第六十四話 逃走と闘争のはじまり
「進め進めぇ!敵を逃がすなぁ!」
兵達が発する味方への声を背に受けながら、沙羅は再度馬へ跨り敵将を探す。
狼狽える敵兵は味方の兵士に任せれば良い。
沙羅の力が必要なのは、兵達の力では及ばぬ人寿郎側の敵将――妖怪を探して討つ事だった。
倒れた兵達の亡骸を散らしながら、周囲へ目を配り馬を走らせる。
《む、あれは……!》
目に入ったのは、兵達を尚も突撃させる一人の将だった。
奇妙な事に外套を頭からこんもりと被ったその将の顔は見えず、その表情どころか輪郭すらつかめない。
しかし、外套に覆われたその体の輪郭は明らかに不自然で、沙羅はその将がただ者でないことを即座に確信した。
あの外套は伊達や酔狂で来ているわけではない。
日差しを避ける為でも、ましてや防御の為でもない。
周囲の人間に自らの姿を誤魔化すためのものだ。
それなりに長く生きた妖怪である沙羅は、異形な見た目やその出生故に、人の目を避けてきた妖怪達に会ったことが何度もある。
そしてそういった存在が人寿郎の元にいることも知っていた。
「随分外套姿での指揮が様になっているじゃないか。三目八面」
『お前は確か砂掛の婆か。何百年ぶりやら。久しいなあ』
外套姿の人物は、なにか複数の人間が同時に喋っているような声で答えた。
そして返ってきた言葉に、沙羅はやはりと目をスッと細める。
「人間嫌いのあんたが、人寿郎の元にいるとはね。その上兵達の指揮まで執っているんだ。驚いたよ」
『戦はいいぞ。戦はいい。合法的に人間を殺せる。その為なら俺は、儂は、いくらでも命令を聴こう。人間に命令もしよう』
「物騒な奴だ。それでも馴染もうと外套被ってるんだから、マシになったのかねぇ。それとも人寿郎に言われただけか……。どっちにしろ通してもらうよ」
『そうか、そうか。それならそれなら、此処でお前も殺すか。殺そうかぁ』
直後、外套の中から伸びた腕を沙羅は後ろに跳んで躱した。
そして下がりつつも突風と砂嵐を吹かせて、三目八面の外套を吹き飛ばす。
『……ああ、ああ。外套がとれちまったぁ。また、また人寿郎に叱られる、叱られちまう』
現れたのは異形の姿。
八つの人間の顔と複数の手足をでたらめに配置したような見た目。
それぞれの顔は黒々とした単眼であり、そのうちの三つだけが開かれている。
常人が見れば生理的な嫌悪感と恐れを抱かせるに十分だった。
「あんたの姿は相変わらず目が覚めるよ。今でも人の姿に化けるのは下手みたいだね」
『へへへ、それほどでも、それほどでもないなぁ』
「褒めてないよ」
主に喋るのは、本来の人間の頭部にあたる部分にある三つの顔。
複数が同時に話しているような、違和感のある声と口調なのはそのためだ。
外套を纏っていたのも、この姿を見慣れぬ兵士が怯えるのを防ぐためだろう。
三目八面は複数の頭や手足を持つ魔物――例えば両面宿儺のような魔物達の系譜から出た奇形だとか、西側からやって来た魔物のなれの果てだとか、そういう話を耳にしたことがある。
複数の頭や手足を持つ魔物は信仰の対象になるのに、その配置が奇形となってしまっただけで爪はじきにするのだから勝手なものだ。
「まあいい。あんたを放っておくとこっちの兵達もやられちまいそうだ。あたしが遊んでやろう。来な。あんたも足元が川じゃあ動きづらいだろう」
『へへへ、いいなぁいいなぁ。ありがとうなあ。さっそくやろうか、殺そうか』
