第六十三話 追う者と追われる者と
「挟撃だ!挟まれたぞ!!」
木下川の西側で、何者かが叫び声を上げた。
挟まれた、という言葉からして敵方の兵の誰かであろう。
伸びきっていた敵陣は挟撃に慄き、進むべきか戻るべきかが判断できずに混乱し始めている。
川の水に足を取られ、敵兵は咄嗟の動きを取りづらくなっている。
そこに予想外の方向から攻撃されれば、混乱は必然であった。
敵兵たちの歩みは止まり、勢いは失せている。
対して味方は川岸。
酒呑童子の一騎打ちによって、注目と時間の両方を稼げた。
(酒呑の事だ、普通に戦うだけでも目立つからね)
酒呑の戦いに目を奪われた兵も中には居た事だろう。
それほどまでにあれの振舞いは人を惹きつけるなにかがある。
沙羅は歩みが遅れたばかりに間延びした敵の隊列を哀れみながらも自らの力を振るう。
馬を止め、袖に差し込まれた手が、彼女の力の源を掴み空中にまき散らす。
砂だ。
見た目はただの砂。敵兵たちは何を撒いたのか、その危険性を咄嗟に判断できなかった。
『熱砂塵』
沙羅が魔力を増幅させ、まき散らした砂が突如猛威を振るう。
一見何の変哲も無かった砂は沙羅の一声で、その密度を増し、瞬く間に灼熱の砂塵と化す。
1000℃に達する膨大な熱を纏った砂が、狼狽えて足を留めていた兵士たちを襲った。
(あまりやり過ぎるとこの周囲の環境を変えかねない。加減しながら使わねば……)
最低限の力で、味方を巻き込まぬように加減しながら沙羅は手掌で砂を操っていく。
まるで炎に撒かれたように、敵兵の身体を、顔を、灼熱の砂が覆いつくしていく。
砂は体の細かな部分にまで入り込み、目鼻や喉といった内側まで焼いていった。
「うっ、下がれ下がれぇ!!いったん下がって隊列と陣形を整えろぉ!!」
「敵に挟まれていては無理です!!」
「川を下って東側は!?」
「そっちも駄目です!東側から逃れてきた兵が、あちらでも挟撃されて混乱してると!!」
「んなあああああああ!?」
敵兵の小隊長であろう男が、その言葉に頭を抱え叫ぶのが見えた。
敵兵に与えられた選択肢は余りにも少ない。
正面には蘇芳と瑠璃、梔子の連合軍。
側面には別動隊。
加えて反対側でも同様に挟撃をうけているというから、逃れる場所がない。
背後には今回の拠点としていた川上城。さらに奥には本拠である瑠璃城があるが、そこまで逃れられるとも思えない。
そもそも、背後も今まさにじわじわと固められそうになっていた。
引く道は無く、作る他ない。
そしてその少ない選択肢でさえ、末端の兵達にとっては決められているようなものだった。
「道をこじ開けるなんざあんな連中相手には無理だ!お前ら覚悟決めろぉ!!」
「うおおおぉ!!」
槍を構えて、背後も気にせず兵長が正面の瑠璃軍へ突っ込んでいく。
それを受けて、周囲で迷っていた兵達も覚悟を決めた。
「うぉおおおおお!!吉祥様、御覚悟ぉおおお」
しかし、当然それを瑠璃軍の将兵が許すはずも無かった。
「見事な気概。だが、それは駄目だ」
指揮を執ったのは吉祥自身。
その一声で守りを固めた将らが号令し、一斉に隊列を組んだ弓兵が矢を放つ。
無数の矢は十重二十重の雨となって敵兵に降り注ぎ、その覚悟を無惨にも撃ち抜いていく。
先ほどまで押し込んでいた筈の人寿郎の軍は、いつの間にか狩られる側、追われる側となっていた。
「恨み言ならば幾らでも受けよう。だが私は、この戦負けるわけにはいかぬでな」
吉祥の指先は、言葉は、確実に挟撃されて逃げ場を奪われた人寿郎の兵達を狩っていく。
その言葉に自責の念と痛恨の念はあれど、情けと容赦は一切無く。
唯々無慈悲に、稲穂の首を刈る様に、その命を確実に奪っていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「もはや戦は決したと見ていいな」
人寿郎の隣に佇んでいた桜花が、戦の流れを見つめながら静かに告げる。
