第二十六話 求める力の為に
蘇芳領内で暗殺事件が発生した事実は兵たちに大きな動揺を与えた。
しかし幹久を始めとした譜代の家臣達がそれらを受け止め、抑えたことで直ぐにそれは終息した。
なによりも恵比寿を始めとした領主の家族に一切の被害がなかったことも大きいだろう。
現場の検分を引き継いだ桃は望月衆の構成員と連携し、現在は残された僅かな手がかりを元に情報の精査待ちの状況だ。
不幸中の幸いか、残された手がかりは少ないものの、いくらかの取っ掛かりは残っていた。
ひとつは河童兄弟の弟であるカワベエが生かされていた事。
そしてもうひとつ、瑠璃領から来た使者が、白のおかげで意識を取り戻した事である。
大きな情報を持っている可能性が高かったことから別で警護していたのが幸いした。
カワベエも殺されなかった辺り大した情報を持っていないのだろうが、それでも今は大切な情報源だ。
何よりも使者が白殿のおかげで目を覚ましたのは大きい。
この世界の人間は魔物の血を継いでいる為か比較的頑丈だが、このまま目を覚まさず食事をとれなければ衰弱死も有り得た。
あの村の一件で知り合った白に、蘇芳に来てもらったことが光明になってくれたのだ。
そして話せるまでに回復した彼がもたらしてくれたのは、まさに想像していた通りの悪い知らせであった。
「我が瑠璃領の領主様……葛葉吉祥様は災害に乗じた襲撃により、身を隠しております」
「生きているのか?」
共に回復した兵の様子を見に来た勇魚が真っ先に大事な情報を確認する。
行方不明になったという情報の時点で、なにか事故か事件に巻き込まれたのであろうことは予想できた。
問題はそれが人為的にもたらされたものなのか。そして瑠璃領主が生きているかだった。
「まだ生きております。少数の将兵と領主派の妖怪たちの手により何とか身を隠している状況です」
「それで、襲撃の下手人は?」
「同じ瑠璃領の兵でした。いえ、しかしあれは恐らく……」
「なにか心当たりが?」
何か思い当たった様子で考え込む伝令に、勇魚が身を乗り出す。
伝令は少しばかり迷った様子を見せたが、やがて小さく己を納得させるように頷いた。
「はい。領主様は弟君の人寿郎様と折り合いが悪く、領内でも領主派と弟君の派閥とで度々小競り合いがあったのです。人寿郎様の派閥は最近できたばかりで大きいものではありませんでしたが……」
「なんでできたばかりの派閥が突然領主を襲うなんて暴発を?」
伝令は桃の言葉に、心当たりを探し始めたのかまた少しの間黙った。
勇魚と桃は、それを一旦黙って見守る。
数分の静寂の後、伝令は「私にもそれは……、ただ……」と前置きしたうえで口を開いた。
「実は、人寿郎様の存在は領内でも最近になって公表されているのです。そこから人寿郎様を担ぐ勢力が出始めて……」
よくある話だ。
領主の血縁の兄弟姉妹の間で意見が割れれば、派閥が出来てもおかしくない。
そして派閥が存在する以上、その中でもブレーキの利かなくなった者たちが過激な行動に出ることは十二分に考えられる。
「とにかく、まずは裏取りだろう。桃、望月衆へ追加の連絡を頼むわ。俺は父上に報告してくる。ビーマを付けるから、何かあればビーマに託ことづけを頼む」
「そっか、ビーマは今のところ勇魚の直属になる予定なんだっけか」
「ああ。お前と同じように父上から条件出されて、この間達成したところだ」
「そっか。勇魚も流石だな。ビーマ、よろしくな」
「はい桃様。お任せください!」
しばらくぶりに見たビーマは、なんとなく顔つきが明るくなったようだった。
兄と共に蘇芳に残る方針が確定し、鯱丸と勉学鍛錬へ励むようになったことで前を向けるようになったのかもしれない。
「ビーマは鯱丸様と仲良かったよな。ひょっとして勇魚に仕えるのはそれでか?」
「はい、鯱丸様の勧めで。桃様に仕える事も考えましたが、僕自身が蘇芳を支える為に出来ることを考えて決めました」
