第五十三話 雪崩の如くに
温い風が木々の間を抜けて頬を撫でる。
夜闇の中で、星々と篝火の灯りだけがぼんやりと城の影を映し出していた。
木下城を囲む前線には、本隊への道筋を遮断する形で桃と狛、ハヌマンとカワベエを始めとした蘇芳の将兵が密かに集結している。
その南側の山間の拠点には梔子の軍勢と凰姫が詰めている。
本隊が着陣し、睨みあう前に城を取り囲むことには成功した。
以降城からは鼠一匹出ていく気配もない。
城門を閉ざしたまま、戦の最中だというのに不気味なほどに静かだった。
「桃様、門が空き次第いつでも攻撃可能です」
「ああ、ありがとうハヌマン」
海達浦島衆が城内に潜入して、既に一時間ほどが経過している。
彼らが失敗することなどまずないだろうが、予想していたよりも時間がかかっているのが気にかかった。
(なにかあったのか……)
想定外の事態が起きれば、恐らく何らかの手段で伝令があるだろう。
今桃にできることは、人質となっている妖怪の救出完了の合図と共に門が開いた所で、間髪入れず突入できるようにしておくことだけだった。
「桃様、あれ」
狛が暗澹とした空を見上げて、静かに声を上げた。
言われて目を凝らせば彼女の視線の先には、音も無くこちらに向かって羽搏いてくる一羽の鳥の影。
「梟だ。浦島衆の」
闇夜の中から姿を現したのは、一匹の小柄な梟だった。
夜の伝達は鴉ではなく、彼らに頼ることが多い。
夜行性で夜目が利くうえ賢く、なにより音もなく飛べるからだ。
肩に止まってくるくると首を傾げる梟の喉元をほんの少し撫でてやった後で、足に結ばれた文を取る。
「なんて書いてあるの?」
「救出完了だそうだ。予定より一人増えたらしい。あと、兵が想定以上に少ないのが気になると」
「それでちょっと時間かかってたんだ。でも兵が少ないのは都合がいいんじゃ」
「浦島衆が知らせてくる以上はなにかあるんだろう。ともかく、今から門を空けるみたいだから構えておこう」
「わかった。行こうハヌマン」
「ああ。桃様、門が開いたら号令をお願いします」
「任せとけ」
ハヌマンの言葉に、桃は自分を鼓舞する意味でも力強く答える。
先の戦は勝ったとはいえ、今回の城攻めも決して負けられない戦いだ。
ここで桃達が敗走すれば、本隊は木下城の兵達から背後を突かれる形になってしまう。
そうなれば、せっかく取り戻した流れを再び相手に持っていかれることになってしまうし、何より多くの犠牲が出てしまう。
「口だけじゃなきゃいいがな」
「カワベエ、お前……!」
「ハヌマン。今はいい。怒ってくれてありがとう」
桃の言葉に対して冷や水を入れたカワベエに対し、ハヌマンが怒りの表情を見せる。
それを宥めつつ、桃はカワベエに念を押すように言葉をかけた。
「カワベエは本当に付いてきて良かったのか?前回の戦で敵将と対したわけでないから、まだお前がこっちについている事は知られていないだろうに、バレるぞ」
「てめぇが誘ったくせに何言ってやがる、ボケ。始めに話した条件から大して変わっちゃいねぇよ。兄貴無しでも俺に生きていく価値と力があるのか、確かめたいだけだ。それが無いなら、此処を死に場所にでもするさ」
「……そうか。わかった。死ぬなよ」
「お前さ。話聴いてたか?耳の穴に糞でも溜まってんのか?」
「カワベエ!桃様はお前を心配してくださって……!」
「んなこた誰も頼んでねえっての」
悪態を付いたカワベエに、再度ハヌマンが雄々しい眉を吊り上げて抗議する。
そんな声に耳を貸さぬといわんばかりに、カワベエは耳の穴をほじって再度悪態で突き返した。
これは奴が本当に仲間になっても、馴染むのには少し時間がかかるかもしれない。
梔子の町で多少なりとも時間を共にした経験はカワベエと他の者との距離を少しは縮めただろうと期待していたが、まだまだ時間が必要そうだ。
