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2 昨日と同じ朝。

 スマホの画面には8月8日 8:30と表示されている。

 部屋は()()のまま、空っぽ。

 部屋に残っているのは、敷き布団とタオルケット、財布や手帳を詰めたショルダーバッグだけ。


 外から聞こえるのは、耳が痛くなるほどのセミの鳴き声。

 チャイムが連打される中、夏美はぼんやりと自分の手のひらを見つめる。


(なんで、傷がなくなっているんだろう。あれ? 傷? 私、怪我なんてしてたっけ? 昨日は引っ越しの荷物を詰めていたはず、だよね)



「おーい夏美! 早くしろー!」

「……今行くー!」


 窓の外に返事をして、ねぐせ頭のままで夏美が玄関を開ける。

 いつもどおりソラとリクがそこにいた。

 

「おそよう!」


 開口一番、リクが夏美の頭を指して笑う。


「なんだその寝ぐせ! 羽のハタキみたいにボッサボサじゃん」

「もー! うるさいな。いいじゃんちょっとくらい」


 いつもの軽口に言い返して、夏美は寝癖を手でおさえた。


(頭がぼんやりする。なんでだろう。昨日も、こんなやり取りをした気がする。あれ? 昨日? 昨日って、八月七日?)

 

「髪くらいちゃんと直せよー。今日は最後の思い出作りなんだからさ!」


 リクが夏美の寝癖を笑い飛ばすのも、その隣でソラが微笑んでいるのも同じ。


(変だな。昨日も、聞いた気がする。でも、引っ越す前日は今日しかないから、昨日聞いたなんてあるわけが……)



「夏美、具合がよくないの? 顔色悪いよ。具合が悪いなら休んでいたほうがいいかもしれない」


 ソラがそっと手を伸ばして、クセがついた夏美の前髪を指先でのける。

 顔をのぞき込まれるのはいつものことなのに、触れられた部分が熱い。なぜか鼓動が早くなる。


(なんで私、ソラ相手にこんなに緊張してるの)


「な、んでもない……。学校に行くの?」

「おう。最後なんだし、行こうぜ!」


 リクは満足そうに頷くと、夏美の腕を取ろうとする。

 何故か夏美は、反射的に手を引っ込めてしまった。自分の手を見て、夏美自身も驚く。


(何してるの、私。リクが私の手を引っ張るのはいつものことなのに)


 リクも夏美の予想外の行動に目を丸くしている。


「どうしたんだよ夏美。兄貴の言うとおり具合悪いのか?」

「な、何でもない。……行こう」


 夏美は部屋に戻ってショルダーバッグを取ってくると、サンダルをつっかけて家を出た。





 耳が痛いくらいのセミの鳴き声。肌を刺す日光。

 眩しくて、手をひさしにして遠くを見る。

 むせ返るようなアスファルトの熱気の中を歩く。


 かつて同じ登校班だったお姉さんがたまたま帰省していて、挨拶を交わす。

 商店街でお気に入りの猫と遊んで、顔馴染みのおじさんおばさんたちに盛大に見送られて、夏美たちは高校に向かった。





 夏休みに入ってしばらく経つから、高校の校舎は普段より静かだ。


 校舎裏に位置するグラウンドからはバッティング練習の音がする。体育館からはバスケットボールの弾む音が聞こえてくる。

 校舎からは吹奏楽部の管楽器のメロディが届く。熟練の音色にちらほらと音の外れた楽器が混じっている。

 ちょっと音程の外れたトランペットが、同じ小節を何回も繰り返している。人が少ないぶん、そんな細かなところまで聞こえてなんだか面白い。


「いつもよりも静かだね。あのトランペットの音って一年生かな」

「そうかも。音楽は練習あるのみだから夏休みでもずっと来て練習しているみたい。天文学部の集まりのときにも聞こえていたから」

「ははは。俺がトラック走ってたときもだいたいあの音が聞こえてたぞ。なぁ、最後なんだし、教室見てこうぜ」


 教室に入ると、リクが窓際の自分の席にドサッと座る。


「……こうやって夏美と来るのも、最後なんだな。なーんか、変な感じ。夏休みがあけたあとも、そこに座ってそうな気がする。こんなに静かな教室って、不思議だよな」

「今日は先生がいないからいくらでも居眠りできるよ。良かったねリク」

「うるせぇ兄貴!」


 双子の軽口に、夏美はまた既視感を覚える。

 同じ台詞を、昨日も聞いた気がしてならない。


 昨日はずっと引越し業者さんと荷物の梱包をしていたはずで、学校には来ていない。

 ソラとリクも荷物を詰めて、掃除をするのを手伝ってくれていた、はず。


(予知夢? なわけないよね)




 ソラが所属する天文部の部室でものぞこうかという話になった。

 三人が並んで歩いていると、ノートを抱えた篠原芽衣が駆けてきた。


(あれ。私、この子に会ったの初めてなのに、なんで名前知ってるんだろう)


