第六十二話 挟撃
木下城を落とし、桃達が本隊の戦う場に参陣する頃には、戦いは随分と激しさを増していた。
想定以上に味方側が押されている状況に、桃は大丈夫だと自分に言い聞かせながら、合図の通り勇魚の待つ場所へ急いだ。
後ろには少数精鋭の騎馬隊と歩兵、それを率いる狛とハヌマンが同じように只管に脚を前に動かし、味方との合流を目指す。
最も激しく争う敵味方の最中に、勇魚は居るはずだった。
雪女や納戸との戦いで負った傷は決して軽く無かったが、凰姫がすぐに治療してくれた。
梔子の地で受け取った笛の力はまだ引き出しきれていないようだったが、それでも一連の出来事で固めた決意からか、その目には強い意志があった。
その道を行くことこそが笛の力を引き出す切っ掛けになると、凰姫の中で奇妙な確信があるようで、それが意思をさらに強固にしているのだろう。
結果として、桃達は傷と消耗の割に、早く戦線に復帰することが出来た。
ただカワベエだけは傷が一段と深く、白の教導によって一段と腕を上げていた凰姫の力をもってしても、直ぐに戦線復帰とはいかなかった。
しかし結果としてこうしてより早く勇魚の元に駆け付けられたのだ。
多聞の言う通り、凰姫がいてくれて助かったと、桃は心底二人に感謝した。
「勇魚!無事か!」
勇魚の元に駆け付けた桃は敵陣の横腹を切り裂くように突入する。
そうして勇魚の隣に馬を寄せて、桃は真っ先にその様子を確認した。
無事であろうという事は頭で分かっていても、確認せずにはいられなかったのだ。
「当ったり前だぁ!けど助かった、お前が来りゃあ百人力だ!!行くぞ!」
「ああ!」
それに余裕だと言わんばかりに笑って答えた勇魚の鎧には、所々返り血がこびり付いていた。
それでも大きな怪我は無い様子で、どんなもんだと言わんばかりに笑う勇魚に釣られて桃も笑いかける。
「この!!いきなり現れやがって……!」
背後から、動揺しつつも攻撃から逃れた敵兵の一人が斬りかかってくる。
桃はそれを剣ではじき返し、空いた手から水弾を撃って兵の胸を吹き飛ばした。
川の敵兵たちは、桃達の挟撃によって逃げ場を失っていた。
突然の新手に対する動揺と水に足を取られ、これまで見せていたと勢いは既に失っているようだった。
そして心を持ち直す間もなく、勇魚と合流した桃を筆頭に、次々となだれ込んでいく後続の兵達が一気呵成に敵兵へかかる。
「う、うわぁあああ!!」
「くそっ!挟まれた!押せ押せぇ!押し返せぇ!」
そんな中、動揺しつつも反撃に転じようとする辺りは、さすがここまで戦い抜いた兵達と言った所か。
しかしその勢いはもはや薄氷に等しい脆さであることは明白だった。
燃え立たせていた闘志に、挟撃が冷や水を入れたのだ。
当然それで闘志が消えない兵もいるが、末端のどこかが崩れれば徐々にそれが広がるのは、前の戦でも実証済みだ。
もう駄目だ。という感情が一部の兵士の中に湧いてしまえば、それは一押しで伝染する機雷となる。
後は各将がどこまで兵達を統制できるかの勝負。
将兵の間で成り立っている信頼関係や、将自身の器の勝負だ。
その点において、長年苦楽を共にしてきたの将兵が、人寿郎を慕うとはいえ反逆の旗のもと寄り集まった軍に負ける道理はない。
あと一押し。
あと一押しで相手の士気と勢いは挫けて、崩壊してしまうだろう。
勇魚と桃は共に馬を駆り、武器や魔法で敵を蹴散らしながら、敵兵たちの周囲を旋回する。
共に来たハヌマンや狛もそれぞれ武器を手に敵兵へ切り込んでいった。
それに煽られるように、周囲の味方の士気が上がっていく。
押し込まれていた軍が、その勢いを逆転させて押し返していく。
その影響は、離れた川の西側にも及んでいた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……聞こえるか?猛っていた兵共の声の元が、先とは変わっているのを」
鍔迫り合いながら、ガリガリと金属同士の鈍い音を立てて酒呑童子がにやりと笑う。
相対する両鬼は先ほどまで聞こえていた兵達の鬨の声の出所が、変わったことをしっかりと認識していた。
「聞こえているとも。もう時間が無いようだ」
「そうとも。いい加減、俺らも決着をつけた方がよさそうだ。なあ丑御前よ」
「……そうさな」
どうやら丑御前も考えは同じであるようだ、と考えが合致したことに酒呑童子は不敵に笑う。
そう時が経たぬ内に、戦の流れは完全に変わるだろう。
押しつ押されつ、硬直し均衡状態にあった戦の流れが、東側で何かがあって変わった。
(この魔力。多分桃だな)
「この魔力、お前の系譜の者がいるか」
「正確には俺の親父だがな。だがさっきお前自身が言った通り、そろそろ決着付けないとお預けになっちまう」
打ち合う互いの力は拮抗している。
まだ本気を出していないのも同じ。
そして恐らく、この状況を不謹慎ながらどこか愉しんでいるのも。
金棒が打ち付けられる度、周囲に衝撃の波が飛ぶ。
川底は捲れ上がり、まるでそこだけなにか怪物でも通ったかの様な跡が残る。