「そっか。偉いな。鯱丸様も最近頑張ってるみたいだもんなぁ」
勇魚の弟である鯱丸は武芸については特に秀でたものは無い、というのが周囲の評価だ。
しかし彼は武芸の変わりに政治や人を見る目の才能を父親から引き継いでいた。
元々恵比寿の後を雛鳥の様に付いて回っていることが多かった鯱丸だったが、父親の後を付いて回りながらその仕事ぶりをよく見ていたのだろう。
甘えん坊な一面は未だあるものの、今は父や兄の役に立てるよう領地経営の勉強に邁進し、どんどん知識を吸収しているらしい。
勇魚と恵比寿も鯱丸がそういった姿勢を見せ始めている事を喜んでいた。
「桃が直属の部下を持とうとしているなら、俺も持つべきだって鯱丸から推薦してきてな。見込みもあったからな」
「鯱丸様、最近行動的になって来たよなぁ。ビーマとも仲良くしてるもんな」
「まあ、流石に仲がいいから俺に推薦したってわけじゃないだろうがな。ハヌマンの了承も取ってるし、実際真面目でテキパキ働いてくれるから助かってるよ」
「そうか。まあ勇魚の元なら安心だな」
「はい。勇魚様にも本当によくしていただいています」
「そりゃよかった。同じ蘇芳のために働く仲間として、改めてよろしく頼む」
「はい、こちらこそ勇魚様や鯱丸様、桃様のお力になれるよう頑張ります!では竹取様の所に案内しますね!」
望月衆は浦島衆と双璧を成す蘇芳の隠密部隊であり、情報収集や情報操作といった任務を得意としている。
蘇芳の目や耳として情報を収集してくれるこの集団は、十六年前の災害において家臣団にも被害が出たこの領には特に欠かすことの出来ない存在だ。
防衛に割ける人員が少ない分、情報を獲得する速さと確度は今の蘇芳にとっての生命線だった。
構成員は女性を中心としており、領の内外に散ってあらゆる手段を用いて情報を集めてくる。
その頭領は現在、望月衆の情報伝達をより素早く行うために中蘇芳へ戻ってきている。
「月代殿、桃です。先の瑠璃領主様の一件について追加のご報告があり、参上いたしました」
「お入りなさい」
桃の呼びかけに応じた声は、穏やかな女性の声。
ビーマに案内された先、蘇芳領主館の一角にある離れの中に、彼女は居た。
その頭領は幹久や一寸と同じ年の頃の老女であり、名を竹取月代と言った。
仕立ての良い藤色の着物に身を包んだ彼女は、一見すると領の諜報を担う組織のトップとは思えない程に穏やかな雰囲気をしている。
何方かと言えば、琴や華道の先生だと言われた方が納得できる物腰だ。
見た目から感じられる品の良さは決して身に包んだ着物ではなく、彼女自身が纏っているものに間違いはない。
普段は中蘇芳から離れている為に顔を合わせることは少ないが、若い時分はさぞ綺麗な人だったのだろう。
畳敷きの一室で、灰だけが残る囲炉裏を挟んで桃が向かい合う様に座ると、口を開いたのは月代の方だった。
「お久しぶりですね。桃。いえ、今は一人前の家臣として任を受ける身ときいています。桃殿とお呼びした方がいいかしら」
「いえ、まだ私は若輩の身です。どうか月代様の思うようにお呼びください」
「では桃と。追加の報告というのは、瑠璃領主がまだ生きて身を隠している事。下手人が領主弟の派閥の者である可能性があることでよろしかったかしら」
「その通りです。さすが、お耳が早い」
「これでも御館様から望月衆を預かる身です。その程度の事はして見せますとも」
「では、もしかして既に」
「はい。既に輝夜を含めた望月衆の者達を動かし、情報の裏取りと領主様の捜索を命じております」
「ありがとうございます。仕事が早くて助かります」
「こんなお婆ちゃんに出来ることなんてそれくらいですもの。情報収集は私たち望月衆にお任せなさい」
「ご謙遜を。その御年まで蘇芳を支え続けた貴方のお力は『それくらい』では収まらないでしょう」
「嬉しいことを言ってくれるのね。でも、だからこそ今は私たちに任せてもらえるかしら。貴方は真面目な子だから、訓練もしなければと思っているのでしょう?」
