第二十話 後編 兆し
ハヌマンの背後に現れた新手。
片手に太刀、もう片方に扇、そして背中の翼。
まるで天狗だ。
「ハヌマン!危ない!」
「桃様!!」
振り下ろされる凶刃。
ハヌマンを思い切り押しのける。
とっさに飛び込み、剣で受けるまではよかった。
防いだはずの一太刀は止めること敵わず、鍔迫り合いの感覚の代わりにわき腹へ感じたのは痛みと灼熱感。
「……こんな時に折れるとは、間の悪い……」
壁だの大太刀だのと打ち合い続けていたのだから無理もないかもしれないが、ハヌマンへの攻撃を防御したら剣が折れた。
それはもうぽっきりと綺麗に折れた。
それでも剣が勢いを殺してくれたことで真っ二つにされることは無かったが、綺麗にわき腹に刃が滑り込んでいる。
これ以上刃が入ってこないように折れた剣でなんとか押しとどめているし、興奮状態だからか痛みは思ったよりもない。
それでも正直な話、動揺が大きい。
「貴様ぁ!」
「桃ォ!」
ハヌマンが叫び、勇魚が駆け寄ってくる。
ハヌマンは斬りつけてきた天狗に向けて双鞭を振るったが、天狗はひらりとそれを躱すとそれを意に介さず鎧武者の傍の中空で足を止める。
いつの間にかその背にはガンリョウの上半身が背負われていた。
「時間をかけ過ぎだ。貴様まで命を破る気か」
「それはすまなかった。思ったよりも楽しめそうな相手だったので」
「ふん。この程度の相手、なにが楽しめそうなんだか……。ガンリョウ、貴様はもっと愚か者だ。本来の目的を置いて変に欲をかきおって」
(……本来の目的……?村の事か?)
徐々に増す痛みの中で、桃は何とか意識を保とうと思考を巡らせる。
会話の内容からして、この天狗はある程度上の立場だということが推察できた。
「さて、とはいえ村の占拠も失敗して成果なしではな。どうせならそこの神園の血を引く男だけ連れ去って他は殺していきたいところだが……」
天狗の視線が桃に向けられる。
その視線から言葉の意味を察した狛が天狗に飛びかかった。
「させないっ!!」
獣のような素早さで懐へ潜り込んだ狛の刃は迷いなく天狗へ向かい、その太刀と打ち合う。
しかしこれまでとは違い空中からも襲い来る三次元的な動きに翻弄され、形成は不利だ。
「話の邪魔だ」
「ぐぅあっ……!」
その立ち合いに割って入ったのは鎧武者の太刀だった。
横合いからの不意打ち気味の一撃を辛うじて反応して受け止めた狛だったが、勢いまでは殺しきれずにそのまま大きく吹っ飛ばされて壁に叩き付けられる。
彼女はそれでも立ち向かうため起き上がろうとしたが、これまでのダメージと疲れからかそのまま力尽きてしまった。
(くそっ……こんな時に……!)
命ごと流すように傷口から流れ落ちる血を必死に手で押さえながら、視界の片隅で戦いの行方を追っていく。
僅かに映るその景色の中で、勇魚とハヌマンは双つの硬鞭を分け合って必死の応戦をしていた。
「そろそろ終いだ」
見下ろすように此方を眺めて、天狗が告げる。
桃を見るなり先ほどから意味深な事ばかりが聞こえるが、いい加減考えるのもつらい。
神園の血を引くとはなんだ、誰の事を言っている?いや、その視線を見ればわかる。桃の事だ。
勇魚とハヌマンも其れを認識しているからこそ抵抗しようと桃の前に躍り出て、天狗と鎧武者を睨みつける。
「二人とも、狛を連れて逃げろ……。」
蘇芳の次期当主である勇魚が死ぬことだけは避けなければならない。
いや、次期当主という立場がなかったとしても生きることを優先すべきだ。
一時的な敗北はあっても、生きている限りは挽回する手段や機会はきっとあるのだから。
しかし逃げるよう促しても、二人とも聴こえているだろうにそれに従おうとする様子はない。
「この任務の責任者は俺だ……!二人とも……今は俺に従え……!」
「悪いがそれは出来ねぇ」
「何言ってる!お前は次期当主なんだぞ!」
「だからこそだ。それにここでお前を攫われたらまずいって、俺の勘が告げてるんだよ。だから絶対にここは譲れねえ」
「俺はお前たちを……置いていく側にするわけにはいかないんだ……」
それはこの世界に来た時から、ずっと桃の頭にこびり付いている後悔だ。
この世界に来る前、桃になる前の自分は命を落とす際に何も残せず、別れを告げることも出来なかった。
本来両親に置いていかれるべき立場なのに、先に命を落として両親を置いて行ってしまった。
死ぬという事は本来そういう事なのかもしれない。
けれども医者が臨終を告げた際の両親の表情は桃の心に深く棘を突き刺していた。
大切な存在に突然置いて行かれた人間の表情とは、ああいうものなのかと。
本来知る手段のない感情を。
置いて行ってしまった側の感情を、桃は知っている。
あんな表情を凰姫や恵比寿、鯱丸に。
ビーマや狛の家族にさせることが、酷く恐ろしい。
彼らがその顔を見ることが出来ないとしても、見知ったもの達が置いていく、或いは置いていかれる側になって傷つく姿を目にすることが、酷く恐ろしい。
そしてそれ以上に、桃自身が置いて行かれることが酷く恐ろしいのだ。
桃は両親の死を、或いは身近な人の死を経験したことがない。
経験した大切な存在の死と言えば飼っていた猫を亡くしたときくらいで、祖父母が亡くなったのも物心つく前だった。
桃は本来臆病な性格なのだ。
桃にとって置いて行かれることは未知の恐怖だった。
それでも、体は疲労と出血で動いてくれない。
新しい肉体を申し訳なく思いつつも与えられて、心臓の持病を克服して尚、桃は肝心な時に動けない。
(せめて魔法を……いま出せるありったけを絞り出せ……!)
