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神の園のリヴァイブ  作者: くしむら ゆた
第一部 三章 矢車城の戦い
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第三十八話 変容


 肩車を組んでいた手長足長の身体が、崩れ落ちていく。

 長い手足が絡み合い、もつれ合う様にして、手長と足長は少し離れた状態で地面に転がった。


(早く……!早く立たねば!!)


 両の手を突き、立ち上がろうと力を込める。

 ただ転がされただけ、普通ならすぐに立ち上がれるだろう。

 

 だが手長足長はそういう訳にはいかなかった。

 長すぎる手足の為に、バランスを保って立ち上がるのに時間がかかるのだ。


「くそ!手長、手伝ってくれ!」

「ちょっと待て!俺もまだ立ち上がれてないっ」

「早くしろ!でなけりゃあの男が……」


 上ずった声で足長が叫ぶ。

 その目には既に、此方へ駆け寄ってくる勇魚(いさな)が映っていた。


「ぬおおおおぉぉおらぁ!!」


 槍を手に、勇魚(いさな)は倒れ込んだ二人の内、近くにいる足長の元へ肉薄する。

 足長は慌てて自らの足で迎撃するも、すでに勇魚(いさな)は目と鼻の先。

 咄嗟に繰りだした蹴りは精彩を欠き、勇魚(いさな)の槍に難なく弾かれる。


(間に合わんっ)


 追い詰められた足長は、人間と変わらないサイズの腕で精一杯の防御を試みる。

 しかし塗壁との戦闘も経験している勇魚(いさな)にとって、それはあまりにも頼りない。


「そこだぁ!」

「がっ……!ぁ……!」


 勇魚(いさな)の槍が、足長の胴を貫く。骨と筋肉を貫く硬い手ごたえがあって、足長が血を吐き出す。

 その確かな手ごたえを確認して、勇魚(いさな)は足長の身体から槍を引き抜いた。


「足長ぁ!」


 闇夜を劈く叫びを口から吐き出しながら、ようやく体制を戻したらしい手長が勇魚(いさな)へ向けて長い腕を突き出す。

 その速度に衰えは無い。

 いや、むしろ怒りで速さが上乗せされているようであった。


「……くっそ……!」


 背後から攻撃される形になった勇魚(いさな)は、その攻撃にもどうにか反応することが出来た。

 しかしながら連続で突き出される腕に、次第に押され始めて徐々に攻撃を受けながら後退していく。

 

 そうして徐々に後退した勇魚(いさな)の足元に、何かがぶつかってきた。

 その何かの正体に心当たりのあった勇魚(いさな)は、咄嗟に重心を前に戻そうと踏ん張る。

 しかし十分に踏ん張ることは叶わず、努力空しく勇魚(いさな)はふらふらと後ろ側へバランスを崩す形となってしまった。


(やばっ……)


 そのまま、勇魚(いさな)の顔面に向けて手長の腕が突き出される。

 勇魚(いさな)は咄嗟に槍を使って攻撃を逸らしたものの、その攻撃は槍を弾き飛ばして勇魚(いさな)の肩を大きく切り裂いた。

 そのままバランスを崩した勇魚(いさな)は、それでも攻撃の的にならないよう転がりながら受け身を取り、尚も後退を試みる。


「……ったく、上手く行かないもんだなぁ……」


 どうにか距離をとることには成功したものの、手長に止めを刺すことは叶わず、肩を負傷する結果となってしまった。

 弾き飛ばされた槍は数メートル後ろ。走って取りに行けば間に合うかもしれないが、そもそも背を向ける隙を見出せるかどうか。

 

