第二十五話 好事多魔
……頭がズキリと痛い。
そして頭が重たい。
脳が鉛になったようだ。
ぼやけていた視界が次第にはっきりしてきて、桃はようやく狛が覗き込んでいる事に気が付いた。
こんなこと、前にもあったな。と、桃は思考を覚醒させようと記憶を手繰る。
そうだ、たしか血盟の儀を行って、その際口にした酒でこうなったのだ。
「あ、凰姫様ー!桃様起きたよー!」
覗き込んでいた狛が声を上げると、程なくしてぱたぱたと足音が聞こえてくる。
この聞きなれた足音と言い、先ほどの狛の発言と言い、凰姫だろう。
思った通り彼女は少しばかり心配そうな表情を浮かべて、桃の顔を狛と同じように覗き込んできた。
「凰姫様、おはようございます……」
「おはようございます。じゃありません」
若干桃の声真似をしながら言った凰姫だが、声質が真逆なので全くもって似ていない。
指摘する気力もなく、桃はその言葉を少しだけ気まずそうな表情で受け止めた。
「ホントだよー。急に倒れるからびっくりしちゃった。桃様、お酒苦手なの?」
「そうなの。桃はお酒の類は全然飲めないのよ。直ぐにつぶれて寝ちゃうんだから」
「面目ない」
「別に責めてません。ただ、お酒に弱い自覚があるんだからもう少し儀式のときも口にする量とかを考えたら?」
「……そうする」
転生したことで肉体は健康体になったとはいえ、桃が酒に弱い体質なのは前世から変わらなかった。
もともと酒を好んで飲むわけではないのであまり関係ないかとも思っていたのだが、現実はそうもいかなかった。
この世界、酒を飲む機会が存外多いのだ。
絶対に必要という場合でなければ桃も遠慮するの。
しかし儀式の場合は必要だから飲むこともあるために全てを遠慮という訳にもいかない。
そもそも別世界という事で勝手が違う事も多く、どこから断るべきなのか、判断しかねることもある。
幸い上官にあたる幹久や恵比寿は酒好きでも酔っても無理やり飲ませるようなことはしない。
所謂アルハラがないのはありがたかった。
「二人が看ていてくれたんですか」
「ええ。私と狛とでね。気分はどうなの?」
寝っぱなしで会話をするというのも何なので、桃は上半身を起こして手櫛で乱れた髪を少し整えながら首を軽く回して頭の調子を確認する。
ぐるりと首を回すのに合わせて、中に入った錘が移動するような、そんな感覚があった。
「まだちょっと頭痛い……」
「ならもう一回寝ちゃう?膝枕とかしてあげるよ~?なんせ桃様の直属の配下だからね」
「……それはちょっと、いや魅力的……」
膝をぽんぽん叩いて、笑顔を浮かべた狛が平然と言ってのける。
それに対して言葉が零れたところで、桃は続きを抑え込んだ。
配下になった贔屓目とかでなく、桃から見ても狛はした美少女だ。
儚げな月白色の髪と黄金の瞳からくる溌剌とした性格のギャップも、短い付き合いながら印象深い。
清楚で、しっかりとしつつもどこか守りたくなる凰姫とはまた違った魅力を持っている。
美少女の膝枕、というのは普通に考えれば魅力的なのだが、状況的に、そして倫理的にもホイホイ乗るのは桃自身どうかと思ったのだ。
思考が肉体の年齢に引っ張られているにしても、頭痛にかまけて戯言を言ってしまった。
「狛!桃!交際もしていない男女が破廉恥よ!」
「凰姫様、ひょっとしてヤキモチですか?」
「それは……違います。桃も狛も年頃なのですから、間違いが起こったりとか……」
「大丈夫ですよ!私も桃もその辺弁えてますから!その時はその時です!」
「その時はどうするつもりだ……。凰姫様、狛といつの間にか仲良くなってません?」
凰姫様と狛の初対面は、件のならず者と戦った村だ。
とはいえ顔を合わせて挨拶を交わすくらいで、交流する時間はあまりなかったと聞く。
となると彼女たちが交流できたのは帰ってきてからの僅かな時間だけのはずだが、やはり年齢が姉妹くらいの差だと仲良くなるのも早いのだろうか?