身体が焼けた炉の傍に立った時のように熱くなる。
いや、これは外側からの熱ではない。
内側だ。まるで焼けた鉄を喉から流し込んだようだった。
肺が、心臓が、胃の腑が、まるで炉の火の中にくべられたような感覚だった。
(……他人の身体をもらい受けてまでこの世界で命貰ったんだ……!こういう時こそ根性見せなきゃいかんだろうが……!)
身体の熱感と対照的に現れたのは大量の水。
桃の前に立つハヌマンや勇魚の頭上を完全に覆うほどの竜巻のような渦が八本、此方を睥睨している天狗たちを阻む。
「……!この水量……それにこの魔法は……!」
まるで首をもたげた蛇が絡みつくように、或いは噛みつくように行く手を阻む渦に、天狗が一瞬狼狽える。
その狼狽えぶりと対象的に動いたのは鎧武者。
その姿が掻き消えたかと思えば、鎧武者は背後へ回り込んで大太刀で斬りかかってくる。
剣は折れており、勇魚達の防御も間に合わない。
だがここでやられるくらいなら腕を犠牲にする方がましだと、桃は折れた剣を逆手に持ち、出来る限り衝撃を殺す。
「その鬼灯の様な目の色……完全に覚醒する前に捕らせてもらう」
(目の色……?何を……)
相手の言葉に疑問を抱くが、今はそれどころではない。このまま折れた剣で受け続けては防御しきれない。
「これならどうだ……!」
それならばと、腕にまとったのは氷の鎧。
頑強な鱗の様に肌にまとわれた氷は大太刀の刃を押しとどめ、触れた端から蝕むように冷気を伸ばし凍結させていく。
「氷とは……複数の属性を使うか。それに先ほどから使っている魔法、その指輪を通していないな」
「さっきから何を言ってる!?」
魔法は本来属性を連想させるような媒体を使う必要がある。
だから狛は溶岩の飾り石の根付を持っているし、幹久も矢羽根と矢尻に仕込みを入れている。
水を象徴する道具しか持たない桃に、そんな事はできるはずがない。
「自覚なし……か、だが其の目の色といい魔法といいお前、化け始めているな」
「戯言をっ」
桃はその言葉に驚きながらも大太刀を弾き飛ばし、鎧武者を遠ざける。
そこから間髪入れずに巻き上がった水流の渦を天狗たちに殺到させると、天狗たちはその水量に邪魔されて近づこうとしても近づけなくなる。
「ここにきて化身の兆候がでるとは、運のいい奴!!だが……長くは持つまい!」
「……ッ!!」
たしかに天狗の言う通りだ。
状況が好転したように見えるが、相手は此方が力尽きるのを待てばいい。
桃は疲労や出血が激しく、勇魚とハヌマンは武器を分け合って辛うじて戦える状態。
狛は時々動こうとしているあたり、疲労と戦闘のダメージで動けなくなっているのだろう。
万事休すか。そう思ったその時だった。
直後桃の耳に届いたのは風切り音。
音と共に次々と何かが壁を大穴を空けて貫通したかとおもうと、相次いで二本目の矢が天狗の手にある太刀を折り飛ばした。
その何かが空けた大穴から覗くのは外の景色と鋭く光る眼光。
(爺様か!)
こんな芸当ができる人物を、桃は一人しか知らない。
幹久だと確信した。
「っ、どうやら時間切れらしい。この状況であの爺相手は今の我らには骨だ。退却するぞ」
「承知した」
天狗と鎧武者の身体をつむじ風が包んでいく。
その風が止んだ時、二人の姿は桃達の前から跡形もなく掻き消えていた。