 一つ一つはささやかなものなのに、指先に刺さる棘のようななんとも言えない違和感がどんどんと降り積もっていく。


「ソラ先輩こんにちは! まさか夏休み中に会えるなんて、学校来てて良かった! 補習の先生この時間を指定したのナイス!」


 芽衣は満面の笑みでソラに駆け寄る。ご主人様を見つけた子犬よろしく、ソワソワ浮足立っていて、嬉しくて仕方ないと顔に書いてある。

 ソラの隣にいるリクにペコリとお辞儀をした。


「はじめまして、弟さん。あたし篠原芽衣っていいます。天文部でいつもソラ先輩にはお世話になってます。教え方がうまいからみんなソラ先輩のこと頼りにしてるんですよ」

「どーも」


 明るい挨拶をされても、やっぱりリクの反応は塩だ。


「私は青井夏美。よろしくね、篠原さん。さすがソラ。後輩に頼られてるんだね」

「どうも」


 芽衣は夏美の挨拶には、軽く会釈を返すだけだった。


「あのー、ソラ先輩、今ってお時間ありますか? 迷惑でなかったら、今から勉強教えてくれませんか?」

「今から?」


 ソラは夏美とリクの方を気にしながら、困ったように質問を返す。


「あの、あたし赤点取っちゃって……ソラ先輩、数学も英語も得意ですよね。ソラ先輩って天文部で星の話をするときもすごくわかりやすいし、頼りになるし。だから、先輩に教えてほしいなって」


 お願いしてくる芽衣は真剣そのもの。ずいっとソラに寄っていく。

 ソラは一見笑顔だけど、機嫌が悪いときのトーンで芽衣に答える。


「悪いけど、明日で夏美が引っ越すから、今のうちにいろいろ見てまわりたいんだ」

「そうですか……。今日は無理ですか。じゃあ今度、お時間あるときにお願いします」

「うん。そういうわけだから、早く行こう。夏美、リク」


 ソラは夏美の手を取って歩き出した。引っ張られるように、夏美も早足で歩く。

 リクは後ろを見ながらついてくる。


「あいつ夏美のこと完全スルーだったぞ。めちゃくちゃやなやつだな」


 リクが天文部の少女に辛辣な評価をするところも、なんだか聞き覚えがあるような気がした。



 校内をめぐったあと、向かったのはグラウンドだった。


 夏休みでも練習を続ける運動部の掛け声が響いている。

 陸上部の部員たちが、炎天下の中、懸命に走っていた。


 その中の一人が、リクを見つけて駆け寄ってきた。


「リク先輩! お疲れ様っす!」

「おお、カズキ! 暑いのに頑張ってんな!」

「うっす。先輩たちが抜けたぶん、後輩のおれらが頑張らないと!」


 カズキは運動着の裾で汗を拭いながら笑う。


「そういやリク先輩、大会でメダル取ったら好きな女に告るって言ってたの、どうなったんす? おれ、気になって夜しか寝れなくて」

「はっ!? ちょ、ば、バカ! そんなこと今ここで言うな!!」


 リクの表情が一瞬で引きつる。夏美の方を見て、カズキの口を手で塞いだ。


「なふへふへ? もひはひ、そのこ」

「黙れって!! ちょっとこっち来い!」


 リクはカズキの腕を掴むと、そのまま強引に引きずって走り去っていった。


 夏美とソラはその場に残された。

 夏美は、ただ驚いたように立ち尽くす。


(昨日と、違う?)


 そもそも昨日は学校に来ていないはずなのに、なぜこんな違和感を持ったのか。

 夏美は自分の中にあるはずのない記憶があって、困惑する。


 そんな夏美を、ソラがじっと見ていた。


「……夏美」

「なに?」

「昨日のこと、覚えてる?」


 ソラの言葉に、夏美の心臓が跳ねた。


「忘れないで、夏美」


 いつもよりもワントーン低い、穏やかで静かな声。


「何度でも言うよ。僕は、夏美が好きだ」


 静かな、けれどはっきりとした声だ。

 夏美は息を止めた。


(あれ? 前にも、同じことを言われた?)


 だけど、それがいつだったのか、思い出せない。夢の中でだったのか、それとも。


「夏美は僕のことどう思っている? ただの友達? それとも、僕と同じ気持ちを持ってくれている?」





 ─────《《昨日》》は、こんなこと言われなかった。





(そう、二度目。二度目だ。ソラに告白されたのは)


 ソラが夏美の手を取る。触れられた部分が熱い。

 子どもの頃から何度か手をつなぐことはあったけれど、十七歳のソラの手は大きくて、右手のひらは勉強をたくさんしているからかペンだこができていてところどころ硬い。

 もう、夏美もソラも子どもじゃない。

 真っ直ぐに見つめられて、目を逸らせない。これまでソラにこんな目で見つめられたことなんてない、はずだった。

 心の奥をざわつかせる熱をはらんでいる。


「夏美が僕をただの友達だというなら、もう、この話は終わり」

「わ、わかんないよ。突然言われたって。私自身、頭の中ぐちゃぐちゃで、何なのかわかんない」

「……泣かせたかったわけじゃない。泣かないで」


 ソラが指先で夏美の涙を拭う。


(この手を振り払ったら、友達ですらいられなくなるんじゃないの? それに、ソラの手を取れば、リクは……)