凰姫は立場上友人もなかなか作るのが大変だろうから、狛の存在はそういう意味でもありがたいかもしれない。
「桃のことで意気投合してね。それに旅の話も面白くて」
「あー。成程……」
共通の話題があるのなら納得だ。
それが自分の事であるというのがどうにも歯がゆいが、気にしないでおくことにした。
それにあまり領の外に出る機会のない凰姫にとって、狛の傭兵時代の話はなかなかに面白い冒険物語なのだろう。
狛自身明るくて裏表を感じさせない性格だというのは短い付き合いでも理解できる。
なんにせよ、二人が仲良くなったのは桃自身も嬉しかった。
「ところで、ハヌマンは?俺を運んでくれたり着替えさせてくれたの多分ハヌマンだろう?」
「あ、うん。そうなんだけどね。少し前に呼ばれて出ていったよ」
「呼ばれた?誰に?」
「お兄様だと思うわ。呼びに来た兵がお兄様の名前を出していたのを私も聞いていますから」
「勇魚にか……。俺も行ってみるか……」
「それなら私も行きます。桃、まだちょっと調子悪そうだもの」
「じゃあ私も。凰姫様だけじゃ桃様がふらついた時支えきれないでしょう?それに、お供は本来私の役目だしね」
「それじゃあお言葉に甘えて……でも邪魔にならないようにいきましょうね」
「「はーい」」
二人の返事を聴いてまるで引率の先生となった様な気分になりながら、桃は布団から抜け出し身支度を整えるのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……これは……この剣呑な雰囲気、どういう事だ?」
勇魚の居場所を聞いて二人を伴い向かった先、そこでは兵士たちが落ち着きなく動き回っていた。
桃が其の内の一人に事情を尋ねると、兵は少しばかり歯切れ悪く話し始めた。
「実は……」
傍に居た凰姫の事を気にしてか、彼は耳打ちで桃に事情を打ち明ける。
その内容に、桃は思わず言葉を失った。
「勇魚の元に案内してくれ」
「分かりました。こちらへ」
「凰姫様、申し訳ないがここで待っていてもらえませんか」
「え?いいけど……」
桃の言葉に不安そうな表情を見せて凰姫が問いかけてくる。
事情を伏せてもいいが、隠し立てたところで聡明な彼女の事だ。
周囲の兵の様子もあってすぐに何があったか察しかねない。
「……暗殺です。凰姫様は念のためこの場に残っていてください。現場は見ない方がいいでしょう」
「暗殺……ここって私を攫った河童を繋いでいる牢があった場所よね?勇魚お兄様が行ってたはずだけど、無事なの……?」
「暗殺されたのは勇魚じゃないので安心してください。今は勇魚が中心になって現場検証をしているはずです」
「そう、よかった……」
「狛、すまないが凰姫様の護衛を頼む」
「分かった。桃様、気を付けてね」
「ああ」
桃の言葉を聞いて、少しばかり凰姫の顔に血の色が戻る。
領内で暗殺など、狙いは勇魚や恵比寿様だったと真っ先に考えてしまっても無理はない。
(恵比寿様や勇魚が危険に晒されたわけではないのが、不幸中の幸いか……)
見送る二人の視線を背中に感じながら、足早に牢へ向かう。
領内の牢は決して広く無いが、その作りは頑強且つ厳重だ。
裏方を務める望月衆や浦島衆が監督して作り上げている施設の為、牢への侵入や脱走には非常に苦労する構造になっている。
鉄格子は狭く、かつ高い位置にあるため、以前桃がやったように鉄格子から出入りするのも非常に難しい。
「勇魚、入るぞ」
「お、桃か。体調はもういいのか?」
「ああ。呑気に寝転がってる事態でもなさそうだしな。で、状況は……思ったよりも派手にやられてるな」
牢の中の壁は大量のどす黒い血で汚れていた。
床には物言わぬ首なしの骸が二体。
その頭部は綺麗に切断されており、無造作に転がされている。