 何より、勇魚(いさな)の予想が外れたのはもうひとつの要因があった。


「まだ動けるのかよ……。臓腑の何れかは貫いたはずなんだが……」

「ふふふっ、妖怪というのは頑丈なのさ。そういう傷を負っても多少は動けるとも」


 後退を続けていた勇魚(いさな)へ、ぶつかってきた相手。

 それは槍で貫き、血を吐いて倒れたはずの足長であった。

 足長はあの後、這いずって勇魚(いさな)の後退する進路上に体を移動させていたのだ。


「足長、お前は離脱しろ」


 そう言って手長は足長を助け起こして後ろ手に庇い、勇魚(いさな)を睨みながら告げる。


「しかし手長よ、この男思ったよりも手強い。それに以前蘇芳の軍は勢いのあるままだ。この男を殺したとて、死ぬぞ」

「わかっておるわ。だがその傷では戦うことは難しかろう。お前だけでも生き残り、現状を人寿郎様へお伝えせよ」


 足長は悔しそうに一瞬口元を歪めたが、それでも負った傷は浅くない。

 共に戦うこともできるだろうが、戦力以上に足手まといとなりかねないのは確かだった。


「……分かった。では、達者でな」


 最後に一目手長へ視線を送って、足長は走り去る。

 それを背に相変わらず勇魚(いさな)を睨みつけたまま、手長は足に対して異様に長い腕を蛇のようにもたげ始める。


「……あいつを庇ったのか」

「庇った、か。小僧、勇魚(いさな)と言ったか。一端(いっぱし)に分かった様な口を訊くではないか」

「俺にも半身と呼べる親友がいるからな。そうかなと思っただけだ」


 言うまでも無く、勇魚(いさな)にとっての半身とは桃の事だ。

 凰とも鯱丸とも違う、兄弟ではないけれどずっと供にあった存在だった。

 なんとなく、手長と足長の様子を見て勇魚(いさな)が連想したのは、自分と、桃の事だったのだ。



「そうか、ならば予想も出来よう」


 会話を切った手長は、その代わりと言わんばかりに口の端を釣り上げて膨大な魔力を纏い始める。


 胴体がボキボキと音を鳴らして伸びていく。

 身体全体が単身で、先ほど足長と組んでいた大きさと同程度まで大きくなっていく。


 肩口の肉がぶくぶくと盛り上がり、そこから背中にかけて新しく手長の肉体が形成されていく。

 それは紛れもない、魔力で作られた新しい腕だ。

 これまで苦戦を強いられていた二本の長い腕と同じような長さの腕が、さらに四本。


 地を這うその姿はまるで子供が冗談で落書きをした節足動物の様だった。


「……!!」


 気付けば、勇魚(いさな)の喉は張り付くように渇きを覚えていた。

 それを濡らすように、ゴクリと唾を飲み込む。


(――これは……魔力、か?)


「ひとつ良いことを教えてやろう。妖怪の中にはより自分の技能を生かせる形に姿を変えられるものがいる」

「それがその姿って事か」

「そうだ。化身と言ってな。人間の中にも化身できるものがいるが、我ら妖怪のそれは戦いに特化している」

「ってことは……今までより……」

「強いという事さぁ!!」


(ンなこた見りゃあ分かるってぇの!!)


 伸びてきた腕は四本。

 先ほど以上の数と速さだ。

 鉤爪は付けていないながらもあれに捕まればどうなるか。

 襲い掛かってくる腕を短刀で逸らし、ぎりぎりで防ぎながら後ろにある槍をどうにか確保しようとじわじわと後退していく。


(くそっ)


 辛うじて保たれていた均衡状態が敗れたのに、時間はかからなかった。

 甲高い音を立てて、勇魚(いさな)の手の内からついに短刀が弾き飛ばされる。

 弾かれた短刀はそのまま離れた茂みの中へ、そうして正真正銘無防備となった勇魚(いさな)に向けて、今度こそ手長の腕がその鎌首をもたげて襲い掛かった。


「ぐあぅ」

「ようやく捕らえたぞ。手間をかけさせおってからに」


 首を捕まれた勇魚(いさな)は、そのまま掴み上げるように釣り上げられる。

 正に絶体絶命、今腰に差しているのは唯一短刀の鞘のみだ。


「終わりだ。蘇芳勇魚(いさな)。貴様はなかなか良い将だったよ」


 鉤爪を(まと)った手長の本来の腕が、勇魚(いさな)に照準を合わせる。

 鈍い光を放つ鉤爪は今まさにその心臓を一突きにせんと、赤い血に染まる時を待ちわびていた。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 鼻を突くような獣の匂いが、桃の周囲に満ちていた。

