけど」
エドゥアルトは、遠い目をした。
「……聞くな」
「?」
「いいから、聞くな」
後輩は、首をかしげて去っていった。
エドゥアルトは、窓の外を眺めた。
どこかで、また誰かが(仮)の辞令を受け取っているのかもしれない。
そう思うと、少しだけ、腰が痛くなった。




