第二十四話 血盟の臣
「失礼いたします」
桃が再び室内へと呼ばれたのは、ハヌマンと狛が恵比寿の待つ部屋へ入って行ってから、幾らかの時間をおいての事だった。
室内では二人が恵比寿に向かって頭を垂れ、平伏していた。
桃は二人の傍に歩み寄ると、感覚を空けて座る二人の間に割り込むように安座し、同じように平伏する。
「堅苦しい礼はいい、二人がいるんだ。呼ばれた理由は察しがついているな、桃」
「はい。二人を従者に、と私が願い出た件と拝察しております」
「そうだ。そこまで分かっているのであれば結論から言おう。ハヌマン、狛」
「「はっ」」
二人が恵比寿様の言葉に、頭を垂れたまま短く返事をする。
「桃の従者として働き、蘇芳の、そして桃の力となれ」
「お役目、必ずや全ういたします」
「身に余る大役を仰せつかり、光栄でございます」
頭は垂れたまま、ハヌマンと、それに続く形で狛が恵比寿の命に対する言葉を述べる。
恵比寿との間でどんなやり取りがあったのかは分からないが、それでも淀みなくその役を引き受けてくれた二人の言葉が、桃には頼もしかった。
「二人も知っての通り、こいつは出来る奴だがまだ青い。無茶をすることもあるだろう。だからお前たちが支えてやってくれ」
「「必ずや」」
(二人とも、ありがとう)
この場ではすぐ言えない感謝を飲み込んで、桃は静かに二人の言葉を噛みしめる。
思えばこの世界に来る前は、ここまで強い信頼を得ることができなかった。
それはいつの間にか行動することを放棄してしまった自分の所為でもある。
どうせ頑張っても体を壊してまた振出しに戻るのだといつしか諦めるようになっていた。
そのことを死んでこの世界に来てから後悔した。
前世で気が付いて、それが叶えば一番良かったのだろう。
それでも今この瞬間、少しだけその後悔が救われたような気がした。
「さて、それじゃあ……まずは準備だな。おい、盃と酒、それと短刀を持って来てくれ。血盟の儀を行う」
恵比寿が声をかけると控えていた傍仕えの一人が足早に駆けていく。
必要な道具を取りに行ったのだが、ハヌマンと狛は恵比寿の言葉の意味や意図を当然理解できない。
これから何かが始まるのだ、という事だけはわかっても、その内容が掴めずにすこし戸惑っていた。
「さて、あいつらが準備をしに行っている間に……。そっちの二人は何をするか分かっていないようだな」
「あの……私たちは何をすればいいのでしょう……」
「血盟の儀って……?」
「分からないのも無理はねぇ。俺らみたいな立場でなけりゃ、馴染みは無いだろうからな。桃、お前は二度目だ。復習がてら説明してやれ」
「はい」
置いてけぼりの状態の二人が当然の疑問を戸惑いながら口にすると、恵比寿は分からないのも当然とばかりに言ってのける。
血盟の儀は基本的に貴族階級や桃達の様な軍事に携わる者たち。
そのなかでも将として兵を率いる立場の者たちくらいしか行うことがない。
これまで正規の軍に所属した経験のない二人にとって、馴染みのない言葉であるのは当然だった。
説明。というのであれば、それこそそのまま恵比寿がしてしまえば良かったのではと思うが、経験済みとはいえ桃もまだ二度目だ。
これから軍を率いる側の立場に立っていく上で関係してくる物事の概要を理解しているか、ついでに確認をしようという魂胆だろう。
なんだかんだちゃっかりしているというか、相変わらず上手に人を動かす方だと桃は心の中で恵比寿へ賛辞を贈った。
「血盟の儀は酒に互いの血を混ぜ、それを飲んで取りこむ主従契約の儀式だ」
「主従契約……なるほど、私たちが桃様に仕えるにあたっての儀式ということですか」
「そゆこと」
ハヌマンがそれを聞いて察しがついたとばかりに口にした。
その通りと返事をして頷き、桃はさらに続ける。
主従契約に関わる儀式という事で二人とも合点がいったようで、その目からは戸惑いが消えている。
「そうだ。先に酒を口にした方が主、後で口にした方が従となる」
「互いの血を混ぜて飲むんだぁ。病気とか大丈夫なの?」
「だから強い酒を混ぜるんだろうな。それで何とかなるのかは知らんが。血盟の儀は互いの血を取りこむことで、それぞれが持つ魔物の因子や本人の持つ性質を取りこむんだ」