とはいえ、言い合いが出来るというのはある意味では健全だろうと、桃はどこか逸っていた気持ちを抑え込む。
皆には皆のペースがある。
共に連携を取って戦えるくらいであれば、今は十分だ。
今後のカワベエとの付き合い方を如何したものかは、この戦いが終わったら本格的に道筋を立てねばならないだろう。
それにはまずは戦に勝たねば、と門が先頭に立って門が開くのを待てば、浦島衆の工作兵達が見計らったように、内側から城門を開け放った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
城門が開け放たれた瞬間、桃を筆頭に後ろの兵達が一気になだれ込んだ。
規模の大きな城ではない。そのままそれぞれが本丸を目指し、守備兵を蹴散らしていく。
(確かに兵が思ったよりも少ない……。それにこの反応の薄さ……乙殿の力で寝てるのか……)
それもそのはずだった。
城を守っていた兵達の何割かは、浦島衆の工作によって既に無力化されていたのである。
特に城の侵入を拒むように固められていた兵達と、矢を射かけるために配置されていたであろう弓兵達は軒並み無力化されていた。
起きている者もいるが、彼らもやはり強い眠気に襲われていたのか、反応が薄い。
先の戦に引き続いての夜襲は流石に前回ほどうまくは行かないだろうと、桃も始めは別案を考えていたのだが、海が「俺らがいるから心配するな」と笑っていたため、そのまま夜襲を採用したのだ。
あの時の言葉はどうやらこのことを言っていたらしい。
「これは凄いですね……。かなり楽できます」
「こりゃひでぇ、敵さんもかわいそうなこった」
「ほんと、浦島衆様々だね。というか、こんなことできるなら矢車城の時に使えばよかったのに」
「乙殿の力だ。この術の本質は眠気の増幅だそうだからな。前回みたいにやる気に乏しい敵は、休めるときに居眠りでもして休んでるだろうから効き目も薄いと判断されたんだろう」
感嘆の声を漏らしたハヌマンが狛とカワベエに対して応えた桃の言葉に、納得したように頷いた。
「成程……。今回、敵は前回の反省も踏まえて夜間の警戒を怠れず、睡眠が碌に取れていない」
「そういうことだ。だが、当然眠気である以上個人差がある。油断はするなよ」
浦島衆のあまりの無法っぷりに思わずため息を漏らしたハヌマンと狛に釘を刺しながら、桃自身も正直驚いていた。
彼らの実力は知っているつもりだったが、甘かった。
自分の認識していることなど、ほんの一部だったのだと痛感させられた。
乙から人魚の扱う能力は特殊な空気の振動で作った波長の音であると聞かされたことがある。
(乙殿の血に流れる魔物は人魚。その血を濃く継ぐ乙殿自身も、魔法を使うことで特殊な空気の振動を使って様々な効果を発揮すると聞いたが、これは……)
戦をするうえでなんとも恐ろしい能力だ。絶対敵に回したくないと、桃の背筋が冷たくなった。
ましてハヌマンの言ったように夜襲を警戒して夜も気を張っていたのであれば、城の兵達には相応に疲れもあったはず。
そこに催眠効果の音が流れてくれば、多くの者は耐えられまい。
浦島衆頭領の補佐も務める乙の出したであろう音は、睡眠薬さながらの、いやそれすら可愛いと思える程の眠気を兵達へ与えたに違いない。
兵の多くは増幅された眠気によって深い眠りに誘われ、抵抗もできずにあっさりと桃達の侵入を許したのだ。
「このまま城を制圧する!俺に続け!!」
「「おおーーーっ!!!」」
雪崩の如く、兵達が槍を手に敵兵を蹴散らしていく。
多くの敵兵はその勢いの前に成す術も無く、その騒音で起こされてもおぼつかない足取りで逃れようとするばかりだ。
敵兵がそんな状態だからこそ、桃達がそのまま城内へ突入するのに、さほど時間はかからなかった。




