第六十話 反撃準備
木下川 西
(全く、派手にやりおって)
轟音と共に上がった水飛沫へ目を向けて、吉祥は差し込んできた陽の光の眩しさに目を細めた。
沙羅からの報告を聞いた時は、また勝手な事をと思ったものだがこの状況では有難い。
派手に名乗りを上げながら突っ込んでいってくれたおかげで、一気呵成に此方へ向かってきていた敵兵の注意が逸れた。
加えて酒呑童子が敵の最中で暴れている事で、陣形が乱れている。
あのままであれば奥まで押し込まれていた可能性もあった為に、今はあの力強さが心強い。
「吉祥様、お下がりください。酒呑童子殿のお陰で敵の陣形は乱れていますが、未だ押し込んでくるものもおります」
護衛の兵の一人が、声を掛けてくる。
敵兵の士気は高く、その勢いは力強い。
「わかった。しかし数で勝る我らがここ迄押し込まれるとはな」
「それだけ敵方も必死なのでしょう。さあ、こちらへ」
「必死か。確かにな」
こちらの兵が降らせた矢の雨もお構いなしに、目の前で味方が撃ち抜かれてもその歩みを止めることはしなかった。
酒呑童子が飛び込んでいったのは、そんな兵達の最中だったわけだが、さすがにこれには敵兵も驚いたらしい。
無理もない。
たとえ一騎当千の強さを持った将でも、万の兵には押し潰される。
其れすら関係ないと単身突撃してきた酒呑童子のその行動は、彼の性格を知らねば敵味方を問わず正気を疑う事だろう。
おかげで動揺した敵の陣形が割れて乱れた。
吉祥は護衛の兵に導かれて僅かに高台となった本陣へ向かう。
高台から戦場を望めば、乱れた敵の陣形がこれまで以上に良く見えた。
(……陣形が伸びているな……)
「沙羅」
「お呼びでしょうか」
吉祥のその一声で、砂塵と共に沙羅が現れる。
沙羅が吉祥へ恭しく膝を付いて、吉祥は要件をすぐに伝える。
「酒呑童子が暴れてくれているお陰で、相手の陣形が乱れている。其方は別動隊を率いて川を迂回し、向こう岸の相手の陣の側面を突け」
「前線の維持はいかがしましょう」
「我が夫と梔子の将兵が踏ん張っておる。心配はいらんさ」
「承りました。では」
「頼んだぞ」
沙羅が頭を下げ、また砂塵と共に消えた。
酒呑童子があまりに派手に暴れる為に目立たないが、沙羅もまた強大な力を持っている。
沙羅は吉祥が深く信頼する者の一人であり、よき話し相手でもあり、理解者でもあった。
酒呑童子もまた、領主の座を追われた吉祥に何も言わず、恩賞を強請るようなこともせずに力を貸す変わり者だ。
敵の迫る矢車城で、彼らの存在がどれほど心強かったことか。
「……二人とも、無事で戻れよ」
勢いづく敵を抑える為に危険へ飛び込ませてしまうことになる二人を、吉祥は案ずる。
それでも信じるのが領主の務めと、その重みを背負って彼女は再び戦場を見つめた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
木下川 東
「んぬぉぉおおらあ!!」
前線に立つ勇魚が、馬上から槍を振りかざし、敵兵を蹴散らしていく。
しかし敵の勢いは衰えることなく、攻められる側となっている蘇芳軍は押され始めていた。
「こいつら、前回とは大違いだ!数じゃこっちの方が上だってのにっ!!」
迫る敵兵を突き殺し、或いは馬上から叩き落し、薙ぎ払って両断する。
勇魚の周囲には既に無数の敵兵の骸が転がっていたが、勇魚を討ち取ろうと進んでくる敵兵たちはそれを踏むのも構わずに襲ってくる。
矢車城の時とは兵の目の色が明らかに違っていた。
今戦っている彼らは正真正銘、人寿郎主として仰ぎ集うひとつの群れだ。
瑠璃の当主として吉祥の立場が危うくなったからと、打算で味方になった者達ではない。
正真正銘、人寿郎を支え助けるために集った者達なのだ。
(――人寿郎ってのは、そうまでして守りたい奴なのかよ!)