「では、より多くの者と儀を交わせば強くなれるのでは?」
「いや。血盟の儀の効果は主側と従側のそれぞれ一度ずつしか発揮されない。それ以上行っても効果は無い」
「そうなんだ。でも、桃……様は初めてじゃないんだよね?」
その言葉を聞いて、真っ先に疑問をぶつけてきたのは狛だった。
先の件で一人突っ込んでいった辺り猪突猛進型かと思いきや、意外と話を聴いている子だ。
「ああ、勇魚を従として儀を交わしている。だから効果は無い」
「それって意味あるの?」
「魔物の因子を得るって意味では無いな。ただ元々は家に少しでも多くの魔物の因子を取りこむ為の儀式だったから、効果がないって判明するまで複数人と儀を交わすことは珍しくなかったそうだ。逆に言えばそれが大元の目的だから、元々共通の因子を持っている血縁関係で、この儀式が行われることは少ない」
其々の疑問に対して答えながら、説明を進めていく。
儀を交わしたは勇魚が十五になった日。乳兄弟の上早くに魔法を使ったこともあって、真っ先に儀の相手の候補としてあがったのが桃だった。
因子を得ることで魔法を扱うきっかけになればという事もあったのだろう。
この世界においては十五で成人として扱われ、それ以下の者は飲酒を原則として禁じられているが、こうした儀式の場ではその限りでない。
おかげでこの世界においても桃は酒に全く耐性がないことが判明したのは、なんとも残念な話である。
「効果がないだけでデメリットがあるわけではないし、儀式的な意味合いもあって主従間で形だけでも交わすものになっていったんだろう」
「成程……、ところで先ほど桃様は、勇魚様を従として儀を交わしたとおっしゃいました。桃様のお立場であれば、勇魚様を主とするのが普通では?」
「うーん。勇魚は次期当主だから、その辺の兼ね合いもあるんじゃないかな?」
「そっか、勇魚様は婚姻だとかもいろいろ考えなきゃだもんねぇ」
狛の言う通り、勇魚は時期領主の筆頭候補。
血盟にせよ婚姻にせよ、結ぶ際には慎重かつ最も利益のある選択が迫られる。
むしろ勇魚が従の側とはいえ、最初に血盟を結ぶ相手として桃が選ばれたこと自体異例と言えるだろう。
「俺の因子を取りこむだけなら主従どっちでも問題ないし、主の側で契約を交わしたからって、従の側に強制力や命令権を得られるわけじゃないからな」
「すると、勇魚様も桃様の様に水魔法を?」
「因子を直接取り入れるわけだから使う下地はあるんだろうけど、使えるようになるかどうかは勇魚次第だ。逆に俺も勇魚の因子を得たから、勇魚が持っている中で強い魔物の因子の下地が出来てる事になる。けれど少なくとも、因子を得たからって相手の力をホイホイ使えるようになるわけじゃないよ」
あの時はハヌマンと同じような疑問を持ったものだ。
だが結局あえて勇魚の方が従として契約した理由を桃はまだ聞かされていない。
次期当主である以上、既に主として契約を交わす決まった相手がいたのかもしれない。
ただ、お互いの因子を持ってはいるものの、桃と勇魚は二人ともまだ切っ掛けを掴めておらず、お互いの因子の力を発揮できては居ないのが現状だ。
「まあ今回は勇魚の時みたいな事情も無いし、俺が主で二人は従として儀式を行うことになると思う。既に俺は主の側で済ませちゃってるから、今回は俺の因子が一方的に二人に影響を与える形になる」
「そっかぁ。ちょっと残念。私も桃様の初めてになりたかったのに」
「その言い方はわざとか?天然か?」
「さあ、どうだろうねー。でもまあ、少なくとも私の初めては桃様なわけだ」
「狛、あまり含みのある言い方をするな。それに初めてを捧げたのは私も同じだ」
ハヌマンは多分天然だな。そうであってほしい。
これ以上突っ込むのも藪から蛇を突き出しそうなので、そう思いつつも桃は一旦無視して話を進める。
「まあ、さっきも触れた通り因子を得たからってホイホイ相手の魔法を使えるようになるわけじゃないんだ。そもそも魔法が使えるほど因子が覚醒するかも分からない。あくまで血脈の中に候補となる因子を少しでも多く取りこむ為の儀式だよ」
「成程……、確かに私達に余り馴染みがないのも納得できました。戦に関わる様な立場でなければ、因子をより多く増やそうとは思いませんね」