「礼なんていいさ。今から命を奪うのは、あたしらの方なんだからね」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「くそ、どうなってる。さっきまで迷いがあった敵兵達、今度は死ぬ気で突撃してきやがる」
向かって来た敵兵を貫きながら、勇魚が歯噛みする。
確かに勇魚の言う通り、先ほどまで迷いの見えた敵兵の動きに、ある種の覚悟が宿っていた。
こちらが敵本陣へ向かおうとする度に、させるものかと転進してでも止めにかかってくる。
敵将を本陣へ向かわせないのは当然の行動ではある。
だがその攻撃には此方への殺意というよりも、ただ此方の脚を止めることに対する執着が見えた。
桃はその切っ掛けに、心当たりがあった。
「さっき、敵本陣のある方向で赤い煙の狼煙が上がった。何かの合図だったのかも」
「何かって、いったいなんだよ」
「分からない。けど、この状況での合図だと可能性は絞られる」
少し前に、西の方でも挟撃が成功したと、こちら側の狼煙が上がった。
東西での挟撃が共に成功したとなれば、敵勢は総崩れの状態に近くなっているはずだ。
現に敵兵たちは先ほどまで進むべきか引くべきかの判断ができないような状態で、進む方向や行動が疎らな状態であった。
そんな中で新たな策を取るとは考えづらい。
そんなものがあれば、最初の桃の挟撃の時点で使っているはずだ。
この状況で優先すべきことは自ずと限られる。
「……相手が今一番優先したいのは、大将の安全だ」
「てことは、撤退の合図か?」
桃の言葉で勇魚も答えに行きあたって、合点が言ったように敵本陣へ目を向ける。
そちらでは狼煙の名残か、白い煙が尾を引いて棚引いていた。
「可能性が高いってだけの話だけど。仮に撤退の合図なら、それを見た兵士たちが本陣へ向かおうとする俺達を止めようとするのも頷ける」
「なら追って止めねぇと」
勇魚の言葉に、追っていいものかと桃の中で少しの躊躇いが生じる。
深追いは時に思わぬ事態を招く。
しかし、今回の戦は総力戦に近いものだ。
最大の目的も人寿郎の捕縛か討伐であり、誰かの身の安全を確保したりする類のものではない。
見知らぬ軍の手を借りている事から、何処かと裏で繋がっているであろう事も考えられる。
此処で人寿郎を取り逃がせば、それはそれでリスクがあった。
何より、追い込まれた相手に下手に時間を与えると、何をするか分からない怖さもある。
どうすべきかを逡巡した後、桃は腹に決めたように顔を上げた。
「そうだな。追おう」
「よし来た。そうと決まれば急がなきゃな」
「ああ」
判断に時間をかけるわけにもいかない。
人寿郎が逃げるとして、この状況では大した数の兵を連れていく事は出来ないはず。
対してこちらには勇魚と、ハヌマンや狛もいる。
決して分の悪い追撃ではないはずだ。
「ハヌマン!狛!」
「お呼びでしょうか!」
「桃様、どうしたの?」
近くで戦う二人を呼ぶために桃が声を上げると、その声を聴きつけて二人は直ぐにやって来た。
さすがに少し疲労が見られるが、怪我もなさそうだと桃は安堵した。
「人寿郎が戦線から退いた可能性がある。いまから敵本陣へ追撃をかける。付いてきてくれるか」
「勿論です」
「私もまだまだ戦える。任せてよ!」
当然とばかりに頷く二人の顔を確認して、桃は勇魚に再度声を掛けた。
勇魚は其れに返事をしながら斬りかかってきた兵士の槍で突き殺すと、改めて此方に向き直る。
「じゃあ、早いとこ行こう……っ桃!危ねぇ!!」
「――!!」
勇魚の叫びに対し、咄嗟に反応を見せたハヌマンが桃を抱きかかえて飛び込む。
地面を蹴ってはじけ飛ぶように、ハヌマンは川底に体を叩きつけながらも桃を守った。
