第四十四話 梔子領へ
吉祥と酒呑童子から自身の出生と力に関する話を受けた翌日、桃は再び恵比寿の元へと呼び出されていた。
戦も終わって三領主が集ったものの、今の状況は緒戦を制したのみ。
瑠璃領主を無事救出したとはいえ現在も本拠である瑠璃城は反乱首謀者の人寿郎の勢力下にあり、瑠璃領に残る領主側の将との連絡も難しい状況だ。
状況は依然予断を許さない。
吉祥と人寿郎の袂は決定的に分かたれ、その決着を付けなければ戦の火種はどんどん大きくなっていく可能性もある。
他所へその戦果が広まる前に、決着を付けなければならなかった。
そんな状況下での改まった呼び出しに、自然と桃の背筋も伸びる。
それは昨日聞いた自分自身に対する事実を知った事から来るものでもある。
この身体の主の母親である女性は仕立ての良い服を着ていたから、それなりの立場だろうと予想はしていた。
それでも亡国の生き残りとは、予想外の方向からの衝撃だったのだ。
「恵比寿様、桃です」
「入れ」
挨拶もそこそこに、部屋へ入って畳へ手をついて恵比寿へ礼を取ると、畳の藺草の匂いが鼻を擽った。
嗅ぎなれたはずの匂いに少しだけ安心感を覚えるのは、これまでの緊張と衝撃の連続を思えば仕方がないだろう。
「さて、昨日の今日で呼び出して悪いな。桃」
「いえ、確かに昨日は少し驚きましたが、今はもう落ち着いていますよ」
「そうか。まあ、きつくなったら言えよ」
「はい。ありがとうございます」
恵比寿様の労いの言葉に、桃は素直に答えた。
実際の所、色々と衝撃の事実を受け止めているために消化の時間は欲しい。
そんな心境でかけられた恵比寿の言葉に、桃は少し気持ちが軽くなった心地だった。
「さて、それじゃあ本題だ。桃、お前には凰を連れて梔子領へ行って貰う」
「梔子領へ……。凰姫様もですか?」
「そうだ。幸い今回の戦いで梔子領は直接的な参戦をしないまま終わったからな。今のうちに兵力が充実している梔子へ凰を移しておきたい」
「瑠璃領の問題に蘇芳が突っ込んだ以上、蘇芳も戦場になる可能性があるから、ですか」
「それもある。が、もうひとつ理由があってな。むしろこちらが本命だ」
「理由?」
珍しく歯切れ悪く、恵比寿が口を開く。
その表情には凰姫様を自分の目の届くところから話したくないという様がありありと浮かんでいた。
多聞様に娘を預けたくない、という若干の嫉妬もあるのだろう。
「梔子は迦楼羅の……凰の母親の実家だ。梔子で管理している秘宝を多聞から受け取ってきて欲しい」
「持って来てもらえばよかったのでは?」
「ちと特殊な秘宝でな。迦楼羅の家系の血を継ぐ女でないととんでもない重さになるんで、おいそれと持ち運べないんだよ」
「それがなぜ梔子に?蘇芳で管理されていてもよさそうですが」
「迦楼羅が病に伏せたときには凰はまだ小さかったからな。迦楼羅の母親……つまり俺の義母が一時的に管理することになったんだよ。だがその義母も亡くなって、今は継承者が不在になっている」
「それで成長した凰姫様に白羽の矢が立ったわけですか」
つまりは凰姫様へその秘宝を継承させることも目的のひとつなわけだ。
どういった秘宝なのかは分からないが、この状況下で凰姫様に継承させる以上は何かがあるのだろう。
「そういうことだ。お前とお前の部下達には凰の護衛を頼みたい。梔子はうちより兵力も充実しているが何があるか分からんからな」
「分かりました」
「それと、河童兄弟の弟……カワベエの奴も連れていけ」
「カワベエも?いいんですか?」
「良いも何も、お前が最初に奴へ協力を頼みこんだんだ。責任持って面倒見るのが筋だろう。それに、お前もなんだかんだで気になってるんじゃないのか」
「おっしゃる通りで。では遠慮なく」
カワベエの事は、確かに気になっていた。
あの戦で、カワベエには吉祥を脱出させる隊に入ってもらっていた。
夜の城を守っていた沙羅の砂の力とカワベエの能力は、実際の所大きな助けとなったようだった。
ただ、戦の後カワベエとは十分な言葉を交わせていない。
戦後処理に追われていたと言い訳もできるが、そんな事は相手からすれば知ったこっちゃないだろう。
力になってもらった礼は勿論の事、焚きつけた以上直ぐにでも今後の事を確認しなければならなかった。
そんな中での恵比寿の言葉は桃としても都合が良かった。
「出発は三日後だ。とりあえずお前はカワベエに話付けて来いよ」
そうして恵比寿は、出発の日取りを継げる。
三日後、というと余裕があるようで余裕はない。
その言葉に急ぎ立ち上がった桃は、カワベエに話を付け、仕事の残りを確認して引継ぎと、やることを頭の中で整理しながら恵比寿の元を発つのだった。
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「そういう訳なので、今回もお前に付いてきて欲しいんだ」
「お前ぇよ、いっつもいきなりだな」
これまでよりも広くなった牢の中で、寛いでいたカワベエが面倒だと言わんばかりの顔で口を尖らせる。
