第六十五話 砂は散って炎を齎す
周囲の兵を退避させて、沙羅は三目八面と対峙していた。
これまでの戦いで転がる死体の血が川を赤く染め、周囲に巻き起こる沙羅の砂が太陽を遮る。
沙羅は三目八面を引き連れ、瑠璃の陣を離れて蘇芳の陣にほど近い岸へと来ていた。
先ほどまで晴れていた空が、まるで曇り空のようになっていた。
そんな中で、沙羅は三目八面の周りを動き回りながら突破口を探していた。
いくつもの顔が蠢く三目八面の身体は、どう動いても此方へ視線を向けてくる。
それぞれの顔に付いた眼は閉じられているが、沙羅が回り込もうとすると、その方向にある顔の目が開かれるのだ。
(おのれ厄介な……)
三目八面の能力を、沙羅はすべて把握しているわけでは無い。
なにせこの妖怪には、謎が多いのだ。
かつて聞いた話ではこの異形の妖は山間に住み、人を襲うという。
目を合わせてはならぬとか、人を襲い目玉を奪ってから食らうとか、恐ろしい話ばかりが広まっている。
数十年前旅をしていた頃に、とある山でばったりと出会ったことはあるが、その時も異形の姿を目にしただけで争ったわけでは無い。
互いに名と姿を知らないわけではないのだが、どう戦うのか此方からすれば謎なのだ。
一方で、此方は人からつけられた分かりやすい名がある。
砂掛婆の名の通り。沙羅の能力は砂に関わるものだ。
向こうはそれを知っている。
だからこそ沙羅は三目八面のあらゆる行動に警戒し、死角を探していた。
その結果がこれである。
死角に入ることは難しそうだと、沙羅は唇を嚙むような心持ちであった。
(あたしの様になにかの自然物を操るというわけでは無さそうだねぇ。手長足長の様に自身の異形の身体を用いた能力か……)
聴いた噂の中にも、なにか火や水を操るといったものは無い。
今の所複数ある顔やそこに付いた眼からなにか能力を使う訳でもない。
それでも厄介なのは、三目八面の備えた怪力であった。
今でこそ少し大柄な人間程度の体格だが、本来の姿はあれではない。
以前であっているからこそ、三目八面の本来の姿はもっと巨大で、人間離れしていることを沙羅は知っていた。
そして当然、その力は人のそれをはるかに超える。
三目八面にかかれば、人の身体など細い木の枝の様に容易く折れてしまう。
普通に考えれば、この怪力と異形こそがその能力と考えるべきなのだろう。
まだ三目八面は自身の能力を使っていないだけというか可能性もあった。
だが唯一、三目八面が嫌うものは知っている。
炎だ。
かつて旅をしていた頃、三目八面が住み着いた山を通る村人から教えてもらったのだ。
「あの妖怪はどうも、火が苦手らしいんですわ。松明の炎程度でも近寄ってこない」
当時その情報をあえて確かめるようなことはしなかったが、それが本当なのであればやり様はある。
(少し遠いが、ここまでくれば蘇芳本陣へ砂が届く)
ならばあらゆる想定をせねばと、此処まで移動しながら戦ってきた。
とにかく、なにか突破口を作るための情報と隙が必要だった。
「「そろそろ飽きてきた。飽きてきたなぁ」」
「奇遇だね。あたしもさ。なんで、仕掛けさせてもらうよ」
幸い、今の所三目八面は此方を目で追いきれてはいない。
動き回りながら砂を撒き、時に砂塵も交えてをけしかける沙羅を、三目八面は鬱陶し気に振り払う。
その隙を見て沙羅は即座に距離を取ると、周囲に渦巻く砂嵐を三目八面の周囲に収束させていく。
「「ぐうっ」」
三目八面が呻く声が砂嵐の中から漏れる。
「『砂塵牢壁』出られるもんなら出てみな」
高速で三目八面の周囲を囲む砂嵐は、正しく牢獄であった。
周囲に散らばっていた兵達の死体や、壊れた武器が砂嵐の壁に巻き上げられ、ヤスリでもかけたように削られていく。
(……特製の荒砂の高速回転だ。触れればそこから削り取られる。さあ、どう出る?)