ハヌマンが納得したように感想を口にした所で、一通りの説明を終えただろうか。
丁度いい頃合いで傍仕えの者が戻ってきた。
戻ってくるにあたって一人では手が足りなかったのだろう。
三人に増えた傍仕えの者達はそれぞれ膳の上に酒と大きな盃、短刀と拭い紙をもって準備万端と言った様子だった。
「とりあえず、桃の説明で要点は掴めただろう。一応聞くが、この儀を行うことに異存はあるか?」
「「ございません」」
「では二人とも桃と向かい合わせになる様に座れ」
「「はい」」
二人の声が重なり、それを合図に桃を含めた全員が指示された通りの位置に座り直して傍仕えから短刀を受け取る。
白木の鞘から引き抜いた刃の輝きは、普段戦で見る剣や刀のそれよりもずいぶんと荘厳に見えた。
「ではこれより、蘇芳領主恵比寿様の立ち合いの元、血盟の儀を行います。各々方、お渡しした短刀で指先に傷をつけ、盃に注いだ酒へ血を垂らしてくださいませ」
形式だけとはいえ、儀式なだけあって傍仕えの少年の一人が儀を取り仕切る。
彼の言葉に従って桃達三人は短刀で親指に切り傷を付ける。
(これ、苦手なんだよな……)
生前から採血やら点滴やらで注射針を指したりには慣れっこな桃だが、自らの意思で刃物を使い、あえて指を傷つけた経験はこの世界に来るまでなかった。
精々プラモデルを作っているときにデザインナイフで手を滑らせたときくらいのものだ。
桃の指に紙で切ってしまった時の様な一瞬の熱さと痛みが襲ってきて、桃は歪みそうになった表情をどうにか抑え込んだ。
透明な酒の中に、それぞれの血液が落ちていく。
朱塗りの盃によってその様子は見えないが、じわりと酒の中に別の液体が混じっていく様子が、僅かに見て取れるような気がした。
傍仕えの少年が匙で三回程それを攪拌させると、まずは桃が盃の中身を口に運んだ。
喉元を熱い酒精が落ちて行って、胸のあたりがカッと熱を持つ。
未だ慣れない酒の味に表情を崩さないように気を張りながら、桃はどうにか注がれた酒の三分の一程をなんとか飲み干す。
それを確認して、盃は配下となる二人の前へと差し出された。
指の痛み以上に、酒は苦手だった。
狛とハヌマンもそれぞれ盃の中身を口にして、目の前には空の盃。
その中身が無くなったことを確認した恵比寿が、僅かに口角を上げて宣言する。
「これで儀は終了だ。強制力がないとはいえ、今回の儀式はお前たちを桃の配下として任命する為に行うものでもある。お前たちが俺に打ち明けた気持ちを忘れず、桃が道を踏み外さぬようしっかりと支えろ」
「「必ずや、お守りいたします」」
「だが、命がけでとかは考えるなよ?生きて守ってこその忠義だ。そこはちゃんと弁えて置け。間違えても自分の優先順位を付けるのを忘れるんじゃあないぞ?なあ、桃」
当て付けるように桃の名前を出した恵比寿に、桃は少しだけ気まずそうに答える。
勇魚から言われた以上恵比寿も改めて説教するつもりは無いようだが、それでも少しだけ小言を言いたかったようだ。
「う……そうですね。私も肝に銘じておきます……」
「勇魚から説教喰らったそうだからな。俺からは強く言わないが、蘇芳の一員なら自分も周りも大事にしろ」
「はい……」
歩み寄ってきた恵比寿の大きな手が、頭に置かれてそのままガシガシと撫でられる。
昔は勇魚も桃もこうしてぐしゃぐしゃと撫でられたものだが、最近は少なくなっていたので久しぶりの感覚だった。
だが今はやめて欲しい。
なぜなら、桃の頭は酒の所為でふらふらだったからだ。
頑張ってたけど、流石に限界だ。
桃の様子がおかしい事に他の皆も気が付いたようで、体を支えきれなくなった桃を恵比寿が受け止める。
「そういえばお前、酒はからっきし駄目だったな。ハヌマン、狛、さっそく仕事だ。桃の奴を自室へ連れて行ってやってくれ」
最後に桃が辛うじて聞き取れたのは恵比寿のその言葉。
ふわふわと頼りなくなった意識と僅かな頭の痛さに前後不覚となった桃は、ついに意識を手放すのだった。
今回は世界観の深堀と共に、狛とハヌマンの正式な蘇芳加入の儀式の回となりました。
桃のお酒苦手設定は、キャラクターの設計段階の早いうちに決まっていました。




