第五十話 合流と策
「姫様、疲れたらすぐに言ってくださいね。休憩しますので」
梔子領を発って数日。桃達一行は浦島衆及び援軍との合流を目指して、梔子と蘇芳の領境に近い砦へと向かっていた。
多聞は梔子に残り、戦の準備に入っている。
そのまま蘇芳軍と合流して相手の主力部隊への対処に当たる予定だ。
人数が少なくなった上に非常に目立つ多聞がいないこともあって、梔子への往路と比べて地味な行軍だった。
状況が変わったこともあって、色々と行きと違う部分もある。
その最たるものが、凰姫だった。
その装いは普段の清楚ながら仕立ての良い和服姿ではなく、裾の短い姫武者姿。
見た目としては、前世の世界でいう所の巫女服のような要素もある。
過度な露出がある訳でも華美なわけでもなく、どちらかと言えば凰姫の清楚な品の良さと、凛とした勇ましさを感じさせる装いであった。
その装いを見た狛がべた褒めしていたあたり、女性から見ても素晴らしい意匠なのだろう。
そんな装いの凰姫は今、桃の背中に腕を回す形で馬に相乗りしている。
往路で狛と相乗りしていたのを見て、ずっと羨ましく思っていたらしい。
装いを変えたばかりで慣れていないであろう凰姫をいきなり馬に乗せる訳もなく、かといって駕籠を使うほどのんびりという訳にもいかない。
そんな理由からの相乗りであった。
因みに狛は乙の馬に相乗りしている。
「大丈夫よ。私も白鯨の娘ですもの」
そう言った凰姫の声は、すこしだけ弾んでいるようにも聴こえた。
それが馬上で起こる揺れ故か、或いは馬に乗れている嬉しさ故かは分からない。
それでもその言葉の通り、思ったよりも余裕があるようだ。
「それなら良かった。でも、疲れってのは自覚なく積もることもありますから、なにか体調に異変があったら遠慮なく言ってください。少しくらい休んでも陽が沈む前には到着できますから」
「うん、わかってる。気遣ってくれてありがとうね」
「俺も蘇芳の将ですからね。それに、姫様を気にかけるのは当然です」
「蘇芳の将だから……か」
ほんの少し声色を沈めた凰姫に、なにか不要な事を言ってしまっただろうかと思わず聞き返す。
前を向いているからその表情は見えないが、それでも先ほどのつぶやきと共に、しがみつく彼女の腕の力がほんの少し強くなったのは感じていた。
「どうかしましたか?」
「ううん、なんでも。慣れてなくて足手まといの私を連れているばかりに、気を遣わせてしまっているから、お礼を言うのだって当然よ」
「俺は別に足手まといなんて思っちゃいませんがね。姫様の治療の腕は頼りにしてますよ」
「じゃあ、期待に応えなきゃね」
先ほどの沈んだ声色から切り替えるように、凰姫は熱弁した。
相乗りさえしていなければ、ほんの少しどや顔で胸を張る彼女を見ることが出来ただろうか。
その様子がなんとなく頭に浮かんできて、桃は頬の筋が緩むのを感じた。
「楽しみにしてます」
「だからって大怪我したら許さないからね」
「……善処します」
「そこは即答しなさい」
凰姫の釘を刺す言葉には、即答できなかった。
戦に絶対はない。凰姫だってそれは分かっている。
それでもやはり、蘇芳の誰かが傷つけば凰姫は笑顔を曇らせるのだろう。
「姫様の顔を曇らせるような事には、きっとさせません」
そんな彼女の優しさを守りたいと思いつつも絶対守ると言い切れない自分の弱さに不甲斐なさを感じながら、桃は馬を進めるのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「おう桃!待ってたぜー!」
「海!」
砦についたのは想定通り陽が沈む前。
桃達一行を明るく出迎えてくれたのは海だった。