 単純な野生生物が放つような、あの特有の匂いだけではない。


 周囲にまき散らされる血と油、臓器から漏れ出る体液と糞便の匂いの混ざった、複雑で生々しい、平時であれば吐き気を催しそうな、そんな匂いだ。


(キリが無いな……)


 周囲がそんな匂いで満たされるのも、無理は無い。

 既に両の手で数えることなど出来ないほどに、あの人間ほどの大きさを持つ(ねずみ)を斬り続けている。


 そんな状態になって尚、(ねずみ)は際限なく湧いてきていた。

 それが鉄鼠(てっそ)の力なのか、倒した端から新しい(ねずみ)が生まれてくるのである。


 地面を爪で掻く音、鳴き声、気配、匂い、五感で感じられるあらゆる情報から、(ねずみ)の襲来を察知して斬る。

 素早くはい寄ってきた一体を躱して切り伏せ、飛びかかってきた一体は【水刃輪(すいじんりん)】を投げて空中で両断する。


 甲高い断末魔を上げて動かなくなる同族を見ても(ねずみ)たちに怯む様子は無く、ただ其れこそが義務なのだと言わんばかりに湧く(ねずみ)を殺し続けるほか無かった。


 競争などと調子のいいことを言ってみたが、流石にこの無尽蔵な様は堪える。

 まとめて吹き飛ばせる爆弾のような手段があったら、使ってしまいそうな程度にはうんざりしていた。


「ふむ。やはり数が多いですな。いやはやこれは、まったくもって面倒にございますな」


 いつの間にか傍まで追いやられていたらしい。

 桃と背中合わせになった状態で、一寸がさらりと言う。


 言葉の割に、一寸の(まと)う雰囲気に焦燥感は無い。

 常に心に余裕を。と教わってはいたが、極めるとこうなるのか、と桃は感心する。


「数が多いなんてもんじゃないですよ、いったいどれだけ湧いてくるんですかこいつら」

「たしかあの鉄鼠(てっそ)という妖怪がいうには、8万4千とか」

「うわ……、それマジですか……」


 数を聞いて、その数の(ねずみ)を想像して鳥肌が立つのを感じた。

 別に(ねずみ)が特別嫌いという訳ではないが、その数はさすがに気持ち悪い。


「恐らくは、『まじ』かと。まあ、一人で4万2千斬ればよいだけの事」

「そりゃそうですけど、ちょっと単純すぎませんか」


 一寸のとんでもない発言に抗議しながら、その真意を確認する。

 

 この老人、実はけっこう茶目っ気がある。

 ただ普段が真面目な為にその判別が極めて付けづらいのだ。


「なにもその数だけ刀を振るわけではございませぬよ。ひとまとめにして斬ってしまえば良いのです。よく見られるといい、(ねずみ)たちがどう増えるのか」

「どうって……」


 軽く笑いながら言ってのける一寸に、桃がどうするつもりなのかと声をかける。

 すると一寸は、まるでクイズでも出すような調子で桃にひとつの問いを投げ返した。

 

「あれだけ斬ったのに、なぜ(ねずみ)どもの死体はこんなにも少ないのであろうな」

「あ……」


 言われてみればその通りだ。これまで既に両の手では足らないくらいに大きな(ねずみ)を斬っているのに、残っている死体は異様に少ない。

 本来ならば、すでに辺り一面(ねずみ)の死体に埋め尽くされていてもいい位なのに。

 

 向かってくる(ねずみ)を斬りながら、まき散らされた死体を観察する。

 するとどうだろう、(ねずみ)たちの死体の一部は無数の小さな(ねずみ)に分裂して、其々が急速に大きくなっていく。


「そういう事か!」


 (ねずみ)の死体が、時間経過で更に新しい(ねずみ)を産んでいる。

 ならばまとめて水で巻き上げて、凍らせてそれを止めてしまえばいい。


「一寸様、斬るのはお任せします!」

「心得た」


 まずは目についた(ねずみ)から。

 想像するのは渦。天狗の時に出てきたような、巨大な水の竜巻だ。

 

