第一話 後編 初仕事
襖といい縁側といい、領主の館のつくりは生前大河ドラマで見ていたような日本の屋敷のような造りだった。
目に入る廊下の様子や鼻を抜ける畳の藺草の匂いは、異世界だというのにどこか懐かしさを感じさせる。
これだけ羅列すると過去の日本に迷い込んだようだが、それでもここを桃が異世界だと断言できているのには理由がある。
見慣れぬ土地や人の名前、魔法の存在。自分がこれまで学んできたこの世界の成り立ちや文化、風習の差異。
つまり元居た世界と大なり小なり違っていたからだ。
例えば漢字。
異世界であるこの世界にも存在しているが、漢字は異世界から齎された特別な文字、という扱いだ。
基本的には家紋や軍旗のシンボルとして使われることが多いが、土地の名前の他、武家や貴族といった立場の者達の名に使われたりもする。
特別な文字という扱いであるために、地位の高い人間が褒美としては以下の者に氏や名に漢字を与えることもある。
こうした風習は大陸の中でもカムナビのある東側に強くみられる傾向らしい。
「失礼いたします」
一礼し室内に入ると奥の間には一人の男性。
一段下がった座敷には少年が一人胡坐で座って控えていた。
奥の男性がこの蘇芳領の領主。蘇芳恵比寿。
後ろに撫で付けた白髪、鋭い目つきの顔に体の無数の傷は歴戦の獅子を思わせる風貌。
口調も不愛想で一見険しい印象を受けるが、巧みな外交と安定した領の統治は国の内外からも評判が高い。
家臣領民含め家族のように大切にしており、領内を散策すれば彼を慕う声が聞こえてくるほどだ。
片足に生まれつき障害がある為平時は片手に杖をついて移動しているが、戦の時は輿に乗って参陣。
直接指揮をとった戦では負け無しの優秀な将であり、それ故に『蘇芳の白鯨』なんて呼び名まであった。
「なんだ、お前たちも来たのか」
恵比寿は桃の後ろからひょっこりと顔を出した凰姫と鯱丸を見つけると、やれやれと言った具合に言葉をかける。
「私も蘇芳の姫ですから。邪魔はしないからいいでしょう?お父様」
「邪魔しないならな。鯱丸。お前はこっちに来い。」
「はい、父上!」
そういってそそくさと兄の隣に座った凰姫は、促すように此方を見る。
その視線に促されるように桃も凰姫の隣に胡坐し、鯱丸も恵比寿に呼ばれて嬉しそうにその膝の上に陣取った。
「突然呼び立ててすまんな」
「いえ。俺はいつでも大丈夫ですよ。それで要件はどのような?」
「ああ、お前には東の銭取峠に出た化け猪を討伐してきてほしい」
「化け猪……ですか?」
「ああ。銭取峠は知っての通りこの中蘇芳と東側を繋ぐ街道に繋がる場所だ。街道へ出てくる前に仕留めたい」
膝に乗せた鯱丸様を撫でる恵比寿の顔つきが、少し厳しい物に変わる。
それは領主として部下へ命令する時の顔だった。
銭取峠はこの領主の館――蘇芳館が存在する中蘇芳から伸びる街道に繋がる峠道だ。
比較的この中蘇芳側へ寄った場所にある峠道で、なんでも昔ある男が街道沿いで食い逃げをして逃げ道に選んで捕まったのがこの峠だ。
周囲は山林に囲まれていている為に街道へ向かう道としてあまり使われることはないが、道そのものは整えられている為に生活道路として使うものは多い。
恵比寿の言う通り、街道に化け猪とやらが行動範囲を広めかねないことも考えれば、早めに討伐しておきたいのは合点がいく。
「それともうひとつ、今回お前を選んだ理由だが……、その猪騒動のある村の付近で次元穴が確認された。お前、前々から興味を持っていただろう。この機会に実際に見てこい」
「!!」
その言葉を聴いて、桃の顔が一瞬驚きに変わる。
次元穴。
この世界に時折出現する空間の割れ目、或いは穴だ。
この穴は異世界に通じるとも言われ、ここから来た者達によって漢字などの文化も齎されたと言われている。
書物庫でその存在を知った桃は、時折次元穴に関する様々な情報を恵比寿に聴いては、いつかこの目で見てみたいと話をしていた。
異世界に繋がるというその穴が、自分が今ここに居ることへ関わっているのではないかと考えていたからだ。
この世界に来て長い月日が経つ上に彼方の肉体は既に死んでいるので、元の世界に戻りたいわけではない。
ただ、この世界に来た原因や理由があるのならば知りたかったのだ。
「勿論お前ひとりじゃあない。花咲の爺さんと行ってこい。それと……勇魚、桃を手伝ってやれ」
「わかったぜ親父……じゃなくって……わかりました父上!!」
座敷に控えていた少年が答えた。
蘇芳勇魚。領主の長男、つまり先ほどの凰姫と鯱丸の兄にあたる。そしてこの世界の桃の幼馴染だ。
父親譲りの白い短髪をアップバングにした髪と妹と同じ色の瞳。
座った状態でもわかる体格の良さを持った明朗闊達でさっぱりとした少年だ。
言葉遣いなどあまり気にしない方だが、流石に領主の父相手にそれはまずいと自分でも感じているのか、口から滑り出てきた言葉を言い直すこともあった。
桃より半年早く生まれている勇魚は桃とは乳兄弟でもあり、遊ぶ時にしろ武芸の稽古にしろ勉強の時にしろなにかと一緒で、本当の兄弟のように育った仲だった。
初陣だけは勇魚のほうが早く、すでに盗賊の討伐を経験している。
桃は初陣の前、狩りに連れていかれた際に獲物を殺すのを躊躇ってしまった為まだ初陣には出してもらえてない。
今回はそのリベンジでもある。
戦いに出れば人を殺す事になる。
ここで命を奪うことに対する躊躇いを乗り越えなければ、桃の初陣はまた遠のくだろう。
この世界は決して平和な世界ではない。
跡目争いや領地争いで戦が起これば、無関係でいることはできない。
生きていくためにも、越えなければいけない壁だ。
「わかりました。今度こそやって見せます」
「よし。それじゃあ頑張ってこい。勇魚もしっかりやれよ」
「おう、行ってくるぜ父上!」
「それから桃、こいつを持っていけ」
手招きされた桃が恵比寿の近くへ寄ると、透明な水晶石が嵌った指輪を渡された。
過度な装飾のないシンプルなものだ。
「これは……?」
「次元穴を塞ぐには魔力を使う。それに特訓中とはいえお前の魔法の威力はかなりのものだ。あまり勧めたくはないが、いざという時には魔法のほうが戦いやすいこともあるだろう」
激励するように肩を叩かれ、送り出される。
その目はには期待が滲んでいて、前世では心配の視線ばかりを受け取っていた桃は自然と意気が上がった。
「……!!ありがとうございます!」
大丈夫。この世界にやってきて幼い時分から沢山の事を学んで、鍛えてきた。
以前の何もできなかった自分とは、きっと違うはずだ。
己をそう鼓舞して恵比寿の見送りを背に受けながら、桃は化け猪が出るという峠に向かうのだった。