戦の後、捕虜の身であるカワベエは引き続き牢の中へ入れられていた。
とはいえこれまでよりも待遇は良く、広くなった空間の中で、能力の使用制限はされているもののカワベエは捕虜生活を謳歌しているようだった。
「いつまでたっても来ないから、見捨てられたかと思ったぜ」
「遅くなって悪かった」
相変わらず皮肉気なカワベエに、桃も以前と同じ調子で答える。
元々敵同士なのに、あるいはだからこそか、あまり遠慮がないのは何となく可笑しかった。
「別にいいさ。ちゃんと面見せに来ただけでも及第点だよ。で、今度は何?梔子領に行くから同行しろってか」
「そ、戦が終わったばかりですまないが、また力を貸してほしい」
「ホントだよ。働いたばっかりだってのに、河童使いが荒いったら無ぇ。大体ここから出していいのかよ俺を」
「御館様からは俺が焚きつけた以上面倒を見ろと」
「だれがてめぇなんぞの世話になるか!……とはいえ首根っこ未だに握られてるには事実だ、業腹だが協力してやる」
桃の言葉を全力で否定しながら、カワベエは首にはめられた首輪へ手をやって不服そうに告げた。
微妙に重みのある首輪は、相変わらず意思ひとつで締まる様になっている。
カワベエが妙な動きを見せた瞬間、孫悟空の頭に付けられた禁箍児のようにその首を締め上げるのだ。
一時的に協力しているとはいえ、正式に蘇芳の味方となっているわけではない。
もう少しカワベエの力が蘇芳の利益となり、正真正銘の協力者となれば外れる日もあるだろうが、今は我慢してもらうしかない。
「助かる」
「別に俺はお前を助けたいわけじゃないんだがな。あくまで前にお前が持ち掛けてきた言葉が気になるから力を貸すだけだ」
「それでいいさ。ところでカワベエ、ひとつ聴きたいんだが」
「なんだ」
「お前さ、俺の出生のこと、知ってた?」
「……ああ。知ってたよ。お前の事は人寿郎から周知されていた」
「やっぱりか」
桃の問い掛けに、カワベエは少しばかり気まずそうな表情で答える。
それを見て、やはりこれまでの襲撃は、人寿郎から手を回されていたのだろうと桃は確信した。
しかし未だに自分の血に宿る力や生まれに、実感があるかどうかと問われれば正直な話微妙なところではある。
生前の世界では何の変哲もないどころかハンデを背負っていた自分が、逆に価値を見出されて狙われる立場にあるというのは奇妙な感覚だった。
「正直な話、お前の事は今でも気に入らねえよ」
「それは、お前達兄弟を捕らえて兄が殺される切っ掛けを作ったから、か?」
「違う。単純なやっかみだ」
「やっかみ?」
「お前のその力も立場も、たまたま運が良かったから得たものだ。そんな坊ちゃんが大福みてぇな甘い考えを抱いてデカい顔してりゃ、腹も立つ」
「……そうか。まあ、そうかもな」
カワベエの言葉は、正直桃にとって耳が痛い話ではあった。
カワベエからすれば桃が転生したことなど知る由も無いし、正真正銘自分を桃本人として捉えての発言なのだろう。
それでも自分は運よくこの体に成り代わって、運よくこの領の人達に拾われて、運よく貴重な立場と力を授かった。
まだ桃は自分自身の力で何かを成したわけでもなく、運良く得た立場や力を自分の力で昇華したわけでもない。
なにより、戦いが当たり前のこの世界において、自分の持つ価値観は余りにも甘い。
十六年もこの世界で過ごしているし、少しは割り切れるようになったつもりだが、それでもかつて生きていた日本の平和な価値観が易々と抜けるわけではない。
この価値観の違いは、カワベエからすれば温室のような環境で育ったが故の甘さになってしまうのだろう。
「その態度も気に食わねえな。『俺はどんな奴も否定しない良い子ちゃんだ』なんて態度だ。傲慢さが透けて見える」
「そんなつもりは……」
「そんなつもりが無くても、俺からすりゃそう見えんだよ」
「まいったな、こりゃ」
言い返そうとしても取り付く島はなさそうだと、桃はすこし煮えかけた腹の内を治めて冷静に務める。
カワベエはそんな桃の様子を見て、不満げな表情を湛えたまま吐き捨てるように皮肉を口にした。
「けっ。力に溺れていい子ちゃんの顔が崩れるのが今から楽しみだよ」
「……忠告として受け取っておくよ。そうなったら、俺もこの領の人達に胸を張れなくなる」
「あーそうかい。ちったあキレた顔が見られるかと思ったが、つまんねぇ奴だぜ」
「良い子ちゃんとも傲慢と言われても、運が良かっただけと言われても、与えられた以上は責任を持つさ」
「ハイハイ、ともかくついて行きゃいいんだろ。一応はまだ協力関係だから行ってやるさ。だからとっとと失せろ」
不貞腐れたように此方に背を向けて寝転がったカワベエは、そのまま猫でも追い払う様に手をひらひらとさせる。
正直な話、カワベエの言葉に思う所が無いわけではない。
耳に痛い部分もあったし、少しは腹の立つ部分もあった。
お互いの適切な距離を探すには、まだ時間が必要だ。
個人的ながらも小さいとは言えない問題に、桃は頭を悩ませながらカワベエの元を去るのだった。