人寿郎はそれを聴いて、くらりと目の回るような心地であった。
否、分かっている。
少し前から戦の流れが変わったことは、戦下手と言われる人寿郎でも理解していた。
兵達の士気だけに頼った突貫など、歴戦の経験者たちの前に容易く破られてしまった。
「どうする。もはや逃げるしかないぞ」
「しかし、私についてくれた兵達を置いていくなど……」
唇を噛み、拳を握りしめて地面を睨みつけた人寿郎の様子に、白磁の大鎧に身を包んだ桜花が鎧の中でため息をつく。
本人も己の力不足を自覚しているだけに悔しさも大きいのだろうが、それでも現実はここに至ってこの様だ。
「情け深いのは結構な事だが、その兵達が誰のために戦っているのか自覚するべきだな」
その言葉に、人寿郎の拳がさらに強く握りこまれる。
しかしどうしようもないのは事実。
挟撃に対して碌に反撃の策を取れず、流れは完全に相手に傾いた。
まともに教育も受けさせてもらえなかった身で、あの三領主相手にむしろよくやった方だ。
最初から期待されていなかったなりに、健闘した方だろう。
桜花はもう一度大きくため息を吐くと、踵を返して陣の中へ戻っていく。
「どこへ……」
「退却の準備だ。悪いがその甘さに付き合う義理は無い。こちらも仕事だからな、手足を縛ってでも連れていく」
それだけ言い残し、桜花は鎧を鳴らして陣の中へと戻っていく。
その足取りは若干の苛立ちも見て取れて、人寿郎は自分の至らなさに思わず再度目を閉じた。
「人寿郎様ぁ!」
そこに聞き覚えのある声と何かが地面を転がるような音が、人寿郎の耳に届いた。
それを受け取った瞬間、人寿郎はハッとしてその声がした方向へ目を向ける。
「……っ歓吉か!無事だったか!!」
声の主は歓吉であった。
肩で息をした歓吉は、馬上から慌てて降りたのか、ほとんど転がり落ちた様な状態だったらしい。
姿勢を直しながら、汗にまみれながら人寿郎へ向き直る。
「勿論です!この歓吉、人寿郎様の為にまだ死ねませぬ!それよりも人寿郎様、はようお逃げください」
「しかし、まだ将兵は私の為に戦って……」
「だからこそです、どうかここは退いてくだされ、皆が流す血を無駄にしてはなりません」
分かっている。戦の大将にとって、最も大切な事は生き残る事だ。
自らの存在と主張を知らしめるためであれば尚の事、生き延びなければならない。
だが、今更どこに逃げろというのか。
挟撃によって左右とも挟み込まれ、完全に囲まれるのも時間の問題だ。
川の水などは既に兵達の血で赤く染まり、川の水そのものが血のようであった。
この悲惨な状況で、どう生き残るというのか。
「マツノスケ達がこの先に退路を確保しております。細く入り組んだ道ですが、この道ならば土地勘のない蘇芳と梔子の兵は入ってこれません。追手が少ないうちにこの先の砦に入り、そこから北の玻璃城へ逃れましょう。築山様も既に城を密かに抜け、砦に向かっております」
「瑠璃城は……」
「お言葉ですが、本拠へ戻る時間も道もございません。本拠を明渡してでも、今は逃れて再興を図るべきです。どうか、どうかご決断を」
歓吉は周囲に目もくれず、泥に塗れたまま頭を地面について人寿郎へ頼み込む。
それは主への進言というよりも、一人の人間として生きて欲しいという必死さであった。
「……」
「どうか!」
「……分かった。顔を上げてくれ。普段私の言葉を否定しないお前にそこまで言われては、聞くしかないではないか」
「ありがとうございますっ!ささっ、早う此方へ」
「いや、まずは桜花と合流しよう。本陣の中で退却の準備をすると言っていた。彼女にも謝らねばな。機嫌を損ねてしまったから」
「こんな時でもですかぁ!ははは、人寿郎様らしい……」
歓吉は人寿郎の言葉になにを呑気なとも思ったが、それでこそ人寿郎だ、と笑って返す。
自分をここまで昇らせてくれた主を死なせまいと、歓吉は退却の狼煙を手に陣へ戻っていく人寿郎の後を追いかけた。