風見鶏の様に情勢を見てどちらに付くか決める事は、なにも悪い事ではない。
むしろ家族や家を守るために誰もが取る選択肢だ。
だからこそ、その誰もが取る選択肢をあえて取らずに覚悟を決めた者達は恐ろしい。
人寿郎という人物は果たして、その覚悟と意志に見合うだけの人物なのだろうか。
(俺には、分からねぇ)
勇魚は恐れながらも、吉祥に人寿郎の事をどう思っているのかと以前問いかけた事がある。
実の兄弟を裏切るなど、始めはなんて碌でもない奴だと思ったのが正直なところだったからだ。
しかし当の吉祥の言葉は、人寿郎に対しての負の感情を込めたものでは無かった。
――私は、裏切られても仕方ないと思っているよ。お互いに守りたいものがかみ合わなかった。それだけの事だ。
吉祥は、裏切られた事を受け入れた様子でそう言っていた。
勇魚にとってそれはまだ納得できない答えではあったが、同時に疑問が増えた時でもあった。
(人寿郎の守りたいものって、何なんだ)
それが人寿郎に従う将兵達の覚悟に繋がる物なのか。
或いは単純に、彼の境遇や人柄がそうさせているのか。
人寿郎にとっての守りたいものは、自分にとっての守りたいもの以上に価値あるものなのか。
「――いや、比べるもんじゃ無ぇな」
蘇芳を守る。
家族を守る。
民を、将を、父や妹を、親友を守る。
大切なものを守りたいのは、勇魚も同じだ。
同じだからこそ、その意思と覚悟を尊いと思うからこそ、戦うべきだ。
その重さや尊さに、きっと違いなど無い。
「おおおおぉぉおおお!!!」
勇魚が再び、気合と供に雄たけびをあげる。
突き込まれた槍を掴み、敵兵の身体を吹き飛ばす勢いで槍を横に薙ぎ払う。
馬を転進させ、さらに並居る敵兵の最中へ馬の腹を蹴って突き進んだ。
その様子を、陣立ての中から恵比寿と幹久が見届けていた。
「ったく、叫びゃあいいってもんじゃねぇぞ」
口ではそう言いつつも口角を上げながら勇魚の姿を見つめる恵比寿に、幹久が鯰のような髭を撫でながら笑って返す。
「頼もしい限りですな」
そう言って幹久は矢を番えると、勇魚の背後に迫る敵兵を二人、ほぼ同時に射抜いて見せた。
「お前がそうやって危ない所を射抜いてくれてるからいいが、あいつは張り切り過ぎだ」
「ほほ、恵比寿様も似たようなものでございましたよ」
幹久が矢を迫る兵に、矢を射かけながら懐かしむように恵比寿に言って見せる。
それを聴いた恵比寿は一瞬気まずそうな顔をしつつも、「違ぇ無ぇな」と笑って見せるのだった。
「しかし、敵さんの勢いは衰えずか。輝夜、桃の方はどうなってる。さっき城を落としたって知らせの狼煙は見たが」
振り返らずに言った恵比寿に、木陰から現れた輝夜は気にする風でも無く静かに状況を報告した。
木下城落城の報は、先ほど望月衆より来たばかりだ。
桃は城に火を放った後、その足で部隊を再編成し此方へ合流するらしいと、輝夜は恵比寿へ状況を伝える。
「今しがたこちらにも望月衆より報告がありました。既に城を落とし、部隊を纏めて再度出陣したとのこと」
「城に火は?」
「そちらも滞りなく」
「なら、急ぎ狼煙で合流地点を伝えろ。桃の軍と合流後反撃を始める。お前は合流地点に回り込んで道を確保しておけ」
「畏まりました」
音も無く輝夜が木陰にまた消えていく。
恵比寿はその気配が無くなったことを確認して、再度戦場に目を向けた。
何人かの将には、崩れかけた前線の維持に回ってもらっている。
桃の任務が完了した報を確認し、裏も取れている今、合流は時間の問題だ。
押されているとはいえ梔子軍の後詰もあるから、此方は支えきれる。
吉祥の軍も、酒呑童子や沙羅と言った傑物がいる。
あの状況で吉祥を守り切った連中だから、こちらも安心していいだろう。
彼女の夫である実弟、権堂もいるし、吉祥自身、瑠璃を預かる女だ。
「さて、俺も合流の準備をしないとな」
供の兵を呼んで、恵比寿は輿に乗る。
そして槍を手に、雲霞の如くせめぎ合う眼下の軍勢を睨んだ。




