9 ∞8《インフィニティエイト》 feat.星野兄弟
夏美と約束した、夏祭の時間が近づいている。
家の中は静かで、風に乗って遠くから祭の太鼓の音が聞こえていた。
昼過ぎに帰宅したリクはソファに座り、腕を組んで考え込んでいる。
ソラはショルダーバッグを提げて窓際に立ち、外を見つめていた。
仲が悪いわけではないけれど、普段から間に夏美がいないと会話らしい会話もない。
それを踏まえても、いま二人の間にはなんとも言えない緊張感が漂っている。
「リク、そろそろ約束の時間だよ。行かなきゃ」
リクは深く息を吸い、静かに口を開いた。
「俺は行かねぇよ」
その言葉に、ソラはようやく振り向く。
「……何で?」
「何でも何もない。祭は兄貴と夏美、二人で行け」
ソラの目がわずかに揺れる。
「これまで祭は三人で行っていただろ。なのに、なんでそんなことを言い出すんだ」
「夏美が誘ったのは兄貴だけだからだよ」
リクは立ち上がり、ソラを睨みつけた。
「俺はもう夏美に振られてる。だから、次は兄貴が覚悟を決める番だ」
「……え?」
ソラは予想外のことを言われて硬直した。
(夏美が誘ったのは、僕だけ? リクが振られたって、いつ? そんなそぶり、これまで一度もなかった。……リクは振られたのに、平気な顔をして夏美の幼なじみをやっているってことか?)
リクの声が、一気に大きくなった。
「いつまで聞き分けのいい優等生を演じるつもりだよ、兄貴!! 夏美のこと、好きなんだろ!! 好きで好きで、どうしようもないんだろ!? なんでそれを言わねぇんだよ!! 夏美は明日の朝、福岡に行っちまうんだぞ!!」
リクが声を荒らげても、ソラは目を伏せたまま答えない。
(振られるのは、怖い。夏美に「ごめん」と言われたら、それで終わる。それなら、何も言わない方がいい。友だちですらいられなくなるなら、友だちのままがいい)
「夏美が兄貴を選ぶなら、俺はちゃんと応援するよ。でも、兄貴は違うだろ? もし夏美が俺を選んでも、絶対応援なんてしねぇよな? そんなに出来た人間じゃねぇもんな!!」
ソラの指先が、わずかに震える。リクは一歩、ソラに詰め寄る。
リクの声には怒りと苛立ちが滲んでいた。
ソラと全く同じ造形なのに、ソラがしないような顔をする。
「……兄貴さ、俺と同じで甘い物苦手だよな? 甘いの苦手なくせに、いつも夏美に言われたら食ってやってた」
リクはソラの胸ぐらをつかんで叫んだ。
「夏美に好かれたくて、【優しい幼なじみのソラ】を演じてさ。ばっかみてぇ! お揃いのペンを贈ったり、優等生演じてまで必死に好かれようとする激重のくせに、なんで夏美に告白一つまともにできねぇんだよ、腰抜けが!! それで本当に俺の双子かよ!! なんで、俺じゃないんだ。なんで、こんな……」
リクはとっくに気づいていた。幼い頃からずっと側にいて、夏美を見ていたから。
だからこそ腹立たしい。ソラが振られることを恐れて、逃げようとしているのが許せなかった。
「……うるさい、うるさい、うるさい、うるさい! 黙れよリク!! さっきから、わかった風なこと言って!! こんな、こんなめちゃくちゃな気持ち、受け入れてくれるわけないじゃないか!! 好きになってもらえるわけないんだ!! リクに僕の気持ちがわかるもんか!!」
ソラはリクの腕を掴んで、泣きながら叫ぶ。
家族の前ですらほとんど見せない、良い子ではない本音を叩きつけた。
(夏美に選ばれたい、唯一でありたい。拒絶されたくない、他の誰にも触らせたくない。夏美が他の誰かの手を取るなら、邪魔したい。こんな醜い気持ち、夏美に知られたくない。でも、知ってほしい)
ソラはわかっていた。
好きでもない人間から向けられる気持ちは迷惑でしかないことを。
天文部の後輩、篠原があからさまに好意を向けてくるのを、《《うっとうしい》》としか思えなかった。他の部員が「可愛い後輩に慕われて、幸せ者だな星野」なんて冗談まじりに言うが、本当に心底うんざりしていた。
夏美から、そう思われていたらと思うと怖い。
リクは「ああいう計算高い女は嫌い」とあけすけに口にする。
平気でそんなことを言えるリクを愚かだと思う反面、正直すぎて羨ましいと思った。
夏美から冷たい人間だと思われたくないから、夏美の前では丁寧に接する。
それに、まわりの人間はソラに【品行方正な優等生像】を見ているから、そんなことを口にできるわけない。
人の目を気にして良い子でいようとする、リクの言う通りだ。
期待されたとおりに振る舞って、本音を全部飲み込んで、それでも隠している本心をわかってほしいと思う。
ソラは自分でも嫌になるほど歪だった。
ソラにありったけの怒りをぶつけられて、リクも負けじと言い返す。
ソラと正反対で、他人の顔色を一切気にせず好きなことを言う。
包み隠さない、本当の自分を好きになってもらいたいからだ。
本音をぶつけて嫌ってくるなら、ソイツは根っから合わない人間だったサヨウナラ。
それがリクだ。
去るものは追わない。
嫌いなものは嫌い。
好きなものは好き。
だからこそ、自分を全部隠したままで好かれようともがくソラに苛立った。
「わかるわけねぇだろ!! 兄貴は誰にも本音を言わねーんだから!! 言わないで察しろって無茶苦茶なんだよ!! グダグダ悩んでねーでとっとと行って告ってこいやボケ!! 兄貴より成績の悪い俺に簡単にできたことが、まさか優等生の兄貴にできねえわけねえよな!!」
十七年生きてきて、二人は初めて、ここまで本音をぶつけ合った。
しばらく黙ってにらみ合い、やがてソラは長い長いため息をついた。
リクの手を振り払い、玄関へ向かう。
「……もう時間だから行かなきゃ。それだけ偉そうなこと言ったこと後悔させてあげるから覚えてなよ、リク」
「明日の朝の俺が覚えてたらな」
リクはソラの方を見ず、片手をあげて応えた。