「真面目……ですか。まあ、訓練は今まで以上にと思っていますが」
「それなら尚の事、私たちにお任せなさいな。貴方は、今貴方自身がやるべきと思う事をおやりなさい」
そういった月代殿が上品に笑いかけてくる。
まるで教師が生徒を諭すような、少しだけ懐かしい感覚だ。
幹久や一寸もそうだが、蘇芳の老兵たちは恵比寿の前の代から仕えていたという。
彼らは顔や手に刻まれた皺の数に比例するように、想像できないような濃密な時間を重ねているのだろう。
桃が前世から記憶を持ち越しているにしても、その懐の深さには一生敵う気がしない。
「はい。今はお任せいたします。お心遣い、有難く頂戴いたします」
「いいのよ。そもそもが私たちの仕事だし。ただの年寄りのお節介みたいなものだから」
「それでは、よろしくお願いいたします」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「と、いうわけでだ。月代様のお心遣いによって少し予定より早いが約束してた特訓だ」
「それはいいけど、ほんとに大丈夫なの?勇魚様も恵比寿様に報告済ませて直ぐに一寸様がいる方の訓練場に走っていったけど」
桃の言葉に若干心配そうに疑問をこぼしたのは狛だった。
それでも桃との特訓への嬉しさは隠せないのか、狛はおもちゃを目の前にした子犬のように目を輝かせている。
尻尾があったらちぎれんばかりに振っていただろう。
月代に報告を済ませた桃は狛を誘ってまっすぐにその足で訓練場のひとつに赴いていたのだ。
「大丈夫だ。少なくとも報告すべきことを済ませた以上、俺達に成すべきことは強くなることだから。動いたばかりに却って邪魔になることもある」
「そういうものなんだ」
「そういうものなんだよ。ところでハヌマンと凰姫様は?」
「ハヌマンはビーマと勉強中。凰姫様は少しだけ考え事して、白様の所に行ったよ?」
「白様の所に?」
あの村での一件以来、正確にはその以前からなのだろうが、凰姫は処置や治療の技術を懸命に吸収しようとしている。
中蘇芳に返ってきてからも時間を作っては白殿に教えを請いに行っているようだが、今は事態が事態なだけに少し心配ではある。
「乙殿も一緒だし大丈夫だよ。凰姫様も、自分にできることをやりたいんじゃないかな」
「やりたいこと……」
「そ。勇魚様や桃様の為にね。待ってるだけって不安なものだしさ」
凰姫も自分のやれることを精一杯やろうとしているという事か。
立場上前線に出られない彼女だからこその、不安や葛藤もあるのだろう。
であれば、口を出すべきではない。見守るべきだ。
そして何よりも、その頑張りに桃自身も応えなくてはいけない。
「なら、俺も頑張らないとな」
「だね。それにしても、約束覚えていてくれたんだ。忙しなく色々あったから忘れられてるかと思ってた」
狛は拗ねたふりをしながら、木刀を手に桃の後ろに回り込むような形で立ち位置を調節する。
桃もそれに合わせ、木剣を手に立ち位置を調節しながら相対する位置に立った。
「さすがにいきなり臣下との約束を破ったりはしないさ」
「さすが。それでこそ私が見込んだ人だね」
「褒めても手加減はしてやれないぞ?」
「それこそ望むところだよ。じゃあ……」
「ああ」
「「勝負だ」」
蘇芳の領主館の訓練場に剣戟が響く。
そこから数日、桃を始めとした蘇芳の若者達は、時を惜しむように訓練に明け暮れたのだった。
今回からちょくちょく蘇芳隠密方のもう片方、望月衆の人間も登場します。
かっこいいお爺ちゃんを登場させるなら、かっこいいお婆ちゃんも欲しいよね!ってことで出来上がったのが月代さんでした。
キャラクターの方針と言うか、雰囲気としては「おばあさま」と呼びたくなるようなキャラを目指してます。
もちろん、かっこよさや強さのベクトルにも色々あるので、今後も頼りになる大人たちは出てくる予定です。