彼は桃達が来る時間をある程度予想していたのか、砦が見え始めるなり門まで出てきて手を振ってくれた。
「わざわざ待っていてくれたのか」
「そろそろかと思ってな。姫様も、お疲れ様です」
「ありがとう、海。お世話になるわね」
桃の背中にしがみついていた凰姫を見つけた海が、そのまま流れるように膝をついて頭を垂れる。
普段は軽いくせしてこういう所はきっちりしている辺り、流石は浦島衆の頭といった所か。
桃達が馬から下りたところで、海は下げていた頭をようやく戻した。
「兄様、お疲れ様です」
「おう乙、お前もな。あんたは狛だったか。矢車城の戦の前の軍議で一度顔を合わせてるよな」
桃のすぐ後ろを付いてきた乙達も、桃達と同じように馬から下りて海の周りに集まる。
ハヌマンなどは助けた時の指揮を海が取っていたこともあってか、恭しく頭を下げていた。
乙と狛を見つけて声を掛けた海に、狛も同様に膝をついて頭を下げる。
彼女もだんだんと、こういった上下関係の伴うやり取りに慣れてきたようだ。
「桃様の配下の狛と申します。よろしくお願いいたします」
「ああ。今回も前回から引き続き桃にとっては大仕事だ。あいつの事を支えてやってくれ」
「「お任せください」」
狛とハヌマンの声が重なる。
加入前はちょっとした言い合いをしていた二人も、ずいぶんと息が合う様になっている。
それは二人の忠心と一寸の特別鍛錬の賜物なのだろう。
しかしその成果を桃は未だ見ることが出来ていない。
まだ同じ場所で戦えていないことが残念でならなかっただけに、今回は一緒の戦場に出られることが頼もしくもあり、嬉しくもあった。
「他の味方は中で待ってる。とりあえず旅の疲れもあるだろうから、中に入れよ」
「ああ、それじゃあお世話になるよ。海殿」
「――そうだな。今回の戦も頼んだぜ。桃殿」
思えば、一人の将として海に扱われるのは初めてかもしれない。
塗壁の一件以降、兵達からもそう扱われることが多くなったように思う。
少しずつ桃の立場も変化してきているのだ。
「ここだ」
ちょっとした休憩の後で案内されたのは砦の一角。主郭となっている広間だ。
今回の戦の為に急造された野戦用の砦らしく、造りは簡素ながら戦に耐え得るだけの頑丈さと収容能力を備えていた。
集まっているのは梔子と蘇芳の軍勢合わせて1500名程と、浦島衆。
南東側から攻める梔子蘇芳の連合軍はまず木下城を制圧。
その後、東西を跨ぐ形で流れる木下川で、瑠璃・蘇芳の連合軍と戦闘中の相手本隊の側面に回り込み挟撃。というのが今のところの筋書きだ。
木下城はその南側、川の上流側の山中にある城だ。
桃達の目標はその城に捕らわれている一本鑪の救出と、城の奪還。
城の守り自体は多聞の言う通り、兵数を割く余裕はあまりなかったようだ。
かといって単純な力攻めが通るか?と桃は思案する。
いずれにしても、鍵となるのは浦島衆だろう。
恵比寿が海を寄越し、海が浦島衆の面々をここに集めているのは、将として彼らを上手く使って見せろというメッセージでもあるのだ。
「海、浦島衆の面々を集めて欲しい。軍議をしたい」
「わかった」
どちらにせよ、浦島衆の動かし方で攻め方も変わる。
餅は餅屋だ。
潜入に破壊工作といった任務をこなしてきた彼らの意見を取り入れる為、桃は海に軍議の申し入れをすると、凰姫達と共に砦の中にある一室へと足を向けた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
砦の中に用意された一室には、梔子領の若い将が二名と浦島衆の主要な面々が集められていた。
その顔ぶれの中には、ハヌマン救出作戦の際に共に行動したエイジたちの姿もある。
