第四十六話 八宝祭
「さて、此処が広間じゃ。凰、桃殿とここで待っておれ」
そう言い残して去っていく多聞の背を見おくり幾らか経って、桃は招かれた広間を見回した。
多聞に連れられて訪れたのは、梔子領の城郭の中にある領主館の大広間だ。
恵比寿の館にある広間よりも幾分か広く、調度品も多くて豪華な印象を受ける。
凰姫はその広間の奥、一段高くなった場所の正面に正座すると桃や部下たちもそれに従う様にその後ろに座った。
「姫様、お疲れではないですか?」
「私は大丈夫。昔から連れられて結構慣れっこだもの。桃は大丈夫?」
「俺はほら、昔から鍛えてますから。多少の事ではへばりませんよ」
「頼もしいわね」
口元を手で隠しながら、控えめに凰姫は笑う。
慣れている、とは言ったものの、彼女の顔には幾らかの疲れが見て取れた。
とはいえ、恐らくはこの遠征から来る疲れではない。
本人が言った通り、凰姫も勇魚と同じく領を離れる機会が幾らかあった。
この手の事は桃よりも慣れているだろう。
(……そういえば、乙殿や白殿が言ってたな。『姫様は戦の最中気が休まらなかったようだ』って)
無理もない話だとは思う。
今度は父の恵比寿だけでなく、兄の勇魚も参戦しての大きな戦だ。
凰姫にとっては大切な家族。心配するのも無理は無かった。
戦いにおいて絶対はない。
一見勝ちが濃厚な戦であっても、それこそ先の矢車城の鉄鼠の軍のようにひっくり返されることだってある。
(今回の遠征で、少しは気持ちが休まればいいけれど……)
幸いというか、梔子は賑やかなところだ。
最近凰姫と仲良くしている狛もいるし、少しだけ離れた土地の空気吸って気分をリフレッシュできる手伝いをしたいところだ。
――後で姫様が言っていた栗饅頭の売っているという店に、皆で行ってみるのもいいかもしれない。
桃がそんなことを考えていたら、多聞がこれまた優雅な仕草と恰好で戻ってきた。
それに気が付いて、皆の背筋がピッと引き締まる。
「さてさて、待たせたの」
広間の奥。
一段高くなった領主の座に陣取った多聞は、桃達の姿に一瞬視線を寄越すとそのまま凰姫の正面に座して声を掛けた。
「伯父様、この度はお招きいただき、ありがとうございます」
「多聞様、この度は私共の同行も許可いただき、感謝申し上げます」
「よいよい。堅苦しいのは好かぬでな。特に凰は可愛い姪御じゃ。話は真面目に聴いてもらわぬと困るが、それと肩肘を張るのは別じゃからの。桃殿やその方らも肩の力を抜き、少し気を楽にするとよい」
「は……」
桃がその言葉に少しだけ肩の力を抜いたのに合わせて、後ろの二人が纏っていた空気も少しだけ柔らかくなった気配がした。
ここで多聞の言葉に食い下がっては、逆に心証を悪くしかねない。
素直に従ってくれたのは非常に助かる。
「それで伯父様。私をここに呼んでくださったのは……」
「うむ。恵比寿からもある程度は聞かされていようが……麻呂の妹、つまりは其方の母の事じゃ」
「お母様の」
「うむ。まずはそうじゃな。妹の一族について話しておこうか」
「おねがいします、伯父様」
凰姫はやはり予想していたのか、母の事を改めて聞かされるという言葉にも驚いた様子は無かった。
しかしながら自分の母に関することを聞き逃すまいと、その表情はいつにも増して硬い。
「麻呂や妹の母……つまり凰の祖母は元々、或る祭魔と深い関りがある一族の出でな。其方の名も、その祭魔から一文字貰ったものなのだ」
「祭魔と……?」
「その祭魔の名は、『鳳凰』。翼ある魔物達の長のひとつにして、炎と生命を司る祭魔……八宝祭の一角じゃ」
「私が……」