夏の太陽の熱で血の匂いと共に蒸された空気に、顔をしかめそうになるのを堪えて見聞する。
人の死体を見るのはこの世界に来てから幾らか機会があったが、やはり慣れない。
狛に凰姫を預けておいてよかった。と、桃は内心で安堵した。
とてもじゃないが、この惨状を見せるわけにはいくまい。
そしてその転がっている首は、どちらも知った顔だ。
「キスケとヤマヒコ……か……」
「ああ。尋問するにあたって余計な思考が入り込まないように、二人きりにしてくれとヤマヒコに言われたんでそれに従ったんだが……、迂闊だった。無理にでも立ち会うべきだった」
「お前の所為じゃないさ。ヤマヒコの言い分も、彼の能力を鑑みれば納得いく理由だからな」
死体の顔を改めて確認する。
キスケもヤマヒコも、かつての会話したときの表情を思い出してしまい、桃は苦い気持ちを噛み潰した。
「偽物の可能性は……なさそうだな」
「ああ。その辺りは間違いない。この牢に近づいたのは中に入っていた河童を除けば殺されたヤマヒコと俺と一寸殿、あとは俺をここまで案内した二人の兵だけだ」
「その兵は」
「……そいつも死んだ」
「……死体は?」
「ある。だが少し妙な死体でな」
「妙……?」
「見れば分かる」
そういって牢の端にあった兵の死体の元に案内されると、桃は勇魚の言葉の意味を嫌でも理解することになった。
「顔が……」
「ああ。まるで木偶人形みたいに何もないんだ」
勇魚の言う通り、この死体の顔には、なにもなかった。
目鼻口と言ったパーツがない、つるりとした見た目はまるでのっぺらぼうだ。
加えてこの体の切り口。
防具ごと袈裟懸けに真っ二つというのは、相当な凄腕がやってのけたのだろう。
「この傷、刀か」
「ああ。というかその兵を殺したのは一寸殿だ」
「へ?」
勇魚の一言に仰天し、桃は思わず頓狂な声を上げた。
いったい何がどうなって、一寸殿がそんなことをしたのか。
「それは私から説明した方が良かろう」
「一寸殿」
割って入った声の主は正真正銘、話の渦中にあった一寸であった。
和服に刀を帯びた出立の一寸の様子はいつも通りで、とてもじゃないが兵を切り殺した後には見えない。
心を乱さぬことを忘れぬよう桃や勇魚に教導するだけあって、その様子は恐ろしいほどに泰然としていた。
「その兵は入れ替わった偽物であった。勇魚様の声を聴きつけて来てみれば、そやつが妙な動きをしたのでな。切り伏せたら顔が溶け落ちるように変わってこの状態になったのだ」
「……入れ替わってたってことか……」
「そいつに関しては偽物で間違いない。もう一人の兵にいきなり襲い掛かったからな」
確かにそう言った事情であれば切り捨てるのもやむを得ないかもしれない。
それにしたって、兵だって防具を付けていたのにもかかわらず綺麗に真っ二つだ。
相変わらずというか、なんとも恐ろしい技術である。
「……しかし直前まで誰にも気付かせずに入れ替わるとは……」
「そいつも何か妙な力を持っていたのかもな。ああ、妙な力と言えばあの二人を殺した奴も妙だった」
「見たのか?」
「顔は見ていない。後姿に槍を突き入れてやったが、手ごたえは全くなかった上にあの鉄格子の隙間から逃げていきやがった」
「あの狭い隙間から……?」
「ああ。突いた時の手ごたえと言い、まるで布切れみたいにするっとな。後に残ったのはこれだけだ」
そういって差し出してきた勇魚の手には、一切れの白い布。
薄くも、厚くもない。
よくある木綿生地の様な、一見すると何の変哲もない木綿に似た布だ。
「これとあの顔のない死体が数少ない手がかりか……」
下手人の動機は殺した相手から想像は出来る。
情報が漏れるのを避けるためだ。
だから情報を得るのに最適な手段……心を読む力を持つヤマヒコと、一番情報を持っているであろうキスケが殺された。