 恋愛は一対一。

 夏美の手は一対しかなくて、その手で掴める相手は一人だけ。


「ソラは、ソラの望む答えは、何?」

「答えがすぐに出てこないってことは、それが夏美の答え? ごめんね。もう言わない。夏美を泣かせるくらいなら、言わないほうが良かったね」


 ソラは手を離して、一歩下がった。すごく悲しそうな声。泣きそうな顔。

 答えを出せずに、そうさせたのは夏美だ。

 ソラには笑顔でいてほしい。悲しい顔なんてさせたくなかった。

 けれど恋愛対象として好きかどうか答えろと言われても、即答はできない。




 リクが戻ってきてから、ソラは一切その話題に触れずに、普通の会話を徹底した。

 夏美が望む"いつも通りの三人"に戻っただけなのに、もやもやする。


「あとは祭に行こうぜ。射的で夏美の好きなもん取ってやるよ!」

「やめときなよリク。絶対落とせないから」

「うるせー兄貴! やる前から諦めんな! 気合いがあればなんとかなる!」

 

 なんでもう一度八月八日が来たのか、夏美にはわからない。


「よーし。待ってろよ夏美。俺があのぬいぐるみを取ってやる!」

「お、いいねぇ兄さん。彼女のために当てるか!」


 おじさんがはやし立てるところも同じ。

 何回挑戦してもぬいぐるみに当てることはできず、参加賞の塩アメだけが増える。

 リクが「ぬいぐるみに重石いれてんだろ!」と店のおじさんに的はずれな文句をいうところも同じだった。

 


 ──ヒュルルル、ドンッ!



 夜空に大輪の花が咲いた。昨日見たのと同じ形、同じ色の花火だ。


 鮮やかな光が辺りを照らし、祭の喧騒が境内を包む。

 人々の波が、花火会場へと流れていく。

 そんな中、リクが立ち止まった。


「夏美」


 呼びかける声のトーンも昨日と同じ。


「俺、お前のことが好きだ」


 リクは緊張ぎみに声を震わせ、夏美をまっすぐ見る。いつものお調子者のリクではない、真剣な顔になる。


「ずっと言いたかった。今日言わないと、もう言う機会ないから。本当は、陸上大会でメダル取って、その時言いたかった」



 けれど次の瞬間、リクはふっと視線をそらした。


「でも……今すぐ答えを聞くのが怖いんだ。だから……明日、答えを聞かせてくれ」


 それだけ言い残し、花火会場のほうへと駆けていった。


 そばにいたソラが遠慮がちに夏美に声をかけてくる。


「夏美」

「……私、どうするのが正解なの?」


 夏美は座り込んでしまう。

 ソラの手を取るのが正解か、リクの手を取るのが正解か、それとも、この先もずっと友だちでいてほしいと言うのが正解なのか。

 何を選んでもこれまでの時間は壊れる。

 花火が上がって、風に乗って花火特有の火薬のにおいが漂ってくる。



 たくさんの人の歓声、祭の賑わいがすぐそこにあるはずなのに、自分だけ遠いところにいるように感じる。


 答えを出せない、自分の気持ちがわからない。

 今感じているこのぐちゃぐちゃな気持ちを、きちんと言葉にできないことがもどかしい。



 ソラが送ってくれるというのを遠慮して、一人で家に帰った。

 母がリビングから顔を出す。


「おかえりなさい、夏美。お祭行ってきたんでしょ。楽しかった?」

「…………ねぇ、お母さん。昨日は何月何日で、今日は何月何日かな」


 この不可解な現象が夢だと思いたくて聞いてみる。


「おかしなことを聞くのね。昨日は八月七日で、今日は八月八日よ」

「……昨日は、八月八日じゃないの」

「何言っているのよ。まだ寝ぼけているの?」


 正しいのは母で、おかしなことを言っているのは夏美なのだ。


(昨日は、八月七日?)


 何かを食べる気になれなくて、夏美は部屋にこもり、布団に倒れ込んだ。

 タオルケットに包まって膝を抱える。


 友達から恋のお悩み相談を聞かされることは多々あったけれど、夏美は自分が恋をする側になるなんて想像したことがなかった。


 夏美の抱えるものは少女漫画の主人公のような、胸を踊らせるキレイなものじゃない。


(知っちゃった。もう、何も聞かなかった時間には戻らない。ただの幼なじみでいられない。二人はいつから私のこと、恋愛対象として見ていたの?)


 ソラは夏美に告白した上で、これまで通りの幼なじみを演じている。

 でも長年一緒にいたから、ソラが無理して笑っているのがわかってしまって、罪悪感で苦しくなった。

 リクの告白を断っても、同じ顔をさせることになる。


 ただの幼なじみ三人組でいたいなんて、二人を苦しめるだけのわがままでしかなかった。


 頭の中にソラに言われたことが蘇る。



「昨日のこと、覚えてる?」


(ソラの言う昨日は──どの日を指しているの?)


「忘れないで。何度でも言うよ。僕は、夏美のことが好きだ」


 夏美は眠りに落ちる。



 ────そしてまた、八月八日の朝が来た。

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