油断なく沙羅は砂嵐を見つめ、中に閉じ込めた三目八面の動向を見守る。
これで戦闘不能なり行動不能にできれば僥倖。
しかし油断できないのは、三目八面があくまでまだ人の姿であったという事だ。
ただ確実に言えるのは、三目八面は簡単に動けるような状態ではない。
これを破るには時間がかかる。
(仕込むなら今の内か……)
周囲にまき散らした砂を集めて、蘇芳本陣へと飛ばす。
意志を持ったかのように一条の帯となった砂は、ゆらゆらと揺らめき砂粒に太陽の光を反射させながら蘇芳本陣へと飛んでいった。
更に袖口から瓶を取り出すと、その中身に入った鉱石をガリガリと齧って飲み込んだ。
「……不味い。あとで口直ししたいね」
眉根を寄せつつ歪ませた口元を袖で隠し、沙羅は静かに文句を垂れた。
勝つためとはいえ、正直積極的に口にしたいものではない。
ともあれ、飛ばした砂も蘇芳の陣へ到着したようだ。
準備は整った。
三目八面に変わった様子は見られない。
『砂塵牢壁』に撒かれたまま、じっと固まっている様子であった。
(……む?)
魔力の高まりは幾分か感じられるが、それでもこの砂塵の壁を破るほどではない。
訝し気に見つめる沙羅だったが、僅かな砂塵の揺れを見つけた。
――来る。ざわざわと肌に殺気を感じたその時だった。
砂塵の中の魔力が、突然膨れ上がった。
まるで無理やり押し広げられるような感覚に襲われながら、砂塵を破られぬ様に沙羅は踏ん張る。
しかしそれは長く続かなかった。
無理やり砂塵の壁を越えて血だらけになりながらも、野太く大きな腕が沙羅を捕まえようと伸びる。
「――!!しまった!」
突然の事に、沙羅の技にも綻びが生じる。
砂塵の回転が緩み、僅かに薄くなった砂の壁をさらに破って、三目八面はその禍々しい姿を現した。
「化身したか……」
現れたのは先ほどよりも巨大な、人の形を外れた姿。
巨大な頭を中心に、周囲に葡萄の様に三つの頭が生えていた。
その下には花弁の様に四方に頭がぶら下がり、上下を繋ぐ境目からは野太い腕が八本伸びていた。
「……ほんと、目の覚める姿さね」
「「へへへ、そうかぁそうかぁ。ありがとうなあ」」
「だから褒めてないよ」
沙羅が言い終えるや否や、三目八面が沙羅へ向かって素早く突進する。
八本ある腕の内の六本を動かして走るその様はまるで蟹のようであった。
沙羅はそれまで三目八面を囲んでいた砂塵を動かし対抗しようとしたが、砂はその怪力を前に次々と蹴散らされていく。
沙羅を捕まえようと伸びる腕を躱し、上空へ飛び上がった時、ついに三目八面は沙羅をその手の中に捕らえた。
「「油断した、油断したなあ砂かけ。」」
「……まったくだ。油断なんざするもんじゃない」
「「もう後悔しても遅い。遅いなぁ。砂かけよ。名を捨てて人寿郎に付く気はないかぁ」」
三目八面の言葉に、沙羅は思わず目を丸くした。
人の話をあまり聞かないこいつが、そんな事を言うとは思いもしなかったからだ。
「馬鹿言うんじゃないよ。親に捨てられたあんたが人寿郎に何を感じたのかは知らないが、あたしの主は吉祥様だ」
「「そうかそうか。残念、残念だぁ」」
沙羅は考えるまでも無くその提案を蹴った。
三目八面は意外な事に、本当に残念がっている様子であった。
即座に殺すわけでもなく、沙羅を持ち上げたままその大きな単眼を伏せて声を落としている。
「よく言うよ。持ち上げられたままじゃ疲れちまう。さっさと殺しな」
「「惜しいなぁ。惜しいなぁ。惜しいけど」」
「「――殺すか。」」
沙羅の身体が持ち上げられ、二本の手で力任せに引っ張られる。
まるで子供が羽虫でも引きちぎる様に、何一つ躊躇いもなく。
程なくして限界を迎えた沙羅の身体は、三目八面の頭上で文字通りはじけ飛ぶように爆散した。
「「なんだぁ、なんでこんな爆発……?これは、砂?それにこれば血じゃない。なんだあ?」」
三目八面にとって、その爆発は想定外の事であった。
本来であれば引きちぎった体を内蔵ごと喰らって、腹に収めるつもりだったからだ。
それが爆発して文字通り粉々に吹き飛び、三目八面の身体や地面に銀白色の粉末を降り積もらせていく。
沙羅の最後の攻撃かと三目八面は自身の身体を見つめるが、何の変化も無い。