驚きからか直ぐに言葉が出ない様子の凰姫と同じく、桃も言葉を失っていた。
八岐大蛇に続き、またなんとも大物が出てきたものだ。
そして、彼女の名前だけが恵比寿の一族の内で傾向が違う理由も、理解できた。
母方の一族とかかわりの深い祭魔から、一文字肖ったものだったのだ。
「でも、今回私がここに呼ばれたこととそれにどういった関係が……?」
「それを話すには、まず祭魔について踏み込まねばならんの。そも、祭魔とはなんぞや?桃殿」
「えっ……っと、魔物の中の最上位の存在であり、神にも等しい存在。一度その力を振るえば天災すら引き起す力を持ち、その力をもって世界を安定させる魔物です」
「左様。よく勉強しておられるの。では、祭魔は何体おるかご存じかな?」
「いえ、数までは……」
具体的な数は、知ろうと思った事はあるが少なくとも自分が読んだ分権の中に記述は無かったはずだ。
答えられなかった桃に対してさぞ多聞は呆れるだろうと恐る恐る答えたのもつかの間、意外にも返ってきた反応は好意的なものだった。
「ほほ、よいよい。むしろここで具体的な数を出さなかったのは正解じゃ。なにせ祭魔の具体的な数は分かっておらんのだからの」
「ではなぜそのような問いを?」
「うむ。まずは祭魔の具体的な数が分からぬという前提をもって聞いて欲しい。具体的な数が分からぬ上で、祭魔というのはこの大陸に出てくる数が決まっておる」
「それが先ほど凰姫様とのお話の中に出てきた、八宝祭。ですか」
「その通りじゃ。この大陸において祭魔が表に出てくる数は八体と決まっておる。それをもって八宝祭としておるわけじゃな。まあその彼らも普段は己の力が世界に影響を与えぬよう、隠遁しておるわけじゃが……そこの桃殿の従者殿はなにやら疑問に思ってるようじゃの?」
そう言って多聞が視線をやった先は、桃の左後ろ。ハヌマンの位置だ。
じっと黙って聞いていた二人なりに話を嚙み砕いていたのだろうが、顔に出てしまったのだろう。
「いえ、私は……」
「よい、同席を許したのは麻呂じゃ。申してみよ」
「では……」
背後から感じる緊張した空気はそのままに、ハヌマンの声が続く。
素直に応じたハヌマンに多聞は満足げに頷いて、その言葉を待った。
「多聞様は先ほど、祭魔の具体的な数は分からないとおっしゃいました。しかし八宝祭という名がある以上、祭魔は八体なのでは?」
「確かに、祭魔の顔ぶれがずっと同じであれば、そうじゃ」
「……代替わり、ですか」
多聞のその言葉に、心当たりを見つけて桃は思わず言葉を漏らす。
その一言を聞いて、多聞はその通りと言わんばかりに頷いた。
「祭魔は、その期間は様々なれど定期的に代替わりをする。役目を終えた祭魔は眠りにつき、次の番を待つという。我が家に代々伝わる古文書にもそう書かれておる」
「つまり、具体的な数が分からないというのは過去に眠った祭魔も含めての事なんですね」
「そういうことじゃ従者殿。そして此度凰にここの梔子へ来てもらったのも、その代替わりに関係してくる。その説明の為にも、そろそろ移動しようかの」
多聞様は静かに立ち上がると此方へ背を向け、ついてこいと言わんばかりに広間を隔てる襖へと歩き出す。
「そなたら、付いて参れ」
振り返らずに一言、それだけ告げて歩き出した多聞に桃達は続く。
廊下を抜けて暫く歩くと、辿り着いたのは厳重に閉じられた扉。
「ここじゃ」
桃が抱いた印象は宝物庫だった。
重い音を立てて開いた観音開きの扉の奥、いくつもの品が納められた無機質な部屋。
その奥に目を向けると、収められた宝物庫の主であるかのように一本の笛が納められていた。