「カワベエ……弟の河童の方は?」
「そっちは無事だが、無事ってことは逆に情報には期待できねえ……」
「だがなんとか僅かでも情報を引っ張るしかないだろう」
「それもそうだ。ともかく一旦父上に報告してくる。急報を伝えただけで、詳しいことは話せていないからな」
「私も勇魚様と共に向かうとしよう、桃殿、この場を引き継いで指揮を執ってもらえますかな」
「お任せを。お二人も気を付けて」
「お互いにな。じゃあ頼んだ」
そういってその場を後にした二人を見送り、牢の中のふたつの亡骸を眺める。
見開かれたキスケの瞼を閉じて、牢の中をひとしきり見渡す。
手錠をされた状態のキスケは碌に抵抗出来なかっただろう。
彼らの特殊能力が使えぬ様、特殊な枷で厳重に縛られていたために無抵抗に首を落とされたのは容易に想像できる。
ただ、口封じのためとはいえ仲間を簡単に殺せる感覚が、桃には理解できなかった。
(……俺もそのうち何にも感じなくなっちゃうのかな……)
正直、未だ命を奪う事に抵抗を感じることはある。
どうしようもない状況や戦場で奪った命であっても、誰かの人生を自分の手で終わらせた事実が時折恐ろしくなるのだ。
同時に、それを長く続けることで抵抗感をなくし、感覚が麻痺していくことに対する恐怖も感じていた。
慣れるべきだけれど、慣れたくはない感覚だった。
その内に自分は、躊躇いなく人を殺められるようになってしまうかもしれない。
それこそセコイの時の様な残酷な手段を、怒りに任せず淡々と取れるようになるのかもしれない。
それが蘇芳の為に、或いは自分がこの世界で生きる為に正しい事なのだとしても、その境界を越えてしまう時が、少し怖い。
「……蘇芳の為に来てくれたのに、ごめん」
もう反応が返ってこない事を承知の上で、ヤマヒコの亡骸に声をかける。
彼と共に過ごしたのはほんの数日という短い時間ではあったが、桃達の為に白を呼びに走り、蘇芳にまで来てくれた。
それがこんな事になってしまった。
決して油断していたわけではないけれど、もう少し何かできていたなら、彼が命を落とすことは無かったかもしれない。
「桃様、亡骸は如何様にいたしましょう」
「手がかりが少しでも残っているかもしれん。マナに還らないように俺が凍らせておく。望月衆の検分が終わったら丁寧に火葬してやってくれ」
「しかし、妖怪の亡骸は魔物のようにマナに還ってなくなるのでは」
「確かにそうだ。だが、俺達の油断で殺してしまったようなものだ。自己満足かもしれないが、せめて弔って送ってやるのが筋だろう」
「分かりました。手配いたします」
「頼む」
この世界は基本的に火葬だ。
それは衛生的な理由もあるが、なにより次元穴の影響を死体が受けないようにするためでもある。
死体が動いて魔獣と化すなど、死んだ当人にとっても、遭遇した人間にとっても悲惨な話だ。
野垂れ死んでしまったりといったこともある世界なので、その発生をゼロには出来ないが、少しでも可能性を減らすための手段だった。
蘇芳は大きな手掛かりを失った。
と同時に、暗殺者を領内に入れてしまうという失態を犯してしまった。
この時世にそれは由々しき事態だ。
(……大事になりそうだな……これは……)
いつの間にか太陽は顔を隠し、空には鈍色の分厚い雲が垂れこめていた。
すこし激しめの夕立が来そうだ。
それがこの先の波乱を暗示しているようで、桃は酷い息苦しさと居心地の悪さを胸の内に強烈に感じていた。
第二十五話をご覧いただき、ありがとうございました。
今回は狛と凰姫様の顔合わせであると同時に、ちょっとした波乱の回となっております。
暗殺を許してしまう、という内容を、説得力をどう持たせるかに頭を悩ませた回でもあります。
こういう場面では、妖怪たちの一風変わった能力は便利ですね。