先ほどまで桃がいた場所には、鋭く大きな羽根がいくつも突き刺さっている。
ハヌマンが咄嗟に庇ってくれなければ、避けきれずにいくつか刺さっていただろう。
「ハヌマン!」
「大丈夫です。それよりもこの羽根は――!?」
羽根の出所を探ろうとした所で、再び先ほどと同じような羽根が桃達に向かって飛んでくる。
いまだ体制を直しきれていない桃達に対し、的確に飛んでくる羽根の先は陽の光を浴びてやけに鋭く光って見えた。
「させない!!」
そこに割って入ったのは狛だった。
彼女は刀で飛んでくる羽根を全て叩き落すと、勇魚と同じ方向を睨みつける。
その目線は少し上にあった。
桃とハヌマンも体制を直したところで、上空を飛ぶ……否、跳び回るその姿をようやく捕らえることが出来た。
翼を持つ女が、中空に羽搏いていた。
腕は羽根に覆われ、翼へと変化している。
本来の腕は蝙蝠のように翼にくっ付いているようで、手羽の辺りに鋭い爪が見られた。
足も膝のあたりも鳥類のそれに近いものとなっている。
胸元には何かを抱えているのか、着物が不自然に膨らんでいた。
「んにゃろう!!」
勇魚が近くに落ちていた、死んだ兵の槍をその女に向かって投げつける。
女はそれをひらりと躱すと、お返しと言わんばかりに再び羽根を投げつけてきた。
槍を風車のように回して、勇魚はそれを弾き落していく。
全てを弾かれた女は動揺を見せることなく、空中で身を返すとそのまま勇魚の後ろへと降り立つ。
「……なんだ、あんたは」
「あなた達が蘇芳の将。私は姑獲鳥。姑獲鳥の瀬名と申します」
「……人寿郎の軍の者か」
「はい。人寿郎が、世話になっております」
勇魚が槍を構え、振り返って女を鋭く睨んで問いかけた。
その問い掛けに対し、穏やかな微笑を浮かべたまま女は静かに答える。
まるで母親が、子供の担任教師にでも語り掛けるような口調だ。
「……桃、人寿郎を追え」
「勇魚?」
「俺はこいつの相手をする。奴が逃げたんなら目立たないように山道を使うはずだ。狭い山道じゃこのデカい槍は邪魔になる」
「……わかった。ハヌマン!!」
「はっ」
「勇魚と共にこいつの足止めを頼む。お前も武器が大きいし、飛ぶ相手なら魔法も狛より相性がいいだろう」
「分かりました。お気をつけて。狛、桃様を頼む」
「任せて。ハヌマンも、勇魚様を死なせちゃだめだからね!」
「……おい、本人の前で縁起でもないこと言うんじゃねえ」
狛の言葉に勇魚が静かに突っ込んだ。
最も、桃はあまり心配はしていない。
勇魚の強さを桃は良く知っているし、ハヌマンの強さも良く知っている。
姑獲鳥と名乗ったことに加えてあの姿であるからにはあの女は妖怪なのだろうが、この二人なら遅れは取らない。
ただ懸念があるとすれば、あの翼だろう。
「姑獲鳥は飛べるみたいだ。どの程度か分からないけど、気を付けろよ」
「ああ。任せとけ」
桃の忠告に、勇魚は振り返らずに答えた。
その声は気負った風でも無く、任せておけと言わんばかりの活力に満ちている。
「ああ、頼んだ。行くぞ狛!」
「うん!」
背後で再び、風を切る音と鋭く何かを弾く音が連続して起こる。
それでも桃は振り返らず、狛を馬に乗せて真っすぐに前を向いたまま敵本陣へと駆けだした。
三目八面って聞いたことないぞ!なんぞや!という方もいらっしゃるかと思いますので、簡単な説明を。
高知の申山という山に住み、通行人を襲って食べていたという妖怪です。
注連太夫という人に焼き殺されて退治されています。
人間食べてたんだってよ!こわいね!