浴びたはずの返り血もぬるりとした感触で、手に取って嗅いでみると独特の臭気があった。
その直後、三目八面の身体に数本の矢が突き刺さった。
「「火矢!?ならばこれは、油か!?」」
それは数本の、何の変哲もない火矢。
射抜かれれば傷を負うだろうが、たった数本の火矢では大したダメージにはならない。
三目八面にとっては苦手な炎だが、それでも今の巨体に、火矢の炎はあまりにも小さい。
川の水に飛び込めば、対処は容易い。
「「今更こん……!?なあああああぁああああっ!!」」
燃えたまま刺さる矢は鬱陶しいことこの上ないと、矢を抜こうとしたその時だった。
浴びた銀白の粉末と液体とを伝って、三目八面の身体に炎が燃え広がっていく。
数本の火矢は大きな即座に火炎と化し、三目八面の巨体を丸っと包んだ。
「「あああああ熱い!熱い熱い熱い熱いイィイイイイ!!!」」
身体を包む炎を消そうと転がり、転びながら三目八面は川へ走る。
そこに先ほどまでの余裕は無く、三目八面の思考から沙羅の爆散した体の事は消え失せていた。
「水水水!!水――!!」
川までの距離は僅か。
まして三目八面の巨体であればすぐだ。
目の前に現れた豊富な水は血に染まっているが、そんな事は関係ないと三目八面は慌てて川へと飛び込み――その瞬間、火花と爆炎を上げて爆発した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「おお、思ったよりも派手に爆発したね」
川で上がった爆炎を眺めながら、沙羅は呟く。
「凄まじいですな。沙羅殿の力は」
「あたしの力じゃないさ。あの粉のお陰さね」
「いえいえ。それを策に組み込み実行するだけの能力の事をいっておるのですよ」
蘇芳本陣から三目八面の末路を見守る沙羅を、幹久は高らかに笑って誉めそやした。
「沙羅殿が突然本陣に現れた時には驚きましたわい」
「あたしの能力の一つさね。同じ質量の砂があれば自分の場所をその砂と入れ替えられる」
『砂塵牢壁』へ三目八面を閉じ込めた時、沙羅は自身と同じ質量分の砂を蘇芳本陣へと送って、砂人形を作っていた。
三目八面に捕まった際、本陣に置いていた砂人形と自身を入れ替えたのだ。
「便利な力ですな」
「距離の制約はあるけどね。後は砂で己の分身を作ってやればいい。まあ分身というよりも自分を砂人形に変えて、本陣側の砂で身体を再構築したのが近い。事前に特定の物質を仕込んでおくこともできる。」
「では、あの粉末も?」
「ああ。あれはあたしが西の方を旅したときに、次元穴を通って異世界から来た男に教わったのさ。マグネシウムってあの男は呼んでたかね。あの石は粉末にすると燃えるんだとさ」
「では川に飛び込んだ時に爆発したのもその粉末が?」
「その男から教わったのさ。他にも使えそうな知識を色々とね。聞いた後にあたしの能力で鉱石を粉末に変えて、燃やして水ぶっかけたら言った通り爆発してね。魂消たもんさ」
その時の事を思い出してか、沙羅がやれやれと言った様子で話すのを幹久は笑って流した。
爆発すると聞いて実際に実験する当たり、沙羅も肝が据わっている。
その知識をもっていたという異世界人は、なにが切っ掛けでそんな知識を得ることになったのか、幹久の興味は尽きない。
「長く生きてきましたが、わしの知る事などほんの端の一部分なのだと思い知らされますなぁ」
「人間ってのはいろんなことを考える。あたしは土の魔物から生まれた存在だから鉱石の事には詳しいし、鉱石から色んなものを抽出できるが、人間の発想には驚かされることも多いよ」
「ではあのとき袖口から取り出して口にしていたのは」
「マグネシウム鉱石さ」
「それにしても、派手にやり過ぎでは?」
「そうだねえ」
幹久の言葉に、沙羅は川の生き物たちにかわいそうな事をしたと内省する。
あまり燃えるようなら『火消砂』で火を消すかと考えながら、沙羅は静かに燃え盛る炎を眺めていた。
とりあえず三目八面戦決着です。
三目八面の相手は沙羅さんというのは結構前から決めていたんですが、どう決着をつけるかというのが課題でしたが、なんとか形になったかと思います。
我〇羅といい、クロ〇ダイルといい、砂使いは便利で強い能力になりがちですよね。