 桃は水を魔法で帯状に放出しながら、【水刃輪(すいじんりん)】の応用で回転を作だす。

 やがて出来上がったのは、水で出来た巨大な竜巻だった。地上に現れた渦潮と言ってもいい。


「行け!」


 (ねずみ)は敏感に危険を察知し、逃れようと散り始める。

 しかし少し遅かった。

 渦潮は周囲の(ねずみ)を容赦なく巻き込みながら、ゆっくりと前進していく。


「ギャッ」


 水圧と水流でつぶされた(ねずみ)が悲鳴を上げながら、容赦なく渦に飲み込まれていく。

 周囲の木々を巻き込みながら迫る渦潮に、(ねずみ)たちは必死で地面にしがみつこうとしていた。

 

 それでも彼らは竜巻に巻かれる屋根瓦のようにいとも簡単に引きはがされていく。

 しかし、これ以上巻き込むのは難しそうだ。


 渦潮から逃げることに成功した(ねずみ)たちは、本能的に恐れた様子を見せながらも此方へ敵意を向けている。

 

「一寸殿!お願いします!」

「承知」


 桃は一寸へ合図を送った瞬間、一気に渦を丸ごと凍結させる。

 そして間髪をいれずに一寸が老人とは思えない身軽さで飛び上がり、刀を無数に閃かせた。

 闇夜の中で、僅かに光を反射した刃が無数の糸を張ったように残像を残す。


 そして一寸が音も無く着地して刀を鞘に納めた瞬間、(ねずみ)ごと凍り付いた渦は一瞬で無数の小さな破片に切り刻まれた。


「……すご……」

「まだ油断なされるな、桃殿。次が来る」

「……!そうだ、まだ残りが……!?」


 呆然とする桃に一寸は鋭い視線を送る。

 迂闊だった、と心に活を入れて振り向いた瞬間、桃は思わず言葉を失った。

 一寸が鋭い視線を送っていたのは桃にではない。


「分裂できるんなら、そりゃありえなくはないけどさ」


 一寸と桃の視線の先。

 そこでは渦潮から辛うじて生き残った(ねずみ)たちが固まっていた。

 いや、固まっていた。という表現は不正確だ。


「合体迄するのかよ……」


 (ねずみ)たちは一斉に分裂し、一塊になっていく。

 それは正真正銘の同一化。合体だった。

 

 生き残っていた(ねずみ)たちは、全体の二割ほどだ。

 その二割の(ねずみ)が、分裂と成長を繰り返しながら、全て一体となっていく。

 やがて目の前に現れたのは、以前戦った魔猪の更に数倍は大きな、超巨大(ねずみ)だった。



「冗談じゃねえぞ……」


 思わず愚痴のように言葉が飛び出す。

 しかしそれを遮る様に、一寸は桃を置いて無言で巨大(ねずみ)の目の前へ進んでいった。


「一寸殿!?俺も戦います!」

「否、あれだけの魔法を使った後故、桃殿は少し休まれよ」


 それだけ言って、一寸はあくまで静かに、いつも通りに目の前の凶悪な存在へと歩みを進めていく。

 その足取りには一切の淀みが無い。


「若者がこれだけ力を尽くしておるのだ。それに幹久ばかりではなく、私も偶には良いところを見せなくてはな。なにより……」


 一寸殿の右手が、鞘に納められた刀の柄に再度触れる。


「あのような見事な技を見せられては、私も少々滾ってしまってな。なに、一体に纏まってくれたのならば好都合。一瞬で終わる」


 その言葉を聴き終えると同時、刀を抜く音だけが空間に響いた。

 その瞬間だけ、まるで切り取ったかのような静寂があった。


『――花氷(はなごおり)・菊』


 一寸の声が響く。

 置き去りにされていた時間が戻ってくる。

 一寸の目の前の巨大(ねずみ)はピクリとも動かない。

 桃も同じように、一瞬の出来事に圧倒されて動けなかった。


 ようやく意識が追いついて、桃は目の前の巨大な(ねずみ)は氷像と化している事に気が付く。

 そして声を上げようとした瞬間、氷像は音を立ててばらばらに崩れ落ちていった。ていった。

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