第七十七話 玻璃城攻略戦
山に聳えたつ玻璃城を見つめ、桃は目を凝らすように細めた。
空を切り取る様に、そして山の緑とその尾根伝いに連なるように、本丸を始めとした曲輪が6つぐるりと山の麓にいる本隊を見下ろしている。
数で言えばこちらが優位にもかかわらず、此方が包囲されているような錯覚があった。
兵力は此方が上だとしても、今回は攻城戦だ。
防衛側が有利な上、下手を打てば手痛い反撃を受けることになる。
加えて実際に地形を目の当たりにして、桃は玻璃城の攻め辛さを改めて認識させられていた。
そしてそれを打ち破るべく、既に両軍陣を整えて緊張のにらみ合いを行う中で西側から山をぐるりと迂回するように動く部隊が一つ。
玻璃城北西部に位置する堰止湖を守る山王丸の攻略を担う勇魚と沙羅の軍勢である。
その数およそ千五百。
玻璃山中腹に位置する堰止湖――通称玻璃湖は玻璃城を始めとしたこの一帯の水源であり、この湖を抑えることが勇魚達の役割だ。
夕焼けはやがて宵闇となり、空が焼き尽くされたように染まり、紅の布を広げたような色から紫色に変化していく。
主軍は開戦以降攻撃姿勢を維持したまま、敵勢の視線を集めてくれている。
その隙に、勇魚が勘づかれないよう速やかに山道の中に軍を進めていくのだ。
(山の中はやっぱり軍を動かしづらいな……)
蘇芳の軍は、山に慣れた者が多い。
領内に比較的山が多く、多くの者は幼い時分から山に親しむことが多いためだ。
山を回り込んでの急襲を任されたのも、それを見越しての事だろう。
しかし勝手知ったる地元の山とは違う。
他の軍勢よりも早い自信はあるが、それでも普段通りとはいかない。
瑠璃を古巣とする沙羅の案内にも助けられつつ、時に獣道を通りながら勇魚は軍勢を急ぎ山中へ進めていく。
山王丸の門扉の前には人が通るための道が整備されてはいるが、流石に正面からは丸見えで押し通ることは出来ない。
接近した段階で気付かれて、門扉を閉められて守りを固められてしまうだろう。
そこで勇魚は目的の曲輪に続く道から密かにまた脇に入る。
そうして山肌に沿って立ち並ぶ木々や藪の中に身を潜めつつ、山王丸を見下ろせる場所に行き当たったところで、勇魚は一旦足を止めた。
急な下り坂の下、門扉の前で敵兵が見張りをしているのが見えた。
その陣容も曲輪の周囲の松明でそれとなく確認できる。
あちら側はまだ此方には気付いていない。
警戒は強まっているようだが、相手の兵力を考えると守備を突破するのは苦ではなさそうだ。
周囲は既に暗いが、お互いを見失うことなく、勇魚の軍はそれぞれの持ち場に集結していく。
この闇夜の中松明も灯さずにここまでこれた理由は、勇魚達が山に慣れていたからだけではない。
(……木下川の戦いの顛末聞いた時も思ったが、やっぱりこの人もすげえわ)
勇魚の腰に下げた硝子の小瓶の中。
その中には淡く光る砂が入っていた。
沙羅の魔力を使って生成できるという特殊な効果を持った砂のひとつである。
松明の炎よりも目立たず、かつ足下や互いを認識できる程度の発光をする。
兵達はこの砂を小瓶に入れて下げることで、蛍を追う様に互いを見失うことなくここまで来ることが出来たのだ。
天候次第では夜闇に紛れるなどしなくても良かっただろうが、闇に紛れるならばこの砂の存在はとてもありがたかった。
「勇魚様、皆集まりました」
「よし。こんだけ集まったままだらだらしてたら気付かれちまう。仕掛けるぞ」
報告をしてきた兵にそう告げて、勇魚は背後に目配せをする。
暗闇の中、兵達の目が獣のようにギラギラと輝いているのが分かった。
皆やる気十分のようだ。
敵兵の注意は主に正面に向いており、高所から見下ろされているとは思ってもいないだろう。
「よし、それじゃあ行くぞ!!派手にやるぞ!」
勇魚が手をあげ、「俺に続け!!皆掛かれ!!」と号令をする。
それと同時に、決壊した濁流のような勢いで一気呵成に兵達が坂を駆け下りた。
兵達は駆け下りる勢いのまま、開かれた門扉に向かって次々に大声を上げて突撃していく。
「敵襲!!敵襲だぁ!!」
それと同時に、見張りの兵達も曲輪を守るべく武器を持ってぞろぞろと現れる。
しかし下りで勢いづいた兵達の突撃と人の波が、体制を整える暇を与えなかった。
「門閉めろ!早く!」
「させるかぁ!!!」
勇魚の軍勢の兵の一人が、山王丸曲輪の門を閉めようと動いた兵達に槍を投擲する。
その槍は残念ながら当たることは無かったが、一瞬動きを鈍らせるには十分だった。
「うぉおおお!!」
勇魚がその隙を見逃さず、先陣を切る。
行く手を阻む兵達を槍でなぎ倒し、時に殴りつける。
勇魚は槍を曲輪の門をこじ開けるように挟みこむと、そのまま一気に押し込んでいく。
「う、うわっ!」
その勢いに、敵方の兵達の気勢が僅かに弱くなった。
閉じようとしていた曲輪の門の隙間がさらに広がり、そこに勇魚と沙羅の連れた兵達が一斉に押し込みをかける。
その勢いに、僅かな兵達に支えられた曲輪の門が耐えられるはずも無かった。
幾つもの大きな衝突音と、兵達の怒声。
遂に開かれた門扉から。一斉に勇魚達はなだれ込んでいく。
「くっそ!もっと篝火焚け!寝てる連中たたき起こせ!!
曲輪のあちこちからは敵兵が灯を持って慌ただしく集結し、持ち場を守ろうと武器を構える。
その中に、一際目立つ白磁の大鎧の武者が見えた。
「よお。久しぶりだな」
槍で襲い掛かる兵達を薙ぎ払い、その武者に勇魚は声をかける。
本来であれば、声などかける前にそのまま突き殺すべきなのだろう。
だが、それが通用する相手とも思えない。
現にその鎧武者の構えに隙は無く、背後から斬りかかった兵を手にした大太刀で両断してしまった。
もう既に、相手は此方に気が付いている。
「成程、今回はお前が相手か。蘇芳勇魚」
「ああ、覚えてくれていて嬉しいぜ。たしか、桜花だったか」
「そうか。先の戦で私の顔や名は露わになっていたのだったな」
そういって、桜花が頭の鎧を脱ぐ。
「いいのかよ。固めた防御を薄くするようなことをして」
「いい。寧ろ息苦しさが無くなって快適になるくらいでな。私は正直、鎧姿があまり好きじゃないんだ。こんな状況でなければ脱いでしまいたいくらいにな」
「そうかい。なら、早い所決着付けようぜ」
「そうしよう」
互いに武器を構える。
距離がある程度離れていても互いに間合いの長い得物。
互いに円を描くように様子を伺う、そんな一分の油断も出来ない空気の中で先に仕掛けたのは意外にも桜花だった。