彼らは室内に入った桃の顔を見つけると、級友に偶然遭遇したような人懐こい笑みを浮かべた。
「桃!いや、桃殿!海様からは話を聴いていたが、本当にお前だったか!」
「エイジ殿」
「ははは!よしてくれ。桃殿はもはや俺よりも立場は上なんだ!」
「お前、そういう割には気安いな……」
けらけらと笑いながら桃の背中を叩くエイジに、海がじっとりとした視線を送りながら指摘する。
その背後には同じくハヌマンの救出の際世話になったもう一人の浦島衆、フカマルの姿があった。
「今回動くのは俺と乙、それからこの二人ともう一人が主になる。無論配下の兵たちもいるから、潜入や陽動に不便はない筈だ」
「助かる。城の構造は?」
「これだ」
やはりというか、城の構造は浦島衆によって既に調べ上げられていた。
木下城は地下を含めると4階建てとなっており、恐らく救出対象は二の丸の牢にいる可能性が高いらしい。
「短時間でよくもまあここまで調べ上げたな」
「吉祥様のお陰でな。木下城の構造もある程度把握されていたから、あとはそれを基に、変装が得意なのを潜り込ませた」
「それがさっき言ってた『もう一人』か」
「ああ。背の低い海女さんだ。変装が得意でな。俺らは任務の時は『蛸』と呼んでる」
「蛸……」
成程、確かに変装が得意そうな異名ではある。
潜入しているという彼女から齎された情報は、海の補償もあるからある程度の確度もだろう。
あとはその情報をどう生かすかだ。
件の城に駐留している兵達は、既に戦の準備を終え、いつでも進軍できる状態だという。
人寿郎は吉祥曰く『戦下手』とのことだが、それはそれで何をしてくるのか分からない怖さがある。
いずれにしても木下城からの軍をどう動かしてくるかは戦において注目すべき要素だろう。
それぞれの本隊は木下川を挟んで南北に布陣する形となるはずだ。
木下城はその南西側。山岳地帯を通って本隊側面へ回り込んでくる等の様々な攻勢が考えられる。
「城に詰めてた兵は800名程だな。この兵数で力攻めして落とすには少し多い数だ」
「城に詰めてる将は?」
「確認できたのは妖怪が二人、そして城を預かっている老将が一人。老将の方は人寿郎の世話役で、吉祥様も一時期世話になっていたそうだ」
「そうか……」
世話役の老将、と聞いて頭に浮かぶのは、やはり幹久の事だ。
幹久の様に傍に居てくれた人物なのであれば、吉祥にとっても大きな存在かもしれない。
それを思うと、ほんの少しだけ太刀筋が鈍る気もする。
そんな桃の様子を見て何かを察したのか、海は手をひらひらと躍らせて少し大げさに口を挟んだ。
「やめとけやめとけ。相手の関係性なんて今考えても、なんにもならん。まあ、敵の扱いは吉祥様に一任することになるだろうからいきなり殺すことは無いだろうさ」
「そうだな。余計な事だった。続けてくれ」
「おう。まあ、いまのはあくまで確認できた将兵の数だ。妖怪なんぞ何処から誰が湧いて出てくるか分からんから、警戒はしておけよ」
「そうだな。と、そうだ作戦だが、やっぱり浦島衆に城の内側をまずは荒らしてもらおうと思う」
「まあ、それが定石だわな。数で勝っても力攻めには兵力が足りない。救出任務もある以上は、それが定番だろう。夜に蛸の手引きで潜入して、人質を救出の後に乙から合図を送ったのちに門を開ける」
「なら俺らは城を包囲して、本隊へ援軍がいかないように見張っておこう。合図を確認次第、突撃しよう」
「頼んだぜ、大将」
「こちらこそ、たのんだよ頭領」
何方ともなく互いの視線がぶつかり、二人は薄い微笑を浮かべる。
気負いはない。今はただ味方を信じ、己のできる精一杯をこなすだけだ。