「ぬっ!」
突如酒呑童子が金棒から力を抜いて、均衡を崩す。
突然崩れた均衡に丑御前が僅かに前のめりになった所で、酒呑童子は片手を棍棒から離して丑御前の頭を掴んだ。
「そおらぁ!!」
「ぐっ!」
酒呑童子はそのまま川底に思い切り丑御前を叩きつけた。
常人ならば頭が潰れ、原型を留めない程の威力。しかし割れたのは川底の方で、丑御前は意識すら失っていない。
「この!」
丑御前は叩きつけられた体制のまま長身を生かす策を取った。
そのまま腕を掴み、弾みをつけて逆立ちするような形で足を酒呑童子の首に絡ませると、そのまま体を捻り始める。
「おっ!?」
首を折るつもりか、と察した酒呑童子が、すかさず丑御前を押し倒すようにもつれ合う。
そのまま二人は二転三転と転がって、ようやっと互いの身体が離れた。
そしてそのまま互いに手を放した棍棒を再び一足飛びで手に取ると、二度三度と打ち合った。
丑御前はきりが無いと判断したのか、打ち合いの最中に蹴りを交える。
しかし酒呑童子もタダでその攻撃を通すわけも無く、わき腹を狙った蹴りに対して強引に丑御前の棍棒を弾きながら距離を詰めた。
「くっ!」
丑御前が舌を打つ。
距離を詰められたことで威力を殺された蹴りは酒呑童子に容易に受け止められたためだ。
「……足癖の悪い女子は嫌われるぞ?」
「その女子の顔を掴んで頭を叩きつける貴様の方が、どうかしておるわ」
酒呑童子は『それもそうだ』と笑ったが、丑御前にとっては笑い事ではない。
この状況はまずい。
この不安定な姿勢では、攻撃を受けようが避けようが支障が出る。
そう自覚した時点で、すでに遅かった。
直後、丑御前の腹をとてつもない衝撃が襲う。
「がッ……フッ……!!」
酒呑童子の蹴りだった。
そのまま丑御前は川底を破壊しながら後方へボールのように跳ね飛んでいき、そのまま動かなくなった。
「うまいこと躱したな。後ろに跳んで衝撃を逃がしたか」
酒呑童子の蹴りは、本来なら丑御前の胴を二つに割ってしまう威力だった。
あそこに残っているのは、本来は半身のどちらかだけだっただろう。
上手く後ろに跳んだからこそ、人の形を保ってあそこに転がっている。
「……とはいえ、止めを刺さんとな」
一騎打ちで負けたのであれば、死ぬ。
それが戦の常だ。
既に動けず、戦えぬのならもはや決着はついた。
金棒を手に、酒呑童子は転がっている丑御前へと近づいていく。
しかしそれに待ったをかけるように、一陣の風が吹きすさんだ。
「……随分とまあ、無粋な真似をする」
酒呑童子が目を向けたのは、先ほどまで丑御前が転がっていた場所では無く、中空だった。
其処には翼を生やした特徴的な長い鼻を持つ怪人が、錫杖を手に羽搏いていた。
脇には丑御前が抱えられている。
「天狗の一族か。今更出てきてどういうつもりだ。別にお前とやり合っても構わないが」
「丑御前にはまだ役目がある。ここで死なせるわけにはいかぬ」
「へぇ。既に負けた丑御前に役目とやらが務まるとは思えんが」
「肉の壁くらいにはなるとも。どちらにせよこの戦は我らの負けだが、人寿郎にはもう少し永らえてもらった方が、都合がいいのでな」
「随分意味深な事を言う奴だ……」
そこまで天狗が口にした所で、どうやら目を覚ましたらしい丑御前が身を捩る。
恨みがましく天狗を睨みつけつつも、自分が負けたことを自覚しているのか、文句を口にする資格は無いと言わんばかりに目を伏せた。
「おう、丑御前よ。お前さんいいように使われているみたいだぞ」
別に親切心でもなんでもなく、酒呑童子は丑御前に警告した。
ただ自分とそれなりに戦った相手を粗末に扱われるのが気に食わなかったのだ。
しかし丑御前はそれも承知の上と酒呑童子の言葉に首を振る。
「知っているさ。だが私は人寿郎の為この軍に付いた。柄でないことは承知の上だがな」
「……そうかい。なら、俺には何も言うことはない」
酒呑童子は丑御前の目を見つめたまま、出しかけていた矛先を引っ込める。
本人が納得しているのであれば、口を挟むことも差し出がましいだろう。
「……中途半端な決着となったことは、謝罪しよう」
「構わんさ。こういう事もある。それにさっきの話の様子じゃあ、次にやりあうのもそう遠くないだろう」
「そうかい。まあ、お前さんとの逢引きなら喜んで受けるさ」
「……馬鹿を言うな」
丑御前は、酒呑童子の言葉に顔を伏せた。
その表情は分からないが、たぶんまた決闘したいという意図は伝わっているだろうと酒呑童子は切り替える。
「話は終わったか。では引くぞ」
天狗はそれだけ言うと、再び風と共に消えさった。
後には天狗が残した、『わが軍は負けだ』の言葉に戸惑うばかりの敵兵と、血に染まった川のみ。
そして新しく耳へ届いた鬨の声に、酒呑童子は天狗の言葉の意味を確信する。
「やっぱ動いてたか、婆さん」
川の北西。
酒呑童子がにやりと笑いながら目を向けたその先。
敵側の陣取る岸に回り込む形で、砂塵を巻き上げながら砂掛婆――沙羅の部隊が押し寄せていた。




